サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

Cahier(成長・記憶・苦痛・恥辱)

*最近、改めて「成長」ということに就いて考えることが増えた。

 このように書き出すと、何となく典型的な自己啓発系の記事だと思い込まれてしまうかも知れないが、例えば「成長のための具体的で明確な方法論10箇条」みたいなことは、残念ながら書けないし、書こうとも思わない。物事の一般的な「解」を探究してみることが無益だとは思わないが、成長に関する一般的な法則を書き連ねたからと言って、それが実際の個別的な人生に直ちに「効く」ことは稀である。人間は皆、遺伝子レヴェルで眺めれば殆ど同じ組成で出来上っているというのに、同じ理屈が万人に妥当することは皆無に等しい。これは如何なる絡繰の仕業なのだろうか?

 身も蓋もない言い方になるが、私が殊更に「成長」という観念に関心を惹かれる背景には、加齢という現実が影響しているのではないかと思う。自分がもう若くない、少なくとも若さを失いつつあるという感覚は、様々な要素の複合した結果として齎されている。

 今の会社に入ったとき、私は未だ二十歳の小僧であった。最初に配属された店舗では、学生のアルバイトから仕事を習ったものだが、その学生さえ年上であった。当然のことながら、上司も年上、取引先も年上、パートの御姉様方も皆年上、という状況に絶えず埋没する日々を過ごしていた。二十三歳の時に初めて新入社員を部下として抱えたのだが、彼は私と同い年であった。店長と新入社員が同い年というのは、冷静に考えてみると不可解な事態である。

 だが、今の配属先では、部下の社員は六歳、今期配属の新入社員に至っては十一歳も年下である。取引先の社員にも、同年代の人がいる。随分と景色が変わったものである。

 そうやって年老いていく自分を間接的に理解する。自分はもうそれほど若くなく、無限の可塑性や、幾ら失敗しても構わないくらいの未来の余白は、徐々に翳りを帯びつつある。だからこそ、私は真剣に考えずにはいられない。齢を重ねたのならば、相応の成長を遂げる必要があるだろう。そうでなければ、まさしく「馬齢を重ねた」ことになってしまうではないか。

 無論、私は無益な絶望に溺れて善がっている訳ではない。自分がこの十二年間、全く成長しなかったと悲嘆に暮れている訳でもない。十二年前と比べれば、私は別人のように変わった。知らぬ間に、こんなにも遠い場所まで流れ着いてしまったのか、という心境である。何が変わったのか、その一つ一つを計え上げようとしても、多岐に渡っていて、適切に表現出来る気がしない。ただ、十二年前には知らなかった多くの事柄に就いて、私は様々な出来事や、様々な人から、色々な省察を学んだと思っている。その学習は時に劇しく鋭い痛みを伴っていたり、絶望的な恥辱に塗れていたりもした。振り返れば、自分は如何に愚かだったのかと、歯咬みしたくなることもある。

 私はもう若者ではない、若者のようには生きられないという感覚は、必ずしも苦痛に満ちた認識ではない。反動のように、再び若者らしく生きようと試みる性急な態度に、価値を認めようとは思わない。意識や自我が如何なる自己規定を信じ込もうと、降り積もる時間の重量と、その影響を等閑に付すことは出来ないのだ。それは新たな自己欺瞞に雪崩れ込むことでしかなく、自己欺瞞によって維持される精神的な快活さは、いわば阿片のようなものである。

 若者ではなくなりつつある自分の価値に就いて考えるとき、自ずと「成長」という観念が脳裡に浮かび上がるのは、それが若者の特権的な無謀さの代償であるからだろう。要するに、成熟した大人にならなければならない、という倫理的な意識が、今の私の精神を根底から捕捉しようとしているのだ。無論、それは十二年前からずっと懐き続けてきた内的な要請でもある。二十歳で結婚し、父親となったときから、私はずっと「成熟しなければならない」という宿命的な要請と闘い続けてきた。闘うというのは、成熟を拒否するという意味ではない。文字通り、私は父親として、或いは社会人として、命懸けで「成熟」を求め続けてきた。それは紆余曲折を経て、現在の私という人格に流れ着いている。果たして積年の「野望」は達成されたのだろうか? いや、未だだ。そう正直に答えるしかない。私はもっと成長しなければならない。私は未だに「青二才」の尻尾を完全には断ち切れないでいる。

 年齢に相応しい成熟を求めようとする欲望が、保守的な狭隘さを意味するのならば、それは単なる老衰の徴候に過ぎない。恐らく、私はもっと精神的な何かを求めているのだろう。肉体は極めて儚く脆弱に滅び去る。精神も何れは滅び去るだろうが、その速度は肉体ほど迅速ではない。磨き得る限り、己の精神を磨いていきたい。それは「世界」に就いて学ぶということだ。