サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

Cahier(時間の雫)

*三十五歳になった。年齢の目盛りが一つ進んだところで、日々の生活に根本的な変化が生じる訳ではない。新生児と一歳児との間に、巨大で劇的な成長の過程が横たわっているのとは違って、三十四歳から三十五歳への移行の歳月には、傍目には何の区別もつかない微細な変化の堆積しか存在しない。加齢と共に、体感の上では時間の経過が早まって感じられると言われるが、それは自己の変化の乏しさを暗示しているのかも知れない。生まれたての赤児が、一年も経てば二本の脚で立って歩き、幼いながらも言葉を話し、母乳以外の食物を摂取するようになる。そのような劇しい変容に比すれば、薹の立った人間の過ごす漫然たる一年間が夢幻のように瞬く間に過ぎ去るのも必然である。三島由紀夫が晩年の大作「豊饒の海」で、老境を迎えた本多繁邦に次のような感慨を語らせている場面を俄かに想い出す。

 老いてついに自意識は、時の意識に帰着したのだった。本多の耳は骨を蝕む白蟻の歯音を聞き分けるようになった。一分一分、一秒一秒、二度とかえらぬ時を、人々は何という稀薄な生の意識ですりぬけるのだろう。老いてはじめてその一滴々々には濃度があり、酩酊さえ具わっていることを学ぶのだ。稀覯の葡萄酒の濃密な一滴々々のような、美しい時の滴たり。……そうして血が失われるように時が失われてゆく。あらゆる老人は、からからに枯渇して死ぬ。ゆたかな血が、ゆたかな酩酊を、本人には全く無意識のうちに、湧き立たせていたすばらしい時期に、時を止めることを怠ったその報いに。
 そうだ。老人は時が酩酊を含むことを学ぶ。学んだときはすでに、酩酊に足るほどの酒は失われている。なぜ時を止めようとしなかったのか?(『天人五衰新潮文庫 p.147)

 この感慨を信じるならば、我々が「時間」の重みを失念する最大の理由は、それが潤沢であるからという点に帰着することになるだろう。或いは「瞬間」というものに対する感覚の鈍麻が直接的な要因だと考えることも出来るかも知れない。子供は移り気で、一つ一つの些細な「細部」に異様な関心と鋭敏な感受性を示す生き物である。大人が見過ごすような細部を察知し、大人が直ぐに忘れ去るような無意味な記憶を鮮明に保持している。これほど鮮明な現実の享受が「時間」の途方もない重量と結び付くのは当然である。彼らが退屈を忌み嫌い、単調な現実に対する堪え難さを即座に訴えるのも、彼らの享受している一つ一つの「時間」が極めて強烈な重さと濃度を備えていることの反映かも知れない。
 徐々に我々は「瞬間」から遠ざかることを学ぶ。一つ一つの「時間」に着目して足を止めていたら、到底躰が幾つあっても足りないような「雑事」に追われるのが社会に属する人間に課せられた一般的な宿命であるからだ。我々は公私を問わず無数の課題に追い立てられ、じっくりと腰を据えて二度と還らない貴重な現在に向き合う機会を滅多に珍重しない。限られた「時間」は瞬く間に消費され、繁忙な生活の景色は、我々の網膜に固有の痕跡を留める暇もなく後方へ流れ去って瀧壺へ没していくのである。繁忙な我々は、生活の様々な側面を概念的に理解して憚らない。誰もが生活を「同じことの繰り返し」として捉え、過去の事例と眼前の現在とを重ね合わせ、細部の相違点は気軽に捨象して躊躇いもしないのである。子供にとって、世界は常に新鮮であり、過去の事例の蓄積に「現在」を還元する大人の省力的な手法を身に着けていない。彼らは如何なる判例も伝統的な法律も弁えない無学な裁判官のように、提示された問題に就いて都度、解決の方策をゼロから生み出さねばならない立場に置かれている。そういう境遇が「時間」の重量を積み増すことは明らかで、世界の総てが新鮮である限り、一つ一つの「現在」の記憶は自ずと濃密な内容を獲得することになる。世慣れた大人が繁忙な日々を乗り切る為に、押し寄せる現実の概略だけを器用に選り分けるのとは、対蹠的な生き方であると言えるだろう。現実を過去のパターンの反復や再演として捉える認識の方法は、我々の思考の負担を軽減する為の便宜的な措置である。事実、そうでもしなければ繁忙な生活の局面を踏み越えて生き延びることは困難になるだろう。だが、生きることを味わう為には、つまり「稀薄な生の意識」を脱して「時」に含まれた「酩酊」を堪能する為には、こうした繁忙な生活の作法を革める必要がある。「悪しき前例主義」(別に菅総理の口吻を真似ている訳ではない)が齎す代表的な弊害は、眼前の現実に対する我々の感受性の磨滅である。総てが過去の事例と結び付けられ、定められた法則の反復に過ぎないと看做されるのであれば、そもそも「時」に内在する「酩酊」の成分を認識することさえ不可能である。恐らく三島由紀夫は「稀薄な生の意識」から脱却する為に「死」という劇薬の効用を駆使する暴挙を択んだ。何故なら「稀薄な生の意識」は、有限の「時間」を無尽蔵の潤沢な資産として誤認する思考によって培養されるものであるからだ。この瞬間の現実は二度と回帰しないという切実な真理を悟る為には、いっそ未来を丸ごと断ち切ってしまうのが簡便であり確実であるという訳だ。「死」の自覚は、我々の「生」を貴重な「時間」の濃縮された形態へ作り変える。「老人は時が酩酊を含むことを学ぶ」のは言うまでもなく、彼らの生活が拭い難い「死」の予感と接している為である。

Cahier(三島由紀夫・希死念慮・浪漫主義)

