サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

サラダ坊主風土記 「盛岡・小岩井」 其の二

 岩手銀行の旧本店は、中津川に架かる中の橋の畔にあり、盛岡城跡公園の対角に位置している。それほど巨大な建物ではない。東京駅の丸の内を連想させる赤煉瓦の造作である。

 路上の劇しい暑さから逃れるように、我々は薄暗い館内へ入り、入場券を買い求めた。玄関の脇にベビーカーを預け、古色蒼然たる床板を順路に即して踏み締める。昔日を偲ばせる資料が各室に置かれ、例えば「現金係客溜」といった用語が、如何にもロマンティックな感慨を仄かに漂わせている。尤も、二歳の娘は木製の階段を昇降することにしか歓びを見出さず、早々に退屈して喚き始めた。

 再び日照りの街衢へ吐き出され、今度は紺屋町の界隈へ舳先を転じた。ガイドブックに載っていた「クラムボン」という小さな喫茶店で涼もうと考えたのだが生憎、日曜定休であった。そのまま紺屋町番屋の傍らを過ぎて突き当たりを左折し、上ノ橋を渡って本町通を進んでいく。途中で空調の利いたコンビニへ入って暫しの休息を得る。冷たいコーヒーを繰り返し飲んで、煮え滾る体内を少しでも鎮めようと試みる。

 岩手医科大学附属病院盛岡地方裁判所の立派な建物を横目に、中央通へ出て駅の方角に向かう。銀行や保険会社のビルが目立つ界隈である。中央通一丁目の交差点を左に折れて、名物のじゃじゃ麺を昼餉に食すべく「香醤」という店へ赴いたが、ここも定休日であった。止むを得ず盛岡駅の「フェザン」という駅ビルに入っている店でじゃじゃ麺を食べようということで方針が定まり、舗道をアーケードで覆われた大通商店街を、城跡公園とは反対の方角に向かって歩いていく。酷暑に堪えながら、汗をだらだらと垂れ流して、北上川に架かる開運橋を渡り、地下道の薄闇へ降りる。エレベーターで見知らぬ老年の男性に声を掛けられ、子供を四人くらい作れと笑顔で言われる。御本人は九十六歳と称しておられた。とてもそんな年齢には見えない矍鑠たる足取りである。

 地下道と駅ビルはエレベーターの所在が把握し辛く、何度も往復した揚句に、地階の狭苦しいじゃじゃ麺の店へ入った。私は中盛りのじゃじゃ麺と叉焼ご飯のセットを頼んだ。卓上には生姜や辣油や醤油や大蒜など、様々な調味料が置かれて、浅い銀色のボウルに生卵が四つほど盛られている。濃厚な肉味噌と細切りの胡瓜が、柔らかい饂飩の上にたっぷり載っている。食後には、空の器に卵を溶いて、饂飩の茹で汁を注いでもらう。これを「ちーたんたん(鶏蛋湯)」と称するらしい。蕎麦湯のようなものである。スープの味が薄いので、肉味噌などを好みで足して味を調える。

 食後は再び地下道を歩いて、旭橋の方へ向かった。驟雨が街路を濡らし、大きなビルの入口で暫し雨宿りをした。蒸し暑く、娘の機嫌が頗る悪い。晴れ間が見えて雨が止んだので、道路を渡って材木町の方面へ足を延ばす。通りに面して、宮澤賢治の「注文の多い料理店」の初版を刊行した「光原社」という会社があり、今は雑貨を商ったり珈琲を飲ませたりする事業を営んでいるのである。敷地の中は石畳に覆われた閑雅な風景で、娘は早速水盤に小さな手を差し入れて躁ぎ出した。「可否館」と称する喫茶店に入りたかったのだが、店内は狭く、騒ぎ立てる娘を連れ込むのも気が退けて諦めた。

 材木町の辺りは丁度「酒買地蔵尊」という神様の祭礼に当たっていて、路傍には幟が列なり、着飾った踊り子の群れが地蔵堂の敷地へ吸い込まれていく後ろ姿を、我々は見送りながら歩いた。陸羽街道へ出て右へ折れ、梨木町の交差点を再び右へ曲がって歩いていく。時折、弱い通り雨が路面を洗う。疲労が溜まってくる。もうそろそろホテルへ戻る算段で、しかし途次「啄木新婚の家」の標識を発見したので、寄り道を試みる。平凡な路地に黙って佇んでいる古びた町家には、我々の他に人影もない。

 靴を脱ぎ、畳敷きの部屋へ上がる。娘は見慣れぬ風景に興奮したのか、上機嫌で屋内を走り回っている。私は縁側へ足を抛り出し、畳の上に寝転がって天井を仰いだ。庭の木々の葉擦れの音が耳に心地良い。こういう旧式の民家に住んでみたいと思うが、実際に暮らしてみれば色々と不便が気に障って落ち着かないかも知れない。大体、虫の嫌いな妻が毎日血相を変えることになるだろう。

 暫く静寂に満ちた時間を過ごしていたら、急に客足が増えた。一組の若い男女と、中国人の家族連れである。玄関の狭い沓脱の三和土に、俄かに履物が濫れる。もっと遊びたがる娘の手を引っ張って、再び中央通へ引き返し、黙々と歩き続ける。交差点を曲がってコンビニへ立ち寄ってから、ビジネスホテルに戻ってチェックインの手続きを済ませる。

 部屋で暫く休憩をしてから、夕食に出掛ける。二歳児を連れているので、手頃なファミレスでもないかと探してみたら、ホテルの直ぐ近くに「びっくりドンキー」の一号店が営業していることを知った。店名を「ベル」という。稲毛にも新鎌ヶ谷にも馬橋にもある「びっくりドンキー」の発祥の地が盛岡であることを、今まで私は寡聞にして知らなかったのである。

 足を運んでみると、メニューや内装は紛れもない「びっくりドンキー」そのものである。流石に旅先で「ガスト」に入るのは詰まらないので、御当地ファミレスみたいなものでもないかと思案していた私にとっては、地味だが素敵な発見であった。聊か浮かれて、柄にもなく濃い茶色のドイツビールを注文して乾杯する。食べ易いように妻の刻んだハンバーグにやがて飽きてしまった娘は仰向いて大きな口を開け、フライドポテトを元気に咀嚼している。店を出ると、盛岡の市街地は夕闇に閉ざされていた。

ニヒリズムの多様な範型 三島由紀夫「鏡子の家」 3

 引き続き、三島由紀夫の『鏡子の家』(新潮文庫)に就いて書く。

②稀薄な「自己」とナルシシズムの原理

 稀有の美貌に恵まれながら、一向に売れる見込みのない役者稼業を営んでいる舟木収は、自己の稀薄な実在感に絶えず悩まされている。

「それから……」

 と又収は、不必要なほど詳細に寝台のなかの出来事を縷々と話した。話すにつれて、ますます彼には、自分が昨夜そこに存在しなかったかのように思われだした。糊のきいたシーツの鋭利な皺、かすかに退いてゆく汗、バネの利きすぎた寝台の船のような漂泊の感じ、……それはたしかに在った。それから快感が彼を離れてゆく瞬間のとめどもない安堵のようなものも在るには在った。ただ一つ、彼自身がそこに存在していたかどうかは確かでなかった。(三島由紀夫鏡子の家新潮文庫 p.31)

 自分自身が確かに存在しているという実感を持つことが出来ない収の心理的秩序は、換言すれば、自分自身の存在の意味を実感出来ないニヒリズムの病弊に囚われていると看做すことが可能である。自分自身の役割、目的、価値、存在の理由を明確に信じられないとき、自己は霞のように稀薄化して、堅固な実体的性質を失う。

 収は自らの信念や決断に基づいて、己自身に対して明瞭で堅牢な輪郭を賦与することが出来ない。此れは如何にも現代的なニヒリズムの形態であろう。つまり、超越的な意味を信奉することの出来ない人間に固有の苦悩の形態である。彼は己の存在が究極的に無意味であるという陰鬱な深淵のような事実に束縛されている。自己の存在が如何なる種類の根拠によっても庇護されることのない虚無の塊であるという認識は、収を空漠たる不安の渦中へ幽閉する。そのとき、根拠を持たない自己の存在を保全する為の唯一の手懸りは、彼の卓越した美貌に限られている。尤も、優れた美貌だけでは、彼の内在的な虚無を完全に補填することは不可能である。

