サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

Cahier(ナボコフ「ロリータ」・今後の読書計画)

*最近は仕事に追われつつ、専らナボコフの「ロリータ」(新潮文庫)をちまちまと読み進めている。現代文学の古典の一つに数えられる「ロリータ」は、その性的な内容ゆえに当初は出版が難しく、結局はフランスのオリンピア・プレスという、ポルノグラフィの出版社から初版が刊行されたらしい。確かに、この作品に「変態小説」という肩書を被せるのは強ち不当な振舞いとも言えない。未だ百余ページしか読んでいない段階で、彼是と総括めいた表現を用いるのは公正な読者の態度であるとは言い難いが、手記の書き手に擬せられたハンバート・ハンバートの精神的な内容は、露骨なペドファイルとしての側面を微塵も隠し立てしようと試みていない。しかし、ロリータに対する性的な関心と妄想を詳細に書き連ねていくハンバートの(つまり、ナボコフの)偏執狂的な情熱と筆力は、この作品を、単なるペドフィリアを主題に据えた煽情的な三文小説であることから救済していると言い得るだろう。

 ハンバートのロリータに対する異様な執着を、ナボコフが如何なる個人的関心に基づいて組み立て、更には一つの文学作品として形成しようと考えたのか、その具体的な背景に就いて私は完全に無知である。ただ、ナボコフにとって本当に重要で意義深い問題であると感じられていたのは、ペドフィリアそのものであると言うよりも、それを精細に描き出す奔放で多彩な言語的挑戦の方であったに違いない、という印象は、作品そのものの感触から抽出することが充分に可能である。徹頭徹尾、ペドフィリアという主題に集中する形で作品の構成に腐心しているように見せかけながらも、ナボコフ自身の最大の目論見は、ペドフィリアという主題の内側には存在しないというのが、この「ロリータ」という作品を巡る消息の核心ではないかと、個人的には考える。

 直ぐに夏目漱石を引き合いに出すのも安易な気はするが、我慢して御付き合い願いたい。漱石の「吾輩は猫である」という小説は広く巷間に膾炙した有名な作品であり、日本語文学を代表する傑作の一つだと思うが、この作品における重要な主題は、猫の生い立ちや、麦酒を呑んだ末の大往生や、苦沙弥先生や迷亭先生の呑気な議論や、そういった物語としての側面には存在しない。猫を語り手に据えるという奇策も、所詮は縦横無尽の語りの方法を実現する為の手段に他ならず、物語の中身自体には、本質的な重要性は備わっていないのである。「猫」を読む醍醐味は、筋書きを味わうことの中には存在していない。皮肉な諧謔に満ちた猫の語り口を味わうことが、この作品の鑑賞の要諦なのだ。

 同じくナボコフの「ロリータ」も、描き出されるペドファイルの妄想そのものや、ロリータの姿態や言動を愉しむことが本当の眼目ではない。若しもそうならば「ロリータ」は単なる一介のポルノグラフィ以上の価値を帯びることは出来なかっただろうし、アメリカ文学の古典の一つに数えられることもなかっただろう。言い換えれば、「ロリータ」を読んで何らかの性的な慰藉を得るのは、余りにも実用的な態度であり過ぎるのだ(念の為に附言しておけば、私にはペドフィリアの性向はない)。該博な知識を織り込み、ダブルミーニングやライムを駆使して、独特の複雑な文章を拵えるナボコフの卓越した技巧によって完成された「ロリータ」は、新潮文庫の巻末に大江健三郎の附した解説に引用されているナボコフ自身の言葉を借りるならば、まさしく「英語という言語との情事の記録」に他ならない。だからこそ、取り扱っている主題の変態的な下品さとは裏腹に「ロリータ」の文章は、極めて知性的な舞踏のような品格を保持することが出来たのだろう。

 

*或る小説を読みながら、この作品を卒業したら次は何に着手しようかと、漠然と思考を巡らせることがある。最近は海彼の名作を周遊する旅路の途上であり、ウンベルト・エーコの「バウドリーノ」を皮切りに、フランツ・カフカの短篇小説、アルベール・カミュの「ペスト」、カズオ・イシグロの「日の名残り」と進んで、今はナボコフの「ロリータ」に辿り着いている。元々の予定では、ナボコフの「ロリータ」を読了した暁にはバルザックの「ゴリオ爺さん」(新潮文庫)に着手する段取りであったのだが、今はフローベールの「ボヴァリー夫人」を読んでから、ジュリアン・バーンズの「フロベールの鸚鵡」に進むという選択肢にも関心を寄せている。「フロベールの鸚鵡」は私が子供の頃、父親の書棚にハードカバーの単行本として収められていた作品で、何かの拍子にぱらぱらとページを捲ってみたら、妙に面白く感じられたことを今でも記憶している。

 ただ、この計画にも若干の揺らぎのようなものが生じ始めていて、先日、二階の納戸に置いてある私のささやかな書棚を眺めているときに、不図思い立って、古井由吉の「雪の下の蟹・男たちの円居」(講談社文芸文庫)を久々に開いてみたことが、その揺らぎの直接的な契機である。「雪の下の蟹」という短篇小説に就いては以前、このブログを開設して間もない頃に一度、その拙劣な感想文を投稿したことがあるのだが、正直に言えば、作品の魅力も、その方法論的な企図も、当時の私には到底理解出来たとは言い難いのが実情であった。同じ作者の「槿」(講談社文芸文庫)も、二十代半ばの、離婚して束の間の一人暮らしを松戸のアパートで始めた頃に買い求め、数ページだけ読んで以来、長らく放置したままになっている。「ロリータ」を読了したら、古井由吉という作家に絞り込んで、その豊富な作品群に連続的に挑戦してみるのも面白いかも知れない、という考えが、最近の私の脳裡を断続的に掠めている。傍から聞けば、まさしく「勝手にしやがれ」という話であるに違いない。無論、勝手にする積りである。何れにせよ、ナボコフの華麗で意地悪な文章との格闘を済ませない限り、前進することは出来ないだろう。

ロリータ (新潮文庫)

ロリータ (新潮文庫)

 
雪の下の蟹・男たちの円居 (講談社文芸文庫)

雪の下の蟹・男たちの円居 (講談社文芸文庫)

