サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

サラダ坊主風土記 「金沢・加賀温泉郷」 其の三

 金沢旅行の二日目も、一帯は朝から非の打ち所のない快晴の蒼穹に恵まれた。ビュッフェ形式の在り来たりな朝食を済ませ、チェックアウトの手続きを終えて午前の戸外へ出ると、既に気温は三十度を超していた。燦然たる光に焼かれながら、地下道を経由して金沢駅兼六園口の見慣れたバスロータリーへ出る。昨日は外構を散策するだけに留めておいた金沢21世紀美術館へ赴く為である。

 混み合う北鉄バスに揺られ、辿り着いた美術館は、平日の午前であるにも拘らず、入場券を買い求める長蛇の列で賑わっていた。二つの展覧会を同時に観覧出来る二千円の共通券を購い、荷物をクロークとコインロッカーに預けて、私たちは明るい外光の射し入る美術館の内部へ踏み込んだ。

 その日、館内では「粟津潔 デザインになにができるか」と「大岩オスカール 光をめざす旅」の二つの展覧会が催されていた。芸術に馴染みの薄い我々にとっては何れも難解な内容で、その表層的な印象を受け取るだけで精一杯である。前回訪れたときは、もっと尖鋭な現代美術の展示が行われていて、私は自分の凝り固まった頑迷な脳味噌の保守性に暗然としたことを記憶している。

 娘は有名な「スイミング・プール」(レアンドロ・エルリッヒ)と「L'Origine du monde」(アニッシュ・カプーア)の二つが気に入った様子で、小難しい理屈よりも知覚の震撼を好む子供らしい感性は、却って我々のように通俗的な成人よりも、こうした芸術的空間の鑑賞に相応しいのかも知れないと思われた。

 一通り展示を眺めて回ってから、館内のミュージアムショップで、美術館が選書した素敵な書棚に置かれた数冊をぱらぱらと流し読みし、昼食の算段に着手した。夕刻には、次なる目的地である加賀温泉郷へ辿り着かねばならない。再びバスに乗って、我々は武蔵ヶ辻の名鉄エムザへ移動した。地下のレストランフロアで、我々は「ゆげや萬久」という店に入り、蒸籠蒸しの御飯を食べた。娘は好物の鮭御飯をもりもりと頬張った。妻は豪華な海鮮が満載された御飯を、私は能登牛のすき焼き風の御飯を食べて満足した。

 金沢駅まで日盛りの往来を歩くうちに、娘はバギーに揺られて午睡に沈んだ。駅の券売機で加賀温泉駅までの特急サンダーバードの切符を買い求め、蒸し暑いプラットフォームへ上がる。前回、金沢へ旅行に来たときは、永平寺へ行く為に同じサンダーバードに乗って福井まで足を延ばした。そのときは車内は空席だらけで事実上の貸し切りであったが、今回は不思議と観光客で混み合っていた。外国人の姿も多い。

 乗車の後も、娘は昏々と眠り続けた。旅の疲れと、酷暑の疲れが入り混じっているのだろう。到着した加賀温泉駅は、駅舎の改装中であるらしく、ホームから改札まで仮設の通路が延々と続いた。戸外は噎せ返るような暑さだ。ロータリーには、温泉郷まで客を運ぶ様々なホテルのマイクロバスが居並んで、年配の運転手たちが汗を拭いながら案内板を掲げて人待ち顔である。

 我々は鄙びた駅前の、恐らくは居酒屋であろうと思われる一軒の店で、JTBの特典を行使して「加賀パフェ」なる御当地の甘味を食した。加賀の野菜や棒茶などを用いた特製のパフェで、地域振興の施策として、この一帯で奨励されているらしい。頗る巨大で、如何にも「ばえる」ことを意識して考案されたように彩り鮮やかだ。定時運行する旅館までの送迎バスの発車時刻を気に懸けながら、我々は黙々とパフェを平らげた。娘は余りパフェに関心を示さない。

 隣席には男性ばかり六人くらいの集団がいて、食事をしながら将棋やら離婚訴訟やら雑多な話柄に興じていた。年配の男性が二人、後は皆二十代後半から三十代前半くらいの風貌である。謹厳で堅実そうな雰囲気が漂っている。聞き耳を立てた限りでは、弁護士仲間の集まりのように推測された。

 妻が巨大なパフェを慌ただしく平らげるのを待って、我々は再び噎せ返るような暑気に覆われた午後の戸外へ出た。ロータリーで宿の名札を携えて途方に暮れたように佇んでいる年配の男性に声を掛け、空調の効いたマイクロバスへ乗り込む。走り出したバスの窓外に展がる景色は、郊外に位置する都市の典型で、大きな車道に沿って様々な用途のチェーンストアが軒を連ねている。バスは緩やかな坂道を辿って徐々に駅から遠ざかり、広大な田園の傍らを黙々と走り抜けた。

 やがて平凡な家並の向こうに丈の高いホテルの連なりが瞥見された。想像に反して、人里を離れた粗暴な自然な風景ではない。市街地の一部に交雑するように立派な宿の建物が林立している。温泉地という印象は余り受けない。

 和服を纏った出迎えの女性が、大きな台車に我々の荷物を引き取って、館内へ導いた。そのホテルには巨大なウォータースライダーを構えたプールの設備があるらしく、見掛ける子供連れの客は一様に多彩な色合いの浮輪を携えている。妻がチェックインの手続きを進める間、私は娘に手を曳かれて、広大なロビーを無闇に歩き回った。