サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

「月影」 7

 小さい頃の記憶は、誰でもそうだと思うのですが、曖昧に霞んでいます。私だけが、特に記憶力が弱いという訳ではないと思うのです。両親が口癖のように、例えば誕生日や元旦や、そういう生活と季節の節目のときに必ず言い出す、私の幼い頃の夢遊病のことも、全く心当たりがないのです。勿論、夢遊病は眠っているのに躰が動いてしまう病のことですから、本人が何も記憶していないのは当然だと思います。だって、はっきりとした記憶が残ってるなら、それは夢遊病じゃなくて、ただの夜更かしということになってしまうでしょう?
 でも、それがどういう場面の出来事なのか、どんなときに感じた印象なのかは分からなくても、断片的な記憶なら、誰も整理しない箪笥の中身のように雑然と散らばっています。そういう記憶は、明確な形を伴っていないので、自由に思い出せる訳じゃありません。整理整頓されてない箪笥から、必要なものを瞬時に取り出すことは出来ないでしょう? 何年も着ていないマリンカラーの愛らしいパーカーや、入学祝に貰ったまま忘れていた樫の木の万年筆や、幼稚園児の頃に使っていた小さな爪切りを、直ぐに発掘することが出来ないように、その記憶の断片たちはいつも、思わぬタイミングで急に姿を顕すのです。交差点の角から不意に左折してくる巨大なトラックのように、或いは狭い路地から急に飛び出してくる郵便配達のバイクのように、その記憶はこっちの都合や要望とは無関係に、何時でも気付いたときにはもう傍にいるのです。
 夢遊病の直接的な記憶は、今の私の頭には残っていません。けれど、その周りを取り囲む様々な印象の断片は、時々事故のように突然、私の意識を襲うことがあります。例えば肌に触れる冷たい夜風、絶えず鼓膜の表面へ滴り続ける弦音つるねのような耳鳴り、瞼を漉すように躰の内側へ染み込んでくる月の光。それが果たして夢遊病のときに感じた印象なのか、確証はありません。それらの感覚が、どんな場面で、どんなタイミングで、当時の私に授けられたのかも分かりません。そもそも、それらの感覚が現実と結び付いた記憶なのかどうかも疑わしいのです。
 ただ、父の証言を通じて、夢遊病の幼い私がベランダの硝子戸越しに、遥かな月明りに向かって両手を差し伸べていたという挿話を知ったとき、何かが腑に落ちるような気がしました。何故か分かりませんが、そういうことも有り得るだろうと、とても自然な気持ちで納得が行ったのです。それは私が、父の呉れた高価な図鑑の影響で、幼い頃から月や星座に慣れ親しんできた所為かも知れません。今も私の部屋に置かれている、それらの古びた図鑑は、病弱で家に籠りがちな少女だった昔日の私にとっては、煌びやかな未知が夥しく詰め込まれた優雅な宝石箱のように輝かしい贈り物でした。狭い世界に幽閉されていた私の幼年期に、その図鑑が示した神秘的な異郷の風景は、漠然とした孤独を優しく慰め、知的な勇気を与えてくれました。しかも不思議なことに、私はそれらの未知の異郷の風物に、素性の知れない郷愁を感じていたのです。勿論、当時の私の語彙に「郷愁」などという難しい言葉は含まれていませんでしたから、実際には胸を締め付けるような切なさを、例えば月の満ち欠けの遷移図を熱心に見凝めながら、密かに持て余していただけで、その感情にどんな名前を付ければいいのかも分かりませんでした。
 暗い宇宙に浮かぶ星々や、遠く離れた天空で繰り広げられる壮大な御芝居のような気象、それらの出来事に対する尽きせぬ興味は、病弱な躰を脱ぎ捨てた後もずっと、私の魂に深く刻み込まれたまま、決して消え去ろうとしませんでした。小学校を卒業するとき、両親は御祝いに三脚のついた立派な天体望遠鏡をプレゼントしてくれました。二本の触角のような微動ハンドルも、附属品である精緻な星座早見盤も、私の心臓を高鳴らせ、弾けるような歓びを全身に行き渡らせてくれました。何故、自分がこんなに天空の世界へ憧れてしまうのか、その情熱の劇しさは、単に幼少期の慣習という言葉だけでは、説明が間に合わないような気がしました。
 中学に上がって、余り人気のない天文学部に加入したのは、勿論幼い頃からずっと続いてきた関心の延長線上の決断でしたが、弓道に関しても、実際は同じ理由が関与していたのです。直接的には、母と母方の祖父がかつて弓道の選手であったことが、入部の後押しとなりましたが、そもそも私は、和弓の形に惹かれていたのです。物心ついた頃からずっと眺め続けてきた月の満ち欠けの遷移図には、必ず「上弦の月」と「下弦の月」という言葉が記されていて、私は昔から、その言い回しをとても美しいと感じていました。弓道部に入り、顧問の先生が県営の近的場に新入部員を集めて、本物の和弓を示しながら基礎知識の講義を行なったとき、私は「上弦うわづる」と「下弦したづる」という用語の響きに聞き惚れました。特に私が感銘を受けたのは、弓弭ゆはずに引っ掛ける下側の弦輪つるわを「月輪つきのわ」と呼ぶ古来の慣習でした。要するに、私にとって和弓の姿形は、幼少期から慣れ親しみ、憧れ続けた美しい月影の写し絵のように思われたのです。