私たちは、誰も答えを知らぬままに生きている
どうもこんばんは、サラダ坊主です。
世間はゴールデンウィーク真っ盛りですが、小売業の陣頭に立つ私は本日も仕事で、家に帰り着いたのは午後11時近くでした。
昨春の人事異動で、家が幕張、職場が千葉という関係性になって以来、10時過ぎには帰宅するのが慣例となっていますが、時には止むを得ない事情で職場を出るのが遅くなることもあります。まさしく、今日がそのような事例に当て嵌まります。
閉店作業を終えて、部下の社員と商品の発注に関する話をしているとき、一人の大学生のアルバイトスタッフ(仮にYさんとしておきましょう)が不意に、私たちに報告したいことがあると言い出しました。
彼女は就職活動に邁進する大学四年生の女の子で、嬉しいことに私の勤めている会社を志望先の一つに選び、三次選考まで進んでいました。ところが、残念なことに内定には至らず、折角応援してもらったのに申し訳ないというのが、その報告の要旨でした。
彼女は飽く迄もアルバイトながら、実に眩しい笑顔の持ち主で、呼び込みや試食も得意で、まさしく私の勤める会社には打ってつけの人材であったので、私も部下も驚き、人事部の眼力の劣悪さを慨嘆したのですが、彼女曰く、選考が進むうちに「この会社は、私の望む場所ではないかも」という疑念に囚われるようになったらしく、面接ではその内なる迷いを見透かされたのではないか、それが選考に落ちた原因ではないかと分析していました。
それだけの話なら、残念ではあっても型通りの励ましで終わるところですが、普段は余り自分の私的な事柄を大っぴらに語るタイプではない彼女が、そこから進路に関する悩みや迷いを饒舌に話し始めたので、私と部下は二人で耳を傾け、可能な限りの忠告を試みる仕儀と相成りました。詳しい経緯は省きますが、その悩みを生み出す原因は、彼女の特殊な家庭環境など、多岐に渡っており、なかなか一概に有用な答えを返すことが難しい問題でした。
その豊饒な細部を大胆に捨象して、問題の本質を煎じ詰めるならば、要するに彼女の悩みは「やりたいことを仕事にしたい、けれど自分のやりたいことが、今の段階では明確に見極められない」というものでした。有り触れていると言えば、確かに有り触れた悩みですが、見方を換えれば、それだけ普遍的で深刻な問題であるということです。
このブログにも書きましたが、私自身、昨年の秋に転職を企て、自分のやりたいことは何なのか、自分はどういう人生を望んでいるのか、その為にどういう決断を下すべきなのか、そういった反省と思索に埋没する日々を送っていました。もっと遡れば、同種の悩みは十代の頃から絶えず、私の魂に名状し難い圧力を及ぼし続けてきたのです。その意味で、如何にも若者らしい彼女の悩みは他人事であるとは思えず、軽率に扱うことの出来ない重要性を帯びているように感じられました。
私と部下はそれぞれの立場から、それぞれの経験を踏まえて、自分なりの見解を述べました。部下の社員はYさんと同じく、大学では栄養や食物に関する勉強をしていたので、彼女の悩みに少なからず共感する部分があるようでした。一方の私は、栄養士の世界に就いては純然たる無知の素人であり、現場の事情なども弁えていないので、聊か抽象的な議論を提示することしか出来ませんでした。
やりたいことを仕事にしたい、これは普遍的な欲望であるに違いないと思います。少なくとも輝かしい新卒の片道切符を携えて、就職活動の最前線に望む若者の耳には、「やりたいことを仕事にする」というテーゼは、美しく崇高な理念として響き渡り、浸潤するものでしょう。若さを失いつつある私もまた、過去には同種の悩みを幾度も抱え込んだ覚えがありますし、今後も絶対に再発しないとは言い切れません。
やりたい仕事と、食う為の仕事が矛盾するとき、どちらを選ぶのかと訊ねると、彼女は真剣な表情で「やりたい仕事を選びたい、その為なら自分は、たとえ貧しい生活を強いられても頑張れると思う」と答えました。その健気な精神は称讃に値しますが、私自身の経験を顧みたとき、その純粋さに「危うさ」を感じずにはいられませんでした。今、この瞬間に「やりたいこと」の姿が明瞭に掴めていないのならば、就活の段階で「やりたい仕事」に固執して迷妄を深めるよりも、先ずは妥協し得る範囲で「食う為の仕事」に従事し、余暇の時間を使って勉強して、やりたいことを発見すべく努力した方が良いのではないかと、私は如何にも使い古された常套句を借りて、彼女に告げました。手垢に塗れた科白ではありましたが、その意見は彼女の心に、幾らか光を投じた様子でした。
私が社会へ出るとき、父親がくれた「営業心得」という手書きの教訓の中に「独身者と一緒にあほになって遊ばないこと。仕事で遅くなっても、遊ばなければ時間は作れる」という項目が含まれていたのを、今も思い出します。それが頭の片隅を掠めたので、私はYさんに対して前述したような忠告を与えました。「忠告を与える」と言うと、随分と高圧的に聞こえますが、実際には私は、殆ど自分自身に言い聞かせるような積りで、その言葉を口にしたのです。私は小さい頃から、書くことで生計を立てていきたいという茫漠たる野望を持ち続けてきました。その夢は今も叶っていませんが、叶える為の努力の一環という積りで、こうしてネットに独善的な文章を書き散らしている訳です。この零細ブログも、私にとっては一種の「勉強」なのです。