「弱虫。痩せっぽち」

 と女は収の一等いやがる悪口を言った。収は観念してぐったりと目を閉じた。胃の上の女の体の重みと、唾に濡れた自分の腋窩が、一連の気味わるく混濁した、遠いところから草の汁のようにこみあげてくる嘔気に似た感覚を以て感じられた。そのあいだにたえず擽ったさの予感が、風の来ないうちからそよぎ出す敏感な葉のそよぎのように、体のそこかしこを走っていた。『光子は僕を痩せっぽちだという。もし芝居で、裸体の役がまわって来たらどうしよう。僕は自分の顔にばかり気をとられていて、ついぞ体のことなんか考えたことはなかったんだが……。もし僕にもっと肉があったら、僕の存在はもう少し濃くなるだろうか? 肉それ自身がひとつの存在であり重量なんだから、肉をふやしたら僕の存在感は増加するだろうか? 濃厚化するだろうか? こんなにただ、液体みたいにたゆたっているだけの状態から脱け出ることができるだろうか? 自分の存在をたしかめるためには、しょっちゅう鏡を見ている他はない状態から』(『鏡子の家新潮文庫 p.56)

 深井峻吉が純然たる肉体的な行動に、己の精神の一切合財を還元しようと試みたのと同様に、収は自らの存在の根拠を肉体的な条件の内部に発見しようと企てる。彼にとって「生存」とは、不確かで流動的な輪郭しか持ち得ない、或る抽象的な営為の集積である。言い換えれば、彼は自分自身の実在を確信することが出来ず、尚且つ確信する為の堅固な「意味」を保持することが出来ないのである。

 ニヒリスティックな現実に抵抗する為には、つまり如何なる「意味」も信奉し難い現実の渦中において、自己の存在を維持していく為には、あらゆる「意味」を超越した実在性の感覚を手に入れることが肝要である。「意味」という観念的な領域とは異質な次元で、彼は彼自身の存在の証明を獲得しなければならない。

 ――深夜の鏡に収の美しい顔は、くっきりと明晰に映っていた。

『ここにたしかに僕が存在している』と収は思った。男らしい眉の下の切れ長の目、その黒い澄んだ瞳、……どんな町角でもこれほど美しい青年に会うことはめったになかろう。今しがたの行為の影を露ほども残さない顔の明澄さに、収はみちたりた気持を味わった。

『友だちにすすめられたように、僕は重量挙をやろう。ふれれば弾くような厚い筋肉で体を鎧おう。そして体じゅうを顔にしてしまおう』

 そう思った。顔とちがって、筋肉は鏡を使わずとも自分でじっくり眺めることができるだろう。そして彼は自分の腕や胸や腹や太腿や、あらゆるところに自分の存在の堅固な証明を、その存在の不断の呼びかけを、その存在の詩を、ありありと眺めることができるだろう。……(『鏡子の家新潮文庫 pp.59-60)

 感覚的な実在としての自己を確認すること以外に、自己の存在を信頼することは出来ない。こうした舟木収のニヒリズムの形式は、自己の肉体的な拡張という着想を発明する。彼は「精神」という曖昧な「意味」の複合体を信用していない。収が役者であるという事実は、彼が抱懐している「精神に対する不信」の深刻な性質を傍証している。演技は、他者の存在を「空虚な自己」という器の中に移し替え、一時的に滞在させる作業である。自己の実在を信じることの出来ない収が、他人の存在を自己の内部に憑依させる作業に情熱的な関心を寄せるのは当然の成り行きであろう。彼にとって演劇は、内在的な虚無の齎す飢渇を癒やす為の壮麗で重要な装置なのである。

 ああ、人に魅惑を及ぼし、陶酔を与えること、それは自分を風の姿に変えてしまうことであった。舞台に自分の肉体が、肉と血の上に美々しい衣裳をまとって、神殿のように聳え立ちつつ、しかも自分の目にはそれは見えず、熱狂した観客の目にも、俳優の姿は存在の形を超えた光りかがやく風の流動としてしか感じられぬこと、……肉体の鞏固な物的存在そのものが一の逆説と化すること、……そこに立ち、そこに語り、そこに動くことが、雀蜂の羽根の顫動のように、一個の目に見えるか見えぬかの虹いろの音楽になってしまうこと、……こういう事態の到来を収は夢みた。夢みていて何もしなかった。舞台上のそのような究極の転身、かがやかしい存在消滅の瞬間を夢みながら、いつも自分の存在のあいまいさ、放置っておけばかすれてなくなってしまうような恐怖におびえ、つかのまの存在の証しのために女と寝る。女はまず確実に、彼の美貌の魅惑にこたえてくれたからである。こたえてくれるものはもう一つある。女よりも忠実で、渝りなく。……それは鏡であった。(『鏡子の家新潮文庫 pp.65-66)

 換言すれば、収は常に内在的な虚無を「他人」の齎す「意味」によって充填しようと企てるのである。女が彼の美貌に魅惑されるとき、収の「自己」は一つの具体的な意味を賦与され、その実在性は暫時の恢復を遂げる。他人の欲望、他人の賞讃、他人の視線が、収の内在的な虚無の暗黒を一時的に抹消してくれるのである。

 だが、彼の身辺に役者としての名声と栄光が降り注ぐ見込みは一向に立たず、女の賞讃は閨房における一過性の幻影に過ぎない。それだけでは、彼の曖昧な存在感が堅牢な基礎を確保するには至らない。他人の評価、他人の心情、他人の欲望、他人の意味ほど曖昧で流動的なものは他に考えられない。彼はもっと明確で自律的な「意味」の獲得を希求する。そうした虚無からの恢復を願う収の欲望に合致したのが、武井という男の「筋肉」に関する特異で極端な思想である。

 悲しんでいる筋肉の悲しみを見るがいい。それは感情の悲しみよりもずっと悲壮だ。身悶えしている筋肉の嘆きを見るがいい。それは心の嘆きよりもずっと真率だ。ああ、感情は重要ではない。心理は重要ではない。目に見えない思想なんぞは重要ではない!

 思想は筋肉のように明瞭でなければならぬ。内面の闇に埋もれたあいまいな形をした思想などよりも、筋肉が思想を代行したほうがはるかにましである。なぜなら筋肉は厳密に個人に属しつつ、感情よりもずっと普遍的である点で、言葉に似ているけれど、言葉よりもずっと明晰である点で、言葉よりもすぐれた「思想の媒体」なのである。(『鏡子の家新潮文庫 p.83)

 聊か滑稽な響きを帯びて聞こえる武井の熱烈な演説には、内面的なものから外面的なものへの移行を図る三島の欲望の構図が明瞭に象嵌されている。「金閣寺」において内面的な地獄と、そこからの脱却という主題を華麗な筆致で描き出してみせた実績は、この「鏡子の家」においても半ば戯画的に活かされている。作者は複雑な意味の集積として形成される「内面」の価値に疑義を呈している。換言すれば、彼は精神的なもの、純然たる意味の複合体としての「精神」に、批判的な眼差しを向けている。だが、そうした三島的な主題に即して、舟木収という人物の個性を誤読するのは賢明ではない。収という人格の最も重要で尖鋭な特質は、彼が「内面」や「精神」や「心理」といったものの欠落或いは薄弱に苦しんでいるという点に存するのである。

 鏡子も夏雄も、ずっと前から収のこの特性に気づいていた。ちょっとでも黙ったが最後、彼のまわりには見えない城壁が築かれて、誰の介入も許さない彼だけの世界がそこに出現する。こんなことから、収は時として、退屈な男と思われたり、あるいはもっと見当ちがいなことには、空想家と見做されたりすることがあった。しかし少し注意深く見れば、彼には空想的なところがみじんもないことがわかっただろう。空想家でもなければ現実家でもない収、要するに収は、そこにいる収なのであった。鏡子はもうすっかり馴れていたから、このごろでは、「何を考えているの?」なぞと訊くこともなかった。

 それでいて、彼は孤独な男なのでもなかった。一人でいるとき、彼ほど孤独にみえない男は珍らしかったろう。この青年はしかし、チューインガムを嚙むように、いつも一箇の自家製の快適な不安を嚙んでいた。自分は今ここにいる。たしかに存在している。しかし一体、自分は本当に存在しているのだろうか、という不安。

 こんな不安は青年にとって別に珍らしいものではないが、収の特色は、それがいかにも快適な不安だったことであり、その快適さは多分、……いや、確実に、彼の美貌から来ていたのである。(『鏡子の家新潮文庫 pp.13-14)

 美貌という優れた「外面」を天稟として備えた者が、殊更に「内面」という奇怪な意味の複合体を肥大させる必然性は決して大きくない。徹頭徹尾、感覚的な世界である「外面」の領域で一定の地歩を占める者が、濃密な「内面」の醸成に時間と労力を割かないのは当然の成り行きである。換言すれば、収が自己の稀薄な実在感に苦悩する理由は、彼自身の美貌に由来しているのである。

