サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

サラダ坊主風土記 「勝浦・小湊・大多喜」 其の二

 外房線安房小湊駅は、鴨川市に属する鄙びた港町に鎮座している。駅前には巨大なセブンイレブン(天津小湊店)があり、恐らく通常のコンビニの範疇を越えて、地域に密着したスーパーマーケットの機能も兼ねているのではないかと思われる。見るからに儲かっていそうな規模と内装である。
 今宵は鯛の浦と誕生寺に程近い「吉夢」というホテルに投宿する予定であった。小湊の観光協会で昼食に相応しい地元の店舗を教えてもらう。少し歩いたところにある「なかむら」という海鮮料理の店を薦められて赴いた。妻は海鮮丼、義母はランチ限定の定食、私はアジのたたきの定食を頂いた。美味である。表の駐車場には引っ切り無しに車が出入りし、わざわざ此処の料理を目当てに訪れる人も少なくないのだろうと思われた。コロナ対策の一環で開け放たれた掃き出し窓から吹き込む風が力強く寒い。却って上気道を傷めてしまいそうだ。
 食事を済ませると、海沿いの道を歩いてホテルへ荷物を置きに向かった。ホテル三日月の巨大な建物を横目に通り過ぎ、土産物を商う小さな店を冷やかして、漁港の方面へ進んでいく。日蓮宗名刹である誕生寺の敷地から指呼の間に、今宵の宿は聳えていた。荷物を預かってもらい、紙の地域共通クーポンを受け取って、直ぐ近くの鯛の浦遊覧船の乗り場へ移動した。出航の時刻まで間があったので、併設された資料館を見物し、何枚か記念の写真をスマホで撮った。
 乗り込んだ遊覧船は小型で、沖合に出ると波に競り負けて劇しく揺動した。浮き上がる瞬間の無重力の感覚が苦手で、私は落ち着かない気分だった。小湊港から内浦湾を緩やかに旋回して帰って来る短い行程で、仰ぎ見る高台の森林の狭間に誕生寺の仏舎利塔の白い頭が眺められた。途中、停船して、舳先に陣取った老年の海の男が、鰯の身を千切った餌を海中に投げ込むと、競い合って巨大な鯛の群れが水面に姿を顕した。
 十一月の太陽が徐々に傾き始めていた。ホテルへ戻る前に、誕生寺へ立ち寄り、賽銭を投じて祈りを捧げ、妻は御朱印を貰った。御朱印の仕上がりを待つ間、娘にせがまれて二種類の御神籤を引いた。一つは凶で、一つは中吉である。待ち人は来ず、失せ物は出ず、縁談の見込みはない。ろくでもない人生である。
 娘が疲れて歩かないので、散策は諦めてホテルへチェックインした。五階の部屋に落ち着いて荷物を解き、早速浴衣に着替える。日暮れの前に露天風呂へ急ぐことにして、妻と義母は女湯に、私は娘と共に男湯へ入った。コロナの影響で日帰り入浴が休止になっている所為か、入浴する客の数は疎らであった。手早く躰と頭を洗い終えて、熱い湯に心行くまで浸かる。しかし飽き性の娘が長湯を許さない。直ぐに外のお風呂へ行こうと急かされる。露天風呂に浸かりながら、海面を彩る残照の波に見蕩れた。小高い山影に向かって、大きな夕陽は見る見る萎んでいき、遮るもののない空は刻々と色調を革めた。日没の後も、暫くは紅い片鱗が藍色の沖合に消え残り、潮風が冷たさを増した。
 例によって豪勢な旅館の夕餉を頂き、巨大な鮑のバター焼きを見物した(私は貝類や甲殻類を好まない)。港町であるから、献立の過半に海の幸が織り込まれている。料理の総量が多くて、締めの甘味を平らげるまで二時間ほど要したのではないか。娘はすっかり退屈して、ホテルから貰った折り紙に熱中して閑を凌いでいた。
 部屋に戻ると、ロビーの売店で買って冷やしておいた地元の麦酒(「九十九里オーシャンビール」と「安房麦酒」)を冷たいグラスに注いで呑んだ。部屋の灯りを消して、オーシャンビューの窓から夜空を仰ぐが、期待したほど星が見えない。露天風呂から眺めれば見えるのではないかと思い立ち、再びタオルを携えて屋上へ急いだ。最上階の露天風呂は人気がなく、貸切である。寒々しい夜風を逃れて湯舟に飛び込み、仰向けに浮きながら夜空を見上げる。眼を凝らせば、無数の星屑が確かに見えた。北斗七星もくっきりと視認出来る。幾ら眺めても見飽きず、娘に急かされて漸く浴場を出た。寒さに震えて慌てて娘の躰を拭い、浴衣に着替えて部屋へ戻る。その晩は疲れていて直ぐに眠りに落ちた。