サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

「森」の論理と「ヒト」の論理 宮崎駿「もののけ姫」

 どうも皆様こんにちは。サラダ坊主です。

 日本が誇るアニメーションクリエーターとして国際的な知名度を持つ宮崎駿氏が「風立ちぬ」を最後に現役を退いてから、早くも2年以上の月日が流れました。

 「となりのトトロ」や「魔女の宅急便」という牧歌的な作品から、「風の谷のナウシカ」や「もののけ姫」などのハードな作品に至るまで、アニメーションというジャンルにおいて比類無い多様な創造性を発揮してきた宮崎氏の功績は、誰もが認めるところでしょう。

 しかしながら、私たちはその巨大な作品群の全貌を充分に理解しているとは言い難いのではないでしょうか? 代表作とも言える「もののけ姫」は破格の興行成績を叩き出しましたが、それは多分に過去の作品群の実績と知名度によって浮揚された結果であって、多くの観客の理解が物語の核心に届いたことを客観的に証明する根拠とはなりえません。

 「もののけ姫」は、人間的な論理と自然的な論理との対決が扱われます。 それは最終的に「共生」という結論へ至る訳ですが、それは決して抜本的な解決策として示されたものではなく、あくまでも「苦肉の策」であり「苦渋の決断」であるに過ぎません。「人間」と「自然」との間で繰り広げられてきた有史以来の苛烈な闘争は、「共生」などという分かりやすい結論やキーワードでは括り難い「疎隔」を抱え込んでいます。実際、サンは「人間」たちを赦せないまま「森」へ帰っていきますし、アシタカもそんな彼女の心情を根底的に覆せるような「根拠」を有していません。二人の距離は例外的に縮まったとしても「奇蹟」は「奇蹟」に過ぎず、「ヒト」と「森」との根源的な対立を乗り越えられる力として、そのような個人的奇蹟を持ち出すのは安易に過ぎるでしょう。

 だから、「もののけ姫」のような複雑な作品から単純にエコロジカルな理想論を引き出すのは馬鹿げています。確かに「自然破壊」の問題は、宮崎氏が「風の谷のナウシカ」や「となりのトトロ」以来、ずっと向き合い続けてきた深刻な主題ではありますが、「もののけ姫」がそのような壮大で重厚な問いに何らかの「答え」を返していると考えるのは早とちりです。宮崎氏が「エコロジカルな主題」に引きずられてしまう背景には「自然への畏敬」などではなく、寧ろ積極的な「テクノロジーへの欲望」が介在していると考えるべきではないでしょうか。彼は「森」の論理に人々の関心を惹き付けようとしているのではないし、自然保護の積極的な称揚と美化に加担しているのでもありません。いわばそれは「罪悪感の所産」ではないかと、私は考えます。

 「紅の豚」や「風立ちぬ」に見られるような「人工的テクノロジー」への欲望の根深さは、言い換えれば自己分裂的な反問のような形で、作者を「自然との共生」という主題におびき寄せます。それは引き裂かれた理想の残酷な病態というべきであり、素朴な自然への憧憬などと甘く見てはならない、倫理的相剋の凝縮された姿なのです。

 彼はテクノロジーの功罪に敏感であり、テクノロジーの「功」の半面だけを見続けていたいのに、それを許さぬ峻烈な自己否定的良心に搦め捕られています。だからこそ、彼の作品には複雑な断層と奥行きが生まれます。テクノロジーの快楽を愛しつつも、その必然的な結果として破壊されていく「自然」への罪責の感情も併せ持たずにはいられないのです。「もののけ姫」では、彼は徹底的に「ヒト」の罪悪を追及しました。しかし、それは「ヒト」を悪に、「森」あるいは「シシ神」を善に定位する為の単線的な格闘ではないのです。

 結論が出ませんが、とりあえず擱筆します。

 サラダ坊主でした!

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