 自己の稀薄な存在感が「内面」の空虚によって齎されていると仮定するとき、深井峻吉の場合は、そもそも「内面」という領域を完全に扼殺して、外面的な行動へ自己の一切を投入するという戦略が、ニヒリズムの超克の為に選択されていた。峻吉の戦略は「肉体」に「存在」を還元するという意味で、収の選んだ道筋と表面的には類似している。しかし収の場合、肉体の鍛錬は純然たる審美的な営為として定義されている。武井の言葉を借りるならば、そこには「筋肉は筋肉それ自体を目的として鍛えられねばならない」(p.81)という規範が擁立されているのである。

 元来、ニヒリズムとは人間の内面に生ずる固有の病態であり、精神だけが患うことの出来る痼疾である。言い換えれば、内面が充分に存在しないという飢渇の感覚が、ニヒリズムの暗示する重要な症候なのである。峻吉は純然たる「行為」に没入することによって、そうした飢渇の生ずる根拠そのものを排斥しようと努めた。一方、収は純然たる「肉体」を審美的に培養することで、いわば「内面」の不在を「外面」の充実によって補填しようと試みるのだ。

 ――収はここへ来ると、次第に筋肉のしこりの募るのを感じていた。永いあいだ使われずにいた筋肉は、軽い呻きをあげて疲れを訴えていた。あしたの朝、体のそこかしこは、一せいに痛みの叫びをあげるだろう。こうした不安な内的感覚は、ふしぎに新鮮で、快くさえあった。土の中の種子の発芽のようなものが自分の体内に感じられる。今まで一度も意識したことのなかった筋肉が、眠りからさめて、かすかに蠢きだしたように感じられる。自分の内部の層が、心と肉と、はっきり二層に重なってくるようである。そう思うと、自分は精神をすこしずつ掻い出して、それを筋肉に変質させてゆきつつあるように思われる。いずれは精神は全部掻い出されて筋肉になるだろう。彼は完全に外面だけで作られた、完全に外面に浸透された人間になるだろう。心を持たない筋肉だけの人間になるだろう。……収はいつものようにぼんやり椅子に坐って、そこにいずれは、闘牛士のような、敏捷な筋肉だけの男が坐ることになるのを夢みていた。

『僕はそのときこそ完全に、ここに存在しているだろう。そうして今こんなことを考えている僕という人間のあいまいな存在は、そのときもう、影も形もとどめていないだろう』(『鏡子の家新潮文庫 pp.103-104)

 ニヒリズムという「意味」への飢渇が、精神的な領域における痼疾であるならば、精神そのものを悉く肉体という物質に還元するという荒療治は、確かに一つの有効な選択肢として機能するだろう。但し収に関して言えば、彼はそもそも明瞭で堅固な「内面」を保有していないのだから、精神を肉体に置換していくという表現は厳密さを欠いているように思われる。彼は「内面」の欠如を「外面」の充実によって置換しようと試みているのであり、過剰な「内面」を「外面」の領域へ放流している訳ではない。

 けれども、充実した肉体=外面を確保したからと言って、彼が他人の欲望や視線と無関係な「実在感」を手に入れたと看做すのは聊か早合点である。恐らく、彼の「内面」の欠如は、常に他者による承認を飢渇のように欲している。彼が「外面」の充実に血道を上げるのは、それだけが他者による承認の頻度を高める唯一の方途であると信じ込んでいる為だ。彼は自らの美貌だけでは、他者からの承認を十全に得られないことを経験から学んだ。そこで肉体の審美的な鍛錬という新たな手立てに熱中した。無論、両者の差異は相対的な問題であり、幾ら肉体を鍛え上げたところで、内面の空虚という病理が本質的に改善されることはない。

 行為のさなかで、又しても彼の存在があいまいになる。融解される。保証がなくなる。すると孤独になって、自分が行為のうしろにぼんやりと置きざりにされる感じがする。さっきまであれほど彼の肉体を讃美して、その存在を目の前にありありとうかばせてくれた同じ女が、今度は目をつぶって、女自身の陶酔の底深く陥没してしまい、全体的な収の存在とは関わりのないものになってしまい、呼べども答えぬ遠くへ沈み去ってしまうのである。(『鏡子の家新潮文庫 pp.226-227)

 内面の欠如に苦しむ収が、自己の実在感を恢復する為には、他者による審美的な「保証」が不可欠である。しかし、他者は必ずしも収の稀薄な「自己」の実在を保証する為に生きている訳ではない。この素朴で基礎的な常識が、収の飢渇を無際限に長引かせる。彼の内面的な空虚は、他者の承認の有無によって、その解消の可否が決定するが、当然のことながら、収という存在を絶えず無条件に是認し、片時も彼の肉体に対する讃嘆を閑却することのない隷属的な他者は、この世界には存在しないのである。

 それでも彼は、己の美貌と逞しい肉体を只管に錬磨して、より多くの嘆賞を得る為に努力を重ねるほかない。彼の選択した実存の原理が、それを要求するからである。無論、それは彼の内面的な充実の為に欠かせない努力であるが、同時にその努力は彼を著しく疲弊させる。峻吉が片時も休まずに「行動」を必要としたように、収もまた絶えざる「賞讃」を得る為に、舞台の上の華々しい脚光に憧れると共に、様々な女との情事を積み上げていかざるを得ない。そうしなければ、堪え難い空虚が堰を切って彼の総身を呑み込んでしまうだろう。

 友情という言葉には偽善がある。二人はむしろお互いの性的無関心をたのしむ間柄だった。というのも、相手方の不断の性的関心を必要とする点で、二人はお互いに似すぎていたからだ。この二人の間柄は、休戦と安息をたのしむ間柄だった。それに鏡子は他人の情念が好きだったし、収は自分の情念に飢えていたのである。

 映画がおわると、鏡子と収は又しばらく腕を組んで、寒い夜の街を散歩した。『愛し合っていないということは何と幸福だろう。何て家庭的な温かみのある事態だろう』と収は思った。『この女の前では、僕は、自分がスペイン風の顔をしている、などと改めて思ってみる必要もないんだ』――幸福のあまり、収はこんなことを言った。

「ねえ、八十歳になったら、僕たち結婚しようね」

 寒さのためにかすかに痺れる頬が、鏡子をも、幸福と見紛う気持にさせた。

「八十になったら、そうね、八十になったら、私きっとあなたと結婚するわ」(『鏡子の家新潮文庫 p.230)

 この二人の会話は重要な暗示を含んでいる。「八十」という年齢は一つの象徴的な数字である。老境を迎え、他者からの「不断の性的関心」を確保し得る見込みが乏しくなったとき、収の現在の実存的原理は致命的な危殆に瀕するだろう。容色が衰え、自慢の肉体が崩壊へ向かって滑落していくとき、彼は己の実存を支える唯一の根拠を喪失するだろう。

 とうとう耐えかねて、夏雄はこう言った。

「そんなに筋肉が大切なら、年をとらないうちに、一等美しいときに自殺してしまえばいいんです」

 夏雄の語気はいつになく強く、いつになく怒気をあらわにしていたので、一同が黙って顔を見合わすよりさきに、こんな夏雄をはじめて見る収が、愕きの目を向けた。

「あなた方はみんな年をとるんだ。生身の筋肉なんて幻にすぎないんだ」

 夏雄は時の勢いで、ますます昂奮して、そう言った。武井は負けていなかった。

「なかには君のように、はじめから年寄りの憐れな男もいる。情ない弱虫の芸術家で、僕らに腕っ節ではかなわないものだから、この世の筋肉がみんな滅びればいいと思っているんだ」(『鏡子の家新潮文庫 p.278)

 この夏雄の発言は収にとって決定的で呪詛に満ちた「予言」のように聴こえただろう。人間が誰しも老衰と滅亡の接近に抗えないという端的な事実は、収の実存にとって最も手強く明瞭な「危機」である。彼の実存の根拠は、つまりニヒリズムに対する抵抗の根拠は、否が応でも牢固たる「有効期限」を受容せねばならない。この想像は、収の心に看過し難い絶望の種子を育むだろう。

「女たちが君を待ってるだろう」

「さあ、どうだか。僕はそんなに女が好きじゃないんだ」――そう答えかけた収は、こんな自分の断定に押されたように、少し情熱的な口調になった。「本当に女が好きになるには、自分が空っぽにならなくちゃならない。ところで僕は自分が空っぽになるのが怖いんだから」

「僕は自分が空っぽになるのが好きだ」

 と夏雄は制作の時の気持を思い浮べて言った。そしてこう訊いた。

「君は一体何になりたいの?」

「何になりたいって?」――収は美しい目を丸くした。

「もとは俳優になりたかった。つまり、何というかな。人間から辷り出したかったんだ。うまく、こう、するっと人間から辷り出す。それができれば俳優でなくたっていいんだ。僕はもう何かになったんだ。僕は成功したよ。筋肉がこんなについた」

