サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

Cahier(往く年の挽歌)

*十二月も折り返しを過ぎて、師走の風は益々靴音を高鳴らせている。

 もう直ぐ年に一度のクリスマスが到来する。地獄のような繁忙期、夜明け前から起き出して、寒風の吹き荒ぶ暗い路地を歩いて、そこだけ目映く見える静謐な京成電車へ乗り込んで、職場へ赴く空恐ろしい日々が、間もなく始まろうとしている。予感だけで、頭が痛くなりそうだ。

 だが、始まってしまえば、あっという間に終わってしまうだろう。どんなことも、それを待ち受けている時間が最も長く、重苦しく感じられるものである。過ぎ去ってしまえば、あらゆる記憶が一瞬の断片の連なりと化して、具体的な細部だけが砂塵のように切れ切れに思い返されるばかりで、現実味さえも瞬く間に薄らいでいく。それが生きることを多少なりとも堪え易いものに変えているのだと、前向きに開き直って思い込むことも不可能ではないだろう。そうやって、恐怖や絶望や悲嘆の時刻を稀釈して、忘却の深淵へ追い遣る健全な機能がまともに成り立ってくれない限り、生きることは時に厖大な記憶の重量に押し潰され、扼殺されることに似通ってしまう。少しでも荷物は軽くするに越したことはないし、全速力で走って逃げ切るには、聊か人生は長過ぎるようだ。

 余り小難しい理窟を捻りたい心境ではない。遽しい日々の狭間で、吐息の如く零れ落ちる言葉の破片を、手遊びのように留めておきたいと思うだけだ。年が明けて、仕事が落ち着けば、もう少し書きたいことも増えるだろうし、それを煮詰める気力も幾らか取り戻せるだろう。心地良い疲労を味わうことだけを愉しみにして、もう一踏ん張り、走り続けるしかない。