サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

危うく揺らぐ「少年期」の断層 三島由紀夫「煙草」

 三島由紀夫の自選短篇集『真夏の死』(新潮文庫)の繙読に着手したので、先ず巻頭に収められている初期の短篇小説「煙草」に就いて感想を書き留めておきたいと思う。

 三島にとって「少年期」という時代は、聊か感傷的な、特別な価値を有しているように見える。無論、誰にとっても幼い頃の日々の記憶は、時に抒情的な郷愁の対象として、日常の暮らしの隙間へ俄かに眩しく浮かび上がってくるものだろう。あの頃に帰りたいと、少し退嬰的で甘美な妄想に浸る場合もあるだろう。

 人間の段階的な社会化の過程を「成熟」と呼ぶならば、三島由紀夫は終生、そのような「成熟」の積極的な価値に異議を唱え続けた人物であると言える。華々しい夭折の美学は、老境の円熟という素朴な理想的通念を嘲笑し、侮蔑する。彼は時間を閲し、経験を蓄えることで到達し得る「成熟」の境地に根本的な不信を懐いている。

 けれども、彼は臆病な少年の閉域に留まることを望んだ訳でもなかった。「成熟」の重要性を理解していない訳でもなかった。彼の生涯は、常に両極の間を揺れ動く振り子の運動に駆り立てられていた。彼が憧れたのは英雄的な名誉であり、栄光の渦中の死であった。滅ぶことによって時間を超越し、不朽の偶像と化すことへの欲望が、三島由紀夫という一個の精神を理解する上では、最も重要な秘鑰なのである。

 換言すれば、彼が恐懼し続けたのは「記憶の風化」であったのかも知れない。忘却されること、無意味な匿名の死者として地上を去ること、歴史の系譜に存在の痕跡を刻まれないこと、これらの事柄に纏わる不安が、彼の生涯を呪縛していた。凡庸な市井の生活、これほど三島的な美学の理念に背馳するものは他に考えられない。彼の小説に登場する人物は悉く、通俗的な日常の幸福を愛さず、堪え難い倦怠に苛まれた揚句、破滅的な行動へ自ら身を投じるのである。

 だが「煙草」に綴られた病弱な「私」の追憶は未だ、そのような危険なヒロイズムに対する純朴な恐懼を失っていない。彼は大人たちの世界に期待と憧憬と好奇心を覚えながら、恐る恐る手を伸ばしている。無論、彼は「少年期」の脆弱な性質を明瞭に認識している。それが未来永劫に続くものではないことを、少なくとも追憶する主体としての「私」は自覚している。大人になることへの不安と憧憬の複雑な混淆、それが所謂「少年期」と呼ばれる季節の基調を成す主題である。「子供」と「大人」との間に設けられた断層を超越すること、それが総ての少年に課せられた危険な使命なのだ。

 その夜眠れない床の中で、私はこの年齢で考えられる限りのことを考えた。誇り高い私はどこへ行った? 今まで私は自分以外のものでありたくないと頑なに希ったのではなかったか。今や私は自分以外のものであることを切に望みはじめたのではなかろうか。漠然と醜く感じていたものが、忽ち美しさへと変身するように思われた。子供であることをこれほど呪わしく感じたことはなかった。(「煙草」『真夏の死』新潮文庫  p.25)

 「煙草」という小道具が「大人」の世界の明快な象徴として用いられていることは論を俟たない。喫煙の不道徳な性質は、子供が大人の世界に侵入したという「罪悪」の表象である。だが、このような背徳的冒険を経由せずに、誰が幼子の蛹を脱ぎ捨てられるだろうか? 噎せ返りながら無理に煙草を吹かし、上級生である伊村に窘められる場面は、彼の冒険が哀れな失敗に帰結したことを含意している。それが「子供であることをこれほど呪わしく感じたことはなかった」という眠られぬ夜の感慨に通じていることは明白である。

 かくして大人になるということが私には一つの完成あるいは卒業だとは思えなかった。少年期は永劫につづくべきものであり、又現につづいているのではないだろうか。それだのに我々はどうしてそれを軽蔑したりすることができよう。(「煙草」『真夏の死』新潮文庫  p.9)

 「少年期」の悲劇的な性格は、つまり「幼年」と「成年」との致命的な断層を揺れ動く無限の彷徨は、三島の実存的な宿痾であったのかも知れない。彼は「成年」としての自己を確信することが出来なかった。何時までも自分が「断層」の裡に落ち込んでいるような気分を棄却し得なかった。「晦闇かいあんの嵐」(p.8)としての少年期を脱することは、彼の眼には不可能な難事として映じたのだろうか。「華々しい夭折」への絶えざる熱烈な憧憬は、言い換えれば「少年期は永劫につづくべきもの」という認識の齎す必然的帰結なのかも知れない。「成熟」或いは「老年」の峻拒は、三島の内面を呪縛する抗い難い実存的衝迫であったのだ。

真夏の死―自選短編集 (新潮文庫)

真夏の死―自選短編集 (新潮文庫)

 

Cahier(「共感」から「理解」へ)

*何かを「理解する」ということが、具体的に如何なる状況を指すのか、明晰に定義するのは容易ではない。だが、厳密な定義を下さずとも、漠然たる認識の輪郭の間を軽業師の綱渡りのように突き進んで、とりあえず思考を積み重ねていくことは出来る。厳格な定義への固執は時に、思考の柔軟で可塑的な躍動を死滅させる危険を孕んでいる。

 最近、職場で立て続けに、人間関係の失調と軋轢を目の当たりにした。一つは今年の五月に私の管理する店舗へ配属されたばかりの直属の部下社員と、既存のスタッフとの間に生じた凡庸な軋轢で、環境の変化に巧く適応出来ず、結果として自信を喪失し、踏み込んだ本質的なコミュニケーションを自ら拒絶してしまう若い女性社員の臆病な態度を、周りの人間が遠巻きに眺めて冷ややかな感想を増殖させているという風な状況であった。互いに相手が何を考えているのか掴めず、理解が深まっていかない為に生じた孤立であり、その孤立の齎す苦しみを、彼女は誰とも分かち合えずにどんどん深刻化させつつあった。

