サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

ニヒリズムの多様な範型 三島由紀夫「鏡子の家」 1

 三島由紀夫の『鏡子の家』(新潮文庫)を読了したので、感想を書き留めておく。

 三島が数多く遺した長篇小説の内でも大部の範疇に属する「鏡子の家」は、同時代の批評家や読者から冷遇された失敗作として語られることが多い。けれども、私自身の感想としては、この作品は聊かも価値の低いものではない。「金閣寺」の緊密な構成と精錬された観念的な告白体の魔術的な魅力に感服した人々にとって、確かに「鏡子の家」は、余り流麗とは言い難い文体によって綴られ、挿話の並列的な構成によって構築された、冗長な小説であるように感じられるかも知れない。だが、例えば「永すぎた春」のように軽妙洒脱な小品の娯楽的感興や、或いは抑制された澄明で理智的な筆致で綴られた「美徳のよろめき」の典雅な愛慾の手触りに魅せられたからと言って、同様の品揃えを執拗に作者へ強請るのは読者の我儘というものである。恐らく「鏡子の家」は、作者の従前の文業と、彼自身の実存の内部に埋め込まれた重要な主題の悉くを一挙に詰め込んで煮立てた複雑な大作であり、そもそも万人の気軽な嗜好に適合するようには仕立てられていない。読者や批評家の眼に「鏡子の家」が退屈な失敗作に過ぎないと思われても、作者自身にとっては「鏡子の家」という奇怪な長篇を書き綴ることは避けて通れぬ重要な文学的課題であったに違いない。生きることと書くこととの間に不可分の癒着した関係性が備わっている本物の作家であった三島由紀夫にとっては、時に評家や愛読者の審美眼に叛いてでも、己の人生にとって必要不可欠な主題に作品の執筆を通じて全身全霊の力で取り組むことは断じて回避することの出来ない道筋であった筈だ。彼が若しも単なる娯楽的な商品を製造して生計を立てることだけに意を尽くす人々の仲間であれば、こんな個人的で独善的な、錯雑した告白のアマルガムを、態々印刷して巷間に頒布しようとは無論考えなかっただろう。

 「鏡子の家」には、過去に三島が試みてきた多様な文学的企図の範型が悉く詰め込まれている。彼が四人の青年を造形し、鏡子という女性をいわば蝶番のように配置して、目紛しく舞台を入れ替えながら銘々の物語を構築していく形式を選択したのは、過去に生み出され、挑戦された多様な範型を一斉に羅列して、総決算を図ろうと考えた為であろう。彼は過去の自分が世間に向かって提示してきた文学的範型を改めて点検し、その原理的な可能性を丁寧に敷衍して、そこからの根源的な脱却へ舵を切ろうとしたのではないか。

 三島由紀夫が「鏡子の家」において取り組もうとした主題は「ニヒリズム」である。そのことは、作者自身が明言している。

 「鏡子の家」は、いわば私の「ニヒリズム研究」だ。ニヒリズムという精神状況は、本質的にエモーショナルなものを含んでいるから、学者の理論的探究よりも、小説家の小説による研究に適している。

 登場人物は各自の個性や職業や性的偏向の命ずるままに、それぞれの方向へ向って走り出すが、結局すべての迂路はニヒリズムへ還流し、各人が相補って、最初に清一郎の提出したニヒリズムの見取図を完成にみちびく。それが最初に私の考えたプランである。しかし出来上った作品はそれほど絶望的ではなく、ごく細い一縷の光りが、最後に天窓から射し入ってくる。(「裸体と衣裳」『三島由紀夫文学論集Ⅱ』講談社文芸文庫 p.202)

 ニヒリズムの厳密に学術的な定義に就いては、生憎私は無智であるが、大雑把に言えば「意味の否定」という言葉に集約されるだろう。如何なる意味も価値も表層的で幻想的な仮象に過ぎず、生きることの目的を設定してみたところで、それは恣意的な信仰の対象以上の地位を獲得することは出来ない。生きることに最終的な目的や理念を期待するのは無益な徒労に過ぎない。こうした虚無的な心情や感覚を、私は便宜的に「ニヒリズム」という大仰な単語で指し示したいと思う。

