サラダ坊主日記

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「芸術」と「生活」のあわい / さかい 三島由紀夫「貴顕」

 三島由紀夫の短篇小説「貴顕」(『真夏の死』新潮文庫)に就いて書く。

 三島由紀夫は「作品」と「現実」との間に屹立する乗り超え難い隔壁の爆破を企図した作家である。その背景には、年来の課題であった「認識」と「行動」との二元論的対立の構図が控えている。認識において卓越することは、行動において無力な立場に留まることを意味する。この観念的な見取り図は、そのまま「芸術」と「生活」との対蹠的な関係に就いても適用されるのである。

 芸術という審美的な経験は、日常の猥雑な社会的生活が強いる退屈で散文的な義務や奉仕とは隔絶した次元にある。芸術の領野では「美しいもの」が至高の絶対的規範の役目を担い、その有無を言わさぬ感性的な審判が、他のあらゆる規矩を圧して超越的な仕方で君臨する。従って、その奇態な論理が跋扈する世界では、道徳的な教条や宗教的な戒律、社会的な常識などの備える価値は無惨に破棄され、踏み躙られる。芸術的作品を倫理的観点から批判するのは滑稽で的外れな攻撃であり、そもそも社会の道徳に合致することを目的として作り上げられた被造物は、審美的規範を最大限に優先しないという点において、芸術という肩書に失格しているのである。公序良俗を讃嘆する為の作品は、芸術的達成ではなく単なる社会的な「道具」の一種に過ぎない。

 三島由紀夫の「貴顕」と題された短篇は、専ら審美的な人間、つまり芸術的創造からも社会的生活からも隔たった特異な領域に佇んで日々を過ごしている稀な人物の肖像を描いている。

 治英はるひでは少年時代から、陶酔的な生や外界の事物に対する或る疎遠な感じを抱いていたらしく思われる。生れつき熱狂的なものから遠ざかり、彼の有名な伯父のような、猛獣狩に出かけてそのたびにゴシップをふりまくと謂った花々しい稚気に欠けていた。私は彼をほんの少年のころから知っているのだが、(そして私は彼よりもさらに年少であったが)これほど稚気を免かれた少年は見たことがなかった。(「貴顕」『真夏の死』新潮文庫 p.268)

 「陶酔的な生や外界の事物に対する或る疎遠な感じ」は、治英という人物の肖像画において基本的なデッサンの役割を宛がわれている。多くの人々にとって、生きることの醍醐味は「陶酔的な生」の裡に充塡されており、何らかの行為に夢中になって時の経つのを忘れ去ることは紛れもない「生活」の充実の明瞭な証左であると考えられている。だが、治英の貴族的な性質は、そうした「生活」や「行為」への盲目的な没頭を忌避し、寧ろ時間の流れを停滞させることに主要な力点を置いている。彼が実際に芸術的な創造へ手を染めるかどうかは兎も角として、治英の備えた「貴顕」の実存的特徴は、明らかに芸術的な審美主義の身構えに合致している。但し、彼の人格的特質は、必ずしも芸術全般を愛好するものではない。「陶酔」を命じる類の芸術的様式は、彼にとって忌避すべき対象に属しているのである。

 治英はたしかに陶酔を避けていた。しかしいかに多くの人が、生きることは陶酔することだと考えていることであろう。治英は生と陶酔とをほとんど反対概念として考え、生れながらに生を限られた長さの巻尺のように考え、しかも決して急いたりあせったりせず、同じ速度でそれを繰り出してゆくことに馴れていた。ひょっとすると彼が音楽を愛さなかったのも、彼自身の生が、音楽と同じ機構を持っていると感じていたからかもしれない。音楽自体が決して酔わないということを、夙に知っていたからかもしれない。

 おそらく世の常の少年にとっては、いささかの熱狂もない静かな鑑賞家の幸福なぞというものを信じることはできまいが、彼はその疲れた眼差のおかげで、生れながらに鑑賞家の資格をそなえていた。平静な美のみならず、大胆な美をもみとめ、画家の狂気や不幸を、やわらかな無関心な視線で包んだ。ふしぎな貴族的特質から、彼はふつうの青年のようには、それらの狂気や不幸に関する自分の共感の欠如を、ほんの少しでも恥じたりすることはないように見えた。(「貴顕」『真夏の死』新潮文庫 pp.270-271)

