サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

詩作 「千年」

孤独が孤独であるためには

生傷が必要です

千年も生きれば

どんな傷口にも慣れるでしょうが

それでもやはり哀しいものです

愛するものが消えてしまう刹那の

薄暗い光の軌跡は

 

果てしない時空を隔てて

想いはいつまでも空回り

眠れぬ夜を抜けた先で

夜明けのカラスが間抜けな声で歌っている

呑み残したハイボールのグラスが

ぬくもって不快な液体に変わる

彼女は昨夜

遅くにこの部屋を出ていった

振り返りもしないで

甲高いヒールの音だけが

アパートの階段に響いて消えた

忘れられないものをかかえて

人は生きる

千年も生きれば

忘れがたい追憶にも免疫ができるだろう

それでもやはり辛いのだ

あなたがいない部屋の空白が

 

生者必滅会者定離

生死のはざま

邂逅と訣別のはざま

台所のシンクには

あなたの使ったグラスが転がっている

シャワーを浴びて

一夜の疲労を洗い落とす

壊れやすい命が

巷にはあふれる

ありふれた喧嘩が

ありふれたものではなくなる

さびしいけれど仕方ないね

朝の光が部屋へ射し込む

きれいなものは

長持ちしない

かなしいものだけ

響きつづける

 

たとえ千年生きても

離れ離れになることの辛さは堪えがたい

終わった恋路に蓋をかぶせて

新しい方角に舳先を向けても

尽きることのない深い感情

ひび割れそうな孤独のなかで

私は私という生命を演じつづける

暗闇を手さぐりで進むように

優しい音楽に耳を傾けるように

私は私の空洞を生きていくだけだ

荒れ果てた大地に

月明かりが雨のように降りしきる

千年も生きれば

人肌を恋しく想う気持ちも磨滅していくけれど

それでもやはり時には淋しくなるのです

次々と私を通り過ぎていく女たちの

冷たい靴音が耳鳴りのように聞こえる夜には

詩作 「FATE」

声が聴こえない部屋で

黒い哀しみにおぼれていた

感傷は私たちの骨を着実に腐らせる

出逢うことと

別れることのあいだに

身を沈めて

私たちの生活は

冷たい波に洗われつづける

あなたの古い写真

まぶしく輝く初夏の風景

心変わりを思い返す痛み

せつなさ

運命の車輪が

空転する日曜日

 

定められた枠組みに

従いたいわけではない

それでも時には

思わずにはいられない

この関係には

運命の庇護がなかった

単なる一つの甘美な事故のように

伸ばした手と手が

絡まって

ほどけなくなっただけなのだと

ひさびさに開いた日記帳のなかに残る

失われた

たくさんの大切な想い出さえも

運命の庇護を持たない

孤独な二人の途切れそうな絆の痕跡のように

私の視界のなかで

青白くぼやけてしまいます

 

自転車のスポークを目で追うように

坂道をすすんでいく二人

風が吹けば

雨が降れば

雷が鳴れば

雪に閉ざされてしまえば

きっと二人は

つないだ手を放してしまう

きつく絡めた指先も

するりと抜けて遠ざかる

決して愛していなかったわけじゃない

だけど

その別離はきっと

出逢ったときからプログラムには書きこまれていたのだ

 