 苦しみを分かち合えないという状況の絶望的な閉塞は、人間の心から前向きな活力を奪い取ってしまう。私は彼女を呼び出して面談を行なった。新しい環境に巧く馴染めているかと訊ねると、直ぐに彼女は泣き出した。私の想像を超えて、彼女の苦悩は重症化していたのだ。

 恐らく様々な要因が重なって、彼女は自分の考えや想いが周りから理解されないと決めつけてしまっていた。それゆえに自衛を目的として、コミュニケーションそのものを拒絶する。その選択が一層劇しく、相互の不信を高ぶらせていく。この悪循環は、理解し合いたいという人間の素朴な欲望を抑圧し、蹂躙するものであるから、必ず当事者の精神に重篤な負荷を強いる。仮に相手の意見や信条に賛同が出来なくとも、理解することは可能である筈なのに、我々は極めて安直に「理解」と「同意」という二つの概念を一括して、粗雑な手つきで混ぜ合わせてしまう。「理解」という営為は「事実を事実として把握し、認定すること」を目指すものであって、必ずしも無条件の賛同や肯定を含意する訳ではない。全く相容れない人間との間にも、厳密な意味での「理解」は成立し得る。肯定や否定は副次的で瑣末な問題に過ぎない。少なくとも、相互的理解に向けた努力の重要性に比べれば、合意の決裂は枝葉の重みしか有さない。

 「理解」よりも「賛同」を重んじる態度を、日本語では「迎合」と呼び「阿諛追従」と呼ぶ。作家のミラン・クンデラが自著において警鐘を鳴らした「理解する前に判断したい」という欲望の危険性は、もっと明瞭に認知されるべき事柄である。「理解」は「価値の判定」とは無関係であり、事実の構造をそのままの姿で究明することが「理解」における最大の本務である。「理解」と「迎合」を混同する人々は、共感の紐帯で結ばれた人々との間にしか「想い」を疎通させることが出来ない。異質な他者との意思の疎通は、彼らにとって不快で困難な作業として忌避される。彼らが求めるのは「意見の完全なる合致」である。しかし、相互に異質な要素を備えた者同士が、そのような奇蹟の到来ばかりに固執するのは不健全な話である。

 抑圧されてきた辛い想いを話しながら涙を流し続ける彼女に、どうやって「迎合」や「共感」以外の「理解」の形式に踏み出す勇気を授ければいいのか、面談しながら私はずっと策を練っていた。思い浮かんだ荒療治の方法は、私の発する励ましの言葉よりも遥かに優れた即効性を宿しているように感じられた。その泣き顔を、一番彼女に強い敵意を懐いているように見える古株のスタッフに見てもらいなさい、貴方の抱えている苦しみを、その人に理解してもらいなさい、と私は提案した。最初は当惑していた彼女も、やがて覚悟を固めたように静かに承諾した。

 現れた古参のスタッフは、社員の泣き顔を見た瞬間に状況の総てを察した様子だった。彼女の頭に優しく掌を伸ばして、それでも徒らに甘やかすのではなく、きちんと言うべきことは伝えようという構えだった。私は簡潔に状況を説明し、若い彼女の苦しみがきっと誰にも伝わっていないと思ったから、こうして貴方を呼んで目の当たりにしてもらいたいと考えたのだと言った。古参のスタッフは、何故貴方は積極的に周りに関わろうとしてくれないのかと、涙を抑えた社員に訊ねた。何故貴方は、誰にも何にも関わりのないような顔をして、売り場に立っているのか。そんな風に二人は暫く言葉を交わした。涙を流していても、明らかに若い社員の顔つきは明るくなっていた。雨上がりの陽射しのように。それは二人が何かの共感で結び付き、総ての齟齬が解消されたからではない。分かり合えないという現実さえ、人は分かり合うことが出来るのだ、という現実が、彼女に一抹の勇気を授けたのである。私と貴方の考え方や感性は違う。だが、それは不和の原因だろうか? 価値観の不一致を理由に多くの夫婦が離婚を選択する。それは価値観の不一致が直接的な原因であるというよりも、価値観の不一致に堪えられず、それを相互的な「理解」の努力によって補っていこうとする積極的な意思の欠如によって齎される不幸な事態なのではないかと思う。考え方の不一致そのものは、誰にとっても日常的な現象で、睦まじい夫婦や恋人たち、親子や友人の間においても、本当は最初から、思想や信条の全面的な合致など存在していない筈なのだ。重要なのは、共感に固執することではなく、異質な考え方を理解したいと願う根源的な感情を重んじることである。共感は同質的な環境において育まれる。だから、それは狭く閉じた領域においてのみ成立する。けれども人間の尊厳は、共感し難い異質な他者に向かって「理解」を注ぎたいと願う心情の裡に存するのだ。「相手を理解したい」という感情は、性的含意の有無に関わらず、愛情という心理の最も重要で基礎的な本質である。極端に言えば、共感は言葉を必要としない。親子の間の共感は、時空の濃密な同質性という文脈に支えられて、余計な媒介を要請する頻度が乏しいのである。寧ろ時には言葉が、濃密な癒着の時間を妨げるだろう。

 けれども、本当に大事なのは、文脈を共有しない相手を「理解したい」と願う感情の方ではないだろうか。夫婦であっても親子であっても、文脈の共有と共感に依存した関係性の営みは、知らぬ間に深刻な断層を形成する危険を孕んでいる。「共感」の喜びは、一足飛びに親密な「理解」の状態へ我々の心を連れ去ってくれるから、誰もが手早く「共感」に辿り着けることを切望する。だが、若い社員を見ていて感じるのは、彼らが文脈を共有しない相手とのコミュニケーションに慣れていないという素朴な事実だ。相手の立場に応じてコミュニケーションの方法を随時切り替えていく訓練が、多くの若い社員には不足している。そうした現象は、世代的な同質性の裡に閉じ込められることの多い日本の公教育の制度的瑕疵ではないかとも考えられる。「家族」と「友人」との共感的紐帯に守られて生きることに慣れ親しんだ彼らは、それ以外の異質な関係性に対する適応の能力を余り錬磨していない。錬磨せずとも生きていける環境が整っているからだろう。

