サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

Cahier(禅僧への憧憬・国宝「瑞巌寺」・金閣の俗臭)

*娘を寝かしつけて、夕飯の準備が整うのを待つ間、NHKの「日曜美術館」を漫然と眺めていた。番組の最後に流れる、全国の様々な展覧会の御報せの中に、「正受老人と白隠禅師」(飯山市美術館特別展)が混じっていて、眼を惹かれた。

 私には美術に関する知識も眼力も備わっていないので、展示される貴重な禅画や墨蹟の審美的な価値を理解することなど到底覚束ないし、そうした意欲も特に湧かない。私が注目を懐いたのは専ら「白隠禅師」という人名であった。中学生の頃、私は所謂「禅僧」と呼ばれる人々に仄かな、幼稚な憧れを懐いていたことがある。松戸市立図書館や千葉県立西部図書館で、鈴木大拙の著作や白隠禅師の「遠羅天釜」や「夜船閑話」を借りて読んだのも、その頃の懐かしい想い出である。尤も、詳細な註釈が附されていても、白隠禅師の書物を読みこなす能力はなく、主に親しんだのは鈴木大拙の書き綴った、様々な禅僧の逸話の方であった。

 禅僧には、所謂「仏教徒」の中でも、何処か異彩を放つようなところがある。伝えられる往時の逸話に刻み込まれた中国及び日本の禅僧たちの言行は常に破格で、異様で、常識の鎖を容易く食い千切ってしまうような、清々しい野蛮さがある。これは浄土真宗にも共通して言えることかも知れないが、禅僧というのは「日常の中の悟り」を重視する存在である。いや、私は素人なので、飽く迄も門外漢の思い込みに過ぎないことを予め断わっておく。だから、間違っている箇所は幾らでもあるだろうが、余り目くじらを立てないで頂きたい。

 そもそも宗教家というのは「聖職者」という言い方にも表れている通り、俗世間から逸脱した存在であることが原則である。俗人と何も変わらない生き方や考え方を持っているのならば、彼らの宗教性を鵜呑みにすることは難しくなる。得度がどうの、袈裟がどうの、戒律がどうのといった諸々の権威的な制度も、彼らの「聖性」を守る為の重要な手続きとして組み立てられたものであろう。

 だが、禅僧たちの言動は、そうした仏教の神聖なる権威主義を堂々と踏み躙ってしまうような、清冽で爽快な心意気をたっぷりと含んでいる。彼らには、くよくよと辛気臭い悩みを抱え込むような、鬱屈した気配がない。或いは、少なくとも解脱を得る以前は、そのような懊悩を大量に抱え込んでいたのだろうが、開悟して禅僧として立身した後は、常に融通無碍の闊達な境涯に遊んでいるように思われた。そういう姿が、当時の私の眼には非常に眩しく映った。思春期の盛りで、肥大した自意識を持て余し、何を遣っても満たされず、これからどうやって生きて行けばいいのか、その具体的な指針も得られずにいた当時の私は、典型的な若者の一人であった訳だが、そういう境遇に置かれた人間にとって、禅僧という一つの社会的類型は、とても神々しいものであるように感じられる場合があるのだ。彼らは悩みや不安や絶望と無縁で、自由自在に生きている。私もあんな風に、自由自在に生きてみたい。そういう憧憬が、鬱屈した精神に夥しい刺激を注入していたのである。

 思えば、幼い思い込みに過ぎなかった。一旦悟りを開けば何が起きても、もう絶対に安心、というほど、現世は甘くない。「安心立命」という言葉のように、如何なる出来事に逢着しても動揺せず、平穏無事に暮らしていきたいという当時の私の願望は、余りに大それた祈りであった。そもそも、仏道修行の実相に関する具体的な知識もなく、ただ断片的な知識を掻き集めて、手前勝手な妄想を膨らませて、恋焦がれていたに過ぎないのだ。中学三年生の進路相談の季節に、私は思い余って父母に「出家したい」などと世迷言を告げて、困惑させた。だが、それは単なる遁走の形態の一種でしかなかった。私が坂口安吾の「風と光と二十の私と」に深い愛着を覚えるのは、そこに書き込まれた若き日の安吾の姿に、自分自身の十代の頃の心性と相通じるものを感じるからである。何もかも捨て去ろうとするヤケクソの情熱に就いて語る、安吾の静謐な筆致に、私は三十一歳になった今も、懐かしい共感のようなものを見出す。

 「不立文字」とか「教外別伝」とか「脚下照顧」とか、元来中国で育まれた禅宗の風儀には、この手の四字熟語が横溢していて、それが余計に禅僧の闊達な魅力に彩りを添えているような気がする。どちらかと言えば、日本という風土には真宗の教えの方が適しているのではないか、などと、これも門外漢の戯言に過ぎないが、不意に思い浮かんだので書き留めておく。鈴木大拙の著作にも書き込まれている真宗の「妙好人」の挿話など、如何にも日本的な現実に馴染んだ、柔軟で閑雅な味わいが備わっているように感じられる。

 

*そう言えば、仙台旅行の際に訪れた松島町の国宝「瑞巌寺」という古刹は、臨済宗妙心寺派の寺院であった。海岸沿いの繁華な車道から直ぐに石敷きの参道へ通じていて、門前には下世話な土産物屋も看板を掲げているのだが、敷地へ入ると独特の枯淡の風格が肌に迫る。禅寺というのは、強力な精神安定剤の効能を有している。以前、金沢へ旅行した際に、序でに訪れた福井の永平寺曹洞宗大本山)にも、独特の凛冽たる空気が張り詰めていた。そういう静謐な感覚は、例えば京都の金閣寺や、千葉の成田山新勝寺には余り息衝いていない。特に金閣寺の頽廃は凄まじい。外国人観光客の対応に慣れ切って、売店のおばちゃんさえも粗笨な英語を使いこなす、あの俗気に塗れた寺院には、宗教的な節度が欠けている。在るのはただ、身も蓋もない資本主義の論理だけである。別に三島由紀夫の「金閣寺」の影響で、そのような俗臭を殊更に論っているのではない。実際、観光客の対応に疲弊した様子の、やけに事務的な態度の僧侶を目の当たりにしたときの名状し難い失望は、今も私の脳裡の一隅にこびりついているのである。

風と光と二十の私と (講談社文芸文庫)

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風と光と二十の私と・いずこへ 他十六篇 (岩波文庫)

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金閣寺 (新潮文庫)

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