サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

機密と恐怖 三島由紀夫「花火」

 三島由紀夫の短篇小説「花火」(『真夏の死』新潮文庫)に就いて書く。

 この「花火」という小説は、所謂「怪談」の内幕を、脅かす側の楽屋から眺めるような造作になっている。尤も、この小説における「怪談」の被害者は必ずしも運輸大臣の岩崎だけに限られない。語り手である「僕」もまた、伏せられた「怪談」の核心に関しては無智であり、無防備なのだ。彼は詳しい事情も知らぬままに、謎めいた男の口車に乗って、ささやかな悪事の片棒を担いだのである。

 岩崎は何故、語り手である「僕」に過分な金銭を下賜したのか? 無論、それは「僕」の容貌が、素性の知れない匿名の「男」と類似している為である。だが、男と瓜二つの顔をしていることが、何故金銭の拝受に繋がるのか、その間の消息は定かでない。仮に男が岩崎の政治的な弱味か何かを握っていたとしても、それが男と類似した容貌の持ち主に余計な金銭を与える理由に発展するとは考え難い。

 男と「僕」が何れも若者として設定されていることを考慮して想像を膨らませるならば、若しかすると男は岩崎の表沙汰に出来ない庶子の類なのかも知れない。大昔に捨てた女との子供に、幾許の償いを試みているのかも知れない。

 或いは、男は若しかすると岩崎の秘められた男色の相手だったのかも知れない。「禁色」を書いた三島の発想としては、充分に有り得る話である(彼は「小説家の休暇」において、政治家と同性愛との不思議な親密さに就いて僅かに触れている)。老獪な権力者が個人的な趣味として若い男子を寵愛することは、歴史的には少しも珍しくない事例である。けれども、同性愛に対する蔑視や偏見が根強い社会において、顕職の地位にある者が、そうした性向を公に曝露されるのは政治的な致命傷として働き得るだろう。口封じの為に金銭を積むくらい、安い買い物に過ぎないだろう。

 だが、如何なる経緯が背後に潜んでいるにせよ、その実態を審らかに明示してしまえば、この作品の備えている怪談的な風味は、忽ち消し飛んでしまうに違いない。総てが絶対的判断の曖昧な留保の裡に溶かし込まれ、決定的な証拠の代わりに憶測を掻き立てる不透明な暗示と象徴だけが飛び交うことで、恐怖心は着実に醸成され、増幅される。言い換えれば、恐怖に打ち克つものは一般に「明晰な認識」であって、不可解な蛮勇ではないのである。

真夏の死―自選短編集 (新潮文庫)

真夏の死―自選短編集 (新潮文庫)