 共感を基礎に据えた人間関係の作法は、共感の成立し難い異質な文脈に属する他者との間に理解を深める機能を欠いている。だが、使い古された俚諺に「親しき仲にも礼儀あり」という文句があるように、最も親密な間柄でさえ、互いに赤の他人であることは根源的な事実なのだ。そうだとしたら、共感的紐帯は「理解に向けた努力」の発達を消極的に妨げる要素であると言えるかも知れない。「共感」から「理解」への移行は、幼児から成人に向かう人間的成長の過程と相関している。親子の関係も、幼児期と思春期とでは異質なコミュニケーションの様態を形成するものだ。親子における相互的な「自立」は、共感から理解へ、つまり他者を「自己の延長」として捉える段階から「異質な外部」として定義する段階への漸進的な移行を通じて齎される。

 「共感」を求めることが「甘え」であり「依存」であるならば、「理解」を注ごうと念じることは「愛情」である。「共感」は「自他の融合」に対する欲望だが、「理解」は「自他の異質性」という原則を常に尊重する。人間の社会的成熟は明らかに「依存」から「愛情」への重心の遷移を通じて実現される。その為には、人間と世界に関する不断の省察及び勉強が欠かせない。

青春・反抗・虚無 三島由紀夫「月」

 三島由紀夫の短篇小説「月」(『花ざかりの森・憂国新潮文庫)に就いて書く。

 青春とは何か、という聊か気恥ずかしい主題に就いて真面目に考えてみようと思っても、適切な言葉を紡ぎ出せるのかどうか心許ない。体制的な青春、反抗的な青春、従順な若者、頽廃的な若者、それらは個人によって様々に異なる代物で、それを総括して語り得る言葉や定義を編み出すのが「思惟する」という行為の本懐なのだろう。けれども、それは容易な作業ではない筈だ。

 少なくとも、この「月」という風変わりな小説に登場する若者たちは、御世辞にも従順で体制的な人間であるとは評し難い。彼らの頽廃的な青春は、所謂「健全な社会」が若人に期待するような生産的方針を欠いていると言えるだろう。彼らは何かに向かって抵抗し、反発している。それは青春の特権であろうか? だが、従属する青春が成り立つのならば、反抗は必ずしも青春の必須の構成要件ではないという結論に帰着する。

 社会の一般的な価値観に馴染めない若者にとって、青春は自ずと反抗的な精神を宿すものだろう。それは必ずしも十代の少年少女に限られた問題ではなく、年齢を問わず、誰にとっても先行する支配的な価値観との軋轢は身に覚えのある経験ではないだろうか。様々な場所に存在する、様々な属性を備えた「管理者」たちの群れに憤怒を懐いた経験のない人間は、豚のように幸福だ。その幸福を抱えたまま生きて死んでいけるのならば、人生というものは頗る単純な構図で織り上げられた安楽な絨毯のようなものに過ぎない。豚が幸福であることは、批難されるべき事柄ではない。体制の食い物になることが不幸だと断定する権利は誰の掌中にも握られていない。

 かれらは昼の次には夜が来るとか、すべての百日紅さるすべりの花は紅いとかいう理論がきらいだった。それはいもたちの立てた理論である。藷たちの信奉する理論である。

 睡眠薬の与える作用、「あいつ、らりってやがらあ」と人に言わせるようなあの感覚の中では、この固い世界も融ける。(「月」『花ざかりの森・憂国新潮文庫 p.259)

 少年たちが「藷」と侮蔑的に呼称するものが、反抗すべき既成の社会であろうことは朧げに察知される。それは散文的な仕方で明示されていないが、彼らは一体、如何なる対象の特性に向かって抗っているのだろうか? 確実な社会、堅固な論理、決して溶解しない世界を忌み嫌っているのだろうか?

 ピータアは人間も人生もみんな知りつくしていると感じていた。この世でおどろくべきことは何もなかった。それでいてどうして心の安静がないのだろう。それはどんなに年老いた鼠の心にも安静がないのと同じことだ。毎日洗面器いっぱいの感情の血を吐いて、それでも死にもせぬことにはもうおどろかないで、一旦はけろりとするのだが、そして汗になる下着の替えを何枚も持ちあるいてパーティーへゆき、夜もすがらツウィストを踊りもするのだが、彼は一人になると、突然、襟首をつかまれるように、真黒な憂鬱に襲われるのである。この世におどろくべきことなんか何一つないのに!(「月」『花ざかりの森・憂国新潮文庫 p.262)

 戦時下に過ごされた三島の「青春」は、ラディゲに対する憧憬に導かれ、夭折の宿命に対する期待で占められていた。この「月」に描かれた虚無的な遊興の光景は、彼の青春が破産した後の世界を戯画的に暗示しているのではないだろうか。退屈で凡庸な生活の無際限な持続に対する恐怖と絶望は、戦後の三島の実存を貫く基調的な旋律である。夭折の恩寵に恵まれず、図らずも敗戦の後まで生き永らえてしまった者の困惑と絶望が、彼の困難な精神的道程を構成したのである。何も驚愕に値するものが存在しないのに何故、心理的な安定を得ることが出来ないのか、という疑問は、三島の実存を支配する中核的な命題の内実を裏側から照らし出していると言えるだろう。つまり、三島にとっては如何なる驚愕も有り得ないという現実こそが、堪え難い「真黒な憂鬱」の源泉なのである。悲劇的な宿命、栄光に包まれた破滅、そういった華々しい「事件」の成立が不可能であるような世界を生き抜かねばならないということ、それが三島における戦後的課題であった。

 ピータアは心に念じた。何でもいいから、愛してしまえばいいのだ。愚かな思い込みでこの娘を世界一の美人と信じ、この娘がいない世界は空虚だと信じ、この娘と結婚して仕合せな家庭を作ることを自分の夢だと信じ……。ああ、そんなことを信じるくらいなら、自分をジューサーだと信じるほうがよっぽど楽だった。(「月」『花ざかりの森・憂国新潮文庫 p.277)