 ニヒリズムの観点から眺めれば、私たちの日常生活を覆う単調で反復的な秩序は、極めて不幸で陰惨な労役、如何なる報酬とも解放とも無縁の苛立たしい労役に他ならない。私たちは束の間の夢や希望や野心を掲げ、退屈な雑役にも明るい未来の幸福に資する固有の役割を認めることで、己の奴隷的な忍耐力に磨きを掛けるのだが、一旦膨れ上がったニヒリズムの波濤は、そうした健気な心得を一挙に押し流してしまう野蛮な暴力性を備えている。どんな夢想も翹望も、それを衷心より信じることが出来なければ単なる屑鉄ほどの価値も持ち得ない。そうした論理を極端に推し進めていけば、否が応でも「生存の無意味」という非情な現実に直面せざるを得ない。宗教的な物語、道徳的な物語、世俗的で功利的な物語の仮面を剥ぎ取ってしまえば、現実は如何なる人間的な「意味」とも無関係に、茫漠たる無機的な存在として、私たちの鼻先に顕現する。慌てて急拵えの「価値」を、華美な衣裳の如く「無意味」の輪郭へ纏わせたとしても、己自身の心情を説得出来なければ、そんな脆弱な偽装は直ぐに潰えて霧散してしまう。

 こうしたニヒリズムの度し難い病理的性質が、人間の精神から生きることへの積極的で倫理的な意欲を剥奪することは言うまでもない。あらゆる現実が意味も価値も有さないのであれば、私たちの生活と行動を縛っている一切の規矩は、その権威と拘束力を失ってしまう。如何なる意味も存在しない世界では、私たちの言動は常に任意の選択肢であることを強いられ、従ってその選択肢の価値を支える絶対的で根源的な天蓋への依存を期待することは不可能である。

 三島由紀夫という作家は、そうしたニヒリズムに対する真剣な憎悪を絶えず懐き続けた人物ではないかと、私は考えている。彼のドラマティックでロマネスクな事件に対する嗜好、潰滅的な破局への憧憬は、ニヒリズムに対する否定的な意志の所産であるように感じられる。ニヒリズムは、生きることの意味を根源的に否定する。換言すればニヒリズムは、生きることと死ぬこととの間に引かれている重要な境界線の効力を否認する。三島由紀夫の生涯において特徴的であったのは、退屈で反復的な日常生活に対する嫌悪から、ドラマティックで英雄的な死への欲望が喚起される点である。彼は平穏無事な日常性に含まれている倦怠と社会的な制約を根源的に嫌悪していた。彼の欲望は、そうした実存の堪え難い永遠性を叩き壊すことに向かって結わえ付けられていたのである。単調な生死の輪廻、類的な生滅の果てしない繰り返し、そうしたイメージは三島にとって絶望に値する悲惨な幻想であったに違いない。それならば寧ろ、陰惨な情死や忠烈な殉死、痛ましい夭逝のイメージの方が、天上的な輝きに満ちた「福音」に相応しい。少なくとも、それらの悲惨な死の形態には、倦怠と老醜に彩られた無味乾燥な生活を圧倒する目映い栄光が附随している。三島的な世界においては、栄光に満ちた死は無惨な長生よりも遥かに価値が高いのである。

 この世界に超越的な意味や価値を期待することは馬鹿げている。こうしたニヒリズムを踏まえた上で、彼はその無意味な空虚を破壊しようと試みる。ニヒリスティックな認識に抗って、生きることに特権的な輝きを賦与する為に、英雄的な死、華々しい滅亡というイメージを活用すること、それが三島の終始一貫して掲げ続けた審美的な倫理学の要諦である。

鏡子の家 (新潮文庫)

鏡子の家 (新潮文庫)

 

無害で安全な幸福

 無害で安全な幸福という言い方には明らかに批判的な意識が反響して聞こえるだろう。私自身、無害で安全な幸福に憧れを持たない訳ではないし、傍目には、今の私の生活自体が、無害で安全な幸福の典型のように映じるかも知れない。