*文学作品が、その執筆当時の社会的な環境や、作者の個人的な経験や思想信条を多かれ少なかれ反映することは避け難い。どんなに自分の独創性を信じてみたところで、我々が総てを任意に選択して誕生した訳ではないし、生まれる時も場所も択べないのだから(JUJUが「この夜を止めてよ」の中で、出会いの時も別れの時も択べないと歌ったように)、何らかの歴史的な条件や構造に制約されるのは当然の帰結であり、それを否定してみても仕方ない。
 私は二〇一七年の秋頃から数年間、三島由紀夫の小説を集中的に読み、最近は安部公房の作品を集中的に読んでいる。何れも日本の戦後文学を代表する偉大な作家であり、尚且つ同世代である(三島由紀夫は一九二五年、安部公房は一九二四年に生まれている)。彼らの作品を繙きながら感じるのは、この世代の人々にとっての「敗戦」という経験の決定的な重要性である。日本の近代文学を形成してきた作家たちの大半は、この「敗戦」という歴史的な分水嶺を経験した人々である。その立場や年齢に応じて「敗戦」という経験が齎した実存的な意味は異なるけれども、恐らく多くの人々が「敗戦」によって思い知ったのは価値観の劇的な転換であり、自己のアイデンティティの断絶であったのだと思われる。「鬼畜米英」から「戦後民主主義」への転換という歴史的な事態が、自国の版図を異民族に侵犯されるという経験を殆ど味わったことのない民族の精神に重要な影響を及ぼしたことは想像に難くない。
 例えば三島由紀夫は代表作である「金閣寺」において、次のような述懐を語り手の溝口に命じている。

 私にとって、敗戦が何であったかを言っておかなくてはならない。
 それは解放ではなかった。断じて解放ではなかった。不変のもの、永遠なもの、日常のなかに融け込んでいる仏教的な時間の復活に他ならなかった。(『金閣寺新潮文庫 p.86)

 悪しき軍国主義から、自由と平等を旨とする平和憲法の時代への転換という通俗的理解を、少なくとも三島由紀夫は明瞭に斥けている。その恩恵を彼自身、多忙な作家としての栄光に充ちた生活の中で享受したにも拘らず、彼は戦後的な価値観を断固として拒絶するのである。その根底に息衝いているのは、彼の内なる豊饒なロマンティシズムである。

 その夏の金閣は、つぎつぎと悲報が届いて来る戦争の暗い状態を餌にして、一そういきいきと輝やいているように見えた。六月にはすでに米軍がサイパンに上陸し、連合軍はノルマンジーの野を馳駆していた。拝観者の数もいちじるしく減り、金閣はこの孤独、この静寂をたのしんでいるかのようだった。
 戦乱と不安、多くの屍と夥しい血が、金閣の美を富ますのは自然であった。もともと金閣は不安が建てた建築、一人の将軍を中心にした多くの暗い心の持主が企てた建築だったのだ。美術史家が様式の折衷をしかそこに見ない三層のばらばらな設計は、不安を結晶させる様式を探して、自然にそう成ったものにちがいない。一つの安定した様式で建てられていたとしたら、金閣はその不安を包摂することができずに、とっくに崩壊してしまっていたにちがいない。(『金閣寺新潮文庫 p.46)

 三島由紀夫の崇拝する「美」は「戦乱と不安、多くの屍と夥しい血」によって購われる陰惨な性質を帯びている。つまり、死と破滅こそ、彼にとっての「美」の観念を形作る主要な養分なのである。「金閣寺」の語り手である寺僧の溝口は、金閣が本土空襲によって焼け落ちるかも知れないという考えに異様な興奮を覚える。「金閣と共に滅びる自己」のイメージが、彼に官能的な陶酔を齎したのである。「滅亡だけが美しい」という審美的な信条が、そこには貫かれている。だが、何故「滅亡」が「美」として享受されるのか。「滅亡」が醜悪な事象として忌避されず、寧ろ「美」を一層高揚させる重要な原料として珍重されるのは何故なのか。
 死に憧れる感情の根底には、生きることに対する根源的な嫌悪が潜んでいる。生きることが苦痛であり、重荷であるとき、死は絶対的な救済を示唆する恩寵として受け止められる。死と滅亡が恩寵であるならば、それが美しく輝いて見えるのは自明の理である。そして戦争の時代は、そのような恩寵の確約によって生存の苦痛が軽減されるような世界であった。遠からず破滅を確約された人間が、生存に対する法外な責任を免除され、無制限の自由を謳歌するということは有り得る事態である。破滅が必定であるとき、生きることは絶え間ない充実に占められる。生きているというだけで、人間の存在は稀少な価値を有するからである。死の危険が絶えず念頭に置かれている人間の眼に、世界は限りなく美しく映じるだろう。一つ一つの出来事が、厳格な一回性によって彩られ、反復の不可能な「奇蹟」として顕現するからだ。未来の不可能性が、現在の瞬間の価値を無限に高め、暴騰させる。言い換えれば、死と滅亡には「反復の不可能性」という重要な実存的意味が附帯しているのである。もう二度と会えない相手ならば、その相手と過ごす最後の時間は限りなく美しく愛しく感じられるだろう。金輪際、反復し得ない時間には無上の価値が備わる。
 「心象の金閣」に比べれば遥かに色褪せて見える「現実の金閣」が、空襲による焼亡の危険と結び付いた途端に「悲劇的な美しさ」を帯びるのも、こうした「反復の不可能性」の論理的帰結であるように思われる。反復し得ないものだけが無上の価値と美しさを身に纏う権利を有している。ところが「敗戦」は、人々の生活から死と破滅の危険を奪い去った。恒久的な平和が、生活の貴重な一回性を破壊し、無限の反復としての「日常性」を復活させた。「仏教的な時間」という言葉の含意を「輪廻」と解釈するならば、それは無限の「転生」を意味し、厳密な「一回性」を否定する循環的な世界の降臨を示唆している。現在の瞬間に備わった無上の価値は失われ、あらゆる出来事が反復と交換の対象に据えられ、如何なる特殊な行為にも「奇蹟」の相貌が宿ることは有り得ない。
 「日常性」という反復と交換の原理は、三島由紀夫の抱懐する価値観を鮮明に否定し、排斥する。「死」から切り離された「生」の堪え難い無意味、驚嘆すべき倦怠を如何にして克服するかという問題が、三島由紀夫の戦後的な課題の枢要を成すことになる。その処方箋の範型を一挙に点検してみようと試みたのが「鏡子の家」の執筆である。政治的テロリズム、肉体的ナルシシズム、芸術至上主義、或いは戦後的価値観への徹底的迎合。戦後の三島が苦しんだ「空虚」の源泉は「生死の乖離」によって生きることの充実した歓喜が失われた結果であったから、その選択の方針は概ね「奇蹟を望むか、諦めるか」という二元論的な構図に帰着したと考えられる。恐らく、結婚して新居を建てた頃の三島は「奇蹟の断念」を覚悟しつつあったのではないか。しかし、実際には彼は「奇蹟への欲望」を棄却することに失敗した。「日常性」に屈服する途を択ぶことには堪えられなかったのである。人生を無限の反復から救済し、その無為な倦怠を抹殺し、一回的な奇蹟に変造すること、これが晩年の三島の宿願と化した。人生を奇蹟に変える為には「死」という額縁が欠かせない。
 三島が遺作となった「豊饒の海」において「輪廻転生」の物語を描き、その終局に及んで「輪廻転生」の一切を否定してみせたのは何故なのか。松枝清顕も、飯沼勲も、ジン・ジャンも、若くして悲劇的な末期を強いられ、その生存は「死」の額縁に封じられ、一個の奇蹟的な作品と化した。しかし「天人五衰」に登場する安永透は、夭折に失敗して「奇蹟」から見限られる。