 

 

芸術と記憶(あるいは「祈り」)

 芸術とは「記憶」の異称ではないだろうか。

 芸術は、一瞬を永遠に変えたいという欲望に貫かれている。或る瞬間の出来事を永遠に記録しておきたいという欲望だけではない。つまり、単なる事実の記録だけに留まらない。失われてしまった何かを再び甦らせ、明瞭なイメージを与えて、永遠に遺しておきたいという欲望は、必ずしも厳密な事実の再現に固執しようとはしない。寧ろ、失われてしまった何かを甦らせる為には、往々にして「虚構」の建設が要請される。それが様々なフィクションを生み出す根本的な原動力である。

 たとえ虚構を語ろうが、事実を語ろうが、そういった問題は、芸術の本質的な機能や原理とは関係を持たない。重要なことは、或るイメージや記憶を、つまり確実に喪失されることが明らかであるような束の間の「命」のようなものを、永遠に語り継ぎたいという欲望の働きである。それが芸術的な営為の根底に存在する、最もプリミティブな衝動の性質である。

 この「語り継ぎたい」という奇怪な欲望は、人間性の根源的な領域に根差したものであると私は思う。私が今、こうしてブログを書いているのも、そうした「語り継ぎたい」という欲望の具体的な反映の一例であるだろう。そのとき、語り継がれる内容に社会的な価値が認められるかどうかという問題は、副次的で些末な事柄に過ぎない。そういう社会的な諸観念に先行する衝動として、この「語り継ぎたい」という原始的な欲望は存在している。

 だが、人間は何故、つまらぬことや、とても個人的な事柄を「語り継ぎたい」という異常な野心に憑依されてしまうのだろうか? こうした事情は、語りの主体が「一流の作家」であろうと「市井の無名の庶民」であろうと、無関係に存在する素朴な疑問である。世界的な傑作として既に評価の定まっている作品(今、私は主に小説を念頭に置いて自分の意見を語り、考察を油絵の如く塗り重ねている)であっても、そこには極めて些末で個人的な「細部」というものが随所に編み込まれているものである。極めて個人的な「細部」を語り継ごうとする衝動の主体として、一流の作家も無名の庶民も、定義の上では同一であり、同等である。一流の作家だから、歴史的な財産として受け継がれるべきものを提供し得るのだ、という考え方とは異なる次元において、何かを「語り継ぎたい」と希う欲望は万人に向かって等しく開かれている。その原理的な事実自体と、語られたものが社会的な淘汰の圧力に抗い得るかどうかという問題は、相互に異質な次元に属している。

 何故、人間は何かを語り継ごうとするのか。それは単なるコミュニケーションの問題に還元し得るとは思えない。つまり、見知らぬ誰かに語り掛けようとする欲望として、単純化して捉えるべきではないと私は思う。事態はもっと複雑に構造化されていて、色々な事情が相互に陥入し合っている。

 私たちが日常で「コミュニケーション」という言葉を使うとき、それは概ね「見知っている誰かとの関係性」を指している。言い換えれば、既に構築され、成立した関係性の中での色々な支障を「コミュニケーションの問題」としてラベリングしている。だが、芸術がコミュニケーションから切り離されるのは、それが出来合いの関係性における「伝達」や「通信」とは異質な「語り継ぎ」を志向する点に存している。言い換えれば、芸術とコミュニケーションとの区分は、伝達する主体と客体との「距離」に基づいて設定されているのだ。

 私が妻と交わす日常の会話は明白に「コミュニケーション」の一環である。それは私にとって妻が「既知の存在」として定義されているからだ。無論、私は彼女の実存の総てを知悉している訳ではないが、関係性の定義として、彼女のことを「既知の存在」と呼んで差し支えない。

 だが、芸術とは近しい人間に対するコミュニケーションとは全く異質な欲望に支えられていると考えるべきである。それは具体的な他者の顔を思い浮かべられないような状況の渦中に生起する欲望であり、言い換えれば「決して成就することのないコミュニケーション」として定義されるべきものである。日常的なコミュニケーションは、それが相手に届き、受理され、返信されなければ価値を得られない。少なくとも、送受信の成立を目指して実行に移されるのが、コミュニケーションという営為の本義である。だが、芸術は必ずしもコミュニケーションの「成就」を求めないし、本質的には、そのような「成就」とは無関係に営まれている。これは俗っぽい商業主義を指弾する為に組み立てられた論理ではない。生前、無名のままに社会の狭間へ埋没し、死後、何らかの力に導かれて巨大な名声を獲得することになった、数多の芸術的な天才たちのことを説明する為に持ち出された論理でもない。

 ヨーロッパの宗教画やアジアの仏像などを鑑みると、芸術の歴史というものの過半が「神」という超越的な存在に向かって捧げられてきたという事実に、否が応でも眼差しを向けずにはいられない。言い換えれば、そういう特権的な超越者に向けて捧げられる「祈り」のようなものが、芸術という枠組みの根底に備わっているのではないか。その意味では、先刻から私が再三述べている「語り継ぎたいという欲望」の対象は、特定の個人ではなく、飽く迄も「神」や「宇宙」や「歴史」や「世界」といった巨大な「天蓋」であると考えるべきであろう。芸術的な「遺言」の欲望は、身近に存在する親しい人々への「伝言」とは全く異質な心情によって構成されていることに、私たちは充分な注意を払うべきである。それは「世界」との対話であり、生身の人間との個別的な会話とは、所属する次元が決定的に異なっている。

 こうした「遺言」の欲望は、それが相手に聴き届けられたかどうかを確認する手段を持たない。その意味で、芸術的な「遺言」は原理的に「成就」という事態から見放されている。だが、そもそも「成就されるかどうか」ということは、芸術的な遺言の主体にとっては重要な「条件」や「分水嶺」とはならない。祈りを捧げるとき、主体は決して「聴き届けられること」を前提として祈るのではなく、ただ純粋に「祈る」のである。曹洞宗における「只管打坐」の理念のように、そこには実効的な目的のようなものは存在しない。この一瞬の、確実に失われてしまうであろう「光景」や「想念」を、決して自らが出逢うことのない対象に向かって捧げることが「芸術」の本領なのだ。