 けれども、無害で安全な幸福だけが人生の理想的な形態であると短絡的に断じる気分にはなれない。無害で、清潔で、安全で、完璧に制御された幸福な人生。研究室で培養された無菌の人生。人間というのは実に厄介な生き物だ。不幸であるときは我が身の不遇を呪い、他人の幸福を妬むくせに、いざ幸福に首まで浸ってしまえば、幸福の単調な音律に不満を述べ立てるのだから。

 安全で後悔のない選択肢ばかりを買い漁る卑しさ、それは生きることの本質的な危険性に対する黙殺の所産である。苦しみや不幸は一糸たりとも不要であると言い張る、精神的な吝嗇。掠り傷にさえ怯え、慌てて軟膏を塗りたくる過剰な健康主義。だが、傷を負うことは罪悪であろうか? あらゆる疾病は不本意な悲劇であろうか? 苦しむことは時間の空費なのか? 我々は殺菌された単純な快楽だけを貪る為に生まれてきた、怠惰な家畜なのか?

 何も私は過激なラディカリズムを信奉したいのではない。三島由紀夫の作品ばかり立て続けに読んで、その破滅的なニヒリズムの感性に蝕まれたのでもない。世の中の道徳は、健全な幸福と正統な愛の素晴らしさばかりを憑かれたように称揚する。そういう一面的な思想が嫌いだ。有り触れた、卑俗で健康的な価値観ばかりが蔓延するのは願い下げだ。私たちには創傷を負う権利があり、泥濘に埋もれて悪足掻きを演じる資格がある。それは幸福を希求する気持ちと別に矛盾しない。重要なのは、多面的な存在であることだ。或る一つの単純な理念の下に、総てを整序してしまわないことだ。人間の内部には光と闇が同居している。光だけを見凝めようと試みれば、きっと私たちは何も見ることの出来ない動物に成り下がるだろう。

 無害で安全な幸福、煎じ詰めればそれが人間社会の究極的な目標であり、崇高な理念であると言えるかも知れない。けれども、それは北極星のように手の届かない場所に飾られて輝くことに本来の価値がある。それは確かに私たちの生活を導く重要な指標として働くが、北極星以外に如何なる価値も認めないのは余りに偏狭で貧相な考え方である。正しい愛、健全な幸福、誰もが認める瑕疵のない清廉な人生。それだけが美しく素晴らしいと信じて疑わないのは、人生の複雑な諸相に眼を瞑ることに過ぎない。その無垢な盲目が、人間の理想的な姿であると断定して迷いもしないのは、その人間の精神的な未熟を意味している。

 正しさだけを選ぶ清廉な生き方を、誰が貫徹出来るだろう。如何なる闇も忍び込まない完璧な心など、地上の世界に存在する筈がない。人間はそのように創られていない。闇を知らずに、闇から眼を背けて、事物の明るい側面だけを眺めて生きようという賢しらな世間知、行儀の良い道徳的な姿勢が、私は嫌いである。

 私は無自覚な偽善が嫌いである。精緻に計算され、狡猾に統御された偽善は好きである。偽善であることを承知で、巧みに仮面を被り、衣裳を取り換えるのは背徳ではなく、寧ろ創造的な美徳ではないか。事物の明るい側面だけに眼差しを据えて生きようとするのは、換言すれば、事物の深層から絶えず眼を逸らすということであり、自らの思索を枯死させる行為に他ならない。自分に都合の良い事柄だけを認識して、その他の事柄に就いては意図的な無智を貫き通す、極度に防衛的な姿勢。

 私は、無垢で他人を信じ易い性格の人間を見ると不安を覚える。言い換えれば、私は無垢なものが嫌いなのだ。純潔な処女性、それを過剰に有難がる人々の気持が、私には到底理解出来ない。確かに無垢なものは美しい。しかし、その美しさは余りに脆弱で、免疫が弱過ぎる。地上の苦しみを潜り抜け、鍛え抜かれた堅固な美しさではない。清濁を超越した場所に樹立された美しさではないのだ。人間は、清らかなものだけを信じて生きていくことは出来ない。底知れぬ闇の忌まわしさから、顔を背けてはならない。

Cahier(酷暑・京都・夏の光り・サカナクション)

*酷暑が続いている。茹だるような暑さという表現の相応しい日々が、人の生命さえも奪っている。娘は体温が上がると蕁麻疹が出る。汗疹も出るので、二重の苦しみだ。止むを得ず家ではずっと冷房を利かせている。機嫌の悪い娘を見るのは辛いのだ。

