サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

Cahier(夏・花火大会・ファミレス・交通事故)

*八月に入ってから仕事が忙しく、なかなかブログの更新に着手する余裕を確保することが出来なかった。カミュの「ペスト」を読み終えたら、纏まった感想記事を認めたいと考えているのだが、未だ300ページにも達していない。なので、断片的な雑録を書き記すくらいが関の山だ。

*日本の夏と言えば、古来花火と相場が決まっている。今日、八月五日は千葉県内の方々で花火大会が催された。有名な市川市民納涼花火大会の他にも、幕張や佐倉や手賀沼や松戸など、花火大会のオンパレードで、夏の夜の街路には浴衣姿の若い女性が濫れ返っていた。生憎、私は終日仕事であったが、妻は娘を連れて幕張の浜辺へ壮麗な打ち上げ花火を見物に出掛けた。幼い娘は、間近で炸裂する花火の轟音に怯えるどころか、随分と上機嫌で、感嘆符のような声を発しながら踊っていたらしい。なかなか豪胆な一歳児である。

 花火大会というのは、食品小売りに従事する人間にとっては紛れもない書き入れ時で、かつて市川で店長を勤めていた頃には、夏の花火大会というのは年間でも指折りの売上高を叩き出す、蒸し暑い正念場であった。雨が降らないことを天に祈り、願いは無事に聴き届けられて、一度も雨天中止の惨憺たる窮状には見舞われずに済んだ。尤も、私以外にも自ら「照る照る坊主」の心意気で熱烈な祈祷に力を尽くした方は大勢いらっしゃっただろうから、私の願いが聴き届けられたという確証はない。

 市川から柏へ異動の辞令が下り、漸く江戸川の花火から解放されたと安堵したのも束の間、直ぐに私は自分の考えの甘さを痛感する羽目に陥った。何も市川市民だけが夏の夜空に描き出される火薬の芸術を愉しんでいる訳ではない。柏の人々にはちゃんと手賀沼の花火大会という愉しみが与えられているのである(無論、同日開催の松戸へ往ってもいい)。結局、食品小売業に従事する限りは、花火という光学的芸術の魔力から身を逸らすことは出来ないのである。

*妻が花火大会の観覧で遅くなるので、私は夕食を自力で調達することになった。止むを得ず、部下の社員1名とフリーターのスタッフ1名と共に、千葉駅の近所のファミレスへ行った。

 街中には、浴衣姿の浮かれた男女が幾人も歩いている。市川の店舗に勤めていた当時、花火大会の夜は何処の居酒屋も軒並み予約で満席になるという話を聞いたことがあり、千葉市内も幕張の花火帰りの人々で賑わっているだろうと予測を立てたが、辿り着いたファミレスの店内は閑散としていた。

 私は鰻丼と温かい饂飩のセットを頼んだ。本当は冷たい蕎麦が良かったのだが、肥満した男性の店員は丁寧な口調で、饂飩を蕎麦に取り換えることは出来ないと返答した。運ばれてきた鰻は、ゴムのように人工的な食感であった。値段相応なのだから、文句は言えまい。だが、この類稀なる「ゴム感」の由来は何なのだろうか。安い鰻だから、ゴムなのか。しかし、安いからと言って、つまり品質が劣るからと言って、ゴム感が強まるというのは当たり前の現象なのだろうか。

*駅までの帰り道、フリーターの女の子が、此間この場所で走ってきた車にぶつかったと言った。正面から来たので、反射的にボンネットへ両手を突いたらしい。結果として、自分が怪力を駆使してボンネットを押さえ、車を強制的に停めたような奇態な光景になったそうだ。自動車を運転していたのは若い女で、そのまま挨拶も何もせずに走り去ったという。恥知らずの酷い女である。「いてててて」と騒いでやればよかったじゃないかと、私は言った。「いててててえ、あばら粉々やわ、どないしてくれるねん姐ちゃん」と言えばよかったじゃないか。女の子は笑って取り合わなかった。良識的な反応であろう。

 すると部下の社員の女の子が、私は停まっている車にチャリンコで追突したことがあると言い出した。典型的な悪事である。大丈夫、誰も乗っていなかったと彼女は言う。そういう問題ではない。自動車と自転車では、自動車の方に罪があると強弁する。停まっている車に突っ込むのは無論、突っ込んだチャリンコの罪であろう。逃げたのかと聞く。もちろん逃げたと言って笑う。筋金入りの悪党である。だが、同じ状況なら、私も確実に逃げるだろう。

*子供の頃、団地に住んでいた。団地の棟に平行して、住人専用の駐車場が並んでいる。団地の棟と駐車場との間のスペースで、私は自転車に乗る練習をしていた。ふらふらと頼りなく蛇行する幼い私を、窓から顔を出した団地の住人たちが見守り、応援してくれる。無論、彼らが見守っているのは私ではない。私の披露する飲酒運転並みの危険運転によって、自分の愛車が損なわれないか、冷や冷やしながら眼を光らせているのである。どんな物事にも、異なる側面というものが備わっていることの、好個の事例である。