 この世には幸福の特権がないように、不幸の特権もないの。悲劇もなければ、天才もいません。あなたの確信と夢の根拠は全部不合理なんです。もしこの世に生れつき別格で、特別に美しかったり、特別に悪だったり、そういうことがあれば、自然が見のがしにしておきません。そんな存在は根絶やしにして、人間にとっての手きびしい教訓にし、誰一人人間は『選ばれて』なんかこの世に生れて来はしない、ということを人間の頭に叩き込んでくれる筈ですわ。(『天人五衰新潮文庫 p.292)

 久松慶子によって語られた苛烈な弾劾の演説は、明瞭に「奇蹟」の実在を否定している。若しも「奇蹟」が有り得るとすれば、それは「運命」に選ばれた一部の人間だけの特権である。恐らく晩年の三島は、自分が「安永透」であることを知悉していたのではないか。彼は「奇蹟」に憧れながら、己が「奇蹟」に値しない存在であることを悟っていた。それでも、彼は絶望的な賭博に自らの生命を委ねたのである。

 松枝清顕は、思いもかけなかった恋の感情につかまれ、飯沼勲は使命に、ジン・ジャンは肉につかまれていました。あなたは一体何につかまれていたの? 自分は人とはちがうという、何の根拠もない認識だけにでしょう?(『天人五衰新潮文庫 p.300)

 たとえ「贋物」だとしても、彼は自らの人生を「奇蹟」に仕立てる夢想を断念し得なかったのである。それは自らの人生を、反復も交換も容易な「既製品」として終わらせることに、彼がどうしても同意出来なかったということだ。自己同一性の危うい空洞を埋める為に、彼は手作りの奇怪な物語を用意し、それを実演してみせた。確かに彼の人生は、反復も交換も許容しない特異な「奇蹟=軌跡」として完結した。それを「贋物」と論難するのは容易だが、そもそも「贋物」という事実から出発して精緻な虚構を現実に作り上げた男の驚嘆すべき生き様に、単なる論難だけでは掠り傷すら負わせることは出来ないだろう。

金閣寺 (新潮文庫)

金閣寺 (新潮文庫)

 

Cahier(虫めづる姫君・失踪)

*先日の話である。私は仕事で不在であったので、妻から聞いた話だ。四歳の娘が、妻の母と一緒に風呂に入っていた。何処から忍び込んだのか、浴室の床を、一匹のダンゴムシが這っていた。妻の母が、それをシャワーで排水溝に洗い流した。それでもしぶとく生き延びて排水溝から這い出してきたダンゴムシに、義母が追い討ちを掛けて止めを刺したら、娘が涙ながらに怒り出したらしい。その言い分は、ダンゴムシを殺してしまったら、そのダンゴムシはもうお母さんにもお友達にも会えなくなる、それが不憫だ、自分が指で摘んで外へ逃がしてやることだって出来たのに、なんで殺してしまうのか、というものであった。それから一向に怒りも哀しみも収まらず、結局排水溝からダンゴムシの遺骸を拾って、家の外に埋めて墓を作ってやるという対応を提示して、漸く娘も納得したらしい。ダンゴムシを埋めた場所には、娘の私物である団栗が二つ、墓碑の代わりに捧げられた。団栗を目印にすれば、ダンゴムシのお母さんやお友達が、ここにダンゴムシがいると気付くだろうという娘の考えの反映である。
 大人にとっては単に目障りな害虫の類に過ぎないダンゴムシであるが、保育所に通って所庭や公園を駆け回って遊んでいる娘は、ダンゴムシとの心理的距離が近く、両者の関係は親密なのである。自分自身の幼少期を顧みても、確かにダンゴムシは蟻と並んで、最も身近な昆虫の双璧であった。蝶や蜻蛉や飛蝗は、直ぐに逃げてしまって容易に手の届かない高嶺の花だが、ダンゴムシは動きが遅い上に、突くと丸まって動かなくなるので、捕らえるのも触れるのも簡単である。
 娘は日頃、何かを見聞しても「可哀想」という言葉を発することが滅多にない。大体、誰に似たのか妙に気が強く弁の立つ幼女で、保育所でも男児と一緒になって戦いごっこに興じる男勝りの気質を備えている。公園で鳩を見掛ければ猫のように追い縋る。私が彼女の機嫌を損ねるような言動に及ぶと殴る蹴るの暴行で報いて来る。そういう苛烈な主義の娘が、見知らぬダンゴムシの不幸な境遇を慮って哀訴するというのは、私には心を搏たれる珍奇な事件であった。要するに彼女は他人の立場に身を置いて悲嘆を共有するという社会的能力(他人どころか、生物学的な種別すら超越している。殆ど「神」に等しい)を養いつつあるのである。紛れもない精神的成長の証だ。麗しい事件である。