 八月の盆休み明けに、会社の選抜研修で京都へ行くことになった。生憎、日帰りの強行軍だが、それでも私は京都に起源の不明な愛着を持っているので素直に嬉しい。しかも、旅費は会社の金で賄われる。研修であるから賃金も発生する。思わぬ成り行きで京都の土を踏めることになったのだから、私は幸せ者だ。

 八月の夥しい夏の光りのイメージ、そこから私は三島由紀夫の文章を想い出す。

 敗戦は私にとっては、こうした絶望の体験に他ならなかった。今も私の前には、八月十五日の焔のような夏の光りが見える。すべての価値が崩壊したと人は言うが、私の内にはその逆に、永遠が目ざめ、蘇り、その権利を主張した。金閣がそこに未来永劫存在するということを語っている永遠。(三島由紀夫金閣寺新潮文庫 pp.81-82)

 二十代の後半、私は三年続けて夏の京都へ旅行に出掛けた。元々は大阪府の北辺の生まれなので、学校の遠足や社会科見学で京都の市街を訪ねる機会も多かった。友人と四条河原町へ映画を観に行ったこともあった。盆地ゆえの京都の酷暑は広く知られている。日盛りの夏の京都を歩くのは苦行そのものである。それでも私は、あの噎せ返るような夏の暑さに破滅的な憧れを懐く。古びた地名に、夥しい寺社仏閣に、規則正しく引かれた道路の歴史的な秩序に、数多の観光客の好奇心に常時晒され続けて、すっかり仮面と本音の使い分けに熟達してしまった、高級で老獪な娼婦のような性質に惹かれる。

*この記事を書いているパソコンからは、サカナクションの「多分、風。」という楽曲が流れている。サカナクションの音楽にはいつも、近未来的な不安の感覚が鏤められていて、それが私の心臓を揺さ振り、名状し難い感情を浮き上がらせ、煽動する。この奇妙な感覚の正体を明晰な言葉で名指すことは難しい。単純なダンスミュージックではなく、宗教的な朗誦のような、不可解な祈りの情熱を含んだような、それでいて澄明な音楽。歌詞は明確な感情や情景を描写する為に用いられる訳ではなく、ひらひらと揺れる花弁のように極限まで軽く削がれ、千切れた金箔のように、祈りの表層を覆っている。それは薄片の表皮、虚無的な音の連なりの輪郭に被せられた精妙な箔押しの言葉たちだ。言葉は明瞭な意味に縛られず、明確な感情の告白にも結び付かず、曖昧な何かを表示している。論理的な根拠は生憎示せないが、サカナクションの音楽は全体的に「祈祷」や「真言」に似ている。

Cahier(夏季休暇・東北・疲労の価値)

*月末に連休を取って家族旅行へ出掛けることにした。行き先は盛岡と小岩井農場である。昨年の夏は生まれて初めて仙台と松島を周遊した。二歳の娘を連れているので、行き先の選定には頭を抱えることが多い。自然に触れさせてやりたいと思うものの、本当の大自然へ連れて行くには幼過ぎる。十中八九、疲れて直ぐに抱っこをせがむだろう。整備されていない大自然の中を、二歳児を抱えて夏空の下、延々と歩くのは緩慢な自殺以外の何物でもない。

 妻の両親は青森の人で、私の両親は父が広島、母が山口である。私自身、大阪府の北辺に生まれ育った人間で、西日本の方面には漠然たる親しみを覚えるが、東北はその過半が今も未踏の地である。交通の利便に優れた仙台でさえ、三十を過ぎて初めて訪れたのだ。岩手県盛岡市は本州の中で最も涼しい都市の一つであるらしく、避暑という観点から眺めれば好適の土地柄であろう。日常の労苦を束の間忘れて、見知らぬ異郷の時間に埋もれてみたい。

*私は坂口安吾という作家が好きで、その主要な随筆は概ね読んでいるが、小説の方は「白痴」や「風博士」くらいしか知らず、傑作として名高い「桜の森の満開の下」も「夜長姫と耳男」も未読のまま過ごしている。いずれ本腰を入れて、その厖大な作品の深みに分け入りたいと考えているが、三島由紀夫の主要な長篇の通読という計画が未だ完了していないので、暫く夢想は塩漬けの状態が続くだろう。