 彼はスウェーターの腕を上げて、毛糸の織り目ごしにそれとうかがわれる力瘤を見せた。夏雄はそれにおどろいてみせるのを忘れなかった。(『鏡子の家新潮文庫 p.280)

 彼が数多の異性と情事を重ねるのは、己の内面の空虚を癒やす為である。秀麗な美貌も錬磨された肉体も、内在的な虚無を塗り潰す為の手段として用いられる。恐らく彼が役者として大成しない背景には、己を「空っぽ」の状態に留めておくことが出来ないという心理的な理由が介在しているのではないだろうか。触媒のように、自分自身は固有の役割も明確な存在感も持たずに、黙って世界が己の内部を通過していくことだけを、己に課せられた存在の理由として引き受けること、それこそが役者の本領であるのに、収は役柄よりも己自身の存在の露骨な顕示を希求している。その意味では、彼が「俳優」よりも「筋肉」の方に根源的な救済を見出すのは自然な理窟である。

 換言すれば、収は如何なる「意味」によっても占有されることのない「空虚」として存在しており、しかも本人は自己に内在する度し難い「空虚」に堪え難い恐懼と不安を懐いているのである。

 その「或るもの」とは何だろう。死だろうか。虚無だろうか。それとも危機だろうか。いずれにせよ、収には、精神が自分の内部で培われて育ってゆくという考えは微塵もなかった。精神はいつも灝気のように外部に漂っていて、何かの時に憑きもののつくように、舞台上の俳優に襲いかかって、つかのまの人間の姿態を借りて発現するのであった。

 この射たれた金髪の若者は、あざやかな光線を浴びてのけぞった一瞬の姿態が、正確に何を意味するかを知らない。それは目もまばゆいほど明確な存在ではあるが、精神が存在の中にのびのびと身を休めるこんな瞬間には、人間は存在することだけで一杯なのだ。舞台の上にはこのような奇蹟がある。そして、悲しいかな、収は一度もその奇蹟をわがものにしたことがないのである。(『鏡子の家新潮文庫 p.328)

 収は何故一度も「奇蹟」に恵まれることがないのか。それは彼自身が明確に、内在的な「虚無」の存在を拒絶しているからである。彼は決して「奇蹟」に愛されていないのではなく、彼自身が「奇蹟」の到来する条件を排斥しているのだ。彼は飽く迄も「自分」というものに固執しており、堅固な輪郭を備えた「自分」を構築することに最大の関心を払っている。その情熱の焦点は他人に向けられていない。夥しい女と情を交わしながら、彼は一度もそれらの女を積極的に愛してはいない。何故なら、収の異性に対する情熱は、女たちの存在が彼の「自己」の確立に必要な精神的養分を補給するという点に煽動されているからである。彼にとって異性は「目的」ではなく「手段」に過ぎない。だからこそ、彼は純然たる媒体として他者の到来を歓待する僥倖に恵まれないのである。

 完全な自己抛棄のためにも、完全に相手を所有するためにも、肉の営みは、あんまり軽すぎ柔和すぎる結びつきで、それは何かもっと厳密で正確な怖ろしい所有の、幼稚な模倣にすぎないように思われた。女の肉自体が軽率で柔らかすぎた。それは詐欺のようなものだった。鞠子の言葉は、収の見事な筋肉の鎧をしきりと讃嘆したものだが、彼女の肉は、それをとことんまで讃嘆することに失敗したのだ。(『鏡子の家新潮文庫 p.338)

 彼は情事においても、相手の陶酔に向かって全面的に奉仕する愉悦を望まない。自らの性的な陶酔の中に耽溺し、埋没していく女の姿を目の当たりにすることは、彼の求める愉悦の形式とは全く異質である。その意味において、収には異性を、或いは他者を愛する能力が決定的に欠けている。彼の精神を根源的に浸しているナルシシズムの機制は、こうした愛慾の場面において顕著に明示されている。彼にとって他者は「鏡」に過ぎず、しかも己の外面的な美しさを絶対的に証言する従順な「鏡」でなくてはならない。そうした「鏡」の魔力だけが、彼を内面の空虚から庇護してくれるのである。

鏡子の家 (新潮文庫)

鏡子の家 (新潮文庫)

 

サラダ坊主風土記 「盛岡・小岩井」 其の一

 過日、妻子を伴って二泊三日の岩手旅行へ出掛けて来た。その備忘録を認めておく。

 私にとって岩手県は未踏の地である。そもそも東北地方に余り縁がなく、昨年の夏に訪れた仙台も、初めて足を踏み入れた場所であった。旅先の選定に際して、未踏の地であるという事実は、それだけで有力な候補地に相応しい条件となる。余り混み合っていない場所が良い。如何にも観光地らしく整備された土地よりも、聊か主流から外れた場所が望ましい。

 八月に入れば、盛岡市は夏の祭礼が相次いで、一挙に賑やかな土地へ変貌するらしい。その手前の閑散期を殊更に狙った訳ではないが、幸いにして七月の末の盛岡は空いていた。折悪しく、出立の直前に強力で執拗な台風12号が異例の進路を辿って登場し、無事に旅立てるか気を揉んでいたのだが、当日の時点で辛うじて台風は千葉を去っていた。

 朝の五時過ぎに家を出て、JR幕張駅から総武線の各駅停車に乗り込む。津田沼で快速に乗り換え、日曜日の早朝だというのに混雑している電車の中を、立ったままで過ごす。娘が抱っこをせがみ、妻は十四キロの体重を誇る彼女を腕に抱えて、東京駅までの時間を堪え抜いた。優先席に座っている三人の乗客は誰も優先されるに値しない人々に見えたが、誰も席を譲ってくれようとしない。聊か腹立たしいが、気遣いを欠いた見知らぬ他人に気遣いを要求するのも馬鹿馬鹿しいので我慢する。

 東京駅は相変わらず猛烈な人出である。平日であろうと週末であろうと、朝でも夜でも、この駅舎を往来する人々の数は常に眩暈を覚えるような厖大さだ。キャリーケースを引き摺って、複雑な経路を辿り、東北新幹線の乗り場を目指す。我々が搭乗する「はやぶさ」は、途中の駅を悉く黙殺する弾丸のような列車である。大宮を過ぎたら、後は仙台と盛岡にしか停まらない。

 生憎、両眼を見開いて元気一杯の娘は眠りに落ちる兆しも見せず、凝と座席に陣取って二時間以上の退屈を乗り切る謹厳な根性とは無縁である。妻の手を曳いて、デッキへ遊びに行きたいと、思う存分駄々を捏ねる。騒ぎ立てる娘の頑固な要求に屈した妻がデッキへ拉致されていくのを横目に見ながら、知らぬ間に私は居眠りしていた。気付けば車窓の彼方に仙台の市街地の景色が映じている。昨夏の旅路の記憶が断片的に甦る。

 午前中に辿り着いた盛岡駅は、千葉と変わらぬ息苦しい蒸し暑さに覆われていた。本州の県庁所在地の中では最も年間の平均気温が低い都市だと聞いていたが、いかんせん北上盆地に広がる内陸の街なので、夏場の日中は充分に暑いらしい。駅舎を出て、繁華な東口のバスロータリーの方へ出る。初日は盛岡市内のビジネスホテルに投宿して倹約に努め、二日目の晩は鶯宿温泉の高価な部屋へ泊まる段取りである。先ずはホテルへ荷物を預けに行くことになり、それほど遠方ではないので徒歩で向かおうと試みたが、ロータリーを渡って開運橋の方へ進む為の道筋が分からない。本来ならば地下道を用いるのだが、その時点では知らなかったのだ。見知らぬ土地の路線バスに重たい荷物とベビーカーを抱えて乗り込むのは気鬱である。夏の陽射しはじりじりと我々の肉体を蝕んでいく。旅情の齎す高揚に煽られ、私は早速タクシーを雇うことを妻に提案し、直ちに了承を得た。

 涼しくて快適なタクシーによって瞬く間に運ばれた先のホテルは、如何にも年季の入った外観と内装を備えていた。全般に漂う黴臭い古めかしさは、盛岡駅から遠く離れた立地の悪さゆえに、改装に費やす金が捻出し難いのだろうという一方的な邪推を私の脳裡に育てた。尤も、大通り商店街に程近く、夜の盛り場へ赴きたい客にとっては申し分のない環境であろう。出張のサラリーマンには最適なホテルである。要は二歳児を連れた家族旅行には余り相応しくない選択肢であるというだけの話だ。そもそも宿泊費を倹約する為にJTBの出張応援プランというものを購った結果である。それに通された部屋は意外に広く、長椅子に寝そべって寛ぐことも出来る。何も殊更に不満を述べる筋合いはない。