サラダ坊主風土記 「千葉公園」

 一昨日は仕事が休みで、妻は独り美容院に出掛けた。珍しく娘と二人きりである。単独の子守りを仰せ付かる機会は殆どない。昼飯を食べさせてから、晴れ間が広がってきたので、娘を連れて散策へ出掛けることにした。

 とりあえず新装開業したばかりの千葉の駅ビルを見物に行った。ベビーカーを押しながらの移動なので、階層を上下するのが手間である。エレベーターは狭く、混み合っている。六階の書店と東急ハンズが入っているフロアを最初に眺め、五階の飲食店と雑貨のフロアに移り、屋外庭園へ出てみた。娘を遊ばせようと思ったのだが、折悪しく彼女はベビーカーに揺られて眠りに落ちてしまっていた。

 暫く眺めて飽きてしまったので、駅ビルを出て、千葉公園口の方角へ歩いて行った。特に何の宛てがあった訳でもなく、単純に時刻も未だ早いので、もう少し千葉の街並を散策してみようと思い立ったのだ。

 エレベーターを降りたところで、千葉市中央図書館の在処を告げる標識を発見した。千葉市に移り住んでから、図書館を訪れたことは一度もない。興味を惹かれて、標識の指示に従い、緩やかな勾配の道を歩き出した。余り人通りのない、住宅地の間を走る小径である。

 途次、市街地の案内図を記した看板に行き当たった。千葉市中央図書館は、道なりに直進した先にあり、その向こうには千葉公園の広大な敷地が広がっているらしい。公園の傍には、千葉都市モノレールの駅が置かれている。図書館を少し覗いて、娘が眼を覚ましたら、公園で遊ばせようと考えた。帰りはモノレールに乗って千葉駅まで戻り、そこから京成線に乗り換えて家路に就けばいい。

 千葉市中央図書館は、立派な外観を備えていて、敷地の端、交差点に面した辺にドトールコーヒーの店舗を併設していた。硝子越しに眺めた印象では、割と閑散としている。娘も寝ていることだし、陽射しは強まってきたし、冷たいコーヒーでも飲んで一休みしようと思い立った。駅のホームで買った缶コーヒーは、娘が延々と握り締めて振り回し続ける所為で、すっかり生温かい泥水のような状態に変貌を遂げていたのである。

 冷涼な店内に入り、一番奥まった卓子に席を確保して、アイスコーヒーとジャーマンドッグを注文する。この組み合わせを味わうのは久し振りだ。柏に通っていた頃は、出勤前にしばしば立ち寄った。娘が目覚めないのをいいことに、ナボコフの「ロリータ」の続きを読む。とても面倒臭い、入り組んだ文章を好んで書く作家だ。しかし、そこには夏目漱石をもっと腹黒くしたような印象の知性的なユーモアが隅々まで滾っている。言葉を拳銃のように弄ぶ才能に恵まれた人物なのだろう。

 数ページを読み進めて、グラスの中のアイスコーヒーが残り僅かになったところで、娘がベビーカーの幌を自分の手で跳ね上げて起き出した。それを合図に本を閉じ、千葉公園に向かって移動を開始した。

 下り坂の道を進んでいくと、公園の敷地に通じる勾配の急な階段に辿り着いた。階段の中央部分が、幅の狭いスロープになっている。腰を沈めてゆっくりとベビーカーを押していき、下まで降り切ったところで娘を歩かせることにした。

 木々の豊富な公園の敷地には幾つか運動場のような広場があり、高校生くらいだろうか、若い男たちが球技に興じていた。空のベビーカーを押しながら、娘と一緒に舗装された道を散策する。日除けの帽子を被った娘は、日盛りの空の下を悠然と歩いていく。もう随分と大きくなった。こんなに自由に、堂々と歩けるようになるとは、半年前には想像も出来なかった。成長は常に想定を裏切るものだ。そうでなければ、それは成長とは言えない。

 モノレールの駅に程近い、木蔭の坂道の辺りで、自転車を押して坂を登ってきた見知らぬ老婆と遭遇した。小さな足で元気に歩く娘の姿に、立ち止まって眼を細めている。坂の横にある、崖を下った先の運動場では、草野球の素っ頓狂な掛け声や叫び声が、次々に泡沫のように顫え、弾けていた。娘が立ち止まって、騒めきの生まれる方角を興味津々の表情で指差し、おうおうと声を出す。

 自転車に興味を惹かれて、娘が物怖じせずに近づき、華奢な指先でチェーンやサドルに触れるのを、老婆は和やかな表情で眺めていた。パパとお散歩いいね、ピンクの靴が可愛いね。話し掛けられて、娘はきょとんと老婆の顔を見上げる。暫く経って、老婆がじゃあね、バイバイと告げると、娘は不満げに鋭い声を発して嫌がる。そういう遣り取りを幾度か繰り返した後に、老婆は坂の上へ消えていった。

 敷地内に飾られた蒸気機関車を一頻り眺めた後、娘をベビーカーに戻して、千葉都市モノレールで私たちは家路に就いた。翌日、娘の躰に八箇所くらいの虫刺されがあったことを、妻に注意された。改めて考えてみれば、私の配慮が足りなかったのだ。新米の父親の行く手には、学ばなければならない知識が堆く山積している。

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晩夏の千葉公園の散歩道

 

サラダ坊主風土記 「千葉」(一日平均乗車人員数の比較)

 今日、JR千葉駅の真新しい駅ビルがオープンした。未だ実地には中身の作りを見学していないが、人伝に聞いた話では凄まじい人出で、午前中は入場制限が掛かっていたらしい。家の郵便受けに投じられていた広告を眺める限りでは、なかなか有名なブランドが揃い踏みで、駅に繋がっている分、利便性は高い。パルコも三越も消滅してしまった千葉駅周辺の状況を鑑みれば、恐らくかなりの集客が見込めるのではないだろうか。

