サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

「月影」 10

 恋するということは、素敵なものだと、中学三年の夏の私は学びました。普段は暖簾を潜ることのない街角の中華料理屋に岩崎さんと二人きりで入って、一緒に熱い拉麺を啜り、その帰り道、遅くなり過ぎた言い訳を頭の片隅で彼是と組み立てていたら、不意に手を握られ、所謂「告白」という種類の言葉を贈られて、気持ちが動転しながら、それでもここで引き下がったら折角のチャンスを逃がしてしまうと勇気を奮い立たせ、私も同じ気持ちですと伝えて、その瞬間に岩崎さんが照れ臭そうな笑顔を抑えきれなくなったのを見て、私の心の中にも何だか栗鼠のように温かい幸福な鼓動が高鳴ってくる、そういう一連の経緯を通じて、私は恋愛というものに多くの人々が否応なく惹かれていく理由の一端に触れたような気がしました。
 それにしても、恋する気持ちというのは不可解な心の動きです。人は誰も、自分がどんな人やどんな物事を好きになるのか、その明快な基準を事前に持ち合わせている訳ではありません。「恋に落ちる」という言い方が密かに暗示しているように、それは不意に踏み締めた床板が割れて全身が崩落するように、私たちの所属している現実へ走った稲光のような亀裂として、眼の前に差し迫ってきます。誰もそれを上手に制御することなど出来ません。いえ、こんな言い方は少し大袈裟過ぎるでしょうか? 自分の許に俄かに顕れた恋心の情熱を、特別な奇蹟のように、大切に扱い過ぎているでしょうか? それも含めて「恋する」ということであるならば、世の中にこんな美しい幻想が他に考えられるでしょうか。勿論、私の恋心には伏線がありました。私は岩崎さんのことを素敵な先輩だと日頃から感じていましたし、弓道という古風な競技に熱中すればするほど、その優れた先達に対して尊敬の念を強めていくのは当然の心理でしょう。そうやって内圧を高められた尊敬が、例えば熱せられた液体が或る透明な境界線を飛び越えて気体へ変じていくように、特別な好意に発展するのは、この世界の古びた慣習なのだと思います。そうやって絆は結ばれ、世界は色彩を改めて、私たちは特別な関係という領域へ足を踏み入れていくのです。
 けれども物語の始まりの日には誰でも、相手の総てを理解した上で情熱的な恋に落ちる訳ではありません。私たちの眼は、いつも限られた視界だけを捉えています。私は岩崎さんのことを殆ど何も知らないと言っても差し支えない状態で、誰の差し金なのか、きっと信心深い人なら神様の御配慮の賜物だと考えるのでしょうが、兎に角「運命」というものに導かれ惑わされて、そういう秘められた関係の段階へ進みました。「付き合う」という言葉が含んでいる具体的な内訳を、明晰に理解している訳でもないのに、私は岩崎さんの告白にはっきりと同意していました。私は彼のことが特別な男性に見えていました。それは、彼が弓道の上手な男の子だったからでしょうか? 私は中学生で向こうは高校生で、この学年の絶対的な境目が(大人にとっては誤差の範囲に過ぎないとしても)同学年の男子たちには備わっていない年上の貫録を彼に授けているように見えたのでしょうか? 或いは、不器用で女の子に慣れていない雰囲気に安心したのでしょうか。行動は優しいのに、口調や物腰はそんなに媚びるようなものではないという二面性に惹かれたのでしょうか。残念ながら当時も今も、私には確実な答えを導き出す力が宿っていません。
 岩崎さんにとっても私にとっても、単なる秘められた恋心ではなく、明確に訴えられた愛情、包み隠さず表現された愛情を通じて誰かと結び付くことは生まれて初めての美しい経験でした。恋愛に慣れ親しんだ男女のように、露骨な技巧に就いて周りの友達と忌憚なく話し合うという開放的な習慣と、私たちは縁遠いカップルでしたから、関係の進展は蛞蝓よりも鈍間のろまだったと思います。御互いの存在を掛け替えのない恋人と認め合う仲になったというのに、最初のキスを交わしたのは八月の終わり、真夏の錬成大会が済んだ後でした。苛酷な練習が一区切りついて、新学期の始まりまで五日ほどを残した空洞のような時間の中で、私たちは江ノ島まで二人きりで遠出をしました。見慣れた制服でも汗臭い弓道衣でもなく、爽やかな香りの滲むお気に入りの私服を身に着けて、江ノ電の古風な列車に揺られて、夏の終わりの海を見たのです。片瀬の海岸を散策し、飛び交う鷗を見上げ、混雑する砂浜を眺めながら、私たちは御互いの手を握り締めました。微かに指先を絡める方が逆に恥ずかしく、子供のようにぎゅっと力強く繋ぎ合って、汗ばんだ温もりを感じながら、私たちは湿っぽい海風に吹かれる弁天橋を渡りました。きらきらと輝く相模湾には幾つも船影が浮かび、私たちは御伽噺の始まりのように幸福でした。私たちの心は二つとも、恋愛という甘美な幻想の裡に閉じ込められて、どんな擦過傷とも無縁な場所で、軽やかな呼吸に溺れていたのです。