 坂口安吾の生まれ育った新潟も、私の数多い未踏の地の一つである。死ぬまでに一度訪れてみたいと思っている。新潟の風土を感じることは、坂口安吾の文業をもっと深く理解する為の一助となるのではないかと期待している。尤も、新潟の風土から、坂口安吾という独創的で破天荒な個性を演繹することは出来ないだろう。

*直属の部下である女性社員が、自らの結婚式を挙げる為に連休を取得していた都合で、木曜日からずっと勤務が続いている。同じタイミングで娘がアデノウイルスに罹患し、遅番の日も朝から面倒を見る日が続いたので、寝不足が昂じて余計に疲労が溜まった。明日、東京支社で行われる会議を終えれば、久方振りの休日を迎える。生まれて初めて祝電というものを送った。無事に届いたか心配していたが、律儀に御礼のメールが送られて来たので、虚空に漂わずに済んだようだ。

 朝から晩までの勤務が続くと、疲労は募って日々を乗り切ることだけで精一杯になるが、峠を越えた後の束の間の安らぎには独特の味わいが含まれている。現代的な価値観に基づけば、疲労というものは撃退すべき罪障の代表に過ぎないが、言い換えれば、疲労とは熱心で旺盛な生活の証明でもあるのだ。昔、部下の社員が誰かを叱責するときに「疲れない仕事なんて仕事じゃない」という趣旨の言葉を使っていて、その厳格な意識に感心した覚えがある。尤も、自殺者が毎年三万人を越え、種々のハラスメントや過重労働が社会的な課題として論じられている昨今の日本で、そのような発言を不用意に行なえば、様々な批判を浴びるかも知れない。だが、疲労を一義的に忌避すべき不本意な状態のように看做して、そうした価値観を固定化するのは余り賢明でも建設的でもない。「心地良い疲労」というものの成熟した味わいと魅力は、そう簡単には色褪せないし、そもそも決して人間の心身に否定的な影響を及ぼすものではない。一生懸命何かに従事したという感覚は、人間の精神に動物的な健康を恩寵の如く齎す。疲労しないことを目的に据えた人生は、根本的な誤謬に塗れているように思われる。

Cahier(禍福・艱難・生きる歓び)

*生きていれば嫌なことも億劫なこともあるもので、同じように愉しいことも幾らでもある。その狭間でシーソーのように揺れ動くのが生きることの基本的な光景だろう。これと決めた道程を真直ぐに歩んで、疑いも何も持たずにいられたら、それはとても安逸で幸福なことだと思う。けれども、世の中はそんなに単純に出来ていないし、人間の心はとても可塑的で柔らかい。僅かな衝撃、僅かな圧力で直ぐに歪んで、重大な型崩れを起こしてしまう。

 愉しいことばかりで形作られた人生を誰もが希う。けれども、それが人生の本当の味わいと等号で結ばれているとは言い切れない。かつて坂口安吾は「苦しむこと」に人生の本領があり、人間の尊厳があると書き遺した。確か車谷長吉も似たようなことを、何処かに書いていたように記憶している(新聞の身の上相談の欄であった気がする)。

 苦しむことが総てであるとは言わないが、辛酸を嘗めることで人生の本質的な光景を瞥見し得るというのは事実かも知れない。少なくとも艱難辛苦は、人間の精神から余分な幻想、虚しい幻想を削ぎ落とす効能を持っている。苦しみを味わった後で、世界は相貌を革める。今まで理解し得なかった幸福に気付くこともある。痛みを通じて学ぶことは数多い。安楽だけを選んで歩くのは、長い眼で見れば不幸なことなのかも知れないのだ。それは人生の本質的な側面からの逃避であり、いわば砂糖菓子ばかりを好んで、薬味も香味も知らずに死ぬようなものである。人生を丸ごと味わう為には、幸福だけを希求する訳にはいかない。灼熱の地獄の上にも、稀な味覚が存在している。幸福だけを望むのは幼児の嗜好であり、不幸の味を知ることは、例えばコーヒーの苦みに美味しさを見出すようなものだ。その意味では、不幸な境涯に陥ったとしても、それゆえに他人を羨んだり、自身を嘆いたりする必要は少しもない。清廉潔白、品行方正は紛れもない美徳だが、正しいものだけを選んで生きようと試みるのは退屈であり、同時に驕慢である。過失と錯誤の中にも、人生の重要な側面は埋め込まれている。生きることは、安楽のみに恋い焦がれることではない。如何なる苛酷な現実にも眼を凝らしてみせる覚悟だけが、人間を後悔と無縁の境遇へ導いてくれるのである。