 つまり治英は、単なる純粋な芸術愛好家という訳ではなく、その鑑賞の作法には「陶酔」という有り触れた歓喜が欠けている。煎じ詰めれば彼は「行為」を忌み嫌い、その野蛮な特質を蔑視しているのである。絵画に対する愛着は、この「行為の世界を軽蔑する青年」(p.271)の貴族的特性の反映である。芸術の世界においても「創造」は、紛れもない「行為の世界」に属するもので、それは治英の嗜好には相応しくない。言い換えれば、彼の有する「貴顕」の性質は「一切の陶酔を避けること」という奇怪な理念に向かって捧げられているのであり、芸術も行為も生活も知的探究も悉く、この超越的規範に基づいて裁かれるのである。

 官能を以て陶酔に対峙させること、これは実に、生きることから一切の陶酔をしりぞけようとした彼の生き方の、当然見出すべき帰結であった。陶酔を避けるために官能をみがくこと、彼はこうした逆説を身を以て生き、自分を一個の純粋な官能的存在、それも絶対不感の官能的存在に仕立てようともくろんでいた。批評家でも制作者でもないところの、理論上もっとも純粋な美術鑑賞家が、こうして彼の裡に生れ出ていた。(「貴顕」『真夏の死』新潮文庫 pp.282-283)

 この奇態な逆説は、ありのままの危険な外界を絶対に容認しない、彼の人工的な感受性の働きを暗示している。言い換えれば、彼の感受性は極めて人工的な「濾過」の機能を宿し、事物によって触発されたり陶酔させられたりするような不測の事態を、つまり不可解な異物によって震撼されるような事態を絶えず検問しているのである。しかし、この小説は、治英の奇態な「貴顕」の克明な肖像に終わることを眼目としていない。恐らく三島にとって重要だったのは、末期の治英が漏らす悲痛な述懐の中身ではないだろうか。

 彼は幸福でなかったとはいえない過去について、いろいろと思いめぐらしはしたが、どこにも完全な美術品が、完全な屏風が立ちふさがっていて、回想の素直な流露を妨げてしまうのに気がついた。他人の作った芸術品が彼の人生を要約してしまっていた。ああ、たとえ自分の力が及ばなくとも、他人の創造した色彩や形態のうちに至上なものを見出だし、それが他のありふれた色彩や形態より美しいからと云って、それに自分の人生を委ねたのはあやまりだった、と治英は切に思った。よりよい色彩、よりよい形態、そういうものをあらかじめ選択して、それで自分の人生を網羅してしまってはならないのだ。よりよいものは、いつも薄明のうちに、いつもおぼめける未知の霧のうちに、隠れていなければならないのだ。

 彼は今さらながら、むかし学校の雑誌の合評会で、あまりにも忌憚のない批評で彼の作品を押し殺してしまったあの率直すぎる友人たちを怨んだ。そしてそれを無関心に受け入れていた彼自身の姿をも、返らぬ後悔を以て思いうかべた。彼はもっと怖れずに創るべきだった。創造のよろこびという、不たしかな粗雑なよろこびに、もっと身を委ねるべきだった。……(「貴顕」『真夏の死』新潮文庫 pp.300-301)

 治英は人生から偶発的な事件を排除し、自分自身の審美的な基準に合致しない総ての異物を厳密に統制し、視野の外へ放逐した。同時に彼の愛情は、沈黙に鎧われた受動的な事物だけを重んじて、人間を拒んだ。それは正に「貴顕」の特質であり、極限まで磨き抜かれた「上品」或いは「洗煉」の形態であろう。作品の終局に置かれた「これほど白い、これほど清潔なままに衰えた無力な手」(p.302)という表現は、こうした「貴顕」の境涯が孕んでいる荒廃の象徴である。この陰惨な感慨は恐らく、作者の「認識から行動へ」という実存的方針の根幹を成すものである。

真夏の死―自選短編集 (新潮文庫)

真夏の死―自選短編集 (新潮文庫)