 ホテルに荷物を預けて、我々は近隣の盛岡城跡公園へ足を延ばした。日曜日だというのに寝静まっているように見える商店街の道を抜け(八月頭に催される盛岡さんさ踊りの手前の時期ゆえに、客足が鈍っているのだろうか)、交差点を渡って公園の敷地に足を踏み入れる。草生した城壁の石垣が視界を掠める。やがて行く手に小学校のグラウンドのような広場が現われ、ブランコや鉄棒が敷地の片隅に悄然と佇んでいるところへ出た。娘は地面に落ちている小石を拾ったり、私の膝に抱えられてブランコで遊んだりするだけで充分に満足している様子であった。

 広場を抜けて太鼓橋を渡り、木暗い道を歩いて中津川の畔へ出る。そこから交差点の方へ視線を転じると、赤煉瓦のクラシックな建物が見えた。ガイドブックにも載っていた、昔日の岩手銀行本店である。現在は重要文化財に指定され、盛岡観光の一翼を担っている。道端で配っていた団扇を貰って、夏の陽光に煮え滾る体を冷ましながら、我々はその瀟洒な建物へ向かって横断歩道を渡った。

ニヒリズムの多様な範型 三島由紀夫「鏡子の家」 2

 引き続き、三島由紀夫の『鏡子の家』(新潮文庫)に就いて書く。

 ニヒリスティックな認識、つまり世界には如何なる意味も価値も存在しないという認識は、予め定められた社会的=歴史的枠組みの内部に従属して生きる人々へ加えられた残酷な痛撃であると同時に、精神的な解放への第一歩でもある。

 しかしながら、ニヒリズムそのものの深刻な顕現は往々にして、人間の活力や情熱を薙ぎ倒す危険な災厄として作用する。人間は無意味な生活に忍耐する力を持たない。無意味な世界に何らかの意味を創出し、刻印しようと試みるのが人間の本質的な衝動である。けれども、そうした欲望は三島のように英雄的な死や華々しい滅亡へ憧れることと必ずしも同義ではない。日常生活の細部に審美的な眼差しを向けて、些細な僥倖や愉楽に感謝するような生き方も、ニヒリズムに対する精神的な処方箋の典型である。

 三島由紀夫という作家は、そのような日常性の原理に対する親和の感覚が稀薄な人物であった。その特異なメンタリティは、彼が昭和という年号の幕開けと共に生を享け、二十歳の時に敗戦による社会の急激な変貌を経験したという履歴を通じて培われたものなのかも知れない。だが、作家の示した特異な精神的類型の起源を、記録された伝記的な事実に還元して解釈する作業は、私の関心の埒外に置かれている。

 「仮面の告白」によって自らの文学的な才覚の絢爛たる輝きを世上に知らしめた三島の文業は、あの分厚い「禁色」という意欲的で挑戦的な長篇小説を経由して、有名な「金閣寺」によって崇高な絶巓に達したというのが私の個人的な見解である。「金閣寺」には、滅亡を予覚することで日常的な生存の堪え難い倦怠を超克するという三島的な論理の過程が明瞭に刻印されているが、同時にその掉尾には、濃密なタナトスに縁取られた自らの審美的な倫理学からの転回の徴候も簡潔に示されている。

 「金閣寺」における倫理的な悪戦苦闘を経て、作家は「鏡子の家」の執筆に着手した。彼は過去に想い描いたニヒリズムに対する処方箋の範型を悉く点検し、従来の方針を革めるという決断を、具体的な方法論の次元にまで高めようと企てたのではないかと思われる。それは彼が私生活においても、妻を娶り、持ち家を購い、子を生すという一連の「煩瑣な市民的義務」(「裸体と衣裳」)に殉ずることを選択しつつあった事実とも符節を合しているように見える。彼は生きることの根源的にニヒリスティックな性質に対する嫌悪から、英雄的で華々しい滅亡の幻想に酔い痴れる日々を選んできた。換言すれば、彼は無味乾燥な生存に対する絶望的な恐怖と常に伴走し続けてきたのである。彼は生きることを嫌悪し、美的なものの氾濫に憧れを懐きながら日々を乗り越えてきた。換言すれば、彼の主観的な論理においては、死と滅亡が最も崇高な「美」の象徴であったのだ。

 美しい死に対する憧憬、この特異な願望が三島の審美的倫理学の要諦であるという解釈は既に述べた。「金閣寺」には、そうした欲望からの撤退の方針が、金閣寺への放火という劇的な事件を暗喩として、隠然と示されている。「鏡子の家」においては、その方針は一層明瞭に、具体性を伴った分析の対象として解剖されている。ニヒリスティックな生存の論理に対処する為の方法の範型を交互に取り上げて仔細に観察し、その効用と限界と可能性を精密に調べていくことが、作者にとっては最も重要な意図であったのだと思われる。

①純然たる「行動」の充実と「外面化」の論理

 生きることの本質的にニヒリスティックな性格、つまり「この世界には如何なる意味も存在しない」という認識の齎す苦悩は、生きることの意義や価値を発見しようと試みる哲学的な労役を通じて培養される。世界に向かって意味を求める欲望が存在するからこそ、ニヒリスティックな「無意味」の認識が堪え難い暗黒の象徴として、人間の倫理的な情熱を駆逐する結果に繋がるのである。

 こうした欲望の息苦しい経済学を打破する為の単純な方法としては、生きることの意味をそもそも考慮せず、要求しないという選択肢が考えられる。意味に固執する内面的な論理を悉く揮発させ、純然たる外面的な現実に自己を融合させること、それによって現在の生々しい瞬間に化身し、如何なる意味とも無関係な「充実」を獲得すること、それが深井峻吉というボクサーを通じて形象化された一個の「範型」である。彼はニヒリズムという抽象的な観念、世界から疎外された観念自体を力尽くで揮発させ、無効化することによって、ニヒリズムの齎す価値崩壊の暴力から己の実存を防衛する。ニヒリズムという観念は、この世界に如何なる意味も価値も認めない、或いはそれが単なる幻影に過ぎないことを承認する思想であるが、それ自体が一個の意味であるという事実を看過してはならない。意味の喪失が重要な問題として脳裡に迫り上がるのは、その当事者が意味の体系に強く搦め捕られていることの証明である。

 ニヒリズムという問題の構成自体を否認すること、その為には意味や観念の魔手が及ばない領域へ遁走してしまうのが最善の合理的な選択肢である。意味や観念は常に現実の事件の後に生成され、錯雑した体系を構築する。そのタイムラグを利用して、総てが「事後」の状態へ到達する以前の段階へ留まり続けること、意味が附与される以前の純然たるニヒリズムそのものへ自ら化身すること、その為に肉体と行動という純然たる外面性へ忠誠を誓うこと、それが深井峻吉の示したニヒリズムからの脱却の方途である。

 まことに晴朗な峻吉は、憎悪や軽蔑に執着するたちではなかったが、ものを考えるということだけは軽蔑していた。思考を軽蔑する思想があるなどということは考えもしなかった。思考はただ彼の敵だったのだ。

 行動が、有効なパンチが、彼の世界の中核に位いしていた。思考は装飾的なもの、中核のまわりにこってりとかけられた甘いクリームのようなもの、何かしら剰余物として考えられた。思考は簡素の逆、単純の逆であり、スピードの逆だった。速度と簡素と単純と力とに美があるならば、思考はすべての醜さを代表していた。矢のように素速い思考などというものを、彼は想像することもできなかった。一瞬のストレートの炸裂よりも速い思考などというものがあるだろうか?