*最近は安部公房の『燃えつきた地図』(新潮文庫)を再読している(註・私は成る可く作品の執筆年代順に繙読することを方針としているのだが、うっかり勘違いして「砂の女」に続く「他人の顔」や「榎本武揚」を飛ばしてしまった。一旦「燃えつきた地図」は後回しにして「他人の顔」を先に再読する予定である)。所謂「失踪三部作」の一つに数えられる作品で、数年前に通読した覚えがある。聊か難解な小説で、注意深く読み進めている。「失踪」という主題が、安部公房にとって何故、重要な意味を持ったのかという問題は、興味深い論件である。「砂の女」の場合は、失踪した人間の側から、失踪の内実が捉えられ、描かれている。少なくとも物語の過半までは、彼にとって失踪は本人の意に反して、不当な強制によって現出させられた事態であったが、物語の終局に及ぶと、彼は自らの意志で脱出を断念若しくは延期する。そのとき、彼の失踪は、不当な強制から主体的な選択に転轍したのである。
 「失踪」という主題には、自己連続性の断絶というメカニズムが内包されている。自分が何に、何処に帰属しているかという問題は、当人の自己同一性の安定と密接に結び付いている。例えば初期の長篇小説「けものたちは故郷をめざす」において、主人公である久木久三は、自らの人種的ルーツであり故郷である「日本」への渡航を目指す。しかし、その目論見は失敗に帰結し、彼の身柄は他ならぬ日本人の手で密航船の奥底に幽閉される。言い換えれば、彼は自らのルーツへの帰還を禁圧されたのである。自己連続性の解体というモティーフは、初期の作品から一貫して安部公房の文業を貫いている中心的な論件である。それは強いられた現象であると同時に、彼の個人的な希望=欲望の対象でもある。それは悲劇的で英雄的な自己の「本質」を捏造しようとした三島由紀夫の浪漫主義的な野望とは全く異質なものである。

燃えつきた地図 (新潮文庫)

燃えつきた地図 (新潮文庫)

 

The Hopeless Obedience 安部公房「砂の女」

 安部公房の長篇小説『砂の女』(新潮文庫)を読了したので、感想文を認める。

 著者の代表作である「砂の女」の通読は概ね二十年振りではないかと思う。一度目は中学生の頃、父親の書棚に置かれていた函入りの初版本で読んだ。細部の記憶は曖昧だが、その息詰まるような緊迫感に惹かれて瞬く間に読み終えた覚えがある。少なくとも「燃えつきた地図」や「箱男」に比べれば遥かに読み易く感じられた。
 中学生の頃よりは随分と世間に揉まれて世知辛く薄汚れ、狡猾にもなれば純粋にもなった今の私の眼で繙いた「砂の女」の読後感は異様な重みを孕んでいる。夥しく鏤められた警抜な比喩と幻想に塗れた独自の文体を通じて描き出される、或る陰惨な漁村の風景は、口腔に苦く粘つく砂利の感覚さえ喚び起すようだ。その重層的な意味を帯びた細部に着目する限り、この作品の本質を要約することは極めて困難である。だが敢て蛮勇を揮い、偏狭な誤読を承知の上で論評と解釈を試みたい。
 或る角度から眺めれば、この作品は要するに「服従」の過程を描いた小説であると判定することが出来る。村人に欺かれ、自由な出入りを禁じられた砂の窖へ投げ込まれた男の煩悶と苦悩が、作品の全篇を貫く主要な旋律であることは言うまでもない。その不幸な男の心理的な変遷は、要するに外部から強制された服従を、徐々に内在的で自発的な服従へ作り変え、焼き直していく過程であると言える。だが、それを極めて強権的で独裁的な組織による不合理な弾圧と捉え、それに対する無惨な敗北の過程だと結論するのは、必ずしも適切な評価ではない。

「かまいやしないじゃないですか、そんな、他人のことなんか、どうだって!」
 男はたじろいだ。まるで、顔がすげかえられたような、変りようだ。どうやら、女をとおしてむき出しになった、部落の顔らしい。それまで部落は、一方的に、刑の執行者のはずだった。あるいは、意志をもたない食肉植物であり、貪欲なイソギンチャクであり、彼はたまたま、それにひっかかった、哀れな犠牲者にすぎなかったはずなのだ。しかし、部落の側から言わせれば、見捨てられているのはむしろ、自分たちの方だということになるのだろう。当然、外の世界に義理だてしたりするいわれは、何もない。しかも彼が、その加害者の片割れだとなれば、むき出された牙は、そのまま彼にたいして向けられていたことにもなるわけだ。自分と、部落との関係を、そんなふうに考えたことは、まだ一度もなかった。ぎこちなく狼狽してしまったのも、無理はない。だからと言って、ここで退き下っては、自分の正当性を、みずから放棄してしまうようなものである。(『砂の女新潮文庫 pp.246-247)