 平俗な生活に附随する夢想への拒絶、日常性という桎梏への敵意、これらの奇態な感情を克服することは、三島にとって「成熟」への努力を意味していた。「金閣寺」を書き上げることによって、彼は恐らく破滅の夢想から覚醒し、平凡な日常の裡に自己の実存を充填する方向へと舵を切った。その方向性は「鏡子の家」において、更なる厳密な検討を加えられ、粘り強い推進への努力が重ねられた。しかし、彼は結局「成熟」の思想を全面的に受容する覚悟を固められなかったのだろう。冷蔵庫やハムやジューサーを嘲笑する虚無的な少年たちの遊戯は、平俗な日常性に対する侮蔑的な毀損に他ならない。結局のところ、彼は金閣を燃やすことが出来なかったのだ。金剛不壊の金閣に対する熱烈な憧憬は、彼の魂を終生、強力に魅惑し続けたのである。

花ざかりの森・憂国―自選短編集 (新潮文庫)

花ざかりの森・憂国―自選短編集 (新潮文庫)

 

Cahier(記憶する愛情)

*例えばピアニストは素人と比べて、眼前に並ぶ黒白の鍵盤の組み合わせが、どれだけ多様な音律と響きを作り出せるかということに就いて、豊富な実践的知識を泉のように蓄えている。彼らは素人と比べて遥かに多くの深甚な理解を、ピアノという楽器に関して、その構造と可能性に就いて抱え込み、それを日夜更新し拡張し続けている。それを私は「愛」と呼びたい。

 マザー・テレサが「愛の反対は無関心だ」と述べたことは広く知られている。愛情の対義語に憎悪を持ち出そうとする人々の通俗的な理解の枠組みを覆すように発せられた彼女の言葉は、愛するという営為が「理解への欲望」を伴っていることに世間の注意を喚起しようと試みたのだろう。

 一方で我々は、作家のミラン・クンデラが示した警告にも耳を傾けておかねばならないだろう。

 人間は善悪が明確に区別できる世界を願う。というのも、理解する前に判断したいという御しがたい生得の欲望が心にあるからだ。この欲望の上に諸々の宗教やイデオロギーが基づいている。これらは相対的で両義的な小説の言語を明白で断定的な言説の形に言い表せる場合にしか小説と和解できず、つねに誰かが正しいことを要求する。アンナ・カレーニナが偏狭な暴君の犠牲者なのか、カレーニンが不道徳な女性の犠牲者なのか、そのどちらかでなければならないのだ。あるいは、無実なKが不正な法廷によって粉砕されるのか、裁判所の背後に神の正義が隠れているのだからKは有罪なのか、そのどちらかでなければならないのだ。

 この「どちらかでなければならない」ということの内に、人間的事象の本質的な相対性に耐えることができない無能性、〈最高審判者〉の不在を直視できない無能性が内包されている。このような無能性のために、小説の知恵(不確実性の知恵)を受け容れ、理解することが困難になるのである。(『小説の技法』岩波文庫 pp.16-17)

 人間は理解し難い事柄に就いて持続的な熟考を営むことなく、明快な結論を弾き出そうとする。誰かの受け売りや、自分の漠然たる感覚的な判断を、普遍的な心理のように、論理的な必然性の帰結のように語り、古くから伝わる因習的な解釈を錦の御旗の如く振り翳して躊躇いもしない。こうした態度は、如何に熱心な議論に彩られていたとしても、所詮は「無関心」の産物である。彼らの目的は不可解で両義的な構造を、つまり如何なる明快な結論も峻拒するような事物の難解さを、単純で保守的な定義に性急な仕方で還元する。既定のカテゴリーの中に総てを押し込めて、理解し難いものへの畏怖の念を扼殺し、麻痺させようと企てているのだ。彼らのラディカリズムは、理解することへの欲望であるというよりも、理解し難いものへの憎悪に基づいていると看做すべきである。彼らは尤もらしい論理を持ち出すが、決してそれを相手に対する理解の深化の為には用いない。それは寧ろ、相手を自分の物差しや枠組みの中に幽閉しようとする邪悪な企てなのである。

 だが、本来の意味で相手を理解する為には、寛容な精神が不可欠である。理解し難いものを排斥しようとする衝迫の裡に宿っているのは狭隘な恐怖心であり、その感情は決して寛容という美徳を養わない。寛容であるということは、結論を急がないということと同義であり、性急な結論は行き届いた懇切な理解を妨げる最も不適切な悪習である。

 相手が人間であろうとなかろうと、この世界の事物を理解しようと試みる欲望は、人間の善性の根幹を成す。本当に相手の総てを理解しようと望むならば、我々は永遠に判決文を書き換え続けることになるだろう。その無限の忍耐に堪え難いものを感じて、人間は大雑把な結論に縋り、探究の精神を安易に廃絶してしまう。言い換えれば、理解とは無智から生じる崇高な欲望なのである。無智を否定した瞬間に、つまり絶対的な正解に、普遍的な真理に安住することを選んだ瞬間に、理解へ至る道は途絶を強いられる。「分からない」という呟きは人間の健全な善性を養育する根本的なテーゼである。分からないからこそ、我々はもっと相手に近付いて詳しく細部を確かめ、その本質や構造を吟味しようと試みる。愛することは接近することであり、親密な距離を築くことである。それは相手自身が自覚していない部分的要素にさえも、理解の眼差しを注ぎ、本人が想像もしない角度から、相手の内なる真実を言い当てようとする。言い換えれば、事物に関する理解力を育てることは、愛する力を高める最も基礎的で重要な教練なのである。人を誠実に理解しようと試みる者は、結果として相手の愛を享けることになる。しかし理解を怠る者は、同じ種類の懲罰によって報われるだろう。表層的な判断の連なりに包囲され、身動きの取れない窮境に追い込まれるという孤独な懲罰。貧困や病気よりも「孤独」の方が遥かに深刻な問題だと、マザー・テレサは幾度も強調した。だからこそ彼女は、人から愛されることのない人々を積極的に愛する役目を、崇高な使命のように自らの裡に引き受けたのである。