 考える人間の、樹木のようなゆっくりした生成は、峻吉の目には、憐れむべき植物的偏見としか映らなかった。文字に書かれたものの不滅は、行動の不滅に比べたら、はるかに卑しげであった。なぜならその価値自体が不滅を生むのではなく、不滅が保証されてはじめて価値が生ずるのであるから。そればかりではない。思考する人たちは、行動を比喩に使うことなしには、一歩も前進できない。大論争の勝利者なるものが、目の前に血みどろになって倒れている敵手の体を見下ろしているときの勝利者を思いうかべることなしに、どうして快感にひたれるだろうか?(三島由紀夫鏡子の家新潮文庫 pp.122-123)

 思考することへの軽蔑と嫌悪は、深井峻吉という人格の枢要を占めている。彼にとって停滞的な思考は醜悪の象徴であり、思考に囚われぬ一瞬の閃光の如き「行動」だけが、彼の審美的な規矩に合致するのである。彼はあらゆる理論、あらゆる意味、あらゆる観念を侮蔑することで、単純明快な実際家の仮面を被り、それによってニヒリズムの襲撃を免かれている。

 待つということ、もろもろの成熟をゆっくり待つということに対する素質が、この拳闘選手にまるきり欠けているのは、清一郎も知っていた。彼は清一郎と同じように、時間と未来の利益をまるで信じていなかった。何事によれ、利潤に代表される時間的収益を信じないこと、これが二人の共感の源泉であった。

 清一郎はつくづく、拳闘選手の固い顔の皮膚にきっちりとはめ込まれた、活々とした清澄な若い目を眺めた。今彼を狩り立てているのは欲望だろうか? そんなことは同じ男性である彼にも考えられなかった。神経的焦躁だろうか? 峻吉は神経的なタイプから遠く隔たっていた。おそらく峻吉は、何も考えないことの帰結として、現在の一刻一刻の、丁度この水だらけの卓の上にある鮮明な氷いちごと同様の、堅固な存在感をものにしていた。今、彼は、氷いちごのようにここに存在しており、目の前には自分の女が存在している。こういう単純な構図のなかで、拳闘選手は氷いちごを飲み、それからすぐこの場で女と寝るべきだった。できれば、今すぐ! この場で! 氷屋のテーブルの上で! そうしなければ、一瞬のちには、彼の存在は崩壊してしまうかもしれないのだ。(『鏡子の家新潮文庫 p.134)

 「時間と未来の利益」に対する根底的な不信は、峻吉が思考を軽蔑する人間であるという事実と符節を合している。今この瞬間の現実に自己の一切合財を投入している場合、人間の精神に複雑な思考の侵入する余地はない。現実から疎外され、現在から乖離した瞬間、人間の脳裡には記憶と想像力が氾濫し、過去と未来という二つの時間、しかしその根本において「非現在的である」という共通項を有する双子の時間が生成される。記憶と想像力、過去と未来が、人間の錯雑した思考の土壌であることは論を俟たない。現在の瞬間における没入は、その現在が如何なる未来に帰結するかという思考の勃興を禁じている。現在に総てを懸ける実存の様態は、未来の価値を信じる思考と根本的に相容れないのである。

 そうした峻吉の実存の形式における一つの審美的な理想は、彼の戦死した兄が象徴している。

 母親はしゃがんで香華を手向け、小さい数珠を太った指先にかけて、祈っていた。夏雄も手を合せた。峻吉は母親のうしろに立ち、雄々しい顔立ちを引き締めて、目は射るように兄の墓標を見つめていた。生きていれば三十四歳になる筈の、分別くさい、世俗の垢のしみついた憐れな兄の代りに、永遠に若々しい、永遠に戦いの世界に飛翔している輝やかしい兄を持つことは、彼を幸福にした。兄は行動の亀鑑だった。行動家にとって必須のものである、彼を行動に追いやるあらゆる動機、強制、命令、名誉の意識、……すべて男にとって宿命と分ちがたい観念であるところの義務の観念、加うるに、有効な自己犠牲、闘争のよろこび、簡潔な死の帰結、兄にとって何一つ欠けているものはなかった。その上兄には、今の峻吉によく似た俊敏な若々しい肉体があった。……それだけのものがみんな揃っていたら、あと永生きして、女を抱いて、月給をとるということが一体何だろう!

 他人を決して羨まない峻吉が、兄だけは羨んでいた。

『兄さんは狡いぞ。兄さんは退屈を怖れる必要なしに、考えることを怖れる必要なしに、まっしぐらに人生を駈け抜けてしまったんだ』と峻吉は心に呼びかけた。すでに峻吉の生活には、兄の一度も知らなかった日常性の影、生の煩雑な夾雑物の影がまざって来ていた。彼の行動には名分も動機も欠け、敵を倒せば倒すほど、その行為の抽象的な性質、その純粋すぎる性質に目ざめなければならぬ。彼の行為はああした夾雑物から身を護るためにますます純粋な成分になり、ひとたび彼の身を離れれば、たちまちエーテルのように揮発して、影も形も残さなかった。(『鏡子の家新潮文庫 pp.147-148)

 此処から読み取れる知見は幾つもあるが、一つの重要な論点は「日常性」という観念が常に未来の到来を予期して組み立てられているという認識に存している。過去の継承と未来への配慮、現在の単調な反復と持続、そうした「日常性の影」は、峻吉の提示している現在的で瞬間的な実存の様態と、根本的に背反している。「退屈」と「思考」は、日常性という観念的な構図を成立させる主要な条件であり、それら二つのものを峻吉は「生の煩雑な夾雑物」として措定している。

 換言すれば、峻吉にとっての「拳闘」は、早世した兄にとっての「戦争」の抽象的な模倣であり、不完全な複写なのである。戦没と滅亡の予覚に彩られた軍人の苛烈な実存は、未来の断絶という条件によって、日常性の蠱毒を本質的に免除されている。峻吉は拳闘に没頭することで、戦没した兄の様々な「美徳」を獲得しようと試みている。それは「時間と未来の利益」を全く考慮しない、純然たる行動、手段ではなく目的と化した行動の美徳である。

 だが、兄にとっての「戦争」は、峻吉にとっての「拳闘」と異なり、社会と国家の命令に基づく大義を備えていた。兄の戦死は決して、それ自体が目的と化した行動、遊戯的な行動の範疇に属するものではなかった。この重要な相違点は、峻吉の選び取った実存の様態を狂わせる根源的な矛盾として作用している。

『……しかし俺は強いんだ』と考えて少し安心した。が、その強さはこの世の機構と精妙に結び合わされていて、兄のように天へそのまま突っ走って行ってしまう力ではなかった。永生きをさせ、女を抱かせ、月給をとらせるような強さ。……日常性のねばっこい影や、生の煩瑣な夾雑物からのがれて、彼がその強さの中へ、力の中へ逃げ込めば逃げ込むほど、その強さ、その力は、却って彼を平俗な生活の織物の中へ、ますます深く織り込もうとするのであった。(『鏡子の家新潮文庫 p.453)

 「戦争」は、人々の日常的な生活を瓦礫の山積する廃墟へと作り変えてしまう超越的な行動の典型であり、戦争に挺身することはそのまま「日常性のねばっこい影」からの強制的な離脱を意味している。しかし峻吉の関わっている、興行としての「拳闘」は、それ自体が「平俗な生活の織物」の発する要請に基づいて形成された、いわば「戦争」の戯画に他ならない。リングの上の勝利は、彼に社会的な栄光を授けるが、その栄光は飽く迄も「日常性の影」に内属する名誉であって、幾ら肉体的な「強さ」を究めてみても、そうした厖大な労力が峻吉を「生の煩瑣な夾雑物」の泥濘から救済することは有り得ない。彼の憧れる英雄的な死の観念は、つまり純然たる行動の化身として生きることに対する憧憬は、擬似的な充足によって報われるのが精々なのである。

 しかも峻吉は、酒場での詰まらぬ諍いの為に、大事な拳を破壊されてボクサーとしての生命を断ち切られ、その擬似的な充足さえも奪われてしまう。拳闘を通じて純然たる行動の化身として生きることを追求し続けてきた彼の思想は、重大な蹉跌に直面する。完全なる外面性の論理、あらゆる意味や観念を引き離す俊敏な「肉体」の思想は、その脆弱性を露わにして倒壊する。

 峻吉はここ数週間のうちに、今まで全く知らず、それゆえ怖れてもいなかった、思考というものの皮肉な性質を思い知った。考えないことが、恐怖を免かれる唯一の方法だと、以前の彼は確信したが、そんな成果は努力に出たことではなくて、ただ彼の幸運がそれを保証していたにすぎなかった。今では、考えないということは、怖ろしい努力の要ることだった! この努力が今では彼の唯一つの勇気の証拠になった。(『鏡子の家新潮文庫 p.487)

 肉体的な思想、常に具体的で現在的な行動を通じて表象される明晰な思想は、些細な事件の為にこうしてニヒリズムの波濤に浚われ、その質実な外殻を浸蝕されることとなる。彼は失われた目的と栄光に固執する余り、益々ニヒリズムの深淵に没落していく。

 こうした態度の結果として、却って彼の目に迫る世界はすみずみまで異様な非現実感を帯びだした。すべてはもとのままだった。それでいて沈んだ鐘の音の余韻が、いつまでも大伽藍の裡に漂って、壁の罅の奥にまでしみわたるように、そこには無意味が鳴りつづけていた。彼が認めようが認めまいが、一つの無意味も、以前と同じ姿の無意味ではなかった。……こんなときには、絶望が大きな助けになる。しかし峻吉は、希望がきらいなのと同じくらい、絶望がきらいであった。(『鏡子の家新潮文庫 p.488)