ここでいつか

さよならしましょうと

もしかしたら

生まれる前に

どこかで指切りしていたかもしれない二人

好きになって距離を縮めて触れ合って

ひとつになって

そして何かの拍子に

見えない分岐点を越えていたのだ

そこで別々の方角に足を向けてしまったのだ

あんなにも幸福だった日々が

夕立の景色のなかに霞んでいくように

その瞬間から

私たちは他人になった

神様の筋書きに基づいて

私たちは恋に落ちて

やがて別れた

だから哀しむことはないのです

永久に過ぎ去った後でも

幸福な記憶に偽りはないのですから

恨みも淋しさも

時間の流れのなかで静寂につつまれる

ここでいつか

さよならしましょう

だからそれまでは

本気で愛し愛されましょう

約束された別れは

愛することの障碍にはなりません

恋に落ちる急激な重力のはたらきに

抗う理由にはなりません

約束された別れまでの束の間を

はげしく求めあうことに費やして

ここにひとつ

終わった絆の墓碑が築かれる

死ぬことを約束されても

命が燃えて

きらめくように

いつか別れる定めであっても

あなたを想う

この感情は

マグネシウムのようにまばゆく

まっすぐに秋の夜空を飛翔していく

詩作 「SCORPIO」

毒針で刺すぞ

痛みは激しいぞ

動けなくなって

白骨になっちまうぞ

裏切りは許さないぞ

愛されるということは

感情の債務をしょいこむということだ

お前は俺に借りがあるはずだ

借りたものはかならず返せと

親や世間から習ったはずだよな?

 

お前のために俺は様々な犠牲を支払ってきた

経済的にも性的にも時間的にも

それなのにお前は別の男と仲良くやりたいというのか

他の男の腕に抱かれることで幸せになれるというのか

それは傲慢な考えだ

それは借金の踏み倒しだ

俺に債権を放棄するつもりはない

投資は回収されねばならない

どうしても払えないと強弁するならば

差し押さえもやむをえまい

他人に愛を注ぐひまがあったら

俺への債務を履行したらどうなんだ

愛のデフォルトは最低の行為だぞ

お前は背徳的な女だ

堅気のふりをした冷淡な娼婦だ

 

十一月に生まれた私の心は

醜い蠍の形をしていた

それがあなたを打ちのめし

引きずりまわし

徹底的に痛めつけた

それを理解するまで

時間が必要だった

私は思い返す

あのころの自分の病的な幼さを

そこから今も

ほんとうに逃れられたのか

絶えず問いかけなければならないほどの

根深い病巣を

 

愛することが歯車を狂わせる

絶対的な所有へのあこがれが

火箸のように背中をはげしく打つ

もう訳が分からなくなるんです

けっきょくのところ

自分が何を求めているのかさえ

「好き」という感情の定義さえ

なぜこの私を受け止めてくれないのですか?

縋るような問いにあなたが見せた

沈黙の意味も

今なら漸く

落ち着いて味わえるかもしれません

 

私の巨大な愛は

巨大な報酬を常に求めていた

その欲望の劇しさが

あなたを疲弊させたのだ

それは蠍の毒に似ていた

相手を動けなくさせる

歪んだ悪意に満ちていた

 

夜の砂漠で

私はかたいブーツの底で

逃げ回る蠍を一匹

踏み潰して殺した

蠍は静かにちぎれて果てた

私は私の闇をのぞいた

詩作 「INTIMACY」

部屋を選ぶ(画面だけでは差が分かりづらい)

値段を確かめる(休前日は値上がりする)

愛し合うために

長い夜の深みのなかで

互いの存在を確かめる

腕耳朶指先腋臍肌唇項涙髪性器陰毛

息苦しさも愛しさの一環だ

他の部屋でも同じ行為が営まれている

土曜日の深夜の駅前のホテルは

吐息で硝子が曇っている

 

街は寒々しい夜気に覆われている

じゃっかんのアルコールが

私たちの理性に

淀みをあたえる

体温は上がり続ける

サーモスタットが壊れているのか

灼熱の皮膚がこすれあって

つらいぐらいなのに

一線を越えるための

様々な手続きを踏んで

この夜の暗がりに

たどりついた

 

親密であること

あらゆる垣根から

自由であること

いかなる距離も埋めてしまいたくなること

人間であることの否定

主体性の解体

あなたを見つめるまなざしの

狂ったひたむきさ

そんな幻想が

いつまでも長続きするはずはない

誰もヒトとヒトとの間に築かれた壁を

突破することなんてできない

だけど或る刹那

熱望してしまうのだ

特にこんな渇いた夜更けには

あなたとのあいだに

一ミリの距離もありはしないと思いたいのだ

 

