サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

「月影」 4

 失われてしまった娘の半生の儚い痕跡を辿ろうとする痛ましい作業が、或る精神的な麻酔のような効果を、私の心に深々と及ぼしているのだろうかという疑念が兆している。そういう手前勝手な感傷を成る可く振り払い、一つ一つの文字を丁寧に洗浄しながら書いている積りであるのに、知らぬ間に行間へ滲み出る半狂乱の父親の情念に、読み返す度に視線が突き当たって我ながら失望せずにはいられない。燈里のことを、私は恰かも薄倖な聖女のように思い、その生きて動いていた日々の記憶の残影が、過剰に美しく縁取られ、悲劇的な装飾が随所に施されることに、半ば諦めて快く屈しているのである。これは剣呑な徴候だ。本来、私はその真相を量り難い奇怪な出来事の連なりを可能な限り、沈着な記録へ移植しようと思い立って筆を執った筈なのに。
 小学校一年生の秋に最大の悪化を示した奇妙な夢遊病的行動も、二年生に上がる頃から減少に転じて、滑らかな下降の曲線を描き始めた。その奇矯な行動の原因や発端が曖昧であるように、症状の寛解の理由もやはり曖昧で、明瞭な契機を特定することは叶わなかった。それを子供の成長の過程における一時的な荒天であったと片付けてしまえば、不安な親心も速やかに落ち着くことが出来る。しかし燈里の切迫した徘徊の姿は、実際にその症状が鎮まった後も長々と私の眼裏に焼きついて、何時までも咬み砕き難い不穏な気懸りの種として残り続けた。あれが単なる一過性の、いわば鼻風邪のようなものだったと割り切ってしまうことに、私の心は執拗に逆らい続けた。その抵抗の根拠が、明瞭に意識されていたという訳ではない。それは茫漠たる無意識の予感、曖昧な直感のようなものに過ぎなかった。少なくともその当時は、それは臆病な男親の神経質な杞憂に類する考えでしかなかった。
 燈里は徐々に健康な肉体を手に入れ始めた。幼年時代の病的な繊弱さは、子供らしい活発な生活の中で徐々に磨り減っていき、明朗な日焼けが彼女の性来の蒼白さを古びた銀箔のように少しずつ剥ぎ取っていった。それは無論、親にとっては望ましい変貌であった。燈里は病児の陰鬱な羽衣を脱ぎ捨て、平凡な快活さの裡に己の存在を熔解させつつあった。そうした凡庸な進化を、誰が祝福せずにいられるだろう? ただ当時の私の心は、そうした通俗的な安堵によって隅々まで満たされていたとは言い難い。何故、充たされなかったのだろう? 如何なる飢渇が、私の魂に不可解な傷痍を蟷螂の卵のように産みつけたのだろう?
 私は禍事の微かな予兆のようなものを絶えず敏感に嗅ぎ取りながら、娘の成育の光景を見守っていた。どんな人間も、自分自身に就いてさえ、完全な理解を所有することは出来ないものだ。だから、娘の奇矯な行動に悩まされていた頃の、不安定で臆病な父親であった私の心の深みに、どんな直感が宿っていたのかを明瞭に解剖してみせることは難しい。燈里の「健康」の急激な恢復は私にとって、喜ばしい革命であると同時に、不自然な欺瞞のようにも感じられた。一過性の麻疹であるのは、あの夢遊病ではなくて、この小麦色に日焼けした健康極まりない少女の姿の方ではないのか? 症状の根幹は水面下へ沈潜しただけで、私は表層的な明朗さや活発さの仮面に欺かれているのではないか? だが、そんな直感は滑稽な妄言に過ぎないと笑われても無理はない。事実、私の妻は娘の快癒を素直に寿ぎ、失われた夢遊病者の記憶を殊更に珍重する素振りも見せなかった。それが親としての健全な態度であることを私も疑わなかったから、内なる不安をわざわざ口に出す愚挙は差し控えた。
 真夏の太陽に照らされた黒檀のように艶やかな若い皮膚。柔軟に軋んで、光の喜悦のように弾ける伸びやかな四肢。私はその朗らかな「健康」の積極的な象徴を、全面的には信用していなかった。密かに、その「健康」の明るい仮面と煌びやかな装飾の裏側に、知らぬ間に押し込まれ隠されてしまった魂の秘鑰を探し求めずにはいられなかった。快癒の素朴な歓びを両手一杯に抱え込んで暮らす妻の安堵に表向きは同調しながらも、私の疑い深い魂は絶えざる警戒の構えを捨てなかった。燈里の躍動する筋肉、日焼けした頬、黒ずんだ鼻の頭、それらの陽気で安全な信号の隙間に隠見する闇の片鱗を、私の眼差しは狩人のように見張った。無論、私は決して娘の健康と幸福を妬んだり憎んだりする悪魔のような父親ではなかった。寧ろ理想の肖像は常に、目尻の垂れ下がった、暢気な子煩悩の親爺であったからこそ、娘の変貌が砂の城のように崩れ易い虚構であることに堪えられず、その堅固な礎石を覆しかねない危険な証拠に対しては、常に敏感であろうと努めていたのである。氾濫した河川の圧力が、堤防の深みに走らせる最初の微かな亀裂、それを仮に見落としてしまえば、一旦始まった洪水を押し戻すことは不可能である。つまり私は、不満足な歩哨の役割を自らに課すことで、娘に対する真摯な愛情を貫こうと試みていたのだ。