 私は未だ千葉市民に転身してから一年と少ししか経っていない新参者で、千葉市とその周辺に余り馴染がある方ではないが、幕張出身で、私と同棲を始めるまでずっと幕張の実家に暮らしていた妻の話では、千葉駅は実に長い間、改良工事を行ない続けてきたそうだ。私は現在、千葉駅の近くに聳え立つ百貨店(ここまで書いたら直ぐに屋号は割れてしまうだろうが、一応伏せておく)の中のテナントで働いているが、昨年の春に配属の辞令を受け取るまで、千葉駅を利用した回数は十指に満たず、初めて降り立ったのが何時の出来事だったか明瞭に記憶していないが、そのときには既に工事の都合で駅舎の中身は一面、仮設の板壁で覆われてしまっていた。

 私にとっては、新規に開業したJRの駅ビルは紛れもない商売敵である。入居しているブランドの名前を眺める限り、北千住のルミネや柏のステーションモールが想起される。比較的若い年齢層の客を狙ったフロアの構成になっている。昨年11月の新駅舎・エキナカ商業施設開業以来、JRの巨大な計画が立て続けにその全貌を現しつつある。これは「斜陽産業」と呼ばれる百貨店にとっては深刻な打撃となるだろう。

 千葉駅というのは、地元の人間にとっては慣れ親しんだ施設であるが、縁遠い人にとっては概ね、関心の埒外に置かれている場所である。東京駅には誰でも足を運んだことがあるだろうが、千葉駅には特別な用事でもない限り、なかなか遠方から人は訪れない。無論、千葉駅は房総半島の玄関口としての機能を担っているので、内房線外房線総武本線成田線などの沿線に暮らす人々にとっては交通の要衝として重んじられているだろう。だが、例えば私はかつて長い間、千葉県松戸市に暮らしていたのだが、常磐線沿線に暮らす千葉県民にとって、千葉駅というのは全く無縁の場所である。わざわざ東武野田線やJR武蔵野線を経由して、千葉まで足を延ばす必要性は滅多に生じない。

 もっと言えば、私は幕張へ越す以前は津田沼に三年ほど住んでいて、津田沼から千葉までは総武線快速でたったの二駅の距離であるというのに、殆ど私用で千葉へ赴いた記憶がない。百貨店に用事があるならば、一つ隣の船橋駅に接する東武百貨店へ行く方が近いし、洋服や靴などを物色するならば、京成電車か、若しくは平和交通のバスに乗って、南船橋ららぽーとまで出掛けていく。わざわざ千葉まで足を運ぶことはない。その意味では、千葉市は孤立した状態に置かれているのである。

 そもそも、総武線の船橋や市川、或いは常磐線の柏や松戸ならば、東京は眼と鼻の先である。最先端のショッピングを望むなら、さっさと都心へ繰り出した方が遙かに話が早い。しかし、外房線内房線総武本線成田線の傍に暮らす人々にとっては、千葉が最も有力な買い物の候補となるだろう。千葉市に暮らす人々は東京まで気軽に出掛けるかも知れないが、例えば館山や鴨川、或いは君津や富津から東京まで行くのは、なかなか骨の折れる話であろう。

 過去の経験を振り返ってみたとき、私が個人的に興味深く感じるのは、総武線と常磐線の照応である。他愛のない戯言だと思って聞き流してもらって構わない。例えば、私が十年以上も暮らしていた松戸市は、江戸川に面しており、河を隔てた向こうは直ぐに東京都の下町である。この条件は、総武線における市川市と類似している。どちらも夏場に河川敷を利用して盛大な花火大会を催すところも共通している(しかも毎年、八月の第一土曜日に開催される点も同じである)。

 松戸にとっての最大のライバルであり、尚且つ若干競り負けていると内心で密かに感じているのは、隣の柏市である。松戸よりも東京から離れている、つまり「下っている」にも拘らず、松戸よりも柏の方が繁栄しているというイメージが強い。ウィキペディアによれば、駅の一日平均乗車人員数は柏の約19万人(JR・東武合算)に対し、松戸は約15万人(JR・新京成合算)と、やはり若干競り負ける結果となっている。

 松戸にとっての柏に該当するものを、市川の場合に考えるとすれば、恐らく船橋ということになるだろう。同じく駅の一日平均乗車人員数をウィキペディアから拾ってみる。船橋駅の約19万人(JR・東武合算)に対し、市川は他の路線への乗り換えが出来ない所為か、たったの6万人である。ちなみに都営線への乗り換えが出来る隣の本八幡駅は、9.6万人の乗車人員数を誇っている。両者を合算すれば、概ね松戸駅と同等の数値に達することが確認出来る。

 序でに常磐線と総武線を結び付ける大事な架け橋の役目を担っている武蔵野線に就いても確認しておこう。常磐線側の新松戸駅が3.8万人(乗車人員)に対し、総武線側の西船橋駅は、東葉高速東京メトロを除いたとしても13.6万人(乗車人員)、総てを合わせると、平成二十七年度の実績で約33万人という怪物的な数値を弾き出している。年間乗降客数は何と2億人を超えるらしい。

 それでは、我らが千葉駅の現況はどうなっているのか。多方面から電車が乗り入れるジャンクションとしての役割を担っていることを鑑みれば、相当な数値に達するのではないかと推測されるが、実際には千葉都市モノレールを含めても、11.6万人であり、柏にも船橋にも、松戸にさえも敗北を喫している。JR同士の乗り換えが多い為に、乗車人員への反映が小さくなってしまうのだろうか。

 ちなみに、千葉市花見川区幕張町に生まれ育った私の妻は、熱心な「国道14号原理主義者」であり、千葉街道以南の埋め立て地に広がる後発の美浜区が、メッセやマリンスタジアムを抱えている現実に胡坐をかいて、厚かましくも「幕張新都心」を詐称していることに以前から劇しい不満を訴えている。彼女に言わせれば、真の「幕張」とはJR幕張駅及び京成幕張駅の近辺を指すのであり、美浜区は飽く迄も「贋物」なのである。そこで愛妻家を自任する私としては、彼女の主張を裏付ける為に、関連する駅の一日平均乗車人員数を、ここに掲げておこうと思う。贋物の「幕張」の中心部に踏ん反り返って鎮座するJR海浜幕張駅の6.5万人に対し、JR幕張駅は1.6万人。何と、中央・総武線各駅停車の中では、最小の値であるという。あれっ?