 明瞭な「加害者/被害者」の構図は否認され、部落に対する男の服従は、絶対的な悲劇としての性質を奪われている。「加害者/被害者」の関係が重層的な相対性に蚕食され、明確な定義を剥奪されているのであれば、男の奇妙な境遇を一義的な不幸として認定することも不可能になる。つまり「部落/男」の切迫した格闘という構図は「加害者/被害者」の複雑な入れ子構造によって攪乱され、図式としての妥当性=有効性を欠いてしまうのである。そもそも、部落の人々が男に対して示す態度は、必ずしも攻撃的であったり懲罰的であったりするものではない。彼らは男の叛逆も脱走も容認しないが、逃亡に失敗した男に対して苛烈な処罰を与える訳でもない。その方針は「宥和的な支配」とでも称すべきものである。男が労働に精励し、規則を遵守して従順な態度を示す限り、部落側の対応は宥和的な性質を帯びる。露骨な反抗を試みた場合でも、応対する部落の老人の態度は抑圧的なものではなく、専ら相手の言い分を聞き流し、最終的には沈黙によって拒絶するという曖昧な方針に貫かれている。言い換えれば、彼らは強権を行使して男を不当に監禁しているのではなく、謂わば「共に監禁されている」のである。部落の人々にとって、砂の窖に閉じ込められた哀れな男は、愚かな獲物でも憎むべき敵対者でもなく、要するに「監禁」の状態を共有する「同胞」なのである。
 だが、彼らは何に監禁されているのだろうか? 部落にとっては「部外者」に他ならない立場に属する男は幾度も、こんな不毛の土地に埋没し、貧困な僻村に「愛郷精神」を以て奉仕することの愚昧を、同居する女に向かって熱弁する。事実、この土地を捨てて移り住むことは不可能ではなく、相応の苦労は代償として求められるにせよ、新しい生活の開拓に賭け金を投じることは可能な選択肢の一つなのである。しかし、彼らは夥しい砂の猛威に監禁された苛酷な生活を投げ出そうとはしない。彼らの根深い断念と諦観は、如何なる意味を宿しているのだろうか。
 砂の窖に幽閉された男の苦悩が「自由」という観念と密接に絡まり合うのは当然の帰結である。彼は「自由」に憧れ、不当な「拘禁」の生活を呪詛する。しかし、彼が砂の窖へ幽閉される以前の生活は、燦めくような「自由」の価値を謳歌するものであったと言えるだろうか? つまり、彼の個人的な不幸は「拘禁」或いは「服従」の日々によって増幅されたものだと断定し得るだろうか?

 女が連れ去られても、縄梯子は、そのままになっていた。男は、こわごわ手をのばし、そっと指先でふれてみる。消えてしまわないのを、たしかめてから、ゆっくり登りはじめた。空は黄色くよごれていた。水から上ったように、手足がだるく、重かった。……これが、待ちに待った、縄梯子なのだ……
 口から、息を叩きおとすように、風が吹いていた。穴のふちをまわって、海の見えるところまで、登ってみる。海も黄色く、にごっていた。深呼吸をしてみたが、ざらつくばかりで、予期していたほどの味はしなかった。振向くと、部落の外れに、砂煙が立っている。女をのせたオート三輪なのだろう。……そうだ、別れる前に、罠の正体だけでも教えておいてやればよかったかもしれない。(『砂の女新潮文庫 p.265)

 やっと眼の前に投げ与えられた解放の希望に、男は指先で触れるだけで、その好機を掴み取ろうとはしない。失敗した逃亡の際に見せた狂的な情熱は、その片鱗すら示さない。彼の「服従」は、遂に主体的な自発性を獲得したのである。しかし、この不穏な「適応」は奇妙な例外的現象であると言えるだろうか。決まり切った労働の反復に時を費やし、例えば自家製の「溜水装置」の開発という生活上の創意工夫に情熱を傾ける男の姿は、飛砂の監獄に繋がれた人間に固有の実存的様態だろうか。寧ろそれは「被投性」という条件に縛られて生きる総ての人間に共通する実存の形式ではないのか。

 べつに、あわてて逃げだしたりする必要はないのだ。いま、彼の手のなかの往復切符には、行先も、戻る場所も、本人の自由に書きこめる余白になって空いている。それに、考えてみれば、彼の心は、溜水装置のことを誰かに話したいという欲望で、はちきれそうになっていた。話すとなれば、ここの部落のもの以上の聞き手は、まずありえまい。今日でなければ、たぶん明日、男は誰かに打ち明けてしまっていることだろう。
 逃げるてだては、またその翌日にでも考えればいいことである。(『砂の女新潮文庫 p.266)

 作品の終局に至って、男の内部では「逃亡」に対する切実な欲望が完全に衰滅しつつある。この一節の後に続く家庭裁判所の書面は、男が遂に脱出を選ばず、脱出の意義を否認して顧みなくなったことを暗示している。本来ならば自前で用水を確保し、部落の人間に対抗する為の手段であった筈の「溜水装置」の秘密さえ、彼は「監禁」の同胞である部落の人間と分かち合おうとしているのである。これが「服従」の完成された形態であることは言うまでもない。だが、完璧に構築された自発的服従の絶望的側面を強調する為だけに、この結末が準備されたのだと考えるのは短見である。煎じ詰めれば、外装がどうであれ、人間の生活の本質は、こうした「適応」の所産に他ならないという省察が、服従に対する我々の単純な拒絶の意識を当惑させる。「砂の女」をヒロイックな冒険譚から隔てるのは、この当惑の根深さである。言い換えれば、如何なる表面的脱出も、厳密な「解放」を意味するものではないという認識が、感傷的な英雄主義と甘美な悲劇の双方を同時に無効化するのである。

砂の女 (新潮文庫)

砂の女 (新潮文庫)

 

Cahier(「幻想+欲望=妄想」としての文学)

