サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

「ツバメたちの黄昏」 四十二 南蛮の潮風

 冴え渡るような純白の砂浜が、飢渇に追い詰められた憐れな船乗りたちの乱暴な着岸を黙って受け容れてくれた。有難いことに、三日三晩の漂流の末に漸く遭遇することの出来た陸地へ縋るような想いで漕ぎ着けるまでの間、私たちの隠避船の行く手を妨害する不愉快な障礙と巡り逢うことはなかった。
 後に知ったことだが、私たちは乱暴なシュタージの尻尾に呑み込まれたまま、錦繍海峡の涯に広がるダドリア海を只管南方へ向けて押し流され続け、最終的にはラカテリア亜大陸の北岸に散らばる夥しい島嶼の一つ、マロカ島へ辿り着いたのであった。無論、漂着した当座は、白く照り輝く美しい砂浜を踏み締めるだけで精一杯で、危うく途切れかかっていた命の綱が辛うじて繋がれたという事実を咬み締めることに夢中になっていたから、この島が何処なのか、何という名前なのか、一体どんな人々が住んでいるのか、そもそも有人の島なのかどうか、といった素朴な疑問は悉く等閑に付されてしまっていた。
 帆を食い破られて、羽を毟り取られた無惨な水鳥のような醜態を晒しながら、息も絶え絶えに純白の砂地へ舳先を減り込ませた風花号は、明け方の冷たい潮風の中で巨大な廃墟のように動きを止めた。疲れ果てた乗員たちは貧しい食事によって痛めつけられた肉体を引き摺り、尖端に鉤のついた縄梯子を浜辺へ放り投げて砂地へ食い込ませ、低い呻き声のような息遣いを漏らしながら順番に下船していった。尤も、到着の瞬間の気忙しい高揚が過ぎ去ってしまった後には、良識的な理性が発する平凡な警告に注意を払わぬ訳にもいかなかった。この純白の閑雅な砂浜の行く手には、南国の温暖で湿潤な気候に育まれた鬱蒼たる樹林が犇めき合っており、その複雑に絡み合った蔓草や喬木の暗がりに、如何なる種類の獣や人間が潜んでいるのか、精確な答えを私たちは誰も知らなかったからだ。
「油断するなよ。何処に誰が隠れてるか知れねえんだ」
 マジャール・ピント氏の独語めいた警告に、彼の配下の水夫たちだけでなく、私たち護送団の面々も同意して、総身の神経を研ぎ澄まさずにはいられなかった。少なくとも洋上での餓死や不慮の難破による溺死は免かれたものの、絶海の孤島に流れ着いただけならば、決してこの先の未来を安穏と待ち受けている訳にもいかない。北洋の凍てついた離島に漂着したのでないことは確かだから、食べられる植物の果実などが全く手に入らないということはないだろうし、この澄み切った南国の海辺に潜って大きな魚を銛で仕留めたり、水底の岩場に悠然と群棲する貝類や藻類を採集したりすることも、不可能ということは有り得ないに違いない。だが、最も根本的な問題は、この静かな島における外敵の有無であった。先住民たちが排他的で粗暴な連中であったら、私たちが幾ら徒党を組んで立ち向かったところで、地の利を得られずに無惨な敗北を喫する虞は決して小さくない。
 だが、怯えたところで何も始まらない、兎に角此処で辛うじて繋ぎ留めた痩せ衰えた命の蝋燭の焔が掻き消えることのないように細心の注意を払い、なけなしの勇気を振り絞って異郷の大地を踏み締めて歩く以外に如何なる方途も存在しないのであった。漸く陸地に流れ着いたという安堵と虚脱が、隠避船の面々と、不愉快な積荷である我々コスター商会の面々との間に深々と穿たれていた剣呑な溝を一時的に彌縫していた。この期に及んで不毛な諍いを繰り広げて、見知らぬ土地で限られた資源を奪い合いながら、血腥い嬲り合いに興じる訳にもいくまい。私たちは力を合わせて、砂浜に減り込むように碇泊した風花号の巨体が引き潮に攫われぬよう、頑丈な棒杭と纜を用いて大地へ固定する作業に取り掛かった。一通りの措置が終わると、次は食糧の確保が重要な議題に上った。何よりも私たちは新鮮な真水に飢えていた。飲料水を詰めた樽は既に概ね乾上がっており、食物以上に澄み切った泉や池の類を探索して喉笛を潤すことが喫緊の課題となっていたのだ。
「三方に分かれて探索しよう。一部はこの砂浜へ残って、この島の人間に船の積み荷を奪われないように見張りを務めることにしよう」
 バエットの常識的な提言に、頑迷で狷介なピント氏も大仰な反論や毒気の色濃い皮肉を投じようとはせず、あらゆる意見に先駆けようと努めるかのように、自分は船荷の監視を引き受けると言い張った。隻眼の彼を不案内な土地の探索に充てるのは確かに余り適切な選択であるとは言い難かったし、固より口論には滅法強い気難しい人物であったから、誰もピント氏の気楽な居残りに異を唱えようとはしなかった。そもそも、下らぬ議論に時を費やすには、人々は余りにも疲弊し過ぎていた。
「ルヘランさん。行きましょう」
 出口の見えない苛酷な船路を漸く済ませたばかりだと言うのに、バエットは怠惰な休息を欲する素振りも窺わせずに、頗る現実的な姿勢を明確に示して、私に出発を促した。無論、私としても一刻も早く新鮮な真水を呷り、罅割れた肉体の渇きを癒やしたいと痛切に望んでいたところだったので、愚図な子供のような言い訳は差し控えて、誘われるがままに即座に鈍重な尻を持ち上げ、行く手に広がる木暗い領域を正面から見据えた。