サラダ坊主日記

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プラトン「ティマイオス」に関する覚書 2

 プラトンの後期対話篇「ティマイオス」(『ティマイオス/クリティアス』白澤社)に就いて書く。

 「ティマイオス」の前半において語られるのは、宇宙の成り立ちに関する神話的な思弁である。感覚的な証拠に基づかない、純然たる「ロゴス」(logos)の論証的な作用を重んじるプラトン宇宙論は、所謂「センスデータ」(sense data)の精緻な検証に依拠する実証的な科学の手法に慣れ親しんだ(尤も、厳密な科学的実証の方法論を熟知している素人は、現代においても殆ど皆無であると看做して差し支えない)現代人の眼には、如何にも空疎な妄想のように見えるかも知れない。けれども、プラトンの神話的思考を往古の未開の時代の朽ち果てた遺物のように冷笑するのは驕慢な態度である。厳密な論証に基づいて、四囲の万物を分析し解釈する知性の所有者は、何時の時代にも貴重な少数派の種族である。我々は日常的に、因果の証明されない曖昧な認識と推論に基づいて、様々な事柄に就いて断定的な審判を下すことに慣れ切っている。

 神話的思考とは何か。それは要するに、この世界の成り立ちや現象に就いて、超越的な意志(擬人化された「神」でなくとも、例えば抽象的な観念としての「運命」であっても構わない)の作用を信じる思惟の様式である。「デミウルゴス」(demiurge)の介在によって宇宙が生成されたという記述は正に、プラトンの超越的な設計主義の傾向を露わに告示している。この世界には予め厳然たる設計図が存在し、総ての現象はその絶対的な「アルケー」(arkhe)から必然的な因果律を辿って流出するという世界観は、純然たる「偶然」(エピクロス=ルクレーティウスの提示した「クリナメン」のような、因果律の「亀裂」)の介入を認めず、森羅万象の一切を「ロゴス」の連鎖の裡に還元する。この世界は無意味な偶然の相対的な遷移に過ぎないというニヒリスティックな世界観は、邪悪な異教として排斥されるだろう。プラトンは、神話的思考の体系に極めて厳密で精緻な「論証」(proof)を賦与した。素朴な神話的論理を、比類無い精緻な思惟を通じて錬磨し、単なる伝承に過ぎなかった言葉の連なりを、抽象的な論証の連鎖に置き換えたのである。こうした思惟の形態が、後世のヨーロッパを席捲することになるキリスト教の信仰と極めて密接に結び付いたことは周知の事実である。彼は一つの公理、信仰によって護られるべき超越的な公理に、浩瀚な論証を賦与することで、この世界の総てを正しく説明する「真理」に到達し得ると考えた。個別的な存在としての人間が適切に理解し得るかどうかに関わりなく、この世界には厳然たる「真理」が内在しており、総ての現象は「真理」から派生して、無限の生成を積み重ねているのだとプラトンは看做したのである。

 神話的思考は、この世界には必ず何らかの超越的意志が、つまり事前に定められた普遍的な「律法」が内在している筈だという確信に衝き動かされて機能する。言い換えれば、こうした思考は宇宙の総体を擬人化し、生命体として処遇するという原則に必ず従属するのである。それならば、この絶えざる遷移と流動に覆われた落ち着かない世界の「設計図」(blueprint)を如何にして発見するかという問いが、最大の関心事となる。そして神話的思考の主体にとっては、その超越的な設計図は必ず誰かの主体的な意図として想定されるべき対象なのである。神話的思考の主体が発見するのは、単なる法則や統計学的な傾向ではなく、超越的な絶対者の「深慮」である。他方、科学者たちは、物理的な法則を「意味」ではなく「現象」として捉える。言い換えれば、認識される諸々の科学的法則を、特定の主体の発揮する意志の産物として捉える態度を放棄する。

 プラトンが感覚的認識を「謬見」(doxa)として排斥するのは、それが神話的思考の首尾一貫した構成を阻害するからである。言い換えれば、彼は抽象的な「ロゴス」こそ、超越的な主体の創出した「設計図」そのものであると看做していたのだ。「ディアレクティケー」(dialektike)を通じた厳密な論証だけが、この世界を支配する潜在的な「真理」の実相を正しく映し出す。知性的な思惟だけが、感覚的な「現象」(phenomenon)の背後に潜む揺るぎない「真理」へ到達することが出来る。地上的な「生成」は悉く、絶対的な「存在」からの偶有的な流出の結果に過ぎない。言い換えれば「生成」とは「仮象」に過ぎない。こうした考え方は、ヘラクレイトスの「万物流転」(panta rhei)に象徴される「相対主義」(relativism)の理路と対蹠的な性質を有している。「生成」を万物の「実相」と看做す種類の学説は、寧ろプラトニックな「存在」の観念こそ人工的な「仮象」に他ならないと断じるだろう。我々は感覚的認識を通じて把握された事物に、後天的な仕方で「法則」を見出す。累積された経験的な認識が、諸々の抽象的な観念を析出する。知性的思惟が、事前に定められた設計図を内包していると考えるのは、倒錯した論理である。少なくとも「唯名論」(nominalism)の信徒たちは、プラトニックな「本質主義」(essentialism)が、一種の知的な驕慢であることを問責するだろう。知性の働きを通じて設定された後天的な仮象を、この世界の「起源」(arkhe)として実体化する混乱した論証の手続きを糾弾するだろう。だが、プラトンの考え方は、キリスト教神学の領域に流れ込み、その最も重要な培地として尊重され、ヨーロッパの文化と精神の構築に大きく貢献した。プラトンの神話的な宇宙論は、西欧社会の思想的原質に他ならないのである。

ティマイオス/クリティアス

ティマイオス/クリティアス

  • 作者:プラトン
  • 出版社/メーカー: 白澤社
  • 発売日: 2015/10/26
  • メディア: 単行本