サラダ坊主日記

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「不条理」の困難な形象 アルベール・カミュ「ペスト」に就いて

 先刻、アルベール・カミュの『ペスト』(新潮文庫)を読み終えた。

 この作品を単純なヒロイズムの物語であるとか、或いは「不条理」に対する戦いの物語であるとか、そういう風に総括するのは、一見すると尤もらしいけれども、きちんと読めば、寧ろこの作品がヒロイックな勇敢さというものの否定を含んでいることは明瞭である。確かにこの作品には世界の「不条理」というものの具体化された形象が随所に鏤められている。だが、訳者の宮崎嶺雄氏が巻末の解説で次のように述べている点に就いては、私は疑念を持った。

 『ペスト』はカミュの「不条理の哲学」が初めて十全の具象的表現をもちえたものとして、彼の作家生活に一段階を劃した最も重要な作品である。『異邦人』のムルソーの「自己への誠実」というモラルは、ほとんどまだ個人的な好尚の域を脱せず、行動者の規範としてよりも、むしろ否定的な面が強かった。『ペスト』において初めて連帯感の倫理が確立され、「不条理」との不断の戦いという、彼の思想の肯定的な面が力強く打ち出されたのである。(『ペスト』新潮文庫 pp.474-475)

 このような概括は必ずしも適切な要約であるとは言い難い。少なくともカミュにとって、世界の「不条理」は戦うべき相手ではない。彼は寧ろ「不条理」を蔽い隠す幾多の欺瞞的な物語(そこには当然のことながら、西洋社会に深く浸潤しているキリスト教の価値観も含まれているだろう)に対する「反抗」を倫理的な規範として重んじていたのではないか。従って「不条理」は格闘の対象ではなく、彼の繰り広げる凡ゆる思想と信条の出発点として定義されるべきである。また「異邦人」に就いても、ムルソーの人格と言動を「自己への誠実」という道徳的規矩に回収するのは不適当な措置であろう。自分に対して正直であること、それは確かな事実だが、重要なのは、そのような素朴な正直さを禁圧する社会に対する眼差しの方だ。つまり、社会は不条理を抑圧することによって、自らの存立の基盤を確保しているのである。

 世界が「不条理」であるということ、それは言い換えれば、無神論的な構図を受け容れるということであり、超越的な救済の物語を導入せずに、どうやって世界の不条理な艱難を乗り越えていくべきか、ということが、カミュの思想と倫理の根幹に位置している。しかし、それは不条理を人間の努力によって「克服」する為の企てではない。「不条理」という世界の本質は如何なる人間的努力によっても解決されない。もっと言えば、どんな困難に関しても、絶対的且つ最終的な解決は有り得ないのだ。物語の終幕で、語り手の医師ベルナール・リウーは、終息したペストが何れ再び甦るであろうことを冷静に暗示するが、これは「不条理との戦い」などという心地良い御題目が根本的な謬見であることを毅然たる態度で告げているのだと、解釈することが可能である。ペストが蔓延した街で、勇敢な医師とその同胞の献身的な努力によって、多くの犠牲の涯に、最終的な救済が獲得される、といった娯楽大作的な要約は、まさしく「ペスト」という作品の最も悪質な曲解に他ならない。ペストの終息は、誰にも分からぬ理由で、飽く迄も偶然の一環であるかのように、俄かに訪れるのである。

 カステルの血清は、急に、それまでは得られないでいた成功を、何度も連続的に経験するようになった。医師たちのとる処置の一つ一つが、以前にはなんの結果ももたらさなかったのに、にわかに確実に効果をあげるように見えだした。(『ペスト』新潮文庫 p.398)

 カミュは明らかに、医師たちの献身的な努力と、病魔の駆逐という事態との合理的な相関性を否定している。尚且つ、注意深く読めば、作中におけるリウーの職業的な努力が一貫して、ペストの抑圧と克服に役立っていないことは明白である。言い換えれば、ペストというものは徹頭徹尾、人間にとって「不条理」な存在であり、その「不条理」に対する人間たちの苦闘はずっと、無益な空転に終始しているのだ。こうした考え方は、俗流のヒロイズムに対する最も暗鬱な排撃であり、しかもカミュは、こうした暗鬱な排撃を手放すことに倫理的な「頽廃」を見出していたのである。パヌルー神父の最初の熱烈な説教に見られるような神学的救済のイデオロギー、その独特な、屈折したヒロイズムさえも、カミュの眼には唾棄すべき瞞着の形式として映じたであろう。神学的な救済は、絶対的な「不条理」の畏怖すべき胴体に、頭と尾を取り付ける為の「手術」のようなものであるからだ。

 明快なヒロイズムの物語としての体裁を排除する為に、カミュが慎重な筆致で綴られた「手記」という形式を採用したのは、当然の措置であると言い得る。一見すると、余計な観念的饒舌と思われる説明的な文章も、本筋から遠ざかるような挿話の数々も、総ては事態の推移を、勇壮なヒロイズムの幻想から切り離す為の「処方」であった訳だ。詳細な心理的省察の数々も、この物語が「疫病との戦い」という明快な図式によって要約されるべき性質のものではないことを証言する為に導入されたのであろうと思われる。尤も、カミュが「不条理」を表現する為に駆使する文学的技法は、例えばフランツ・カフカの「悪夢」の感触に比べると、随分と抽象的な観念を豊富に含み過ぎているような気もするが、それは性格、或いは作風の違いということになるのだろうか。

ペスト (新潮文庫)

ペスト (新潮文庫)