 けれども、拳闘という至高の生き甲斐を喪失した後も猶、峻吉は従前の哲理を、つまり「肉体」と「行動」の思想を貫徹しようと試みる。それが峻吉の直面する世界を夥しい無意味で満たすとしても、彼は方針の転換を拒絶する。そして彼は知己から右翼的な政治団体へ勧誘され、その思想的な内容に全く理解も共感も示さぬまま、そこに「肉体」と「行動」の思想の捌け口を発見して血判を捺す。

「今はどうなんだ。少くとも今はボクシングは、お前の目的じゃない。目的ではないが、依然としてお前はボクシングを信じたいと思っている。あるいはまだ信じているつもりでいる。……しかしさっきも言った永い永い時間がお前の前に控えているぞ。いやな、お前の一等きらいな『未来』が控えているぞ。……目的ではなくなったものを信じようというのが、お前の目前の生甲斐なら、いいか、そんなあいまいな希望の目盛をはっきりと合せてみろ。お前は今、全然信じないものを目的にすることができる、という好適の状況に居る筈だ」(『鏡子の家新潮文庫 pp.500-501)

 「全然信じないものを目的にすること」ほど、峻吉の懐いてきた実存の方針に相応しい選択は、他に考えられないのではないだろうか。自ら敢えて徹底的に意味を排除することでニヒリズム蠱毒を免かれるという峻吉の思想は、思考の泥濘に陥没することで危殆に瀕した。そこから恢復を図る為には、再び一切の思考の否定に着手しなければならない。その為には「全然信じないものを目的にすること」が是非とも必要なのである。

 峻吉はようやくはっきりと、自分が自分を売りつつあるのを感じた。『芒のいっぱい生えた分譲地を売るように、俺の未来をこいつに売り渡そう。俺は永遠に考えず永遠に目をさまさない、永遠に眠っている力の持主になる。それこそは力の保証する本当の幸福の意味だ。』こんなことを漠然と感じた。(『鏡子の家新潮文庫 p.502)

 「永遠に考えず永遠に目をさまさない」ことは、現在の瞬間に埋没して生きる者にとっては必須の心構えである。峻吉にとって、自らの「未来」を他人に捨て値で売却することは聊かの痛苦も意味しないだろう。彼はそもそも「時間と未来の利益」に対する頑迷な叛逆者なのだから。

鏡子の家 (新潮文庫)

鏡子の家 (新潮文庫)

 

ニヒリズムの多様な範型 三島由紀夫「鏡子の家」 1

 三島由紀夫の『鏡子の家』(新潮文庫)を読了したので、感想を書き留めておく。

 三島が数多く遺した長篇小説の内でも大部の範疇に属する「鏡子の家」は、同時代の批評家や読者から冷遇された失敗作として語られることが多い。けれども、私自身の感想としては、この作品は聊かも価値の低いものではない。「金閣寺」の緊密な構成と精錬された観念的な告白体の魔術的な魅力に感服した人々にとって、確かに「鏡子の家」は、余り流麗とは言い難い文体によって綴られ、挿話の並列的な構成によって構築された、冗長な小説であるように感じられるかも知れない。だが、例えば「永すぎた春」のように軽妙洒脱な小品の娯楽的感興や、或いは抑制された澄明で理智的な筆致で綴られた「美徳のよろめき」の典雅な愛慾の手触りに魅せられたからと言って、同様の品揃えを執拗に作者へ強請るのは読者の我儘というものである。恐らく「鏡子の家」は、作者の従前の文業と、彼自身の実存の内部に埋め込まれた重要な主題の悉くを一挙に詰め込んで煮立てた複雑な大作であり、そもそも万人の気軽な嗜好に適合するようには仕立てられていない。読者や批評家の眼に「鏡子の家」が退屈な失敗作に過ぎないと思われても、作者自身にとっては「鏡子の家」という奇怪な長篇を書き綴ることは避けて通れぬ重要な文学的課題であったに違いない。生きることと書くこととの間に不可分の癒着した関係性が備わっている本物の作家であった三島由紀夫にとっては、時に評家や愛読者の審美眼に叛いてでも、己の人生にとって必要不可欠な主題に作品の執筆を通じて全身全霊の力で取り組むことは断じて回避することの出来ない道筋であった筈だ。彼が若しも単なる娯楽的な商品を製造して生計を立てることだけに意を尽くす人々の仲間であれば、こんな個人的で独善的な、錯雑した告白のアマルガムを、態々印刷して巷間に頒布しようとは無論考えなかっただろう。

 「鏡子の家」には、過去に三島が試みてきた多様な文学的企図の範型が悉く詰め込まれている。彼が四人の青年を造形し、鏡子という女性をいわば蝶番のように配置して、目紛しく舞台を入れ替えながら銘々の物語を構築していく形式を選択したのは、過去に生み出され、挑戦された多様な範型を一斉に羅列して、総決算を図ろうと考えた為であろう。彼は過去の自分が世間に向かって提示してきた文学的範型を改めて点検し、その原理的な可能性を丁寧に敷衍して、そこからの根源的な脱却へ舵を切ろうとしたのではないか。

 三島由紀夫が「鏡子の家」において取り組もうとした主題は「ニヒリズム」である。そのことは、作者自身が明言している。

 「鏡子の家」は、いわば私の「ニヒリズム研究」だ。ニヒリズムという精神状況は、本質的にエモーショナルなものを含んでいるから、学者の理論的探究よりも、小説家の小説による研究に適している。

 登場人物は各自の個性や職業や性的偏向の命ずるままに、それぞれの方向へ向って走り出すが、結局すべての迂路はニヒリズムへ還流し、各人が相補って、最初に清一郎の提出したニヒリズムの見取図を完成にみちびく。それが最初に私の考えたプランである。しかし出来上った作品はそれほど絶望的ではなく、ごく細い一縷の光りが、最後に天窓から射し入ってくる。(「裸体と衣裳」『三島由紀夫文学論集Ⅱ』講談社文芸文庫 p.202)

 ニヒリズムの厳密に学術的な定義に就いては、生憎私は無智であるが、大雑把に言えば「意味の否定」という言葉に集約されるだろう。如何なる意味も価値も表層的で幻想的な仮象に過ぎず、生きることの目的を設定してみたところで、それは恣意的な信仰の対象以上の地位を獲得することは出来ない。生きることに最終的な目的や理念を期待するのは無益な徒労に過ぎない。こうした虚無的な心情や感覚を、私は便宜的に「ニヒリズム」という大仰な単語で指し示したいと思う。

 ニヒリズムの観点から眺めれば、私たちの日常生活を覆う単調で反復的な秩序は、極めて不幸で陰惨な労役、如何なる報酬とも解放とも無縁の苛立たしい労役に他ならない。私たちは束の間の夢や希望や野心を掲げ、退屈な雑役にも明るい未来の幸福に資する固有の役割を認めることで、己の奴隷的な忍耐力に磨きを掛けるのだが、一旦膨れ上がったニヒリズムの波濤は、そうした健気な心得を一挙に押し流してしまう野蛮な暴力性を備えている。どんな夢想も翹望も、それを衷心より信じることが出来なければ単なる屑鉄ほどの価値も持ち得ない。そうした論理を極端に推し進めていけば、否が応でも「生存の無意味」という非情な現実に直面せざるを得ない。宗教的な物語、道徳的な物語、世俗的で功利的な物語の仮面を剥ぎ取ってしまえば、現実は如何なる人間的な「意味」とも無関係に、茫漠たる無機的な存在として、私たちの鼻先に顕現する。慌てて急拵えの「価値」を、華美な衣裳の如く「無意味」の輪郭へ纏わせたとしても、己自身の心情を説得出来なければ、そんな脆弱な偽装は直ぐに潰えて霧散してしまう。

 こうしたニヒリズムの度し難い病理的性質が、人間の精神から生きることへの積極的で倫理的な意欲を剥奪することは言うまでもない。あらゆる現実が意味も価値も有さないのであれば、私たちの生活と行動を縛っている一切の規矩は、その権威と拘束力を失ってしまう。如何なる意味も存在しない世界では、私たちの言動は常に任意の選択肢であることを強いられ、従ってその選択肢の価値を支える絶対的で根源的な天蓋への依存を期待することは不可能である。

