「過去の罪悪」は乗り超えられるのか 和月伸宏「るろうに剣心」
どうもこんばんは、サラダ坊主です。
今日は言わずと知れた傑作マンガ「るろうに剣心」について書きます。
幕末から明治初頭にかけての日本を舞台にした剣豪チャンバラマンガで、未だに根強い支持を受けている作品です。この作品はいかにも少年マンガ的な格闘シーンを主軸に置きながらも、結構ヘビーな問いを扱っていて読ませます。
この作品の中心的な主題は、主人公である緋村剣心(緋村抜刀斎)の「誓約」にあります。幕末に人斬りとして多くの敵を殺害した彼は、明治維新後、その反省から「不殺」の誓いを立て、峰と刃が逆さについた「逆刃刀」を携えて人を守る為に生きる日々を送っています。しかし、その誓いとは裏腹に「人斬り抜刀斎」の過去を断ち切れず、様々な因縁に引き摺り込まれて苦悩していくというのが、物語の枢軸となっているのです。
これは例えば中国や韓国との間でずっと懸案事項となっている「歴史認識」の問題にも通じるようなテーマで、要するに「過去の罪を償うとはどういうことか」という重たい話です。少年マンガで、しかも幕末の血風吹き荒れる日本を舞台に、こうした問いを追究していくのはかなり野心的な試みであると言えましょう。
「過去に犯した罪」をどのように乗り超えるのか、という問題は、非常に普遍的な問題であると同時に、明確な答えを出しづらい問題でもあります。作中で、この問いが最も先鋭的に突き詰められるのは終盤の「雪代巴」を巡る一連のエピソード群でしょう。ここで剣心は、抜刀斎への残虐な復讐を企む雪代縁の一党に追い詰められ、一時は廃人のような状態に陥ります。ここには「贖罪の不可能性」というテーマが嵌め込まれています。どんなに償おうとしても、犯した罪そのものが消えることはない、だから永遠に許されることはないのだ、という極端な論法です。
このような論法はそもそも「絶大な憎悪」を原動力としており、そこには「赦免」という概念が有り得ません。「死罰」によって報いることを要求するのは、現実には「償い」などではありません。要するに「絶対に赦されることのない罪」があるのだと思い知らせる為だけに「死罰」は発動されます。
「償い」とは「犯した罪を取り消す」ことではありません。そのように解釈すれば、罪悪を巡る熾烈な応酬は、永遠に尽きることがないでしょう。それはひたすらに「相手の破滅」を望む感情であり、外向的なタナトスであるに過ぎません。もっと言えば、「罪悪」の問題と「憎悪」の問題は本来、異なる次元に属しているのです。
両者を混同することから、不毛な憎悪の連鎖は生み出されます。「罪悪」という観念は寧ろ、そのような「憎悪」の永久的な運動を阻止する為に編み出された観念であり、制度です。際限のない処罰を認めることは、司法の本務ではありません。どんな国法も、自由な私闘を認めることがないのは、それが「憎悪」の領域に属しており、本来「罪悪」とは無関係な惨劇に過ぎないからです。
「憎悪」は原則として「私情」であり、当事者が望む限り終息することはありません。言い換えれば、憎悪に基づいた私刑には本来「限度がない」のです。そのような憎悪を認めてしまえば、最悪の場合、社会は滅亡します。私情で誰かを罰することが許されるならば、例えばアメリカの大統領が妻の浮気相手を殺す為に核ミサイルを発射するのも「止むを得ない」ということになりかねません。自分の大切な存在を殺害した相手に対して、憎悪を覚えること自体は自然な感情であり、人間的な反応です。しかしそれを野放しにして社会全体を崩壊の危機に追い込むのは、大多数の人間にとって「不利益」な話です。
雪代縁は繰り返し「人誅」という言葉を用いて、緋村抜刀斎の犯した罪が絶対に許されざるものであることを訴えます。その真率な感情自体は否定し難いものですが、絶対に許されない罪というものは本来、存在しないのです。「罪悪」を定義するということは、際限のない「憎悪」に制限を課すということです。縁が「人誅=私闘による制裁」に固執するのは、「天誅=司直による制裁」が与えられていないことへの怒りに基づきます。しかし、司直が私闘を許さないのは当然で、彼らの役割は「無限の憎悪」を「有限の罪悪」に縮約することによって、「無限の憎悪」が世界を滅亡に追い遣るのを「阻む」ことなのです。
一時は「憎悪=許されざる罪責の意識」に屈して心を病んだ剣心は、最終的に新たな答えを見出して、生きる希望を取り戻します。「犯した罪の償いは/どんなに心血を注ごうとも/誰かが許す事なしでは償いにはならない」。つまり、贖罪の不可能性を言い立てて「死罰」を加えようとする縁の「人誅」が本来的に「私怨」に過ぎず、もっと言えば最終的な解決にならないことを、彼は明白に悟ったのです。「無限の憎悪」を否定し、「有限の罪悪」に切り替えることで「償いという形式」を整備することが、社会的な解決の方法なのです。それは確かに社会の「方便」に過ぎませんが、その「方便」を嘲弄したり唾棄したりするのは無意味です。なぜなら、その「方便」はあくまでも人間と社会の安寧と幸福のために作り出された「手法」なのですから。
以上、船橋サラダ坊主でした!
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