サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

「背広組」と「制服組」

 学生時代の友人に、自衛官になりたいと考えている男がいた。同じ大学に通いながら、彼は勉強し直して防衛大学校を受験したいと夢を語っていた。結局、その友人は自衛官の途には進まず、卒業と同時に地元の福島へ帰って新聞社へ勤めるようになった。昨年辺りに念願の転職を成し遂げ、学生時代に暮らしていた松戸市へ戻ってきたそうだ。久々に呑みに行こうと言いながら、互いに忙しく、何となく疎遠な関係で過ごしてきた年月が長かった所為か、未だに再会は果たせていない。

 私は自衛官になりたいと考えた経験を過去に一度も持ち合わせていないし、国防に身を挺したいという心情の成立する経緯というものを実感として理解する材料も、生憎有していない。根っからの文化系気質で、躰を使った荒事は滅法苦手な人種であるから、武闘派の極致とも言える自衛官への憧憬が育まれる素地は微塵も存在していないのである。苛酷な肉体の鍛錬に堪え得る自信など、皆無である。だから学生時代、彼の熱烈な夢を頻繁に聞かされながらも、私は今一つ得心がいかないままであった。

 一方の私は、物書きで糊口を凌ぐ日々に、年季の入った憧憬を懐いていた。文章を書き、己の思想を表現したり、空想の領域に巨大で魅惑的な絵空事の大伽藍を築き上げたりすることで金が稼げたら、自分はきっと類例のない幸福を味わえるだろうと、無邪気に信じ込んでいたのだ。己の才能に対する、青二才ゆえの無根拠で傲岸な自信も併せ持っていた。

 だが、そういう素朴で無邪気な憧憬の裏側には、組織に所属して働くことへの名状し難い恐怖と不安が伏在していた。私は昔から集団行動が余り得意なタイプではなく、一つの号令、一つの規律に従って一斉に行動しなければならないような風土に言い知れぬ嫌悪を覚えていた。中学でも高校でも部活には入らず、悠然と「帰宅部主将」を名乗っていたほど、組織に属することへの自信を、つまり組織の一員として活躍したり輝いたりすることへの自信を持てない人間だったのだ(高校へ入学して直ぐ、環境が変わったばかりで浮かれていた私は何を血迷ったのか、今まで一度も関心を覚えたことのないバドミントン部に入り、シャトルを打つ前に四日で辞めた。顧問の男性教師から「未だラケットも握っていないのに」と至極尤もな嘆きを発せられたことを記憶している)。

 そういう傾向はずっと続いていて、大学へ入ってからも講義を真面目に受けて単位を取ろうなどという殊勝な心意気は微塵も湧き起こらず、高校時代とは違って詰襟やブレザーに身を固める必要もなく、授業時間も一律ではなく、家からも遠く離れているという開放的な諸条件に誑かされた私の小さな良心は、あっという間に堕落への坂道を転がっていった。私は常に「自由でありたい」「束縛から解き放たれたい」という飼い犬のような野心を携えた少年であったので、大学に進んでからも体育の授業があり、ジャージに着替えてバレーボールに興じなければならないことに驚愕し、英語の授業でネイティブの外国人教師と奇妙にテンションの高い英会話の応酬を繰り広げなければならない現実に絶望した。私は直ぐに授業に出なくなり、近現代文学研究会という極めて地味な零細サークルに所属して数名の先輩と友人を得ただけで満足し、日中は新宿の繁華な街衢を難破船の残骸の如く漂流し、日暮れが迫ると大学へ赴いてサークルの仲間と居酒屋へ繰り出すという陋劣な生活へ雪崩れ込んだ。

 そのサークルで知り合った友人の一人が、冒頭で述べた自衛官志望の男だった。彼は独特のユーモアセンスと強靭な肝臓の持ち主で、中学時代から付き合っている恋人を地元に残していた。彼は大学卒業間近に松戸の居酒屋で知り合った女と浮気に走り、長く付き合った恋人から離縁され、浮気相手とも短期間で関係を解消して、天涯孤独になった。なかなか破天荒な男なのである。