*文学作品は、個人の主観的幻想の形式である。無論、こうした性質は文学に限らず、芸術全般に共通して言えることだろう。或いは、芸術に限らず、もっと多くの社会的分野に見出される普遍的な構造であり原理であると言えるかも知れない。
 個人の主観的幻想が、言語による記述を通じて表象されることによって、個々の文学的作品は形成される。文学における虚構性は、個人の主観的幻想と密接に絡み合った問題であり、その根底には、そもそも文学は客観的真実の確定とは関わりのない営為であるという原則が横たわっている。無論、一つ一つの作品が、客観的な事実の裏付けから生み出されても一向に差し支えない。真実を究明することが文学的営為の部分を成しても構わない。しかし、それは文学作品を成立させる本質的要件ではない。
 例えば自然科学は、個人の主観的幻想の表現ではない。発見に至る着想自体が、何らかの個人的な直感を母胎とすることは充分に有り得るが、それが真理の発見として承認される為には、客観的な検証を幾度も潜り抜けなければならない。言い換えれば、共同的で普遍的な事実として立証されなければならない。原則として「学問」は、こうした共同的事実の確定に向かって、つまり揺るぎない「真理」の確定に向かって積み重ねられる地道な探究の総体である。それゆえ、科学的真理の表現に際しては普遍的な言語、普遍的な記号、普遍的な数式の使用が求められる。その目的は、事実を指し示す認識論的な度量衡の統一であり、判断における基準の一元化である。
 他方、文学は普遍的な真理の究明に貢献することを目的とする営みではない。それは確かに、個人の主観的幻想を共同的事実の地位へ高めようとする厚かましい野心的衝迫を内在させているかも知れない。しかし、文学作品に対する共感は、普遍的な真理の実証的究明という学術的野心とは無関係である。それは個人の主観的幻想の表明であり、その共有に向けた儚い挑戦の軌跡である。無論、人間が或る社会に帰属することを定められた生き物である限り、個人の主観的幻想が、社会の構造や原理と完全に絶縁された状態で提示されることは有り得ない。或る作品が優れた価値を認められるのは、その作品を通じて表明された主観的幻想と、社会の側に瀰漫する共同的幻想との間に、何らかの力強い共鳴・共振が生じる為であろう。だが、それは幻想が厳密な意味での「真実」であるがゆえに喚起される現象ではない。揺るぎない「真実」が、我々の幻想を満足させる訳ではない。もっと粗雑な言い方をすれば、この場合の「幻想」とは要するに「欲望」の産物である。
 「真理」とは、個人の欲望に関わらず存在する揺るぎない事実の総体を指す概念である。他方「幻想」とは、個人の欲望が生み出したイメージの総体であり、優れた芸術家は、欲望に汚染された幻想に極めて精緻で稠密な表象を賦与する才能に恵まれている。作品に対する評価は、その作品に封じ込められた表現の「真理性」によって定まるのではない。事実の精確で克明な反映が、直ちに芸術的価値を高める訳ではない。無論、極めて精密な表現が芸術的価値の高低と鋭く連動していることは確かである。しかし、芸術的表現の精密さは、それが欲望的な幻想の生々しい喚起と結び付くことによって初めて価値を帯びるのである。芸術家の個人的な欲望が、大衆の一般的な欲望と重なり合えば重なり合うほどに、その作品の流通的価値は高まるだろう。だが、芸術の価値を単純な多数決の原理に基づいて測定することは無益である。その理由は、個人と作品との関係が常に私的な性質を伴っている点に求められる。他人にとって無価値な表現が、他ならぬ「この私」にとっては特権的な価値を持つということが、芸術の分野では頻繁に起こる。けれども「真理」に対しては、我々は私的な関係を取り結ぶことが出来ない。「真理」は誰に対しても普遍的な「真理」であるからこそ、固有の価値と権威を有するからである。

*揺るぎない普遍的な「真理」を究明したいと願うことも、人間的欲望の形態の一例である。それゆえ「真理」に対する欲望を一つの主観的幻想として表現することも可能である。しかし「学術」の内側に存在する主体にとっては、不朽の「真理」の究明を欲することは聊かも「幻想」ではない。
 学者は「真理」の表現に精励するが、芸術家は個人的な「欲望」を精密な「幻想」として形象化する。言い換えれば「作品」とは即ち「妄想」の帰結である。学者の本務は「妄想」によって歪曲され隠匿された「真理」を明るみに出すことであり、個人の妄想によって左右されることのない「事実」の普遍的性格を定義することである。例えば我々は「史料」に就いて様々な態度を取り得る。学者は無数の史料を照らし合わせて、そこから複合的に推論される単一の「真理」を剔抉することに寝食を忘れて没頭するだろう。他方、芸術家は「史料」を恣意的に解釈し、そこから欲望に塗れた「妄想」を培養することに異様な執念を燃やすだろう。歴史の研究と、歴史に題材を取った文学との境界は、こうした理念と方針の異質性に由来する。学者は猜疑心と論理を駆使して「妄想」を食い破り、芸術家は奔放な「妄想」の表現に時を忘れる。文学に対して厳粛な理念を期待する人々は、作品の価値を「真実の照射」という規矩によって測る。或いは作品の裡に道徳的廉潔の美しさを求めるかも知れない。無論、道徳的な欲望というものの存在を我々は弁えている。真実に対する欲望に就いても心当たりがあるだろう。芸術家の本務は、様々な欲望の実現を代理する独創的な「妄想」の提供であり、道徳的作品も哲学的作品も随意に創出することが出来る。そして豊饒な作品であればあるほど、そこには多様な欲望の幻想が共存し、複数の解釈を許容し、多様な人々の「妄想」と共振することが出来る。一般にポルノグラフィが芸術的価値を認められないのは、それが「性欲」以外の「妄想」と共振する機能を欠いている為であろう。多様な解釈を許容する作品は、複数の欲望が混淆した状態で生きる人間の多面的な性質を反映している。言い換えれば芸術的価値は、「妄想」の多義性によって測定されるのである。

Cahier(雨の葛西の線路の下で)

