サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

「月影」 13

 私を拾ってくれた奇特な私立大学は、世田谷区と杉並区の境目に、古びた住宅街に囲まれて、広大な敷地を構えていました。市川の実家から、御茶ノ水と新宿で乗り換えて、片道一時間ほどの行程です。長い春休みの間に、私はサウンドジェネレータを装着した状態で、意識的に重たいお尻を持ち上げ、勇気を奮い立たせて外出する訓練に励みました。未だ肌寒い三月の上旬、通学の予行演習として、京王線の下高井戸駅まで意を決して孤りで足を延ばしたこともあります。
 少なくとも日中の時間帯に関しては、サウンドジェネレータの医学的な威力は充分な恩恵を私に授けてくれることが、その春休みの個人的な「修業」を通じて判明しました。折々の耳鳴りの程度や、自分自身の精神的な状態に応じて、音量や音質をきめ細かく調整しながら、私は少しずつ、人工的な音波に鼓膜を委ねる生活の枠組みに馴染んでいきました。機械の形状は聊か無骨ですが、イヤホンを帯びて街中を行き交う人々の姿は有り触れているので、私のサウンドジェネレータが見知らぬ他人の訝しげな視線を浴びることは殆ど皆無と言って差し支えないほどでした。中には私のことを、若くして難聴を患う不幸な少女と誤解して、此方が戸惑うほど親切に接してくれたり、労わるような寛大な微笑を贅沢に投げ掛けてくれたりする方々もいました。それは私が今まで想像もしなかった、過分な温もりに満ちた現実でした。薄暗い部屋に閉じ籠り、あらゆる熱意や関心と冷淡に絆を絶ち切って、恋人の愛情さえ粗雑に扱って顧みなかった頃には、そんな待遇が自分を待ち受けているとは少しも考えたことがありませんでした。自分が無力な存在であるという事実に打ちのめされて、立ち上がることも動き出すことも叶わず、そんな私を周囲の人々も冷ややかな奇異の眼で眺めていると、一方的に思い込んでいたのです。言い換えれば、私は鏡のない部屋で、漆黒の暗闇に向かって勝手に想い描いた歪んだ自画像に怯え、その反動のように四囲の世界を憎んでいたのです。
 入学式を終えて、私は積極的に周りとのコミュニケーションを図りました。原因の分からない耳鳴りに悩まされて、それをこのイヤホンのような機械で緩和しているのだという話を、成る可く屈託のない華やいだ表情と明朗な口調で伝えるように心掛けました。腫物を触るような遠巻きの扱いを、初対面の人たちに強いることで、望みもしない垣根を築き上げてしまうような成り行きを絶対に避けたいという想いがあったのです。此方から何でもない些細な事柄のように、先手を打って説明する習慣を貫いたことで、学友たちは穏やかに心を開き、私の個人的な苦悩に適切な共感を捧げてくれました。それだけでも、暗い部屋に閉ざされた冬の日々に比べれば、私は遥かに幸福でした。
 しかし残念なことに、耳鳴りの病状は決して目覚ましい改善を示そうとはしませんでした。新月の朝に最も静謐な寛解に至り、満月の夜に向かって徐々に劇しさを募らせていく奇怪な律動も、変わらずに保たれていました。定期的な投薬、入念な問診、眠れない夜更け、それらの反復は、私の人生と分かち難く結び付き、母親と胎児のように絶対的な融合を遂げつつありました。しかも私の実存的な融合は、十箇月後に予定される分娩のような終着駅を期待することさえ許されないのです。その厳格な事実が齎す不安と絶望は、新しく作り上げた友情の環に抱かれて、和やかに談笑している時間の中でも、微かに顫える毛細血管のように、絶えず私の意識の片隅を刺激し続けていました。部屋のカレンダーに月の満ち欠けを記す習慣も廃れませんでした。幾ら逃げ出そうと思っても、耳鳴りの予兆は常に私の肉体の内側を駆け巡っていて、定刻になれば、束の間の夕凪を覆すように必ず私の耳許に帰ってくるのです。それはまるで意地悪な運命のように、決して私という獲物を手放そうとしませんでした。気休めに過ぎないサウンドジェネレータを耳の孔から毟り取って、アスファルトの舗道に叩きつけてやりたいという衝動に駆られたことも、一度や二度ではありません。しかし、そういうマイナスの感情に呑み込まれることは、再びあの薄明の部屋へ舞い戻り、閉ざされた冬の記憶の深みに溺れることを意味していましたから、私は歯を食い縛って、迫り上がる破滅的な情熱に抗い続けました。不幸な宿命に屈して、無辜の他人を恨んで、無意味な傷口を幾つも開かせるような真似は、もう二度と繰り返してはいけないと自分自身の魂に向かって誓っていたのです。
 久々に岩崎さんから連絡が来たのは、ゴールデンウィークの到来を間近に控えた頃でした。はっきり別れるとも別れないとも決めないまま、関係の行方を店晒しにしていた罪悪感に気圧されて、私は大学入試に合格したことさえ、彼に伝えていませんでした。互いの近況を報せる簡単な遣り取りの後で、君の気持ちが落ち着いたのなら一度逢いたい、時間を作ってもらえないだろうかと岩崎さんは言いました。そして私たちは五月の新月の晩に、錦糸町のカフェで待ち合わせる約束を交わしました。