 「背広組」と「制服組」という言葉は、その友人から教わった。要するに、防衛省における「文官」(背広)と「武官」(制服)の区別を指す言葉なのだが、日本では太平洋戦争における軍国主義の暴走に対する反省から「文民統制」の原則が布かれており、両者の力関係には複雑な政治的思惑が絡み付くものであるらしい。或る意味では「本部」と「現場」との入り組んだ相剋にも等しいと言い得るだろう。

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 文官と武官との関係性というのは、素人目に見ても非常に面倒臭そうである。命を懸けて戦場の土を踏み、苛酷な訓練と任務に堪えている現場の軍人たちは、彼らなりの矜りや思想を掲げて、自らの選び取った生き方に魂を捧げているに違いない。だが、軍部の暴走に対する統制という観点から、飽く迄も「軍部に対する政治家の優越」という鉄則が貫かれている民主主義の世の中では、彼らは自らの独断で軍事的な行動を推し進める権利を抑圧され、削ぎ落とされている。だからこそ、彼らの内面においては煮え滾るような「現場主義」の熱情が培われ易い。嘗て日本陸軍が「統帥権干犯」の名の下に独立性を強め、政治家による拘束を免かれて暴走へ傾斜していったという歴史的事実を鑑みれば、軍部における「現場主義」の称揚が惨憺たる結果を招きかねないことは明白である。

 だが、人間の心情としては、軍人たちの「現場主義的憤懣」に全く同情の余地がないとは言えないだろう。最も危険な現場で働き、自らの生命を賭して行動している人々が、自らの仕事に関する最終的で大局的な決定権を禁圧されているという事実は、綜合的な観点から眺めれば必要な措置であるとしても、当事者たちの心情としては直ちに承服し難い部分が厳然と存在することは否めない。

 無論、そうした現場主義的論理に屈服して、文民統制の原則を抛棄することは極めて危険な選択である。こうした問題は自衛隊に限らず、様々な分野で同じ構造、同じ組成で繰り返し発生している。例えば民主党政権時代、国家の首班たちは「官僚による政治支配」からの脱却を旗印に掲げ、政治任用制の拡大を図ったが、ここにも「本部=現場」との果てしない相剋の構図が見え隠れしている。或いは、このように言い換えられるかも知れない。日本という国家=社会においては「現場主義」の影響力や威信、発言権が極めて強固であり、公共的な理窟(建前)と現場の言い分(本音)との乖離が生じ易い。トップダウンよりもボトムアップの仕組みが一般的であり、絶対的な独裁者による一律的な支配が成立し難い。つまり「現場の決定権」が堅牢であるということだ。

 歴史を遡っても、日本では「朝廷」と「幕府」との並立という、冷静に考えてみれば奇妙な政治的=社会的形態が長らく維持されてきた。ここにも「建前=本音」の二重性が露わに存在していると言えるし、世間の仕組みを動かす実体的な力が、オフィシャルな権威とは異なる次元に(つまり「本部」ではなく「現場」に)所属し、稼働していると看做すことが出来る。昭和軍国主義の暴走も、独裁的な政権による暴走であるというより(つまり、ヒトラー総統という絶対的な「独裁者」によって牽引されたナチズムの「暴走」とは異なり)、独裁的な政権が成り立ち得ないからこそ、地割れのように「現場」の意向が抑え難く噴き上がってきた結果の「暴走」であると言い得る。ナチズムの「暴走」は、強固な政治的主体の描き出した明確な意図に基づいているが、関東軍の「暴走」は、政治的主体が明確な意図を描けずに立ち竦んでいる、その間隙を狙って行なわれた「叛逆」のニュアンスを帯びている。

 要約すれば、日本という国家の課題は、強烈で有能な「現場」の暴走を抑制する方法の確立に存すると言えるのだ。だが、それは高圧的なファシストに政治的な権限を附与することではない。築地市場の移転問題にしても、東京オリンピックの費用削減問題にしても、奇妙なほどに「この国の習慣」と化しているのは、公共的な決定を骨抜きにして捻じ曲げてしまう「現場」の畏怖すべき力である。その畏怖すべき力は断じて、ヒトラー総統の指示に忠誠を誓おうとは考えないだろうと、私は思う。