サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

Cahier(感情の濃縮・外界の不在・匿名性)

*感情の濃縮は、逃れ難い人間関係において生じる。時に相手に対する殺意にまで高まるほどの劇しい情念は、容易く着脱し得る合理的な人間関係の内部では充分に醸成されない。成程、確かに世の中には、通り魔による無作為な殺人や暴行の類が頻発している。だが、それが殺害の対象との間に醸成された劇しい情念に基づく凶行でないことは事実だとしても、殺意にまで高まるほどの激越な情念が培われた背景には必ず、逃れ難い閉塞的な関係性の圧力が介在している筈である。

 例えば中上健次の「枯木灘」を読んでいると、その世界が徹頭徹尾「外界との切断」という条件に基づいて構築されていることが分かる。そういう外部の欠如した環境においては、あらゆる人間関係が恣意的な選択の対象ではなく、予め定められた宿命的な因縁として人々の存在を囲繞し、包摂してしまう。どれほど特定の他人を忌み嫌おうとも、或いは逆にどれほど劇しく恋焦がれようとも、既定の関係性に刻み込まれた「宿命」の抗い難い権力に叛いて、自らの実存を構築していくことは不可能に等しい。抽象的で透明な、つまり置換可能な人間関係を夢想することは極めて困難である。その意味では、中上健次の描き出す世界は、安部公房が「他人の顔」や「燃えつきた地図」といった作品で描き出した匿名的な世界観の対極に位置していると言えるだろう。

*昨秋から始めた、三島由紀夫の長篇小説を集中的に読破して感想文を纏めるという計画が無事に完了したら、今度は安部公房の文業に腰を据えて取り組んでみようと考えている。安部公房の作品には、中上的な「外部から隔絶した世界」とは全く異質な世界の手触りが稠密に再現されている。中上の世界では、人間は自由な選択から隔てられ、宿命的な因縁を重たい鉄鎖のように引き摺りながら暮らしている。土地と血統に縛られ、狭隘な閉域の内側で濃縮された感情の暴発を生き抜いている。一方、安部公房の世界においては、自己同一性を支える歴史的で具体的な根拠とも言える、そうした宿命的な因縁の鉄鎖が悉く砕け散って消え去っていく。登場人物たちは一様に自分の固有性を見失い、自分が何者であるのか分からなくなり、身分証明の不可能性という息苦しい地獄の深みへ徐々に嵌まり込んでいく。言い換えれば、そこには無限に広がる荒涼とした「外部」だけが存在していて、絶えざる自己証明を維持しない限り、人間は忽ち自己の特異な性質を語る為の材料を収奪されて、見知らぬ他人しか存在しない領域に墜落し、最終的には自分自身さえも「他人」として感受する離人症的な世界への滑落を強いられてしまうのである。

枯木灘 (河出文庫)

枯木灘 (河出文庫)

 
他人の顔 (新潮文庫)

他人の顔 (新潮文庫)

 
燃えつきた地図 (新潮文庫)

燃えつきた地図 (新潮文庫)