サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

「古都」 13

 秋ちゃんは、少し鼻っ柱が強いだけで、根っこの部分は優しく、素直で可愛らしい女の子でした。傍目には活発で、姉の言うことに逆らってばかりの我儘娘でしたが、それは抑え付けられた感情の、健全な恢復の為の手段だったのではないかなと、総てが手遅れになってしまった今、改めて思います。
 私の姉も秋ちゃんも、互いに頑固で自分の考えや信条を曲げないところが、よく似ていました。そういった点では、紛れもない母子だったのです。しかし、似過ぎているというのは、時に考え物です。彼是と不毛な諍いを招くのは大抵、行き過ぎた自己嫌悪と、その朋輩のような同族嫌悪だと、相場が決まっているのですから。余りに近過ぎて、相手の抱え込んでいる計算や感情の精確な仕組みが手に取るように見えてしまうものだから、却って姉も口煩く咎めたくなる自分を、他人行儀に縛っておけなかったのでしょう。軋む音が聞こえても、きっと耳を塞いで遣り過ごす道に、安易に流れ着いてしまったのです。それを愚かな振舞いだと嗤えるほど、私も人の親として充分に成熟している訳ではありません。
 秋ちゃんが度々故郷を逃れて、まるで水泳の息継ぎのように、息苦しい世界から顔を突き出して爽やかに笑っている姿を見れば、私としても無下に帰郷を促すようなことも出来ません。それがお前の軟弱なところだと夫には責められましたが、秋ちゃんの心境をきちんと慮った上で、夫がそのような批判を口にしているとは到底思えず、単に親戚絡みの厄介事に巻き込まれたくないという平凡な保身への欲望が吐き出させた言葉と感じられ、私は素直に従うことを拒みました。誰にだって思い悩む季節というものはあり、況してや厳しく躾けられた秋ちゃんが大人への階段を歩むに連れて色々と母親との衝突に傾くのは、宇宙の真理と言えば大袈裟ですが、当たり前の現象だと思うのです。
 とはいえ、秋ちゃんが大一番の喧嘩を姉とやらかして、もう怒髪天を衝くといった形相で東京へ逃げてきたときは、流石に私も判断に迷いました。啀み合ったまま、生涯を終えていく母子というのは如何にも痛ましい光景ですし、血を分けた姉が、娘との間に不幸な関係を抱え込んで蹲っていくさまを想像するのは、胸の張り裂けるような苦痛でした。けれど、湯気を耳から鼻から濛々と噴き上げている不機嫌な姪っ子を、問答無用で京都へ追い返すのは気が退けますし、これまで幾度となく彼女の東京における束の間の休息を支援してきた私の立場として、今更ながら、姉との困難な仲直りを秋ちゃんに勧めるのは聊か手前勝手というものです。無理に追い返せば今度こそ、決定的な破局を呼び込んでしまうかもしれないという暗い予測も胸の裡にはありました。テレビを眺めていれば否が応でも、肉親同士で殺し合う悲惨な事件の報道に接することがあります。それと同じことが、私の身近では断じて起こらないと言い切ることは出来ません。
 然し、秋ちゃんの肩ばかり持って、姉の言い分に素知らぬふりを決め込む訳にも参りません。相手は血を分け合った実姉であり、幼い頃から同じ親に同じ家で育て上げられた仲で、思い通りに物事が運ばないことへの姉の苦しみや悲しみは、審らかに事情を訊ねずとも、肌で感じることが出来ました。明確な言葉に置き換えられずとも、何となく時空を隔てて分かり合えるような、不可思議な共感というものが齢を重ねても息衝いているのが、姉妹という間柄の特徴です。姉は容赦せずに何度も私たちの家へ電話を寄越し、秋南が何をしているのかを事細かに詮索したり、京都へ帰って自分の非を詫びなさいとあんたからも是非言うてくれと懇願したり、大忙しです。然し秋ちゃんは頑固に徹底抗戦を貫く構えで、受話器を譲ろうにも決して手を伸ばしてくれませんし、姉からの電話が鳴ると途端にサンダルを拾って夜でも昼でも構わず何処かへ消えてしまいますから、話し合いは一向に捗らず、姉の心は様々な感情の波浪に嬲られて、真っ当な理性も保てないような有様でした。気持ちが弱ってくると、姉はあんたの家に迷惑かけてもうてほんまに辛い、身内の恥を晒すようで情けないなどと、陰気な愚痴の乱射で猶更私の気を滅入らせます。こんな日々が何時まで続くんやろかと、内心では姉にも秋ちゃんにもウンザリと憎しみを募らせるような局面もありましたが、何れにせよ何かの因果で血によって結ばれた同胞ですから、面倒でも裾を捲って逃げ出すような卑怯者にはなれませんでした。
 暫くは私たちの家に居候していた秋ちゃんも、やがて鬱屈してきたのか、或いは私たち夫婦に要らぬ心労を強いていることに堪えられなくなったのか、仕事を見つけたのでアパートを他所に借りて自活しますと向こうから言い出しました。正直、何処かへ去って自分なりの暮らしを営んでもらった方が、私としても気楽でした。姉からの電話は間遠になっていました。どうやら、義兄に窘められて、余り秋南に固執してあの娘の手足を縛るような真似を続けるなと叱られたそうで、電話口で泣きじゃくりながら私に不満を訴えたこともありました。色々と難しいですが、正論を述べるならばやはり、秋ちゃんも学校を卒えて中身の良し悪しは兎も角、一人前の大人として女として暮らしてよい年齢ですから、自由に望む道を進ませてやればいい、後は遠くから見守って時々何か暮らしの助けになるものを送ってやるぐらいの距離感で丁度いいのではないかと考え、最終的には独立に賛成しました。実の親でも縛り切れぬ秋ちゃんの燕のような心を、叔母の分際で飼い慣らそうだなんて、固より無謀というものでしょう。大人へ通じる階段、或いは頼りない縄梯子を、秋ちゃんは自力で攀じ登ろうと懸命で、その健気な格闘に、訳知り顔の老婆が水を差すのは出過ぎた真似です。本来ならば、尻を叩いて千尋の谷を這い上がらせなければいけないのに、何時までも愛娘を自分の支配下に置き続けようとする姉の専横な気質は、考えてみれば母譲りかも知れず、この呪縛は世代を跨いで脈々と受け継がれる因縁かもしれないと想像して、何だか背筋がぞくっとしました。
 然し、齢を重ねただけで、誰でも同じように、同じ角度で、同じ高さで空を飛べるようになるとは限らない、というのもまた、教育の真実でしょう。姉が不安がるのも、分からないではありません。死んでしまってから、悔やんでも、御骨が元通りになる訳でもありませんから。総ては手遅れになってしまいました。悔やんでも、もう元には戻らない秋南の遺骨を、私たちは、冷たく無神経な箸で、煮物でも転がすように辿々しく拾ってあげることしか出来ませんでした。