サラダ坊主日記

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廣川洋一「ソクラテス以前の哲学者」に関する覚書 2

 廣川洋一の『ソクラテス以前の哲学者』(講談社学術文庫)に就いて書く。

 一般に「哲学」(philosophy)の誕生はソクラテスプラトンの師弟に帰せられるが、当然のことながら、彼らの思想的な独創性が、如何なる伝統的基盤とも無縁に創発されたと信じるのは素朴に過ぎる。プラトンが夥しい対話篇を通じて提示した諸々の哲学的概念が、如何なる思想的助走も踏まえずに忽然と登場したと考えるのは軽率である。

 本書において、その学説の概略が紹介されている古代ギリシャの数多の賢者の中で、後世への影響が極めて顕著であると思われる人物の筆頭は、一般に「イタリア学派」の巨頭として分類されるピュタゴラスである。彼自身の著述は残存していないが、その弟子や他の哲学者たちによる記録や引用を徴する限り、古代ギリシャにおけるピュタゴラスの声価は極めて高かったことが窺われる。

 ピュタゴラスの思想がプラトンに及ぼした決定的な影響は、恐らく次の二点に集約される。「霊魂の不滅及び転生の思想」と「抽象的秩序への信仰」である。プラトンは「パイドン」において「霊魂の不滅」に関する論証を行なうと共に、死後の世界に関する神話的な素描を示した。その思惟の様態は明らかに古典的な「霊肉二元論」に基づいており、霊魂の優越と肉体の劣等という一対の図式は、プラトン倫理学における重要な骨格を成している。感性的認識を通じて無限に生成される「謬見」(doxa)を去って、純粋な「知性」(nous)を唯一の媒介として得られる「正しい知識」(episteme)へ至ることが、哲学的思惟の有する倫理的な効果であるという理路は、経験論的な「生成」の象徴である「肉体」への蔑視と結び付いている。ピュタゴラスの築いた結社が、宗教的な性質を備えた閉鎖的共同体であったことにも示されているように、古代ギリシャの思想において、学術と宗教は未分化であり、考えることと生きることは相互に不可分であった。

 所謂「イオニア学派」に分類される古代の「自然学者」たちが、感性的=経験的な現象の分析を通じて、様々な法則を見出し、事物の相互的な関係の実態を見極めていこうと試みたのに対し、ピュタゴラスパルメニデスといった「イタリア学派」の系譜を構成する人々は、そのような「生成」の観察を排除し、専ら抽象的な「実在」の考究へ情熱を注いだ。イオニア学派の自然学と、イタリア学派の形而上学との根源的な対立は、プラトンが創始した「哲学」の歴史において、絶えず普遍的に争われ議論されてきた重要な主題である。

 人間の思想が、その起源において神話的な形態を伴って顕現することは、あらゆる民族、あらゆる地域に共通して確認される現象である。それは感官が捉える諸々の事象に就いて、何らかの包括的な説明を与えようとする衝動の産物である。神話的思考は、単なる荒唐無稽の妄想ではなく、この世界に一定の合理性を賦与すべく編み出された人間的な叡智の顕れなのである。

 あらゆる学問は、こうした神話的思考から、不透明な超越性を排除しようとする衝動と意志に基づいて形成される。無論、そうした意志が直ちに無神論的な性質を帯びるとは限らない。少なくとも、古代ギリシャの思想家たちは「神」の存在を排斥し、その実在を否認する為に、厖大な思索を蓄積した訳ではない。けれども、彼らが伝統的な神話への盲目的な屈従を避けようとしたことは恐らく事実だろう。古来の神話を隅々まで信じ切って疑わずにいられるのならば、殊更に「真理」を探し求める必要はない。既に「真理」は「神話」を通じて明確に告示されているからである。それでは何故、彼らは伝統的な神話への疑念を培ったのだろうか。私見では、その疑念は「異教との遭遇」によって齎されたのではないかと考えられる。

 或る局地的な集団によって共有される神話的思考は、異なる集団の有する神話的思考と遭遇したときに、相互に通約し難い矛盾や齟齬を発見し、その普遍的な真理性を毀損される。単一の神話的秩序(一神教的な世界観は固より、多神教的であっても、神々が階層的な序列の裡に配置されているならば、それは単一の神話的秩序と看做される)の自明性が動揺を強いられ、何れの「神話」が「真理」の玉座に相応しいのか、黒白を決する必要に迫られるからである。神話的思考の再編は、こうした異文化との遭遇を契機として促されるのではないだろうか。言い換えれば、哲学的思惟は常に「異種交配」の所産として形成されるのである。

 自明性に対する懐疑、それまで絶対的な正統性に庇護されていると信じられてきた強力な物語への不信、看過し難い矛盾の噴出と顕在化、こうした過程を経由して、哲学的思惟の衝迫は起動される。あらゆる哲学的思惟は、先行する世界観や思想的構図への批判的な言及と解析の営為として構成される。哲学者たちは従来の思考の図式を書き換える為に、精緻な思索と入念な観察を積み上げ、新たな理論を設計する。結果的に、哲学者たちの思想的系譜は、その煩雑な家系図の下端に独創的な「革新」を書き加える作業を繰り返すのである。

 ピュタゴラスが、古代ギリシャに持ち込んだ思想的独創性とは何だったのか。一般的には、その学説の核心を成すものと看做されているのは「数学的秩序の導入」である。彼は人間の感覚的な経験が齎す多様な知識を重んじる代わりに、数学的真理の内在を信じた。感覚を経由せずとも、数学的な論理の階梯を辿っていけば、世界を構成し支配する普遍的な「真理」は必然的に開示される。それは感覚的な「現象」(phenomenon)の背後に潜在する揺るぎない秩序の実在を想定することと同義である。無論、あらゆる人間的思惟は、事象の背後に存在する不可視の規律を解読しようとする旺盛な野心と不可分であり、ピュタゴラスだけが「現象の超越」を志した訳ではない。彼の独創性は、生成的な現象を支配する「ロゴス」(logos)の解読に際して、イオニア学派の人々のように何らかの感覚的な物質を持ち出す代わりに、専ら「数」という抽象的な観念を駆使した点に存する。言い換えれば、彼の独創性は、その思惟に用いられる手法の斬新な性質に依拠しているのである。経験論的な観察という手段を用いる代わりに、彼は数学的な論証の技法を重用した。感覚的認識に拘束されず、純然たる知性的操作を通じて、世界の「真理」に到達し得ると信じることが、ピュタゴラスの思想的特質であり、それは一般にイタリア学派の基礎的な傾向であると看做されている。生成する世界の構造を、数学的な構造に還元して把握すること、こうした思惟の技法がプラトンに及ぼした影響は極めて甚大であると思われる。

ソクラテス以前の哲学者 (講談社学術文庫)

ソクラテス以前の哲学者 (講談社学術文庫)