 理解すること、それは不断に変貌を続ける事物の多様な側面の総てを、その内在的な矛盾も含めて、在るがままに受け容れることを、相互に分かち合うことを意味している。それは分析的な解剖であるというよりも、驚嘆すべき強靭な凝視であると称すべき振舞いだ。一義的に確定された結論など、理解の現場においては重要な意義を持ち得ない。その意味では、ソクラテス的な探究、アポリアを凝視する探究の作法は、誠実な愛情を伴っていると言えるだろう。粗雑な結論を注意深く拒み、定義から逸脱していく不透明な部分に着目し、それらの総てを記憶の裡に刻み込むこと。極論を持ち出すならば、愛することは総てをそのままに記憶することではないだろうか。賢しらな分析よりも、只管に過ぎ去った日々の記憶を保ち続けること、例えば親が子供たちの幼い頃の姿を死ぬまで忘れないように、愛する者の多様な側面を記憶の領野に留め続けること、記憶という労役に忍耐を以て励むこと、それが愛情の本質ではないか。愛することは記憶することに等しい。そのことを証明するかのように、性急な結論を好む人々は、理解し難い対象を迅速に忘却の墓地へ埋葬したがるものである。

小説の技法 (岩波文庫)

小説の技法 (岩波文庫)

 
ソクラテスの弁明 (光文社古典新訳文庫)

ソクラテスの弁明 (光文社古典新訳文庫)

 

美は「死」と「証人」を要求する 三島由紀夫「憂国」

 三島由紀夫の短篇「憂国」(『花ざかりの森・憂国新潮文庫)に就いて書く。

 この「憂国」という短い小説は、極めて稠密で引き締まった端正な文体によって綴られた傑作であるというだけに留まらず、三島由紀夫という作家の人間性の最も中核的な部分を凝縮して示した稀有な作品である。「憂国」において語られた重要な主題は、晩年の大作「豊饒の海」において、より敷衍された形態で偏執的な追究の対象に据えられている。

 三島由紀夫倫理学、或いは幸福論は、美しいものへの過剰な執着を、その根底に息衝かせている。その審美的な欲望は極めて強固で宿命的な性質を帯び、彼の思索と行動の一切合切を強力に呪縛している。その渇仰の劇しさは、必然的に美的なものの永久的な持続を期待する。

 美しいものに対する彼の深甚な欲望は、プラトン的な特質を伴っている。例えば「金閣寺」における「想像の金閣」と「現実の金閣」との較差に対する深刻な失望は、超越的なイデアと現象的な個物との間に先験的な位階を設けるプラトン本質主義に酷似している。後に放火犯となる若い寺僧にとって、現実の世界に存在する感性的事物としての金閣は、絶対的な美の象徴としての「金閣」の不完全な分有の所産に過ぎない。真実在(ousia)としての「金閣」は、寺僧の感性的な認識を通じては決して把握されないのである。そして「金閣」が本来の美的性質を開示するのは、それが滅亡の可能性を備える場合に限定される。プラトンの思惟するイデアは、その本性として永久に不滅であり、絶えず現象界を超越している。「金閣」の美的性質が我々の肉体的感覚を通じて把握される為には、不可避的に「金閣」は、持ち前のイデアとしての本性を棄却しなければならないのである。

 けれども、そうやって地上の現象界に降臨した金閣の美しさは、完璧無比の美しさではなく、飽く迄も不完全な分有の所産であるという構造的条件を免かれない。この不完全な分有としての「美」を、イデアの次元にまで高める為には、それを「永遠の相の下に」(sub specie aeternitatis)再び還元せねばならない。換言すれば、地上的な美の絶頂において滅びること、時間の権力に屈せず、寧ろ時間を超越しようと欲すること、こうした優れてプラトン的な欲望が、結果として「夭折」の神話に対する渇仰に転化するのである。

 「夭折」に対する渇仰が「自殺」への願望と結合したとき、それは自己の存在そのものを、超越的な「美」の象徴に合致させようと試みる積極的衝動を生み出す。或いは、そうした衝迫が事前に精神の基底に潜在しているからこそ、自殺に対する願望は「夭折」という恩寵に似た但書を要請するのである。

 だが、この場合の「夭折」とは必ずしも若年であることを一義的に意味しない。重要なのは「人生の絶頂」に位置する瞬間に死ぬことであり、従って「自殺」という方法もまた必須の要件ではない。病気や事故が原因であっても一向に差し支えない。寧ろ「自殺」によって特権的な「死」を演出する為には、恩寵に類似した何らかの大義名分を拵えなければならないのである。換言すれば、仮に意図的な自殺であっても、それは「運命によって強いられた」という修飾の措辞を伴わねばならないのである。

 「憂国」における大義名分は、二・二六事件の勃発によって、運命の悲劇的な不意討ちとして齎される。だが、武山夫妻の苛烈な心中に至るまでの性急な心理的継起は、明らかに二・二六事件に端を発する必然的経緯であるとは言い難い。寧ろ「美しい死」を成し遂げる為に、蹶起の悲劇的な失敗を巧みに利用したと解釈すべきだろう。無論、そのような策謀の自覚は、華々しい自裁に附随する赫灼なる栄誉を毀損する要因として作用するので、作中においては慎重に排除されている。彼らは飽く迄も清冽な「至誠」の動機に衝き動かされ、已むに已まれぬ「憂国」の情熱に駆り立てられた結果として「自裁」に至らねばならないのである。それは死後の栄誉を欲する利己的な狡智とは絶縁していなければならない。