Cahier(退院・新婚・nihilism)

*昨日、母親から、鬱血性心不全の為に入院していた父親が無事に退院することに決まったと報せてきた。早ければ一週間、長ければ三週間という事前の見立てであったから、比較的症状は軽微で済んだものと思われる。母親はメールの文末に、此れからは自己管理に確り励んでもらうと書いて寄越した。

 自己管理に精励することは無論、重要な医学的心得であろうが、それ以上に、老齢という現象そのものの意味を、当人も息子である私も冷静に考慮しなければならない時期に差し掛かったと看做すべきであろう。誰しも、無限に若く健康でいられるものではない。生命に死という期限が区切られるのは、現世を縛る鋼鉄の掟である。

 本来ならば直ぐに快気祝いでも携えて顔を見に行くべきなのだろうが、目下、二歳の娘がアデノウイルスに侵入されて高熱に苦しんでおり、外出も儘ならないので先送りしている。病み上がりの人間を見舞うのに、熱病の子供を伴うのは衛生的な配慮としても支障があろう。身内の病は、歯痛のように絶えず意識の片隅で疼くものである。早く娘には健康を恢復してもらいたい。あの驚嘆すべき獰猛な食欲を、一刻も早く甦らせてもらいたい。

*直属の部下である女性社員が、金曜日に北海道で華燭の典を催す予定である。生まれて初めて祝電なるものを打ち、それが無事に先方へ届くかどうか、少し気を揉んでいる。確か二十四歳なので、適齢期と言えば適齢期であろうが、昨今の平均値を考えると聊か早婚の部類に属するかも知れない。

 個人の自由を重んじる思想が社会に深く浸透すればするほど、結婚に対する欲望は薄れるのが自然な現象であろう。そもそも結婚というのは、労働と同じく社会的な責務であって、それを端的に欲望の対象と称するのが適切な姿勢であるかどうかは心許ない。恋愛と結婚を等号で結ぶのは現代的な宿痾であるが、両者は本来、相互に異質な事象である。結婚を個人的な愉楽のように看做すのは危険な謬見であり、そういう生半可な覚悟で結婚へ踏み切れば、特に若いうちは幻滅の痛苦に悩まされるだろう。

 尤も、彼女は年齢に似合わず確りした女性であるから、そんなことは知悉した上で決断を下したのだろう。私はただ祝福するばかりであり、尚且つ祝電が無事に式場へ届くことを祈るばかりである。

*引き続き、蝸牛のような速度で三島由紀夫の「鏡子の家」(新潮文庫)を読んでいる。入れ代わり立ち代わり登場する四人の青年の人物像は、過去の三島作品に登場した重要なキャラクターの造形を引き継いでいるように見える。銘々に託された思想の性質は互いに異なっているが、その根底に伏流するニヒリズムの重要性は共通している。尤も、ニヒリズムという言葉を安直に用いたところで、我々の視野が拓けることはない。虚無と一口に言っても、その含意の射程は幅広く、曖昧な多義性に染められている。

 ニヒリズムの重要な機能は、対象の確実な滅亡を予期することで、対象の担っている様々な意味や価値を予め殲滅してしまう点に存する。あらゆる事物から、意味や価値といった社会的な観念を剥ぎ取ってしまうニヒリズムの暴力性は、三島の文業を顧慮する上で、看過し難い重大な地位を与えられている。