「醗酵的読書」の作法

 先日、カズオ・イシグロの「日の名残り」(ハヤカワepi文庫)を読了したので、次の作品に着手した。休日の昼間、妻と娘を連れて訪れた幕張新都心イオンモールに入っているスターバックスで、「キーライムクリーム&ヨーグルトフラペチーノ」という舌を咬みそうな名称のドリンクを啜りながら開いたのは、ウラジーミル・ナボコフの有名な小説「ロリータ」(新潮文庫)である。

 なかなか分厚い上に、劈頭から実に入り組んだ多義的な文章が蛇のようにのた打ち回る作品で、恐らく読了までには相当な時間を要するであろうと見込んでいる。だが、遅々として進まない読書というものの価値を、最近の私は肯定的に評価しようと考えている。飽きっぽく堪え性がなく、仕事や家庭の忙しさを理由に読書への真摯な集中を直ぐに諦めてしまう己の未熟の、体の良い言い訳を捏造しようという魂胆ではない。大体、そんな殊更な言い訳に、誰も関心など懐かないだろう。勝手にすればいいじゃないかという一言に尽きるような下らない話柄である。

 今春の一時期、一念発起して読書に集中しようと思い、ブログを書く時間を惜しんで、就寝前の時間を優先的に傾注していた。そうやって時間の配分を考え直すと、読了までの期間は歴然と短縮されたが、まるで感想文を書く為に次々とページを遽しく捲っているような気がして、これでは本末転倒ではないかという考えが抑えられなくなった。誰に要求された訳でもないのに、まるで早食い選手権のように浅ましく獲物を頬張って忙しなく咀嚼して、一体何の意味があるというのか。読書の価値が、冊数の競争に存する訳ではないことくらい、本当は弁えていた積りであったが、知らぬ間に脳味噌が混乱していたらしい。読みたい本は幾らでもあるのに、時間が足りない、何とか時間を捻出しなければ、百年生きたとしても全然時間が足りないじゃないか、という一見すると尤もらしい発想に囚われて、そういうアスリート的な読書の作法を採用することにしてみたのだが、最近は正反対の方針を採択しつつある。一気に読む、集中して読むのは誠に結構な遣り方だが、そうやって馬車馬のようにページを捲っていると、余りにも零れ落ちてしまうものの分量が増え過ぎてしまう。読み取った内容が精神の粘膜に定着する間もなく、新しい情報が上書きされてしまい、結果として記憶が不鮮明さの度合を増していってしまうのだ。だから、記憶が新鮮なうちに文章を認めようと試みても、生煮えの断片的な文言しか、頭の中に浮かび上がって来ない。そんな方法では長続きしないし、余り報われないなと考え、少しずつ読書の速度は従来の間延びしたリズムに復していき、現在に至る。

 私はいつでも前向きな考え方を持つ人間である。一応、世の中の陰惨な出来事に対する関心は決して乏しい方ではない。例えば夏場によくNHKなどで放映される戦争関連のドキュメンタリーなどには、いつも異様な関心を喚起されて、見入ってしまうのが通例である。その意味では、私は決して悲観的な考え方と無縁な人間ではない。だが、陰惨な現実を笑い飛ばすような強靭な楽観主義は、私の好むところである。時に不謹慎の謗りを免かれないとしても、私は成る可く、如何なる惨劇にも必ず喜劇的な側面が附随していることを意識しようと努めている。同じように、私は自分の頼りない変節にも必ず積極的な意義を見出すように決めているのだ。遅読は、効率性の観点から眺めるならば愚かしい怠慢の一例に過ぎないが、或る事物を深く理解しようと試みる場合には、有効な方策として認められ得る。

 私の考えでは、遅読の効能とは、読書を通じて得られた様々な認識やイメージの有機的な「醗酵」を齎す点に存する。尤も、これは未だ漠然とした仮説の萌芽のようなものに過ぎない理路なので、敷衍するうちに矛盾して、悲惨な倒壊に帰結するかも知れないが、どうかその点は御容赦願いたい。

 私に限らず、世俗の人々は皆、課せられた種々の社会的役割を全うすることに人生の活力の過半を収奪されている。特別な社会的地位を持たずとも、十人並みの定職を持ち、妻子を抱えて曲がりなりにも一家の大黒柱的な役目を仰せ付かっている立場であれば、普通に暮らしている積りでも時間は泡沫のように瞬く間に消え去っていく。そういう状況の中で、世界には古今東西夥しい数の書物があり、古典的価値が広く承認されているものだけを拾い集めても、その総数は厖大な水準に達するだろう。従って私たちの人生は、総てを読み尽くすには余りにも短く、儚い幻であるという結論が、自ずと導き出されることになる。

 そして漸く手に取り、鞄に忍ばせた一冊の書物を読み通すにも、相応の時間を捻出せねばならず、分かり易く内容の薄い書物ならば直ぐに読み終わるとしても、内容の充実した書物であるならば、読了に至るまでの時間は多めに見積もらなければならない。通勤時間、休憩時間、就寝前のひと時などを細切れに充当して、少しずつ亀のようにページを捲っていくのが、一般的な読書家の典型的な姿ではないだろうか。しかも、そういう細切れの読書作法では、なかなか書物の世界に没頭するということが困難になる。多かれ少なかれ、読書というのは眼前の現実から意識を引き剥がして、見知らぬ異界へ移行する営みである訳だから、細切れの読書というものは猶更、非効率な方法であるということになる。電化製品が、起動する際に最も多くの電力を消耗すると言われるのと、同種の理窟が成り立つ訳である。

 その意味では、纏まった時間を確保して集中的に読書へ充てるのが最も能率的で合理的な施策ということになる訳だが、読書は数をこなすことが重要な営為ではない。その一冊から、どれだけ重要な叡智を汲み上げられるかということが、読書家の実存においては最も中核的な問題なのである。だからこそ、再読や精読といった観念が存在しているのだ。

 その一冊から、如何に重要な個人的叡智を抽出し得るかという観点から眺めるならば、遅読には充分な効用があると私は経験的に考えている。少しずつ読むことで、私たちは一層長く、その書物が内包している「世界」の特異な諸相に触れ続けることになる。その「世界」と付き合っている時間が長ければ長いほど、その「世界」に含まれている様々な成分はより深く、私たちの精神の中核に浸透し、葉脈を広げていく。