 三島の希求する「美しい死」は、運命の齎す恩寵である。それは人間が自らの意思で意図的に作り出すことの出来るものではない。天賦の才能を惜しみなく発揮しながらも夭折したフランスの作家ラディゲに憧れていた少年期の三島は、恐らく運命的な滅亡が訪れることを心待ちにしていたのではないかと思われる。悲劇的な宿命、それが三島の琴線に最も強く触れる奇態で逆説的な「幸福」の源泉なのだ。しかし、三島の命を悲劇的な恩寵が奪い去る前に戦争は終わり、彼が英雄的な死を遂げる見込みは半ば強制的に失われてしまった。換言すれば、彼は英雄的で華々しい死の栄誉に浴する代わりに、凡庸で単調な生活の持続の裡に投げ込まれてしまったのである。それは彼にとって忌まわしい絶望と同義であった。戦後の彼の実存は、そうした単調な生活への適応の努力と、美しい死に対する拭い難い切実な憧憬との間で、息苦しい分裂を強いられていたのではないかと思われる。単に審美的な対象を愛でるだけでは、彼の聊か大仰な自己愛は満足しなかった。彼自身が審美的な対象として崇拝される必要があったのだ。その心理的な変遷は、芸術家から行動家への遷移という形で、彼の実際の生涯に明瞭に象嵌されている。美しいものを鑑賞したり創造したりするだけでは充足されない自己の精神的空洞を埋める為に、彼は具体的で肉体的な行動を通じて、自らの実存そのものを「美的なもの」に改造しようと画策した。その為には、本来ならば悲劇的な恩寵として享受すべきべき「美しい死」を、狡猾な偽装の下に、自分自身の手で獲得せねばならない。

 だが、それは困難な挑戦であったに違いない。あれほど明晰な頭脳の持ち主が、そのような詐術の虚しさを知悉せずにいられた筈がない。事実、彼の遺作である「天人五衰」において描き出された安永透、夭折の宿命を証明すべく自殺を試みて失敗する不幸な若者の肖像は、特攻隊のように華々しい英雄的な「殉死」の名誉に与ることなく戦後の社会に生き残ってしまった三島の苦渋に満ちた自画像に見える。久松慶子が透に向かって投げ付ける残酷な批難の言葉は、三島にとっては遣る瀬ない自己批判を意味していただろう。それでも彼は「老醜」という凡庸な宿命に屈する途を選ぶことが出来なかった。それが三島由紀夫という人間の宿痾であり不可避の本質であったならば、誰がその奇怪な末期を嘲笑し得るだろうか。

花ざかりの森・憂国―自選短編集 (新潮文庫)

花ざかりの森・憂国―自選短編集 (新潮文庫)

 

戦後的倫理の諷刺 三島由紀夫「百万円煎餅」

 三島由紀夫の短篇小説「百万円煎餅」(『花ざかりの森・憂国新潮文庫)に就いて書く。

 貧しいが勤勉で堅実な若い夫婦の何気ない遣り取りを入念に写し取り、最後の二頁で意想外の皮肉な暗転を示す、この簡潔な「コント」(三島自身の表現)に、大仰な主題を読み取ろうと企てるのは無粋な振舞いかも知れないが、兎に角私の脳裡に浮かび上がった感想の断片を牛の涎の如く縷説しておきたいと思う。

 表題にも露わに示されている通り、この作品は全篇に亘って、随所に細々とした銭金の記述が象嵌されている。若い夫婦が夢見ているのは質実な夢想であり、その健全な夢想を叶える為には兎に角、経済的収入が必要である。彼らの姿は堅実で理想的な小市民の典型であるにも拘らず、その生業は売春に類するもので、質実で凡庸な生活と、社会の暗部に属する生計の手段との不均衡な対比が、この作品に独特の風味を添えている。社会の要求する理想的な市民生活が、公序良俗を紊乱する不法な生業によって成り立っているという矛盾を、三島は抑制された平淡な筆致で、つまり何食わぬ顔で涼しげに剔抉しているのである。

 三島由紀夫という作家の思想は、浅薄な誤解に基づいて世人が論うように、右翼的な狂奔の情熱に強いられている訳ではない。彼が戦後民主主義への批判的な言及を繰り返したのは、彼が戦前の日本社会の残像を肯定的な懐旧の情と共に眺めていたからではない。彼が囚われていたのは「夭折」の神話であり、壮麗な死を通じて「時間」という流動的な制約、不可逆的な制約を免かれることが、彼の生涯を貫徹する不可能な悲願であった。

 戦時中の軍国主義的な青春は三島の内面に、こうした「夭折」の神話に対する飽くなき情熱を培養したのではないかと思われる。彼は予定された絶対的運命としての「死」を夢想することで、眼前の「生」に特権的な光輝を授ける精神的な魔術を会得した。その剣呑な魔術の効果を用いれば、如何なる鬱屈も倦怠も立ち所に雲散霧消する。しかし敗戦によって、そうした魔術的時間の蠱惑は失効した。無限に持続する退屈で単調な「輪廻」の生活、やがて総てが老衰し、あらゆる美しいものが往時の栄光を剥奪されていく緩慢な堕落の時間、それが偶々、三島にとっては戦後のデモクラティックな社会における実存を意味したのである。

 ……私が幸福と呼ぶところのものは、もしかしたら、人が危機と呼ぶところのものと同じ地点にあるのかもしれない。言葉を介さずに私が融合し、そのことによって私が幸福を感じる世界とは、とりもなおさず、悲劇的世界であったからである。もちろんその瞬間にはまだ悲劇は成就されず、あらゆる悲劇的因子を孕み、破滅を内包し、確実に「未来」を欠いた世界。そこに住む資格を完全に取得したという喜びが、明らかに私の幸福の根拠だった。そのパスポートを言葉によってではなく、ただひたすら肉体的教養によって得たと感じることが、私の矜りの根拠だった。そこでだけ私がのびやかに呼吸いきをすることのできる世界、完全に日常性を欠き、完全に未来を欠いた世界、それこそあの戦争がおわった時以来、たえず私が灼きつくような焦躁を以て追い求めていたものであったが、言葉は決して私にこれを与えなかったのみか、むしろそこから遠ざかるように遠ざかるようにと私を鞭打った。なぜなら、どんな破滅的な言語表現も、芸術家の「日々の仕事ターゲヴェルク」に属していたからである。(「太陽と鉄」『三島由紀夫文学論集Ⅰ』講談社文芸文庫  p.66)

