サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

凄絶な悪意と「被害者たること」への欲望 大江健三郎「芽むしり仔撃ち」

 どうも皆さんこんにちは、船橋の片隅で慎ましい生活を送っているサラダ坊主です。

 本日はノーベル賞作家の大江健三郎が書いた初期の代表的な長篇小説について、エントリーをアップさせて頂きます。下記、例によってウィキペディアから作者の大まかなプロフィールの抜粋です。

 愛媛県喜多郡内子町(旧大瀬村)出身。東京大学文学部フランス文学科卒。大学在学中の1958年「飼育」により当時最年少の23歳で芥川龍之介賞を受賞。ジャン=ポール・サルトル実存主義の影響を受けた作家として登場し、戦後日本の閉塞感と恐怖をグロテスクな性のイメージを用いて描き、石原慎太郎開高健とともに、第三の新人の後を受ける新世代の作家と目される。

 その後、豊富な外国文学の読書経験などにより独特の文体を練り上げていき、核や国家主義などの人類的な問題と、故郷である四国の森や、知的障害者である長男(作曲家の大江光)との交流といった自身の「個人的な体験」、更に豊富な読書から得たさまざまな経験や思想を換骨奪胎して織り込み、それらを多重的に輻輳させた世界観を作り上げた。作品の根幹にまで関わる先人たちのテクストの援用、限定的な舞台において広く人類的な問題群を思考するなどの手法も大きな特徴として挙げられる。1994年、日本文学史上において2人目のノーベル文学賞受賞者となった。

 主な長編作品に『芽むしり仔撃ち』『個人的な体験』『万延元年のフットボール』『洪水はわが魂に及び』『同時代ゲーム』『新しい人よ眼ざめよ』『懐かしい年への手紙』など。1995年に『燃えあがる緑の木』三部作完結、これをもって最後の小説執筆としていたが、武満徹への弔辞で発言を撤回し執筆を再開。以降の『宙返り』から、『取り替え子(チェンジリング)』に始まる『おかしな二人組(スウード・カップル)』三部作などの作品は自ら「後期の仕事(レイト・ワーク)」と位置づけている。また戦後民主主義の支持者として社会参加の意識が強く、国内外における問題や事件への発言を積極的に行っているが、その独特の視座における発言が議論を呼ぶこともある。

 大江健三郎氏は、東大在学中に「飼育」で芥川賞を受賞して以来、小説家一筋で半生を歩んできた稀有な人物で、ノーベル文学賞を貰うほど世界的にも名の知れた文学者ですが、その業績の巨大なスケールにも拘らず、文学的にも政治的にも非常に毀誉褒貶の劇しい人物です。その独特で複雑な文体から政治的な思想に至るまで、肯定と否定の振幅が極度に大きいということは、裏を返せばそれだけ社会的に重要な作家ということになりますが、重要なのは、その作品がどれだけアクチュアルに読まれているか、という点にあるでしょう。

 初期の頃から、その作品のスタイルは多彩な変遷を遂げて今日に至っておりますが、いずれにせよ難解な作品群であることは間違いありません。少なくとも、分かり易い意味で娯楽的なスタンスではありませんし、文章自体、実に癖の強い「悪文」と言えるかも知れません。但し「悪文」という評言は、文学の世界においては必ずしも否定的な価値を示すものではありません。その文体でなければ表象し得ない特異な世界が存在するとすれば、そこへアクセスする為の回路である「文章」が、複雑な迂路のように構成されているからと言って、直ちにその難解さを責め立てるのは、読者として偏狭な態度であると言わざるを得ないでしょう。

 さて前置きが長くなりましたが、今回取り上げる「芽むしり仔撃ち」という小説は、1958年に講談社から発行されたものです。戦争中の集団疎開で或る村落へ遣ってきた感化院(現在の「児童自立支援施設」)の少年たちが、疫病の蔓延が始まった村落へ閉じ込められ、見捨てられるという陰惨なホラーのような筋書きです。作中には暴力的な描写がしばしば登場し、性的な表現も煽情的ではなく、荒涼とした即物的なスタイルで現れます。つまり、決して心温まる素敵なお話ではなく、寧ろ救い難い絶望と恐懼が作品の基調を貫いています。

 世間の感想は古今問わず様々ありましょうが、私が全篇を通読して抱いた素朴な疑問点を軸に、このエントリーを進めていきたいと思います。

(問)なぜ、少年たちはこんなに残虐な扱いを受けねばならないのか?

