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サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

サラダ坊主風土記 「安房鴨川」 其の四

サラダ坊主風土記

 今回の記事で連載は最後になる(予定)。

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 鴨川シーワールドは、少なくとも関東地方ではそれなりに名前の知られたレジャー施設であり、名物のシャチのパフォーマンスも観覧したことのある方は多いだろうから、旅行ガイドブックを書きたい訳でもない私としては、日中の園内の様子に関する描写は割愛したいと思う。とりあえず季節外れの平日であったので、園内は頗る空いており、のんびりと見物して回るには最適の環境であったことだけを、附言しておく。

 その晩は、ホテルのレストランでビュッフェ形式の夕食を取り、妻と順番に幼い娘の面倒を見ながら、交代で大浴場の湯舟に浸かった。温泉を引いているということだったが、私は湯温の低さが不満であった。

 枕が変わった所為か、なかなか娘が寝入ってくれず、蒲団に横たわりながら私たちは睡魔に抗う時間を過ごした。漸く娘が好みの体勢を見つけて微かな寝息を立て始め、私もゆらゆらと霞んでいく意識の片隅で、果てしなく打ち寄せる外房の海の波音を聞いていた。昼間、明るい陽光に照らされ、紺碧に光り輝いていた海原は美しいの一言に尽きたが、日が沈んだ後の海は、端的に言って不吉な暗黒を抱え込んで見えた。轟く波音も、鮮やかな光の下で聞くのとは異質な、独特の不穏な律動として鼓膜を打った。

「やけに明るくない?」

 隣で娘を挟んで眠っていた筈の妻が、不意に起き出して言った。

「月の光じゃないの」

「でも、さっき見たときは、月は出てなかったよ」

 眠気を堪えかねて横たわったままの私とは対蹠的に、妻は蒲団から脱け出して、海と砂浜に面した窓辺へ歩いて行き、薄いカーテンの隙間に頭を突っ込んだ。

「すごい」

「どうしたの」

 気になって起き出すと、確かに部屋の床にも天井にも、青白い光が煌々と濫れていた。月明かりにしては、余りに眩しいような気もする。立ち上がり、妻の傍へ寄って暗い夜空を見上げた。

「星がすごいよ」

 言われて眼を凝らすと、確かに漆黒の闇夜に抗うように無数の星の光が点々と咲いているのが見えた。真っ暗な太平洋は、日没を迎えた都市のように人工的な燈火を燃え上がらせることがない。砂浜に沿った遊歩道に疎らな外灯が光っているが、それだけでは太平洋の暗闇を押し退けるには全く足りない様子だ。

 だが、星屑の美しさだけが私を魅了したのではなかった。寧ろ重要なのは空ではなく、見渡す限り黒々と広がって白い波頭を幾重にも浮き上がらせている外房の海原の方であった。遥か彼方の水平線、それは既に墨色の海と溶け合って見定め難くなっていたが、海と空の境目に寄り添うように、等間隔で星の光のようなものが瞬いていた。水平線の両端は、突堤のように伸びた陸地に遮られていて、右手には橙色の光が幾つも輝いている。時折、燈台だろうか、純白の劇しい光が幻のように一瞬だけ強く輝いて、私たちの眼を射抜いた。水平線に沿って列なる小さな光の粒は、その港の辺りからゆっくりと吐き出されているようだった。つまり、あれらの光は、漁船の焚いている灯りなのだ。

 それは不思議な光景だった。天空に浮かんでいるのは、遙かな距離を隔てて真空の宇宙から放たれた星々の光であり、水平線に列なっているのは人間の手で生み出された科学的な光である。天然の光と人工の光、それらが闇に溶けた海原と天空に、銘々の輝きを晒している。それらは全く出自の異なる光であるにも拘らず、暗闇に閉ざされた視界の中で、同じ星屑の列なりのように煌いていた。これは、神秘的な現象ではないだろうか?

 星屑の光のように見えるもの、それが漁船の光であることを悟った瞬間、私の胸に生まれたのは、奇妙な安堵であり、励ましであった。日が落ちた後、単調に繰り返す波音を聞きながら、暗い海を眺めるのは、私にとって不穏な経験であった。生身の人間が決して足を踏み入れてはならない領域、絶対的な自然の懐、それは人間という生き物の救い難い儚さの徴のように思われた。どうにもならない絶対的な力、自然の脅威、それを古代の祖先は毎日のように切実に感じ取っていたに違いない。だからこそ、その堪え難い脅威を押し退け、幻のような命を守り、次代へ受け継いでいく為に、人間は数多の技術を発明することに心血を注いできたのだ。それは都会の闇が孕んでいる怖さとは、全く異質の何かであった。

 だが、鴨川の漁師たちは、寒風の吹き荒ぶ夜更けの海上に、小さな漁船で漕ぎ出して、自分たちの仕事を成し遂げる為に勇気を振り絞り、苛酷な自然の猛威と闘っているのだ。無論、彼らにとっては慣れ親しんだ業務の、退屈な反復の一コマに過ぎないのかも知れない。暗い海も、暗い空も、数珠のような星明りも、何の感情も揺り起こさない凡庸な眺望に過ぎないのかも知れない。しかし、私の眼に、漁船の灯りは人間的な叡智の輝きのように映じた。以前に読んだサン=テグジュペリの「人間の土地」という書物の記憶が、脳裡へ浮かんだ。飛行機に乗って、不確かな計器の表示に惑わされ、直ぐに不調を訴える脆弱な発動機の顔色を絶えず窺いながら、前人未到の淋しい大空を、昼夜を問わずに飛び続ける男たちの孤独。彼らの眼に、街の灯りはどれほど魅惑的で、神々しい光として映ったのだろうか。それと同質の感覚を今、私は味わっていると言ったら、きっと大袈裟なのだろうが。