 この理屈を敷衍すれば、明らかに「百万円煎餅」に登場する若い夫婦は、素朴な「未来」の信奉者、紛れもない「日常性」の権化であると言えるだろう。そして彼らの日常生活は徹頭徹尾、堅実な貯蓄の推進という経済的理念によって拘束されている。彼らは生計を立て、未来への投資を可能とする為に、最も個人にとって内密である筈の夫婦間の「情事」を見世物に供する。そうした現実への憤懣から、夫である健造が百万円煎餅を引き千切ろうとして果たさない終幕の描写は、戦後社会の経済的原理に基づく支配が極めて強靭な構造を備えていることを暗示しているようにも思われる。

 だが、三島は決して健造と清子の営む堅実な生活を、一方的に唾棄すべき浅ましい日々として捉えていた訳ではないと私は思う。彼もまた、自己の内なる野心的夢想を、つまり「夭折」の神話に対する危険な憧憬を腕尽くで扼殺し、日常性の厳粛な拘束の下に生きていこうと企てた時期がある筈だからだ。具体的には、それは「金閣寺」から「鏡子の家」を執筆していた時期に該当すると推測される。その努力は残念ながら潰えて、彼は末期の蛮行に及んだ。その善悪を、簡単に判定してしまうことは誰にも出来ない。その死は、彼が長年に亘って望み続けた、晴れがましく光り輝く「大義に殉ずる死」ではなかったが、少なくとも彼自身の抱懐する私的な倫理学の規矩には適っていたと言えるからである。

花ざかりの森・憂国―自選短編集 (新潮文庫)

花ざかりの森・憂国―自選短編集 (新潮文庫)

 

典雅で精巧な「情念」の棋譜 三島由紀夫「女方」

 三島由紀夫の短篇小説「女方」(『花ざかりの森・憂国新潮文庫)に就いて書く。

 この自選短篇集に収録された数多の作品の中で、余人は知らず、少なくとも私の個人的感受性にとっては、緊密な構成と巧緻な描写を併せ持つ「女方」は、実に出色の出来栄えであった。歌舞伎という日本古来の伝統的芸能の特殊な世界を舞台の背景に選んで綴られる濃やかな情感の絵巻物は、犀利で辛辣な心理的描写と、精密でありながら簡潔な筆致に彩られつつ、三島らしい官能の魅惑を芳醇な果汁の如く随所に行き渡らせている。

 「色気」というものは、誰しもが日常的に用いるが、明確な定義を試みることの困難な観念の一つである。それは実体的に観察し得る明確で堅固な科学的対象であるとは言い難いし、その把握に関しては、個体による感覚的な差異が著しい。そもそも言語的な定義として「色気」の内実或いは正体を、厳密に示し得る人が誰かいるだろうか。

 だが、我々は確かに或る瞬間には他人の仕種に色気を覚え、目移りを禁じられる。余り露骨に見凝めていけない場面であっても、一瞬の間隙を狙って盗人のように幾度も窃視を試みる。そのとき、我々は確かに惹き付けられ、魅惑されている。それは容貌であったり仕種であったり肢体であったりするが、殊更にその魅力が「色気」という単語で指し示されている場合には、往々にしてそれは官能的な含意を伴っている。美しい自然の景観に魅了されて深い溜息と共に凝視を止められないとき、我々は決して自然の「色気」に誑かされているとは考えないし表現しないだろう。我々が色気を覚える相手は専ら人間に限られており、少なくとも人間以外の存在や事物から官能的感興を煽られている場合であっても、そうしたフェティッシュな対象自体を「色気がある」とは評しないだろう。「色気」という言葉は、人間の放出する性的な魅力を表現する簡素な修辞である。

 三島が「女方」の舞台に選んだ芝居の世界は無論、多様な「色気」の複雑な混淆が日常的に氾濫する世界である。役者たちは痛ましいほど多くの貪婪な視線の鋒鋩に刺し貫かれつつ、それでも猶、観衆の熱烈な関心を煽動することに自己の技倆の精髄を懸ける。色気を欠いた人間、他者を誘惑する力量を持たない人間が、芝居の世界で応分の敬意を寄せられることは有り得ない。単に容貌が優れていたり、逞しく引き締まった男性的肉体、或いは無数の優美な曲線で繊細に織り上げられた滑らかな女性的肉体の持ち主であったり、頭脳が明晰であったり社会的な威光に包まれていたりするだけでは、その者の魅力の普遍的な輝きは保証されない。「魅惑」という効果は実に水物で、同じ仕種、同じ微笑であっても、それが観衆の一人一人の内面に齎す影響は異なり、時間や場所に応じても千変万化の変貌を見せるものである。その複雑な動態的現象の渦中で如何に他人の心理や感情を魅惑するか、如何にして多様な他者の視界に映じる自己の姿を調整し制御するか、その渾身の技術的努力の裡に演劇の神髄が秘められている。そういう世界で「色気」が様々な含意と性質と段階を伴って乱れ飛ぶのは当然の帰結である。

 凄腕の棋士を思わせる冷徹で奔放な想像力の下に、心理の駒を目紛しい速度で次々に運び、相手の心理と競り合い、時に凭れ合う。そういう心理的描写の積み上げに際して三島の示す才筆の精緻な美しさは凡百の文学者を圧倒的に凌駕している。それがフランスにおける豊饒な心理小説の伝統に対する熱烈な耽溺から摂取された技術的志向であることは、若年期における三島のラディゲに対する異様な傾倒という事実によっても傍証されている。人間の複雑な心理を可知的な観念の連なりとして捉える心理主義的志向は今日、手放しの尊崇や信仰を享けている訳ではないが、読者にとっては、その巧緻で精密な心理の仮構は、充分に興味深く魅惑的な文学的効果を発揮しているように感じられる。少なくとも、凡庸で動物的な抒情に只管凭れかかった甘ったるい恋愛小説を読むくらいならば、恋愛の陽画も陰画も共に仮借無く剔抉する冷酷な心理家の外科手術の鮮やかさに酔い痴れる方が、遥かに人生の勉強に繋がるのではないかと思う。