 感化院の少年という設定を踏まえているのは分かりますが、それにしても少年たちに対する「大人」側の悪意は尋常なものではありません。この小説は劈頭、一部の院児が脱走を企てて失敗し、教官に連れ戻されるところから始まるのですが、その時点で既に容赦のない暴力が存分に発揮されます。そこには少年たちの「人権」に対する人間的で倫理的な配慮など、欠片ほども存在していません。

 教官と巡査が話しあっている間に僕らは、失敗した勇敢な仲間たちのまわりをとりまいて立った。彼らの脣は切れて乾いた血がこびりつき、眼のまわりは黒ずみ、頭髪は血に濡れてかたまっていた。僕は携帯品袋のなかからアルコールを取り出して彼らのおびただしい傷口を洗い、ヨード・チンキを塗りつけた。彼らの一人、年齢も上で躰の逞しい少年は内股に蹴あげられた打撲傷をもっていたが、まくりあげたズボンの下のそれを治療する方法は僕らには見当もつかなかった。(『芽むしり仔撃ち』新潮文庫 p.10)

 のっけから随分な殴られようですね。この作品には、少年たちに対する劇しい憎悪の噴出が随所に刻み込まれています。疫病の蔓延する村へ彼らを置き去りにしたことも、常識的に考えればとんでもない犯罪です。彼らが如何なる種類の悪事を働いて感化院へ送られたのか、その詳細な描写は殆ど見受けられませんが(「南」という少年は「淫売」の罪で捕らえられたようです)、それにしても彼らに寄せられる悪意と暴力の強度には常軌を逸したものがあります。

 この異常な悪意の発生する素因を「感化院の少年」という設定に求めるのでは、話が本末転倒になります。この作品は飽く迄も虚構であって、客観的な事実に取材したノンフィクションではありません。彼らに向けられる暴力の凄まじさには、フィクションの創造主である大江健三郎の恣意的な方針が反映されている筈です。つまり、少年に向けられる激越な「憎悪」は偶然的なものではなく、作者の選び取った「作品の内在的論理」に支えられていると考えるべきなのです。

 作者の眼差しは明らかに「感化院の少年」の側へ寄り添っています。それは作者が、大人たちの悪意に対する少年たちの半ば独善的な「正義」と「勇気」を寛大にも許容していることからの推察です。 見捨てられた少年たちは、抛棄された村落で自分たちだけの王国を作ります。いや、厳密には、それは改めて建設されたのではなく、そう思い込まれ、そう信じられたに過ぎないのですが、見捨てられた少年たちの「幻想」は束の間とはいえ、確かな「強度」を有していました。

「俺たちの村で、雉がはじめて獲れた日にはお祭りをやるんだ」と李がいった。「それは、俺たちの猟を守るためなんだ。ところが今日、誰一人村の人間がいない、祭もやらない。俺たちがそれをやらないと、猟がだめになってしまう、そして村がさびれる」

「やろう」と僕はいった。「俺たちで猟を守るんだ。村のために」

「俺たちの村か?」と南が脣を歪めていった。「え? 俺たちは棄てられたんだぜ」

「俺たちの村さ」と僕は南を睨みつけていった。「俺は誰からも棄てられた訳じゃない」(『芽むしり仔撃ち』新潮文庫 pp.150-151) 

 「僕」の果敢な決意が、儚い妄想に支えられた精一杯の「虚勢」に過ぎないことは明白です。「僕」たちが棄てられたことは疑いようのない事実ですし、この村が「俺たちの村」であるのは、疫病を免かれる為に大人たちが退避したことの間接的な結果に過ぎません。彼らは独力で何かを成し遂げた訳ではありませんし、大人たちの村が永久的に少年たちへ譲渡された訳でもありません。実際、疫病が落ち着いたところを見計らうように大人たちは村へ帰還し、自分たちが見捨てた筈の少年たちに残忍で一方的な「裁き」を与えます。それによって束の間の「閉鎖されたユートピア」は崩壊し、彼らは再び現実世界の峻険な摂理に打ちのめされてしまうのです。

 俺たちは村を支配し所有していたのだ、と僕はふいに身震いにおそわれて考えた。村の中へ監禁されていたのではなく、俺たちが村を占領していたのだ。その俺たちの領土を俺たちは抵抗一つしないで村の大人たちにあけわたしたあげく、納屋にとじこめられてしまっている。俺たちはうまくはめこまれてしまった、まったくうまくはめこまれた。(『芽むしり仔撃ち』新潮文庫 pp.183-184)

 この絶望的な述懐は、虐げられた者、被害者の位置に釘で打ち付けられた者の壮絶な嘆きです。そしてこの嘆声は、村を「占領」していたときの奇妙に勇敢なヒロイズムと表裏一体を成しています。

「俺たちはお前の村の人間に見棄てられたんだ。そして疫病がはやるかもしれない村で俺たちだけでくらした。それからお前らが帰ってきて俺たちを閉じこめた。俺はそれを黙ってはいないぞ。俺たちがやられたこと、俺たちが見てきたことを全部しゃべってやる。お前らは兵隊を突き殺した。あれもあの兵隊の親や兄弟にいってやる。お前らは、俺が村の中へ病気をしらべに戻ってくるように頼みにいった時、追いかえした。疫病のなかへ子供らだけを落しこんで助けようとはしなかった。それを俺はしゃべってやる。黙ってなんかいるものか」(『芽むしり仔撃ち』新潮文庫 p.201) 