 次々に読み終えるということは、次々に別の「異界」へ遽しく飛び移っていくということであり、そこには認識の「熟成」や「深化」の為に必要な、充分な「時間」が欠如している。集中的に、その世界に没頭したのだとしても、限られた時間の中で、何処まで深く潜れるかと改めて顧みれば、心許ない感想が浮かんでくるのは必然的な成り行きではないだろうか。勿論、時間を費やせば、その分だけ「理解」が深まるなどと、賢しらな理窟を述べ立てたい訳ではない。だが、長い時間の経過の涯に初めて見出される世界というものが存在することは、一つの厳粛な事実ではないだろうか。哲学者マルティン・ハイデガーの著作の訳語として案出された「時熟」という言葉があるが(どうやら九鬼周造の発明らしい)、その本来の意味から外れることを承知の上で用いれば、読書における理解には必ず「時熟」というものが必要である。重要なのは、その世界との「情事」を如何に長く持続するか、という点に存している。

 読書における理解が「時熟」を要するという考え方は、必ずしも世人の賛同を得られるとは思われない。現代社会が絶えず「効率」を重視して組織されていることは周知の事実であるし、実際にも私自身、仕事においては「如何に時間を節約して、効率的に振舞うか」ということを絶えず念頭に据えて働いている。そういう風潮が文学の世界に波及した結果として、例えば「速読」といった観念に対する尤もらしい称讃が跋扈するようになったのだろう。

 だが、読書というものはページを開いて、印刷された文字を追い掛けて読み進めている時間の中だけに存在するのではない。作家の保坂和志は、読書は「読んでいる時間が総てだ」という趣旨の発言を繰り返しているが、そう言いながらも彼自身、ページを閉じている間に、色々なことを書物の世界から触発されて、思索を深めているように見える。読んでいる間だけが、読書の時間ではないという考え方は、読書が「時熟」を要するという命題の、言い換えられた表現である。読み取った内容を咀嚼したり、そこから喚起された妄想や追憶の深淵に耽溺してみたり、遡って読み返してみたり、数ページ飛ばして筋書きの行方に何となく見当をつけてみたりするのも、悉く「読書」という時間の一環である。そうやって行きつ戻りつしながら、複合的に立ち上がっていく「異界」の諸相を味わうことが、読書の本来的な醍醐味であり、その為には断続的な「遅読」という作法にも、重要な意義が認められ得るのである。

日の名残り (ハヤカワepi文庫)

日の名残り (ハヤカワepi文庫)

 
ロリータ (新潮文庫)

ロリータ (新潮文庫)

 

 

一つの道を信じるということ カズオ・イシグロ「日の名残り」に就いて

 1989年度のブッカー賞の栄冠に輝いた、カズオ・イシグロの『日の名残り』(ハヤカワepi文庫)を読み終えたので、ここに感想を認めておくことにする。

 久々に、とても上質で滑らかな、大変「美しい小説」を読んだという手応えを感じることが出来た。作品が扱っている主題や領域は、それほど大仰なものではないし、物語の構造も、回想を中心としている為に、驚くべき仕掛や絡繰とは無縁である。だが、これほど滑らかな口調と繊細な言葉で精緻に織り上げられてしまえば、どんな物語であろうと呑み込むのは容易く、またその余韻も嫋々たるものとなるに違いない。英語を解さない私に精確な裁定を下す能力も権威も宿っていないが、恐らく土屋政雄氏の丁寧に練り上げられた上質な訳文も、こうした感想を齎す大切な要因として働いているのだろうと思われる。

 戦間期の古き良きイギリスを回顧する、感傷的な小説というラベリングは、この優れた作品に与えられるべき適切な要約とは言い難いだろう。確かにこの小説は、イギリスの名家に仕えた有能な執事の回想録という結構を備えているし、追憶という営みに不可避的に附随する感傷的なニュアンスを豊富に含んでいることも、率直に認めなければならない。だが、古き良きイギリスの面影を甦らせることが、この「日の名残り」という小説の本質であり、最大の美点であるという具合に考えるのは、浅薄な理解ではないかと思う。それが読者の関心を喚起する重要なポイントであることは確かだが、それはいわば入口に過ぎず、沿道に広がる美しい景観のようなものである。

 執事のスティーブンスは、自らの職業に気高い矜りを懐き、嘗ての主人であったダーリントン卿に対する深甚な敬愛と尊崇の感情を今も頑なに保ち続けている。だが、彼の執事としての美しい経歴と人生は、様々な事実から眼差しを背けることによって維持されてきたと評することが可能である。例えばミス・ケントンから寄せられた仄かな恋心、或いは対独協力者として戦時中は危険な橋を渡り、ナチズムの破綻した後は、その社会的な名声と地位を完膚なきまでに剥奪されたダーリントン卿の敗残の客観的な姿、そういったものに対する、半ば意図的な鈍感さ(職業的な良心が齎した鈍感さ、と言い換えるべきだろうか)が、彼の執事としての有能さを支える条件の一部として作用しているのである。自分の職業と、その達成に対するスティーブンスの揺るぎない自尊心は、真実に対する虚心坦懐の認識力を犠牲にすることによって獲得された財産である。

 ミス・ケントンはしばらく私の言ったことを考えているふうでしたが、やがてこんなことを言いました。

「いま、ふと思ったのですけれど、あなたはご自分に満足しきっておられるのでしょうね、ミスター・スティーブンス。だって、執事の頂点を極めておられるし、ご自分の領域に属する事柄にはすべて目を届かせておられるし……。あと、この世で何をお望みかしら。私には想像ができませんわ」(『日の名残り』ハヤカワepi文庫 p.245)

 皮肉な調子を含みながらも、仄かな誘惑の意図を感じさせる、このミス・ケントンの多義的な科白に対しても、スティーブンスは全く的外れな返答で報いてしまう。無論、彼の発言の内容は、彼の旺盛で強靭な職業的良心の観点から眺めるならば、頗る正当で穏健なものであると言えるだろう。だが、彼の関心は余りにも「執事」という職業に絞られ過ぎていて、「執事」という衣裳を片時も脱ぎ捨てたくないという異様な社会的良心が、彼の視野を酷く狭隘なものに捻じ曲げてしまっているように感じられる。そのことの是非を、一律の基準で判定してしまうのは酷薄な態度であるが、少なくともそうした態度には、ミス・ケントンが迂遠な言葉で指摘した通り、過剰な自己満足に付き纏う傲岸な閉鎖性が浸潤しているように思われる。