 三島はニヒリズムが選び得る多様な形態を次々と自らの作品の中枢に象嵌した。同時に彼は、ニヒリズムを超克する為の具体的な方法を絶えず模索していたように思われる。鏡と他人の眼差しを通じて自己の実在を確認する「禁色」の南悠一や、あらゆる感性的な現実を褪色させる絶対的なイデアへの抵抗を試みた「金閣寺」の溝口は、そうした作者の内在的な実験の、好個の事例である。「鏡子の家」は、そうしたニヒリズムとの格闘の軌跡の、目紛しい見本市のような性質を帯びている。

鏡子の家 (新潮文庫)

鏡子の家 (新潮文庫)

 

Cahier(老父・入院・寂寥)

*先日、勤務中に母親からメールが届いた。父親が鬱血性心不全という診断を受けて、松戸市内の総合病院に緊急入院したという報せである。慢性的な高血圧を抱えて、以前から服薬の習慣は持っていたものの、私の知る限り大病とは無縁の生活を送っていた父親が俄かに病院へ担ぎ込まれたと聞いて、聊か動揺した。だが、基本的に冷静な性格ゆえに、動揺は直ぐに収まった。電話で経緯を確かめ、幸いにして翌日が公休であったので、妻を伴い見舞いへ出掛けた。父親は元気そうに見えたが、鼻腔に管を繋いで、点滴の袋を吊るした可動式の脚立のようなもの(ネットで調べたら「点滴スタンド」という用語が検索に掛かった)を召使のように侍らせている。風体は絵に描いたような病人のそれである。

 私の父母は六十代の後半である。二人とも健康で、悠々自適の日々を過ごしているが、老病の接近には何れ抗えまい。父母の老衰と死を予期しなければならない年代に自分が差し掛かったということが、何とも奇怪な感覚を伴って脳裡を領した。長男である私を産んだとき、母は三十六歳であった。当時は固より、今も高齢出産の部類に計えられる年齢であろう。遅めの息子であるから、父母の老化は同世代の人々よりも幾らか早めに訪れる計算である。何れは喪主という重責も担わねばならない。幸い、孫の顔は既に見せてある。最低限の親孝行は果たしてあると言えるだろうか。

 三十二歳になった今も、精神的には十代の少年期の残滓を未だに濃厚に引き摺っているような気がしている。私は二十歳の時に前妻との間に長男を儲けたから、彼是十年以上は人の親という肩書を僭越にも担っている訳だが、一向に成熟と良識は手の届かない虚空に置かれているように思えてならない。こんなのは甘えた戯言に過ぎないが、大人とは何かという定義を下すことと、自ら大人になることとの間には懸隔がある。義務と責任を抱え込んで苦しい息を吐きながら、文句も言わずに黙って歩み続けるのが大人の理想的な態度であるならば、私は未だ幼児の延長に過ぎないだろう。人並みの苦労は経験してきた積りだが、苦労しただけで人間の器量が磨かれるとは限らない。単に歪んで腐ってしまうだけという虞も根強い。

 父親の唐突な入院を契機に、母親は今後の独居の可能性を想い描いて不穏な動揺に駆られている様子であった。三十年以上連れ添っても、夫婦が同時に死ぬことは稀であるから、何れにせよ独り身の寂寞は避け難い。職場に老後の孤独を懼れて結婚に憧れている女の子がいるが、その意味では、結婚は必ずしも孤独を排斥しないのである。生まれるときも死ぬときも、煎じ詰めれば人間は常に孤独な存在であると喝破する言葉が、巷間では大して珍しくもない観念として流通している。しかし、その意味を生々しい実感として味わう機会は多くない。子供のうちは親がいて、長ずれば友人や恋人が出来る。結婚すれば子供も生まれるだろう。職場の上司、同僚、部下とも場合によっては深く関わるだろう。そうやって社会的な関係の錯雑した網目に絡まりながら生きている間は、人間の本質的な孤独に開眼する遑もない。孤独よりも他人との繋がりの方が遥かに色濃く双眸に映じる。遽しく生きている間は、他人との関わりが煩わしく面倒なものに感じられることも多いだろう。あらゆる喧嘩は、他者との関わりの深さが原因である。けれども、俗塵に塗れているうちから厭世的な気分に陥って他者を排斥するのは勿体ない。何れ孤独は己を呑み尽くす。態々好んで孤独を求める必要はない。