愛すること

それがなにを意味するのか

混乱して分からなくなることもある

親密であることへの

切ない欲望が

なぜ私の魂を揺さぶるのか

その理由がつかめないときもある

そしていつか

冷めるときが訪れて

私は立ち尽くす

それは一つの尊い目覚め

瞳を覆っていた艶めかしい薄絹が

とりはずされる瞬間

世界は風景を一変させる

甘い夢から解き放たれた

起き抜けの顔で

じぶんの居場所を手探りで確かめる

 

わかれの歌は無限に増える

わかれは私たちの魂に課せられた

深刻な法律だから

だれかがそれを歌うたびに

私たちは立ち止まって耳を澄ます

だれでも

その哀しみを知らぬ者はない

その胸を劈く痛みを

知らぬ者はない

街角で

帰りのホームで

自転車のうえで

不意に立ち止まって

耳をそばだてると聞こえる

だれかが今日も

辛い別れを

さけぶように歌っているのが聞こえる

みんな眼を閉じよう

そして

見知らぬ歌声に

しばし耳を傾けよう

叶わなかった愛の名残を

慈しむ魂の調べを

詩作 「公民の時間」

手を挙げる

性欲が高まる

教科書のページが風にめくれる

あなたの肩のフリルが

夏の光のなかで揺れる

私たちの知らない世界は

この道の先にたくさんある

手を伸ばす

呼吸が弾む

あなたの唇が

滑らかにひらかれる

濡れた音をたてて

 

さびしいから好きになるのか

好きになったから

さびしさが融けて消えたのか

要するに愛していたいだけで

それでも噛み合わないことが多すぎて

そのうち初心を忘れて(初心忘るるべからず)

なんのために一緒にいるのか

理由が見えなくなって

だから物語は俄かに終わる

描けなくなった筋書き

最終回の作られなかった連続ドラマ

 

ドイツ観念論ヘーゲルによって絶頂に達した

私はあなたの肉体の最も秘められた場所で

その温もりと潤みによって

絶頂に達した

白い液体があふれた

あなたの臍のくぼみに

それは溜まる

禿頭の哲学教授は分厚い書物をゆっくりとめくる

乾いた音をたてて

 

多感な時期という言葉

それが一生涯続けばいい

要するに一つになってしまいたいんだ

皮膚も骨格もこえて

混じり合って

いつも手をつないで

そんなの叶わぬ夢だと社会は嗤う

人生に通暁したような顔をして嗤う

人間と人間の壁をこえることは

不可能な挑戦だと

私は

聴こえないふりで

やりすごす

カーステレオから流れる感傷的な歌声

真昼の浜辺に

突き刺さる一本の古びた杭

倫理の教科書をめくる指先

あなたの名前をさがす午後の授業

詩作 「SOMEWHERE」

始まりはただ

秋の平凡な一日で

夕映えは

ふだんと変わらぬ壮麗な茜色

坂道をくだる自転車の軋みが

二人の時間の

伴奏でした

あのころ

いわゆる青春と呼ばれる時代を過ぎたあとでも

働くことが日常のまんなかを貫くようになったあとでも

私たちはきっと

自由な世界に憧れていた

 

苦い煙を吸ったり吐いたり

夜の二十三時に待ち合わせてみたり

情熱をなによりも重んじてみたり

不自由な日常の狡猾な罠から

いつも逃れたがっていた気短な二人

 

台風がくればいい

大きな暴風雨が

私たちをつなぐ諸々の留め金を

ふきとばしてくれたなら

下らないけど笑いとばせない

様々なシガラミを叩き潰してくれたなら

ときどき思います

台風のニュースが流れる

たとえば休憩室の無責任な雑談のなかで

そのニュースに接する

トタンを叩く重い雨音

少し眠そうな

あなたの横顔

汗で薄まるチーク

昨夜あれから一睡もできなかったの

台風がうるさくて雷も鳴るから

私たちは少しずつ混ざり始めている

恋することは

自分を失うことに似ている

あなたの笑顔が

私の笑顔と重なり合う

不思議な仕方で

 

