サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

小説「Hopeless Case」

「Hopeless Case」 7

恋が醒めた途端に人は、魂を丸ごと交換したような劇しい変貌を遂げる。椿は、そもそも自分自身の魂が変貌するような恋愛を知らずに長く過ごしてきたから、亘祐と訣別した後は暫く、蝉の抜け殻のように何処へも出掛けず、余り小説も読まなかった。他人の色恋…

「Hopeless Case」 6

大学三年生の夏に、亘祐が他に好きな女性が出来たから別れて欲しいと言い出したとき、椿は束の間、彼の言葉の意味を精確に計量することが出来なかった。 亘祐はその年の春から旅行代理店の営業部員として、着慣れないスーツを窮屈そうに纏いながら、社会の真…

「Hopeless Case」 5

椿と亘祐は人前で露骨に戯れ合うことを好まなかったし、二人の絆の縺れ合いを他人の酒肴に供することも嫌っていたから、特に出口の見えない恋愛相談や厚かましい惚気話は常に差し控えた。無論、世間は狭いので、どんなに夜の暗がりに息を潜めても、新宿の眩…

「Hopeless Case」 4

武岡亘祐という男の何がそれほど、他の男たちと違ったのだろうか。いや、そんな大仰な設問は却って事態の全貌を見誤らせる弊害となるかも知れない。似たような時代と土地に生を受け、似たような境遇を過ごして、似たような大学に進んだ男が、その他の有象無…

「Hopeless Case」 3

椿は虚しい高望みに魂を引き摺られて、次々と枕を取り換える移り気な女の子だったのだろうか? 傍目には、そういう好ましくない道徳的評価が適切であるように見えることも少なくなかったに違いない。彼女の持ち前の無責任な博愛主義、殆ど趣味的な博愛主義が…

「Hopeless Case」 2

大学に進んだ後も、椿の魂を奥底から震撼する力を備えた男性との出逢いは中々得られなかった。聊か怠惰で、生真面目で情熱的な大学生を演じる意欲も欠いていた彼女は、入学を機に今までの自分を改革しようなどという殊勝な心掛とは無縁だった。だから、周囲…

「Hopeless Case」 1

椿つばきは幼い頃から読書を好んだ。文字に興味を覚えるのも早く、平仮名や片仮名を目敏く見つけては、両親に読み方を教えろと忙しなくせがんだ。どんな遊びよりも絵本の読み聞かせを最も深く愛し、どんな奇怪な空想でも、見知らぬ異郷の物語でも易々と受け…