 無論、この「日の名残り」という小説の美しさと、そこに漂う落ち着いた哀しみは、スティーブンスが己の過去の華々しい経歴と溶け合った、閉鎖的な自己満足の鎧を束の間、脱ぎ捨てる為のプロセスによって醸成されている現象である。ただ、その自己省察は決して悪趣味で急進的なセンセーショナリズムによって構成されている訳ではない。彼の自己省察は極めて慎重且つ緩慢な物腰で徐々に深められていき、一つ一つの記憶の断片が、屋敷の戸棚に納められた高価な銀器のように丁寧に磨き上げられ、往年の輝きを取り戻していく。そうした丁寧な所作、まさに熟練の執事を思わせる典雅な「回想」の積み重ねが、少しずつ真実の在処を暴き出していくことになる。尤も、スティーブンスは苦い自己省察を薬のように嚥下しても、大袈裟に取り乱すことはない。その抑制された哀しみが、この作品を徹頭徹尾、誠実な美しさで装飾しているのである。

ダーリントン卿は悪い方ではありませんでした。さよう、悪い方ではありませんでした。それに、お亡くなりになる間際には、ご自分が過ちをおかしたと、少なくともそう言うことがおできになりました。卿は勇気のある方でした。人生で一つの道を選ばれました。それは過てる道でございましたが、しかし、卿はそれをご自分の意思でお選びになったのです。少なくとも、選ぶことをなさいました。しかし、私は……私はそれだけのこともしておりません。私は選ばずに、信じたのです。私は卿の賢明な判断を信じました。卿にお仕えした何十年という間、私は自分が価値あることをしていると信じていただけなのです。自分の意思で過ちをおかしたとさえ言えません。そんな私のどこに品格などがございましょうか?」(『日の名残り』ハヤカワepi文庫 p.350)

 この文章は「日の名残り」という作品が捉えている、深甚且つ素朴な人間学省察の最も重要な核心を剔抉している。彼の最大の後悔は、自分の決断で何かを選んだことの過ちに起因するのではなく、そもそも自分の意志で明確な「選択」を行なわずに過ごしてきたという苦々しい省察に由来している。モスクムの村人たちの言葉を借りるならば、敢えて「強い意見」を持つということを自らに禁じてきたスティーブンスは、ダーリントン卿を諌めることも出来ず、ミス・ケントンの仄かな慕情に報いることも出来ずに、老境に達してしまった。その後悔の遣る瀬ない深さと痛ましさを、カズオ・イシグロは極めて寛容な口調で描き出している。終幕に際して、スティーブンスが執事としての自己否定に嵌まり込む代わりに、新たな主人ファラディの為にジョークの練習に励もうと思い立つ件は、静謐な哀傷の沼に溺れて死んでいく人間の脆弱さではなく、敢えて立ち上がり、与えられた運命に身を挺していこうとする人間の勇敢さを、穏やかな文体で表現している。

 私の敬愛する作家の坂口安吾は「不良少年とキリスト」という有名なエッセイの中で、太宰治の文業に就いて砕けた口調で論じながら、次のように述べている。

 芥川にしても、太宰にしても、彼らの小説は、心理通、人間通の作品で、思想性は殆どない。
 虚無というものは、思想ではないのである。人間そのものに附属した生理的な精神内容で、思想というものは、もっとバカな、オッチョコチョイなものだ。キリストは、思想でなく、人間そのものである。
 人間性(虚無は人間性の附属品だ)は永遠不変のものであり、人間一般のものであるが、個人というものは、五十年しか生きられない人間で、その点で、唯一の特別な人間であり、人間一般と違う。思想とは、この個人に属するもので、だから、生き、又、亡びるものである。だから、元来、オッチョコチョイなのである。(註・青空文庫より転載)

 恐らくカズオ・イシグロが年老いた執事スティーブンスの姿を通じて描き出そうとしたものも、煎じ詰めれば「何も選択しなかったという後悔」と、それに附随する様々な感情であり、従って「人間そのものに附属した生理的な精神内容」であったと言うことが出来る。そうした根源的な事実そのものに着目して、丁寧に運ばれた筆遣いが、この「日の名残り」という作品に類例のない気品と抒情を与えている。年齢を重ねる毎に一層、この作品を読むことの滋味は、甚だしく深まって感じられることであろうと思う。

日の名残り (ハヤカワepi文庫)

日の名残り (ハヤカワepi文庫)

 

Cahier(小売業渡世・心筋梗塞)

*六日連続の勤務が今日で終わり、漸く人心地がついている。六日連続くらいで大袈裟に騒ぎ立てる積りもないが、立ちっ放しの仕事なので、躰の節々が何となく重たくなってくる。特に「通し」と言われる、朝から晩までのシフトで入る日が続くと、睡眠時間の確保にも難儀するので余計に辛い。昨日は閉店の鐘と共に、部下に発注などの残った業務を任せて早めに帰宅した。それでも家に着いたのは午後九時過ぎだから、公務員的なワークスタイルを営んでいる人から眺めれば、少しも早くないということになるかも知れない。

 昨秋、転職を思い立って彼是と悩んだり行動したりしていた頃は、そういう生活に嫌気が差していた。我々の業界は、世間が休みを謳歌している時こそ、我武者羅に働かねばならない因果な渡世である。二十歳の時から十年と少し、ずっと同じ業界に脳天まで浸り続けて、そういう生活に不満や嫌悪を覚えることがあるのは、止むを得ない仕儀であろう。無論、公務員にも仕事の苦労や悩みは数え切れぬほどあるだろうし、世の中にしんどくない仕事など一つもないと言うことは出来る。だが、こうやって小売業の現場で働き続けてきて、絶えず数字に尻を叩かれて、自らの生業の特殊性みたいなものを意識すると、正月や盆にゆっくり休めるのなら結構な話じゃないかと、詮無い愚痴の一つも零したくなるのは人情である。

