サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

Cahier(アルベール・カミュ、ミラン・クンデラ、新入社員、ドラゴンクエスト)

*フランスの作家アルベール・カミュの小説「ペスト」(新潮文庫)を読んでいる。未だ200ページ弱の段階なので、纏まった感想を綴れる状態ではない。翻訳が、日本語として熟していなくて、意味を追うのに難儀するが、余りに滑らかな日本語であっても、却って原書・原語のニュアンスを消し去って、本来の意味を見え辛くするかも知れないので、良いとも悪いとも言い難い。

 「ペスト」の前に読んでいたフランツ・カフカの短篇群に比べると、カミュの文章はとても饒舌に感じられる。しかも、その饒舌さは如何にも理知的で観念的で、カフカ的な文学の対極に位置付けられるべき作風であるように感じられた。カフカが徹底的に削ぎ落としていく「意味」を、カミュは頗る貪婪な食欲に基づいて追い求めている。途中で登場する神父の壮大で大仰な「説教」の場面から、メルヴィルの「白鯨」における「説教」の場面を連想したのだが、訳者の後書きに、カミュが「ペスト」の構想を練るに当たって「白鯨」から重要な影響を受けていた旨、記されていた。メルヴィルの驚嘆すべき饒舌は、物語の単線的な進行を妨げ、その超越性を失墜させる為の武器であるが、果たしてカミュの場合はどうなのだろう? 「異邦人」を読んだときの感触ではカミュもまた、神学的なイデオロギーに代表される「意味という病」(©柄谷行人)への根深い不信と抵抗を抱え込んでいるように思われたのだが、それはカフカ的な簡潔さとも、メルヴィル的な饒舌とも異質だ。端的に言って、メルヴィル諧謔が「異邦人」の文体に反響しているとは思えない。或いは「ペスト」ならば、そうした反響を聞き取れるのだろうか? それに就いては読了するまで、判断を差し控えるのが公正な態度であるだろう。

 

*「小説の技法」(岩波文庫)という本の中で、ミラン・クンデラは「作家」と「小説家」の厳密で正当な区分に就いて語っている。彼の考えでは、両者は似て非なる存在であり、安易な混同は忌避されねばならないのである。そして彼の区分に従えば、アルベール・カミュは「小説家」ではなく「作家」という扱いになるらしい。

 クンデラの思索の経路を、私が精確にトレースすることは出来ないが、確かにカミュの「ペスト」における文体は、小説の作者の「声」であるというよりも、一人の思想家の演説のように聞こえる部分が大きい。多少の皮肉な笑いが、混じっていない訳ではない。だが、カミュの笑いは、小説的な哄笑には程遠く、尚且つ彼の語り口は極めて真摯で、明晰で、理知的である。それはカフカの苦いユーモアとも、メルヴィルの大袈裟なユーモアとも異質な「声」によって構成されているのだ。総てを笑い飛ばし、戯画化してしまう為には、カミュという人物は余りにも生真面目な性格であるように思われる。彼の関心事は、あらゆる信念を相対化して哄笑することではなく、飽く迄も一つの真剣な信念を問い詰め、語り尽くすことに存している。それは小説ではなく、哲学、或いは思想の問題である。言い換えれば、カミュという人物の頭脳は、小説という手段を経由することに堪え難い「迂遠さ」を見出すように仕立てられているのではないか。余りに明晰な頭脳は、性急な情熱を欲するものだ。それこそ、手を叩いて笑い転げる余裕を失ってしまうほどの「正義」への厳粛な希求に、彼は駆り立てられていたのではないだろうか。

 

*連日、鍋底の枝豆のように、無性に暑苦しい。私は今日も千葉市中央区へ出勤した。小売業の現場指揮官、へっぽこ軍曹として、銃弾の代わりに札束の飛び交う優雅な戦場へ赴くようになって、十年ほど経つ。今年度の新入社員は短大卒の女性で、二十歳である。私は今年の冬に三十二歳の誕生日を迎える予定で、遂に新入社員との年齢格差が干支一周分に達するような、ほろ苦い御年頃に辿り着いてしまった。軍曹見習いの彼女は、年齢の割に肝が据わっている。私も、年齢に比すれば肝が据わっていると思われがちな外見と性格である。へっぽこ軍曹の口の悪さに、軍曹見習いは大して傷つきもせず、堂々且つニヤニヤと笑っている。私は、余りに礼儀正しい新入社員より、多少生意気な新入社員の方が心安らぐという変態軍曹なので、軍曹見習いの頼もしさに感無量である。一刻も早く将校に昇進して、与えられた職権を濫用し、私の給与額を不当に値上げしてもらいたい。因みに彼女は先日、SMの女王様みたいな、或いは往年のダンプ松本みたいな、つまり悪徳警察官のような黒い帽子を被って出勤していた。この調子では、軍曹見習いによる下剋上の成功も、もはや時間の問題である。

 

*待ち望んだ「ドラゴンクエスト」の最新作(3DS版)が先日、郵便屋さんの手で我が家に届けられた。尤も、待ち望んでいたのは私ではなく、妻である。日々、育児と家事に忙殺される彼女は、機嫌が悪いと土佐犬の如く吼え猛る小さな娘の就寝後の静寂を有効に活用し、遂に壮大な冒険の旅路へ出発したばかりである。今日の冒険の旅程を訊ねると、妻の返答は「電子説明書を読むこと」というものであった。随分と慎重且つ用意周到な勇者である。袋一杯の薬草と毒消しを買い漁るまで、最初のダンジョンに踏み込むことを拒否するのではないかと邪推したくなるほど、彼女の冒険旅行は綿密な計画に基づいている。邪悪な魔王も待ち草臥れること請け合いである。このままでは恐らく、間抜け面のスライムたちも巣穴へ帰ってしまうであろう。

ペスト (新潮文庫)

ペスト (新潮文庫)

 
小説の技法 (岩波文庫)

小説の技法 (岩波文庫)