サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

「古都」 11

 秋南は何時しか、京都での生活を忌み嫌うようになりました。私たち夫婦にとって、夏は噎せ返るほど蒸し暑く、冬は身を斬るように寒い京都の町は、それでも紛れもない故郷であり、人生の根拠地です。秋南だって、その古都の懐に抱かれて大きくなったのです。彼女の躰には、この土地の記憶が血潮に混じって流れているのです。それを否定するのは、如何にも子供らしい無分別な抵抗だと、当時は嘲る気持ちもありましたが、今となっては、そのことの持つ意味に、自分がどれほど鈍かったか、恥じる気持ちの方が強いのです。
 私は渡月橋から程近い嵯峨野の一角に、家具を扱う会社員の長男として生まれました。天龍寺嵐山公園の風景は、私という人間の内側に櫛の歯のように突き刺さって、その「本質」の礎を形作っています。そうした土壌を実の娘に口汚く罵られるのは、幾ら親子と雖も、子供から大人へ移ろっていく不安定な季節と雖も、許し難い侮辱に感じられるのは如何ともし難い本音でした。ですが、そのような感情をぶつけたところで、娘の離反は一層過激さを増し、手綱を食い千切る暴れ馬のように益々「自由」への憧れを募らせるばかりでしょう。それに、落ち着いて考えるならば、郷里に対する彼女の嫌悪は、京都という土地そのものに向けられた悪感情ではないのです。それは土地に転写された、我々夫婦に対する憎悪なのであり、その屈折した表現に過ぎないのです。そのことが、私の哀しみを深めました。我々自身の不徳が、娘の郷里に対する鋭く尖った敵愾心を養ったのだと、結論せざるを得なかったからです。彼女を憎しみに駆り立てているのは、我々がこの三十年間、少しずつ積み上げて来た多くの失策の結晶なのです。
 東京へ出奔した娘を、家内は是が非でも連れ戻そうと燃え上がっていましたが、私はもう限界だと感じていました。これ以上、親の権威や道徳を振り翳して無理に引き留めても、煮詰め過ぎた醤油と味醂のように、焦げ付いて取り返しのつかない事態になることは読めています。どう足掻いても、この期に及んで、娘が素直に和解に応じるとは到底考えられません。彼女はかつて幼い女の子でしたが、今はもう、大人の女性なのです。親の言いなりに定められた軌道を辿る惰弱と、手を切ってしまったのです。それでも諦められずに東京へ出向こうとする家内に、私は珍しく口論さえ辞さぬ覚悟で臨みました。もう無駄や、あの娘の好きにさせたりいや、子供とちゃうんやから、あの娘にはあの娘の生き方いうもんがあるやろ、ええ加減にそれを認めたらなあかんわ。家内は真っ向から反論し、怒りに眼を潤ませ、私の顔をきつく睨みました。あんたが甘やかすから、あんな風になってしもたんや、今更寛大な親爺みたいにええ顔しようなんて小利口な話やわ、そんなん通らへんで、あの娘は今も昔もうちの子供や、ほったらかしにはできひん。
 言い合ううちに激してくるのは御互い、年を重ねても小綺麗な達観の境地には程遠いということでしょう。私も思わずかっとなって怒鳴りつけ、家内は床に頽れて号泣し、不慣れな修羅場にどうしていいか分からず、修復の糸口を探し倦ねて長い沈黙が始まりました。二人とも、どういう風に娘の唐突な出奔という現実に整理をつければ良いのか分からず、八つ当たりに活力を空費することで、その眼前の混乱から逃れようとしていたのでしょう。押し黙ったきり、泣き腫らした紅い眼の家内は、居間のソファから一晩中、置物のように動きませんでした。その姿を見ているうちに滲み出す黒々とした夜陰のような感情を、私は孤り酒で鎮めました。知らぬ間に寝入り、明け方の光に瞼を射抜かれて起き出すと、家内はソファに凭れたまま、見捨てられた不憫な子供のように寝息を立てていました。甘ったるい憐憫が胸を刺し貫きました。何故、これほど噛み合わぬ歯車が、母子の間に用意されてしまったのでしょうか。同じ先祖の血を分け合った母と娘、その狭間に果てしない空隙が宿るのは、如何なる悪意の果報なのでしょうか。それが総てを狂わせ、安穏な家庭を、見栄えのしない惨たらしい生き地獄に変えてしまうのです。隙間風の止まない窓辺、脱け殻の部屋、行方の知れない宝珠。そうして秋南は私たちの家を出て行きました。それだけなら、未だ気持ちの慰めようもあるでしょう。遠く離れた見知らぬ土地であっても、どんな仕事に就き、どんな風に暮らしを営んでいるか分からずとも、結果として彼女が幸福であるならば、我々は一定の安堵に辿り着けます。然し、予想外の訃報は、我々の仄かに消え残った希望さえも粉微塵に打ち砕き、夥しく氾濫する悔恨の泥沼に突き落としました。実の娘が縊れて死ぬなど、生まれてこの方、一度も想像したことのない惨劇です。その惨劇を受け止める準備が、破れた帆船のような我々夫婦に、整っている訳もなかったのです。