*保育園に通っている四歳の娘の運動会が本日予定されていたので、休みを取っていたのだが、降雨の為に当日の朝になって順延が決まった。妻も娘も仕度の為に早朝から起き出していたが、無意味な早起きとなってしまった。覚醒した娘は眠気と戦う妻に彼是と遊びの相手を務めさせる。無論、私が蒲団から出れば、今度は私に白羽の矢が立つ。一日中、家に籠っていては気詰まりだし、遊びの種も尽きるし、子供も気が紛れなくて不満が募り我儘に拍車が掛かることは眼に見えている。妻の休養と、娘の苛立ちの軽減という一挙両得を狙って、冷たい雨の中を連れ出すことにした。
 携帯で手早く調べて見つけたのは東西線葛西駅の高架下にあるという地下鉄博物館である。本当は大宮にある鉄道博物館も視野に入れたのだが、事前の予約が要るらしく、幕張在住の身には遠方でもあるので音速で断念した。地下鉄博物館は入場料が異様に安い。安いから客が多いと考えるのは短見で、日本一混んでいると思われる天下無双のテーマパーク・東京ディズニーリゾートの入場料は暴力的に高い。高くても客が来るなら限界まで値段を上げるのが商売の鉄則であり、安いのは安くしないと客が入らないからである。つまり、入場料から推測するに空いているだろう、冷たい雨が一日降り頻る平日の午後でもあるし。コロナ対策の観点を除外しても、そもそも私は人で混んでいるところが嫌いだ。閑散とした喫茶店など最高である。それに、地下鉄博物館というのはニッチな商売である。鉄道全般ではなく、地下鉄に絞り込んでいるのだから。子供たちの間で抜群の知名度を誇る新幹線には絶対に出逢えない施設である。そうであるならば、空いているに決まっている。そのように期待して、私は娘と連れ立って雨傘を差して家を出た。
 娘は外出なら何でも歓ぶという無邪気な四歳児ではなく、気が向かないと容易に腰を上げない尻重女である。昼食にマクドナルドへ行こうと誘惑して、連れ出した。彼女はフライドポテトと、ハッピーセットの玩具が好物なのである。津田沼駅で一旦下車し、南口の「モリシア」の一階で昼食を取った。そして再び総武線各駅停車に乗り、西船橋東西線へ乗り換えた。車中、娘は転寝をした。目的地間際の浦安駅辺りで眠り始めたので焦ったが、幸いにして葛西駅に着くと一応は目覚めた。自力では歩かなくなったが。
 地下鉄博物館は閑散としていて、私の見込みは的中した。券売機で電車の切符を模した入場券を買い、自動改札を模した入り口に入場券を投入して館内へ踏み込んだ。さすが地下鉄博物館、入場券が交通系ICカードで買える。行く手に丸ノ内線と銀座線の古い車両(銀座線は復刻された車両が現役で走っている)が展示され、その偉容に娘は興味津々である。床に描かれた線路の絵も、子供には堪らなく唆られる要素らしく、パパも線路だけを踏んで歩けと強硬な態度で指示を飛ばしてくる。鉄道車両を運転するシミュレータもあり(小学生以上に限定された千代田線のシミュレータと、無制限の簡便なシミュレータの二種類があった)、娘は係員の無愛想な中年男性(高年男性かも知れない。鉄道会社の嘱託再雇用だろうか)の指示に従って無骨なレバーをがちゃがちゃと乱暴に動かした。係員がもう一回やるかと気を利かして尋ねてくれた。娘は首を横に振って「やらない」と意思表示して迅速に座席を下りた。係員は苦笑した。
 広々とした休憩室に自販機があったので、娘に紙パックの葡萄ジュースを買った。娘は量が多過ぎると言って残した。休憩室の壁面にはカプセルトイの販売機がずらりと並び、地下鉄博物館なので品揃えは総て鉄道関連の玩具である。娘が一個買ってくれと言い出し、本人に選ばせたら、一つ500円の高級品を指定してきた。出て来たのは、恐らくJR貨物の電気機関車で、電池が内蔵されているらしく、スイッチを入れると車輪が緩やかに回転して走り出す。プルバックの月並みな玩具とは階級が違う。流石500円の売値は伊達ではない。私の小銭入れは踏まれた紙風船のように一挙に痩せ細った。暫く、休憩室の大きなテーブルの上で繰り返し車両を走らせて遊んだ。四歳児には、実に丁度好い施設だ。以前、娘を千葉市青葉の森公園に程近い県立博物館に連れて行ったときは、喫茶スペースでオレンジジュースとコーヒーゼリーを振舞い、ミュージアムショップで蛍光塗料の「スパイペン」(透明なインクだが、附属のライトで照らすと文字が浮かび上がる仕掛け)も買ってやったのに、帰り掛けに今日は愉しかったかと尋ねたら、朗らかな表情で全然つまんなかったと吐き捨てられたので、今回は気に入ってもらえて恐悦至極である。
 地下鉄が主題なので、地下鉄のトンネルの工法に関する詳細な説明や模型がある。無論、娘はトンネルの掘削に何の関心もない。回転するシールドマシンのカッターヘッドの模型に多少ざわつくくらいのものである。トイレの出入口にセンサーがあり、往来すると踏切の警笛が鳴るように仕掛けてあった。娘は満面の笑みで往復した。
 一通り見終わったので、再び東西線に乗り込んだ。西船橋総武線に乗り換えたが、不図気が向いて更に船橋で京成に乗り換えた。生憎千葉・ちはら台方面への直通がなく、京成津田沼で再び乗り換えた。京成幕張駅の方が、JRよりも自宅に近いのである。幕張駅の改札を出るとき、私と娘の間隔が開いていた所為か、背後でピンポンと派手な音が鳴り、振り返ると閉ざされた改札に驚いて眼を丸くしている娘の表情が視界に飛び込んできた。駅員さんに頼んで改札のピラーのようなものを開けてもらって事無きを得た。家に帰ると妻は蒲団を敷いて昼寝というか夕寝に溺れていた。私の一挙両得の計画は見事に目的を達した訳である。