 三島由紀夫という作家は、そうしたニヒリズムに対する真剣な憎悪を絶えず懐き続けた人物ではないかと、私は考えている。彼のドラマティックでロマネスクな事件に対する嗜好、潰滅的な破局への憧憬は、ニヒリズムに対する否定的な意志の所産であるように感じられる。ニヒリズムは、生きることの意味を根源的に否定する。換言すればニヒリズムは、生きることと死ぬこととの間に引かれている重要な境界線の効力を否認する。三島由紀夫の生涯において特徴的であったのは、退屈で反復的な日常生活に対する嫌悪から、ドラマティックで英雄的な死への欲望が喚起される点である。彼は平穏無事な日常性に含まれている倦怠と社会的な制約を根源的に嫌悪していた。彼の欲望は、そうした実存の堪え難い永遠性を叩き壊すことに向かって結わえ付けられていたのである。単調な生死の輪廻、類的な生滅の果てしない繰り返し、そうしたイメージは三島にとって絶望に値する悲惨な幻想であったに違いない。それならば寧ろ、陰惨な情死や忠烈な殉死、痛ましい夭逝のイメージの方が、天上的な輝きに満ちた「福音」に相応しい。少なくとも、それらの悲惨な死の形態には、倦怠と老醜に彩られた無味乾燥な生活を圧倒する目映い栄光が附随している。三島的な世界においては、栄光に満ちた死は無惨な長生よりも遥かに価値が高いのである。

 この世界に超越的な意味や価値を期待することは馬鹿げている。こうしたニヒリズムを踏まえた上で、彼はその無意味な空虚を破壊しようと試みる。ニヒリスティックな認識に抗って、生きることに特権的な輝きを賦与する為に、英雄的な死、華々しい滅亡というイメージを活用すること、それが三島の終始一貫して掲げ続けた審美的な倫理学の要諦である。

鏡子の家 (新潮文庫)

鏡子の家 (新潮文庫)

 

無害で安全な幸福

 無害で安全な幸福という言い方には明らかに批判的な意識が反響して聞こえるだろう。私自身、無害で安全な幸福に憧れを持たない訳ではないし、傍目には、今の私の生活自体が、無害で安全な幸福の典型のように映じるかも知れない。

 けれども、無害で安全な幸福だけが人生の理想的な形態であると短絡的に断じる気分にはなれない。無害で、清潔で、安全で、完璧に制御された幸福な人生。研究室で培養された無菌の人生。人間というのは実に厄介な生き物だ。不幸であるときは我が身の不遇を呪い、他人の幸福を妬むくせに、いざ幸福に首まで浸ってしまえば、幸福の単調な音律に不満を述べ立てるのだから。

 安全で後悔のない選択肢ばかりを買い漁る卑しさ、それは生きることの本質的な危険性に対する黙殺の所産である。苦しみや不幸は一糸たりとも不要であると言い張る、精神的な吝嗇。掠り傷にさえ怯え、慌てて軟膏を塗りたくる過剰な健康主義。だが、傷を負うことは罪悪であろうか? あらゆる疾病は不本意な悲劇であろうか? 苦しむことは時間の空費なのか? 我々は殺菌された単純な快楽だけを貪る為に生まれてきた、怠惰な家畜なのか?

 何も私は過激なラディカリズムを信奉したいのではない。三島由紀夫の作品ばかり立て続けに読んで、その破滅的なニヒリズムの感性に蝕まれたのでもない。世の中の道徳は、健全な幸福と正統な愛の素晴らしさばかりを憑かれたように称揚する。そういう一面的な思想が嫌いだ。有り触れた、卑俗で健康的な価値観ばかりが蔓延するのは願い下げだ。私たちには創傷を負う権利があり、泥濘に埋もれて悪足掻きを演じる資格がある。それは幸福を希求する気持ちと別に矛盾しない。重要なのは、多面的な存在であることだ。或る一つの単純な理念の下に、総てを整序してしまわないことだ。人間の内部には光と闇が同居している。光だけを見凝めようと試みれば、きっと私たちは何も見ることの出来ない動物に成り下がるだろう。

 無害で安全な幸福、煎じ詰めればそれが人間社会の究極的な目標であり、崇高な理念であると言えるかも知れない。けれども、それは北極星のように手の届かない場所に飾られて輝くことに本来の価値がある。それは確かに私たちの生活を導く重要な指標として働くが、北極星以外に如何なる価値も認めないのは余りに偏狭で貧相な考え方である。正しい愛、健全な幸福、誰もが認める瑕疵のない清廉な人生。それだけが美しく素晴らしいと信じて疑わないのは、人生の複雑な諸相に眼を瞑ることに過ぎない。その無垢な盲目が、人間の理想的な姿であると断定して迷いもしないのは、その人間の精神的な未熟を意味している。

 正しさだけを選ぶ清廉な生き方を、誰が貫徹出来るだろう。如何なる闇も忍び込まない完璧な心など、地上の世界に存在する筈がない。人間はそのように創られていない。闇を知らずに、闇から眼を背けて、事物の明るい側面だけを眺めて生きようという賢しらな世間知、行儀の良い道徳的な姿勢が、私は嫌いである。

 私は無自覚な偽善が嫌いである。精緻に計算され、狡猾に統御された偽善は好きである。偽善であることを承知で、巧みに仮面を被り、衣裳を取り換えるのは背徳ではなく、寧ろ創造的な美徳ではないか。事物の明るい側面だけに眼差しを据えて生きようとするのは、換言すれば、事物の深層から絶えず眼を逸らすということであり、自らの思索を枯死させる行為に他ならない。自分に都合の良い事柄だけを認識して、その他の事柄に就いては意図的な無智を貫き通す、極度に防衛的な姿勢。

 私は、無垢で他人を信じ易い性格の人間を見ると不安を覚える。言い換えれば、私は無垢なものが嫌いなのだ。純潔な処女性、それを過剰に有難がる人々の気持が、私には到底理解出来ない。確かに無垢なものは美しい。しかし、その美しさは余りに脆弱で、免疫が弱過ぎる。地上の苦しみを潜り抜け、鍛え抜かれた堅固な美しさではない。清濁を超越した場所に樹立された美しさではないのだ。人間は、清らかなものだけを信じて生きていくことは出来ない。底知れぬ闇の忌まわしさから、顔を背けてはならない。

Cahier(酷暑・京都・夏の光り・サカナクション)

*酷暑が続いている。茹だるような暑さという表現の相応しい日々が、人の生命さえも奪っている。娘は体温が上がると蕁麻疹が出る。汗疹も出るので、二重の苦しみだ。止むを得ず家ではずっと冷房を利かせている。機嫌の悪い娘を見るのは辛いのだ。

 八月の盆休み明けに、会社の選抜研修で京都へ行くことになった。生憎、日帰りの強行軍だが、それでも私は京都に起源の不明な愛着を持っているので素直に嬉しい。しかも、旅費は会社の金で賄われる。研修であるから賃金も発生する。思わぬ成り行きで京都の土を踏めることになったのだから、私は幸せ者だ。

 八月の夥しい夏の光りのイメージ、そこから私は三島由紀夫の文章を想い出す。

 敗戦は私にとっては、こうした絶望の体験に他ならなかった。今も私の前には、八月十五日の焔のような夏の光りが見える。すべての価値が崩壊したと人は言うが、私の内にはその逆に、永遠が目ざめ、蘇り、その権利を主張した。金閣がそこに未来永劫存在するということを語っている永遠。(三島由紀夫金閣寺新潮文庫 pp.81-82)

 二十代の後半、私は三年続けて夏の京都へ旅行に出掛けた。元々は大阪府の北辺の生まれなので、学校の遠足や社会科見学で京都の市街を訪ねる機会も多かった。友人と四条河原町へ映画を観に行ったこともあった。盆地ゆえの京都の酷暑は広く知られている。日盛りの夏の京都を歩くのは苦行そのものである。それでも私は、あの噎せ返るような夏の暑さに破滅的な憧れを懐く。古びた地名に、夥しい寺社仏閣に、規則正しく引かれた道路の歴史的な秩序に、数多の観光客の好奇心に常時晒され続けて、すっかり仮面と本音の使い分けに熟達してしまった、高級で老獪な娼婦のような性質に惹かれる。

*この記事を書いているパソコンからは、サカナクションの「多分、風。」という楽曲が流れている。サカナクションの音楽にはいつも、近未来的な不安の感覚が鏤められていて、それが私の心臓を揺さ振り、名状し難い感情を浮き上がらせ、煽動する。この奇妙な感覚の正体を明晰な言葉で名指すことは難しい。単純なダンスミュージックではなく、宗教的な朗誦のような、不可解な祈りの情熱を含んだような、それでいて澄明な音楽。歌詞は明確な感情や情景を描写する為に用いられる訳ではなく、ひらひらと揺れる花弁のように極限まで軽く削がれ、千切れた金箔のように、祈りの表層を覆っている。それは薄片の表皮、虚無的な音の連なりの輪郭に被せられた精妙な箔押しの言葉たちだ。言葉は明瞭な意味に縛られず、明確な感情の告白にも結び付かず、曖昧な何かを表示している。論理的な根拠は生憎示せないが、サカナクションの音楽は全体的に「祈祷」や「真言」に似ている。