 そうした束の間の迷いというか、漠然とした憤懣のようなものが昨秋、殊更に迫り上がった背景には、やはり「数字」という魔物が深く関与していたに違いない。小売業の現場に立ち、陣頭指揮を執って掲げられた目標=予算に向かって奮闘する日々は、常に悪魔のような「数字」との格闘の連続である。尤も、これは決して小売業に限った話ではないし、売上という指標でなくとも、何らかの成績を表す「数字」に縛られ、追い立てられるのは、何処の業種でも職種でも変わらぬ資本主義の宿命であると言えるだろう。何もかもが収益確保のビジネスとして再編成されてしまう時代において、如何なる「数字」とも無縁でいられる人は皆無に等しい筈である。

 だが、一概に「数字」と言っても、その性質が多様であることは確かな事実で、評価の基準となる期間も様々である。不動産の営業と食品の小売では、同じ「売上」であっても、その性質は随分異なる。我々の属する世界では、一分ごとに刻々と売上が積み重なり、一時間ごとに前年の実績との差異が明示される。一日の営業を終えるごとに、その日の勝敗が残酷なまでに明示される。殆どアスリートの世界に等しい構造が横たわっているのである。結果が直ぐに開示されるという意味では、分かり易い達成感を味わえるという利点もあるが、逆に言えば一分単位での緊張を絶えず強いられるということでもある。しかも、我々はずっと立ちっ放しで、着席した状態での商談というものを、少なくとも店頭で経験することは有り得ない。絶えず動き回っているし、絶えず声を出している。毎日、数百人の顧客と束の間の逢瀬を重ね続ける。その精神的負荷も、慣れない間は苛酷に感じられるだろう。更に言えば、我々の書き入れ時は概ね夕刻であり、世間一般の人々が仕事を終えて家路を急ぐときや、家でのんびりと夕飯を食べているときに、忙しさは最高潮を迎える。仕事が終わる時間も遅い。百貨店配属の私は未だ恵まれている方で、二十一時くらいには退勤出来るが、エキナカ(駅の改札内にある商業施設の俗称)の店舗であれば、閉店の段階で既に二十三時という場合もある。そこから閉店業務を済ませて帰宅すれば、確実に日付を跨ぐことになる。飲食業の場合はもっと悲惨で、百貨店のレストランでも物販部門よりは確実に閉店が遅いし、居酒屋やファミレスならば二十四時間営業も有り得る。コンビニの利便性の恩恵に浴している私が言えた義理ではないが、二十四時間営業というのは人間の精神を深く毀損する暴力的なシステムである。非人間的であると言い換えてもいい。時間で区切られるアルバイトなら未だ恵まれている。仮にその店舗の責任者であるならば、二十四時間ずっと、自分が責任を負うべきシステムが駆動し続けるということになる。その客観的で素朴な事実が、人間の精神に及ぼす負の影響の夥しさは計り知れない。

 だが、私は何も不満ばかりを持っている訳ではなく、同時に矜りも併せ持っている。サービス業は余り人気のない業種であるが、我々の存在を捨象して、現代の生活を物語ることは出来ない。その意味では、立派な仕事である。また、絶えず結果と向き合い続けるアスリート的な労務条件も、私の矜りと歓びを構成する重要なファクターである。チームとして、様々な立場や来歴を持つ人々(高校生から定年再雇用者に至るまで、小売のアルバイトの「生物多様性」は図抜けている)と力を合わせて共通の目標に立ち向かい、色々な感情を分かち合える職場というのは、業種によっては有り得ない代物ではないだろうか。

 

*今日、新入社員の女の子の父親が心筋梗塞で倒れ、即入院、即手術という危険な状況を迎えた。その子は休憩中に母親からの連絡で父親の危機を知り、ショックの余り泣き出したようだ。彼女と一緒に休憩へ出た別の社員が事情を報せに売場へ戻ってきた。直ぐに帰らせるように指示を出すと、やがて本人が亡霊のような表情で、両眼を紅く泣き腫らした状態で現れた。御客様の前なので、直ぐにバックヤードへ連れて行き、事情を確認した。本人は突然の事態に気が動転していて、涙を堪えるだけで必死の様子だった。特段、持病がある訳でもなく、本当に急な出来事であったらしい。とりあえず、母親に電話するように命じ、病院の名前と住所を確認させ、手近な紙片に書き留めた。制服から私服に着替え終わった彼女をタクシープールへ案内し、現金を持っていないと言うので千円札に崩した一万円を貸してやり、タクシーの運転手に病院の住所を書いたメモを渡した。

 夜、電話を掛けて状況を確認したときには、彼女の声は随分落ち着きを取り戻していた。手術は済んだが、未だ予断を許さない状況で、父親は集中治療室から出られないらしい。発見が早く、昏睡状態にも陥っていないことが、せめてもの慰めである。

 こういう事態は、誰にでも起こり得る。私の父親は、彼女の父親よりも十歳くらい年嵩で、高血圧の薬を処方されている。同じような悲劇の報せがいつ何時、私の携帯電話を揺さ振らないとも限らない。他愛のない日常の随所に、思わぬ不幸と惨事が忌まわしい大口を開いて待ち構えているという現世の真理は、日々テレビやネットを賑わせる大小様々の「事件」の報道によっても立証されている。そう考えると、やはり、この類の出来事に対して「我関せず」の冷淡な振舞いで関わるのは正しい行ないではないと思う。勿論、病気に対して有効で具体的な方策を示せるのは医者だけであり、家族でさえ、附き添う以上のことは患者に何もしてやれないのが世間の通例である。第三者が差出口を叩くのは破廉恥な振舞いであるだろう。だが、相手の話に耳を傾けて、きちんと相槌を打ってやるだけでも、身軽になっていく何かが確かに存在しているのではないか。それは私自身の過去の経験を顧みても、即座に断言し得る人生の「要諦」である。苦悩は、ただ共有されるだけで、圧倒的にその重量を軽減されるものである。その共有が、苦悩を解決する建設的な効果を持つことは実に稀だが、つまり「共有」そのものに現実を変革する為の力など少しも備わっていないことが普通であるが、それでも「共有」の精神的価値を侮るべきではない。苦悩と二人きりで互いを見凝め合うのは、人間の精神にとって最も危険な「暴挙」の一つである。