Urbanization and Logical Prison 安部公房「無関係な死・時の崖」

 安部公房の短篇小説『無関係な死・時の崖』(新潮文庫)に就いて書く。

 芸術的作品は、それが近代的個人の内面に根差していようとも、或いは国家を包摂する巨大な宗教的権威の反映であろうと、人間の個人或いは集団の描いた「幻想=妄想=fantasy」の表出された形態である。単独の個体が孤独の裡に作品を創出するという近代的な理念の下では、つまり作品が個人の内面や主観と不可分の関係を締結する時代においては、表出された幻想は個人の遺伝的な特性や歴史的な環境や、そういった様々な要素の「複合体=complex」として形成される。それは世界に対する解釈の様態の一つの鮮明な結実である。
 安部公房の作品を読むことは、安部公房に固有の「幻想=妄想=fantasy」の形式や様態、構造や原理、包括的な特性を読み取ることに他ならない。それが作家の個性であり、固有の価値であると言える。そして芸術的交流とは即ち他者に固有の「幻想」を相互に交換し共有し嘆賞する営為の総体であると定義し得る。
 安部公房の提示する幻想には様々な特徴が備わっているが、その幻想を構成する原理の中核に鎮座する一個の揺るぎなく重要な主題とは即ち「自己の連続性の断絶」という逃れ難い信憑である。自己の連続性に対する根深い不信は、安部公房の作品の随所に浸潤し、無数の細部を規制し、彼の作品に含有された世界観の根幹を成している。それは初期の連作短篇集『壁』(新潮文庫)においても明瞭に示されている。「S・カルマ氏の犯罪」では「名刺」との間にアイデンティティの明証性を巡る不毛な論理的格闘が演じられる。「名刺」に象徴される自己の社会的側面と、社会から切り離された自己の匿名的側面との癒し難い分裂を巡る物語は、悪夢のような論理的連鎖を通じて執拗に探究される。同様の関心は、彼の様々な作品の裡に、その片鱗を発見することが出来る。
 自己の連続性の断絶という実存的真理は、多様な変奏を示しながら、彼の作品の奇想に充ちた展開と構成を支えている。言い換えれば、自己の連続性の断絶という主題から、個々の作品の主題が様々な「異本=variant」として派生し、その奇態な細部の描写を析出しているのである。その変奏を幾つかの範型に要約するとすれば、例えば「変身/分身/転身」という風に大別し得るだろう。例えば本書に収められた「人魚伝」という極めて奇怪な短篇には、無限に分裂し再生する自己という主題が明確に象嵌されている。同時に「人魚」の「幻想=image」が「第四間氷期」に登場する水棲人類にも通ずる「変身」の主題を伴奏のように響かせている点も注目に値する。「人間」という生物学的な種別・範疇の連続性や同一性に対する懐疑の眼差しが、こうした「人魚」の幻想には含有されているのである。
 或いは「転身」という主題に関して言えば、例えば本書に収められた「誘惑者」のように、帰属や立場が俄かに反転する構成の類型を挙げることが出来るだろう。警察と犯人の関係が一瞬で反転する物語の構造は、自己の帰属や同一性の疑わしさに対する認識から培養されていると看做して差し支えない。そして、これらの自己の連続性の断絶という危機的な状況に逢着して、安部公房の作品の主人公たちが一様に苛まれるのは「証明の著しい困難」という現象である。自分が何者であるかということを、明瞭で堅固な事実として提示することの底知れぬ難しさが、彼らの絶望と不安の直接的な温床として機能するのである。
 例えば表題作である「無関係な死」において、主人公は自宅に放置された得体の知れない屍体との潔白な関係を明証する為にあらゆる手立てを講じる。しかし、その手立ての一つ一つが、客観的な論理の見地からは、深刻な瑕疵を帯びているように眺められる。彼には殺人を犯した記憶など全くないが、彼の自宅に屍体が存在するという身も蓋もない事実が、彼の刑法上の潔白を致命的に毀損する。対策を講じれば講じるほど、彼の潔癖を証明する根拠は弱体化していくのである。これもまた、自己の連続性の断絶という主題の不穏な表現の一種であると言えるだろう。潔白の証明の不可能性が、遡及的な仕方で彼の有罪を暗示する。こうした推論の畏怖すべき威力は、彼が囚われた「論理の監獄」の絶望的な構造を生々しい恐懼の感情として浮かび上がらせる。
 こうした物語の構造の総体が、巨大な「都市」の社会的秩序と結び付いていることは明瞭な事実であるように思われる。夥しい人口を包摂し、個々の人間の生物学的な規模を超過して膨れ上がった複雑怪奇な秩序としての「都市」においては、人間同士の関係に絶えず「匿名性」が付き纏う。隣人の名前も素性も知らないことが常態化している都市の生活は、地縁や血縁に基づいた濃密な共同体における人間関係とは異質な世界を現出させる。我々はあらゆる場面で「自己証明」を求められ、客観的且つ論理的な説明を通じて自己の素性を開示する作業に汲々とする。そういう世界における絶望の形式に、安部公房は執拗な関心を懐き続けた。自己証明の困難という問題が最も尖鋭な葛藤として結実するのは、恐らく法廷における無実の証明という局面であり、例えば「無関係な死」は、その不毛な格闘の論理的要約に他ならない。「S・カルマ氏の犯罪」における絶望的な法廷の幻想も、正に「自己証明」の根源的な不可能性という社会的陥穽と密接な聯関を有している。「都市化」(農村から都市への人口の急激な流入と集中)という社会的現象が齎した個人の実存的変革における固有の不安と諸問題が、安部公房の作品には明瞭に刻印されているのである。

無関係な死・時の崖 (新潮文庫)

無関係な死・時の崖 (新潮文庫)