  「僕」は命懸けの告発をします。このとき、作品の世界に象嵌される明確な図式に、読者は注意を払うべきでしょう。「無力な子供」と「狡猾な大人」の対比という使い古された構造が、作品の根幹に据えられ、エンジンとして駆動しています。私がこの作品から受け取ったのは少年の「絶対的な無力さ」でした。束の間のヒロイズムも、果敢な告発も、圧倒的な「大人=社会」の権力によって捻じ伏せられてしまいます。

 しかし僕には兇暴な村の人間たちから逃れ夜の森を走って自分に加えられる危害をさけるために、始めに何をすればよいかわからなかった。僕は自分に再び駈けはじめる力が残っているかどうかさえわからなかった。僕は疲れきり怒り狂って涙を流している、そして寒さと餓えにふるえている子供にすぎなかった。ふいに風がおこり、それはごく近くまで迫っている村人たちの足音を運んで来た。僕は歯をかみしめて立ちあがり、より暗い樹皮のあいだ、より暗い草の茂みへむかって駈けこんだ。(『芽むしり仔撃ち』新潮文庫 pp.209-210)

 無事に逃げ遂せるにせよ、村人の手に掛かって殺されるにせよ、「僕」が絶望的な境遇へ追い詰められていることに変わりはありません。ここには少年特有の「無垢なヒロイズム」に対する否定が刻印されています。しかし、それは絶望や屈従を選ぶべきだという無気力な主張とは違います。その両極に引き裂かれた「僕」のどうしようもない混乱が、そのまま鮮やかに定着されていると看做すべきでしょう。

 大人たちの仕掛ける陰湿な「罠」と、それに決然と立ち向かいながらも為す術なく搦め捕られていく少年の「無力」を対比して描きながら、作者は何を表現しようとしているのでしょうか?

 端的に言ってここには「無垢なるもの=無力であるもの」のヒロイズムに対する哀惜と共感が明確に彫り込まれています。穿った見方をすれば、少年たちに向けられる理不尽なほどの「悪意」は、少年たちの純粋な勇気(むろん、純粋であることは正義であることとは必ずしも一致しません)を際立たせ、強調するための意識的な操作のように感じられます。何といえばいいのか、それは「被害者たることへの欲望」とでも呼ぶべきスタンスです。大人たちの理不尽な暴力は、現実の良識的な反映というより、虐げられた無力な少年の「主観」を通じて偏向させられた特殊な「像」だと考えるべきではないでしょうか。それぐらい「僕」の怒りは深く、迫害する者への嫌悪は病的な偏執に貫かれています。「僕」が良識的な人間でないことは、作中の描写を徴する限り明白です。この「僕」の歪んだ自意識は、大人を「穢れた存在」として類型的に捉えています。

 そのような認識の偏向自体の是非を論じるのは恐らく、無益な行いでしょう。虐げられ、歪められた個人の主観的な「絶望」と「憎悪」を剔出する作者の表現力は、その独特の文体と相俟って鮮烈な効果を齎しています。彼はあくまでも「少年」という一つの類型を用いて、社会の構造、共同体の構造というものを寓話的に構成しています。もっと言えば、大江健三郎という作者の、少なくとも初期作品における個性は、このような現実の「寓話化」にあると言えるかも知れません。そう考えるならば、大人たちが残らず典型的に「穢れて」おり、その暴力が非常識なほどに「過剰」であり、見捨てられた少年たちが常に一つの「群像」のように描き出されているのも、単なる作品の内的必然性の所産である以上に、作者の有している文学的想像力の根本的な性向の結果であると言い得るでしょう。

 この「寓話性」が、単なる写実的な小説には見られない奇妙な「ファンタジー」を成立させていることは確かです。言い換えれば、寓話化されることによって物語は或る象徴的な高みへ昇華されているのです。では、物語を象徴的な高みへ昇華させるというのは、一体いかなる目的の下に為される営みなのでしょうか?

 今の私には、これ以上の推論を重ねていく力はありません。ただ、漠然と感じるのは、作者の独特な寓話性が、具体的な現実に対する蔑視、或いは「無関心」の裏返しなのではないか、 ということです。寓話的であることは、現実を客観的に模写するのではなく、事実の細部を重んじるのでもなく、或る観念によって現実を再編集するということです。その編集力の「強度」が、そのまま「想像力」の強度と比例していることは、おそらく確かでしょう。現実の素材から「虚構」を捻り出す作者の豪腕ぶりに、私としては舌を巻くほかありません。

 皆さん、興味を惹かれたでしょうか? 何だか小難しそうで読む気が失せてしまったでしょうか? 是非、実際に読んでみて、考えてみて下さい。なかなか奥の深い作品です。そこはかとなく漂う「僕」のナルシシズムを不快に感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、読む価値は間違いなくあると思います。こんなに鮮烈で、想像力を励起する文章というのは貴重品です。頗る観念的な想像力だという留保つきですが。

芽むしり仔撃ち (新潮文庫)

芽むしり仔撃ち (新潮文庫)