 ところで、演劇の世界が観衆の眼前に提示する絢爛たる異界の物語は、凡庸な日常生活の齎す倦怠を忌み嫌い、絶えず「超越」を志向する三島的な価値観にとっては特権的な価値を有している。彼が老醜を忌み嫌い、夭折の神話を好んで実際に自死を選んだという年譜的事実は広く知られているが、その不可能な願望を仮想的に具現化するに当たって、演劇という世界は最も好適の芸術的領野であったと考えられる。

 増山は大役を演じて楽屋にかえったときの佐野川屋が好きであった。今演じてきた大役の感情のほてりが、まだ万菊の体一杯に残っている。それは夕映えのようでもあり、残月のようでもある。古典劇の壮大な感情、われわれの日常生活とは何ら相渉らぬ感情、御位争いの世界とか、七小町の世界とか、奥州攻の世界とか、前太平記の世界とか、東山の世界とか、甲陽軍記の世界とか、一応は歴史に則っているように見えながら、その実どこの時代とも知れぬ、錦絵風に彩られ誇張され定型化されたグロテスクな悲劇的世界の感情、……人並外れた悲嘆、超人的な情熱、身を灼きつくす恋慕、怖ろしい歓喜、およそ人間に耐えられぬような悲劇的状況に追いつめられた者の短かい叫び、……そういうものが、つい今しがたまで万菊の身に宿っていたのだ。どうやって万菊の細身の体がそれに耐えてきたかふしぎなほどだ。どうしてこの繊細な器から、それらが滾れてしまわなかったのかふしぎである。

 ともあれ万菊は、たった今、そうした壮大な感情の中に生きたのだ。舞台の感情はいかなる観客の感情をも凌駕しているから、それでこそ、万菊の舞台姿は輝やきを発した。舞台の全部の人物がそうだといえるかもしれない。しかし現代の役者のなかで、彼ほどそういう日常から離れた舞台上の感情を、真率に生きていると見える人はなかった。(「女方」『花ざかりの森・憂国新潮文庫  p.181)

 三島が演劇という芸術的領野に対して要求し期待するものは「日常生活の超越」であり、従って卑近な現実の自然主義的模写など論外であったに違いない。彼は絶えず劇的な絶頂への到達に憧れ、最も美しい状態で死ぬことを、しかも単なる自堕落な自裁ではなく、例えば「奔馬」の飯沼勲のように、壮麗な大義の下に自害することを望んだ。そうやって永遠と化し、時間と歴史を超越し、いわば自らを普遍的な顕彰の石碑の如く改変することを欲した。このような願望は絶えず「幻滅」の経験と裏腹である。万菊の川崎に対する仄かな恋心の簡潔な素描は、増山の心に「黒い大きな濡れた洋傘こうもり」のような幻滅の感覚を賦与している。三島の実存的苦闘は常にこれらの両極を行き交い、絶えず「幻想」と「幻滅」との目紛しく緊張した思想的往還を演じることに夥しい情熱と労力を費やした。その振幅の巨大な面積は、三島の文学的遺産の巨大な体積と相関している。

 万菊の川崎に対する恋心もまた、増山が味わったような類の「幻滅」を再び辿り直す懸念を秘めている。伝統的な古典劇の重鎮として生きる万菊の恋愛に関する規範は、通俗的な現代性を欠いているからである。

 増山には直感でわかるのだが、この女方の恋の鋳型とては、舞台しかないのである。舞台はひねもす彼のかたわらに在り、そこではいつも、恋が叫び、嘆き、血を流している。彼の耳にはいつもその恋慕の極致をうたう音楽がきこえ、彼の繊巧な身のこなしは、たえず舞台の上で恋のために使われている。頭から爪先まで恋ならぬものはないのだ。その白い足袋の爪先も、袖口にほのめくあでやかな襦袢の色も、その長い白鳥のような項も、みんな恋のために奉仕している。

 増山は万菊が自分の恋を育てるために、舞台の上のあの多くの壮大な感情から、進んで暗示をうけるだろうと疑わない。世間普通の役者なら、日常生活の情感を糧にして、舞台を豊かにしてゆくだろうが、万菊はそうではない。万菊が恋をする! その途端に、雪姫やお三輪や雛衣の恋が、彼の身にふりかかってくるのである。

 それを思うと、さすがに増山も只ならぬ思いがした。増山が高等学校の時分からひたすら憧れてきたあの悲劇的感情、舞台の万菊が官能を氷の炎にとじこめ、いつも身一つで成就していたあの壮大な感情、……それを今万菊はのあたり、彼の日常生活のうちに育んでいるのである。そこまではいい、しかし、その対象は、才能こそ幾分あるかもしれないが、こと歌舞伎に関しては目に一丁字いっていじもない、若い平凡な風采の演出家にすぎない。万菊が愛するに足る彼の資格は、ただこの国の異邦人だというだけで、それもやがて立去って二度来ないだろう一人の若い旅人にすぎない。(「女方」『花ざかりの森・憂国新潮文庫  p198)

 万菊が参照する「恋」の雛型は、我々の属する日常的現実の枠組みから余りに遠く隔たっている。それを処世の規矩に選んで従いながら、歌舞伎という古典的世界の習俗に無智な若い男との恋を育もうと試みるのは、無謀と言えば確かに無謀である。だが、恐らくそれは三島にとって決して他人事とは思われない感情的な実験であったに違いない。演劇的な世界の論理を凡庸な日常生活の構図の裡に導き入れることの危険と不可能を存分に熟知しながらも、三島自身、そのような無謀な欲望に魅せられることの不可避性を痛切に実感していたのではないかと思われる。その意味で、この「女方」という作品は、三島的倫理と社会的現実との微妙な摩擦の構造を適切に照明していると言えるだろう。川崎に恋すればするほどに、万菊の味わう挫折と幻滅の振幅は加速度的に膨れ上がる。その哀切な痛みに想像的に寄り添うように、三島の筆致は極めて精密で巧緻な棋譜を描いているのだ。

花ざかりの森・憂国―自選短編集 (新潮文庫)

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