サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

サラダ坊主風土記 「仙台・松島・塩釜」 其の一

 昨晩、二泊三日の仙台旅行を終えて千葉へ帰ってきた。備忘録を認めておく。

 

 仙台は、数年前に訪れた金沢と似通った雰囲気のある土地だった。江戸時代、雄藩として栄えた城下町としての歴史を持ち(加賀藩前田家の金沢城仙台藩伊達家の青葉城)、文化的な成熟を遂げている点、往古の香りを漂わせる地名が今も残っている点(例えば金沢の香林坊、仙台の名掛丁)、その地方で屈指の繁華街(夜の街)を持っている点(金沢の片町、仙台の国分町)など、類似点は枚挙に遑がない。何れの都市も「コンパクトな京都」という趣を備えていると言ったら、住んでいる人たちに叱られるだろうか。

 一歳の娘を連れて、初めて二泊三日の旅行に出掛けるというのは、我々夫婦にとっては一つの立派な挑戦であり冒険であったが、それでも私たちは、仙台の名物を食らうことへの情熱を蔑ろにしなかった。仙台の厚切り牛タン、松島の穴子飯、塩釜の握り寿司、これらの名物を貪り食らうことに、我々は奇妙な使命感を燃え上がらせて、東京駅から「やまびこ」に搭乗したのである。名所旧跡の見物などは、我々にとっては余技に過ぎない。

 当日(日曜日)の朝、私は明け方五時に眼を覚ました。激務の疲れが消え残っていたが、六時には家を出て、幕張駅から総武線の各駅停車に乗り込んだ。津田沼で快速に乗り換え、東京駅へ辿り着く。駅弁は買わず、朝食代わりにグランスタのパン屋を利用した。朝の七時から開いているらしい。以前に神戸へ出張する際にも一人で利用したことのある店だ。私は現在、百貨店に入居するテナントの店長として働いているが、パン屋というのはとにかく、朝の早い仕事である。どんなに朝早く出勤しても、パン屋に先を越されなかった例がない。十時開店の商業施設でもそうなのだから、七時開店のパン屋というのは、どれほど殺伐としているのだろうか。製造担当のスタッフは、朝の顔を務めるニュースキャスターや、或いは漁師並みに早起きしているに違いない。

 東京から仙台までは、実に快適な旅路であった。新幹線に乗れば、二時間もかからずに仙台まで辿り着ける。問題は、天候であった。しとしとと細かい糠雨が陰湿な表情で我々の来仙を出迎えたのである。暫く右往左往した後、エスパル仙台本館(JRの運営する駅ビル)の地下フロアで親子丼を食らった。牛タンでもよかったのだが、牛タンは夕飯にしようという妻の提案があったのだ。娘は、通常の半分のサイズの親子丼を瞬く間に平らげてしまった。それでも足りないのか、随分と機嫌が悪くて困った。店の中で自分の子供の叫び声が響き渡るというのは、子連れの旅人にとって最も頻繁に襲い掛かる厄介な困難の一つである。

 親子丼を食らう前の館内散策のときに、我々は仙台らしいアイテムとして早速「ずんだシェイク」を賞味した。仙台銘菓「萩の月」で知られる「株式会社菓匠三全」の展開する「ずんだ茶寮」という店が、エスパル本館の地下に入っているのだ。京都の誇る「宇治抹茶」の、関東における有力な対抗馬であると言えようか。素直に美味であった。だが、私としては「宇治抹茶」に軍配を上げたい。「抹茶」の苦味が入り混じった「渋い甘さ」はやはり、一級品である。

 昼餉を終えて、私たちは観光客向けの循環バス「るーぷる仙台」に乗り込み、青葉山仙台城跡を目指した。一日乗車券を買って意気揚々と乗り込むところまではよかったが、車中は通勤ラッシュ並みに混み合っていて、一歳の喚き立てる娘と折り畳んだベビーカーとマザーズバッグと雨傘二本を抱えた我々には、いかにも不向きな乗り物であった。バスの運転手のマイクパフォーマンスが綾小路きみまろ的な諧謔に満ちていて、ずっと聞き惚れていたかったのだが、狭苦しい車内で不機嫌な娘を抱えたまま立ち続ける苦痛に堪えかね、我々は早々に瑞鳳殿仙台藩伊達政宗墓所)のバス停で下車することにした。

 瑞鳳殿青葉山に列なる段丘の上にあり、底意地の悪い急坂と石段が我々を待ち受けていた。古びた史跡であるから、便利なスロープはなく、ベビーカーを抱えた我々は忽ち受難を強いられた。こういう名所旧跡は、幼児を伴った旅人の観光には不向きであることを改めて痛感させられた。しかし、だからと言って引き下がるのは余りに無念である。ベビーカーを石段の下にこっそり駐車して、双手を酷使して娘を抱きかかえ、我々は石段の先に横たわる政宗公の霊廟へ、命懸けの登攀を試みた。

 漸く辿り着いた霊廟は壮麗なものであったが、何しろ十キロを超える体重の獰猛な怪獣を抱えての登攀の為に息が上がり、汗が吹き出し、しかも疎らな雨が鬱陶しく降り続いている所為もあって、じっくり眺めようという気分にはなれなかった。再び急坂を降って、麓のバス停の辺りまで戻ってきたが、改めてるーぷるへ乗り込む気力は湧かず、私は嫌がる妻を引っ張って、徒歩で地下鉄東西線の「大町西公園駅」を目指すことを決断した。車を持たない私は、代わりになかなかの健脚の持ち主なのである。しかも我々三人には過去、千葉駅から幕張駅まで、ベビーカーを押して三時間の道程を踏破したという燦然たる実績がある。何も懼れることはないのである。