サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

「月影」 11

 時折、罅割れるような不快な耳鳴りを感じるようになったのは、高校三年生の頃でした。鼓膜の表面を何かが引っ掻くような物音が聞こえることもあれば、遠くから等間隔で放たれる不可解な信号のように、同じ響きが断続的に聞こえてくることもありました。前触れもなく、何か特定の場面で必ずその症状が顕れる訳でもなく、それは気紛れなタイミングで私の意識を支配しました。特に日暮れを迎えると症状は劇しく悪化しがちで、外の世界の音が悉く耳鳴りに掻き消されてしまうときもありました。
 両親に相談すると、彼らは非常に心配してくれました。それは少し常軌を逸した過度な動顛の仕方で、直ぐに私は近所の開業医の許に連行され、その診断が曖昧な対症療法に終始すると分かると、父が医者に強硬な談判を試みて、大学病院への紹介状を書かせました。衝立の向こうで操作される立派なオージオメータが、私の鼓膜に様々な波形と強さの信号を送り、詳細な問診が繰り返され、数種類の医薬品が処方されましたが、頑固な耳鳴りは劇的な改善を示さず、寧ろ徐々にはっきりと増悪ぞうあくしていきました。特に満月の夜には、砂浜に佇んで潮騒に耳を澄ましているかのように、耳鳴りは聴覚の領域を隅々まで埋め尽くしてしまい、誰かに話し掛けられても何一つ聴き取れず、騒がしい沈黙と孤独の裡に抑え込まれ、幽閉されているような陰鬱な気分に陥りました。最初にその強烈な耳鳴りに呑まれた夜は、強い恐怖が心臓を圧迫して、今にも気を失ってしまいそうでした。
 両親に限らず、岩崎さんも私の症状の悪化をとても心配していました。眠れない夜半には、本当は電話で岩崎さんの声が聞きたいのに、耳鳴りが酷くて総ての交信を妨げてしまうので、不安と絶望は一層劇しく募りました。送られてくるメッセージの、絵文字を使うことなんて想像もしていないような、無骨な文字の一つ一つが、ぎりぎりの状態に追い詰められた私の孤独な魂を慰める微かな蜘蛛の糸でした。耳鳴りの所為で睡眠が足りず、夜明けが訪れても寝台を抜け出すことさえ叶わない日々が続いて、それまで熱心に打ち込んでいた弓道の練習も、夏休みには毎年欠かさず出掛けていた天体観測の旅行も(その年は確か、天文学部の皆で志賀高原へ遠征する予定でした)断念せざるを得なくなりました。
 春から都内の大学に進んだ岩崎さんは、相変わらず弓道の鍛錬に熱心でした。父方の祖父母から貰った自慢の黄櫨の和弓を携えて、夏の全国大学弓道選抜大会では、チームの準優勝に大きく貢献し、大学から表彰を享けていました。それは勿論、岩崎さん自身が色々な困難を乗り越え、厳しい訓練に堪え抜いて努力を重ねてきたことの成果でしたから、私は素直に尊敬し、また祝福の気持ちを懐いていました。けれども、自分の病状が日毎に増悪して、日々の生活において段々と自由が利かなくなってくると、岩崎さんの輝かしい活躍に対して、或る不穏な感情が滲んでくるのを抑えることが難しくなっていきました。悔しさなのでしょうか。子供っぽいプライドの所為でしょうか。特に耳鳴りが酷くて殆ど一睡も出来ずに過ごした明け方、大学の朝練に出掛ける岩崎さんから、おはようのメッセージが届くときなど、私の胸底に生い立った陰湿な嫉視は、どんな野蛮な攻撃も自分自身に許してしまいそうなほどに切迫して、泣き言や恨み言の種子を育みました。眼裏に浮かび上がる、岩崎さんの雄々しく凛々しい射法八節の型が、思うように巻藁まきわら練習さえ熟せない自分の不幸な境遇を冷然と嘲笑しているような、そういう不合理な被害感情が日夜、滾々と湧き出して止まりませんでした。同時に、かつて憧れ、美しく夢見たものを、自分の都合で憎まなければならない厄介な現実が、私の心を繰り返し傷つけ、刻々と衰弱させつつありました。他人への度し難い妬みと、自分自身への道徳的な嫌悪の狭間で、私はどうやって呼吸し、どうやって生き延びればいいのか、重苦しい時の推移に堪えればいいのか、分からなくなっていました。
 別れた方が良いのかも知れない、好きでいても自分が苦しく、また相手の感情を損なうばかりではないかという疑念が、私の胸の裡を頻繁に去来するようになりました。あらゆる行動が億劫で、耳鳴りの鎮まった日中でも、不意に症状の昂じることが怖く、街中へ出歩こうという気分になれません。日頃、学業と弓道に加えて、飲食店のアルバイトにも忙しい岩崎さんが、辛うじて躰の空いた貴重な時間をデートの為に割いてくれようとしても、疲れ果てた私は、明るい返事さえ吝しんで、彼の気遣いを踏み躙ってばかりいました。冬が来る頃には、岩崎さんからの連絡は途絶えがちになりました。罪悪感と寂しさと、一抹の安堵が、年の瀬の静かな部屋に閉じ籠る私の心を包みました。この苦しみと哀しみから、どうやって抜け出せばいいのか、その答えを明確に示してくれる人は、私の周囲には誰一人として存在していませんでした。