別れの電話を切ったあとで

私はカレンダーを眺める

おおむね十カ月ほどの蜜月が

私の人格に様々な影響を及ぼした

その影響は

これから汐がひくように消えていくだろう

平凡な晩夏の一日に

あなたは私を捨てて別の扉を開けた

合鍵をつくることは

私には許されていなかったので

ただ黙って見送るしかなかった

晩夏

私はひとりの愛する女を永遠に失った

詩作 「そしてまた春が訪れる」

凍りつくような冬の風が

寝静まった車道を走りぬける

終わってしまった関係を

いつまでも語り続けるのは愚かだと

酔った友人はグラス片手に諭す

終わりとは何か

始まりとは何か

永遠とは何か

壊れやすいこころで

生きていくためには何が必要か

 

春が来るまで

翼は畳まれたまま

消えてしまった笑顔と

私との間に築かれていた幸福なつながり

忘れてしまえるなら

魂の裂け目にナイフをいれて

痛みを呼吸に変えて

呼ばれない名前

鳴らない電話

夜の底で

ピアノが哀切な旋律を奏でる

終わってしまったものに

いつまでもこころを縛られないで

 

柔らかく笑って

凩のなかで揺れていた

あなたの後ろ髪

束ねられた

繊細な想い出

ときおり怖くなるね

人を愛することが報われない苦しみを指差すのなら

だけど私は離れられない

誰かを愛しく想いうかべる歓びから

 

冬は深まり

限界を突き抜けて

そしてまた

春が訪れるのでしょう

こころない言葉で

抉られた傷口にも

一すじの陽光が射すのでしょう

啀み合うことが日課であるような

歳月から遠ざかり

冷え切ったカラダにも

血の通う音が聴こえ始める

脈々と流れる感情の歌が

いのちの

叫びが

 

地球上に存在する無数の恋人たちの群像

まるで細胞の盛んな増殖のように

広がり続ける愛しさの輪廻

やがて私たちは長引いていく関係の狭間で

愛することの意味や理由を見失う

忘れっぽい生き物だから

私たちは

尊い絆にさえ冷たい視線を

ときおり投げかけて恥じないのだ

ココロとココロのつながりは常にもろい

互いのココロしか

頼るものを持たない危ういつながりを

私たちのなかの怠慢がときおり

どうしようもなく傷つけてしまう

すべてが過ぎ去ったあとで

ようやく自分たちの愚かさに気づく

得難い想いを置き忘れた列車の網棚

遠ざかる車両を

呼び止める力は

あたえられていないのに

 

まるでひとつの人身事故のように

互いのココロが不意にぶつかって

私たちは恋に落ちた

唇と唇が

不思議な因果で触れ合ったために

二人のココロは

糊付けされたように離れなくなった

ココロの愛しさを

カラダで伝え合いながら過ごす歳月

冬が終わり春が来て夏になり秋が始まる

もう一度

あの日の記憶を指先で確かめても

解読のむずかしい暗号だけが

私の視界で明滅する

 

そしてまた

春が訪れるのでしょう

あらゆる困難や

やっかいな問題を押し流すように

柔らかい桜色の陽射しが

静かな街並に彩りを与えるのでしょう

見慣れた電車に乗り換えて

あなたの住む町へ行きたいけれど

自動改札は私の通行を倫理的に阻むのです

後ろ髪をひかれてはならないと駅員がたしなめる

あなたの定期券は有効期限切れです

更新は認められません

穏やかな顔の駅員に行く手を遮られて

私は深呼吸する

感情の水面をなめらかに整えてみる

おおきな喪失の哀しみ

あなたの住む町へ

行くことはもうない

やがて春が過ぎ去るころには

私の住む町を

夏の鮮やかな光が覆っているだろう