サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

Cahier(年の瀬・ティマイオス・叡智)

*年の瀬である。クリスマスの商戦を了え、漸く人心地がついたと思ったら、今度は年末年始の買い出しで、売り場はがやがやと絶えず騒がしい。食品の小売業にとっては、年間で最大の繁忙期であり、御用納めの酒肴を浮かれながら買い漁る背広を纏った善男善女を尻目に、我々は今日も商いに忙しい。世間は大型連休の幸福な予感に顫えながら、気忙しい足取りで暦の最後の頁を踏み締めていく。もう直ぐ東京オリンピックの年だ。何だか信じられない気分である。時空が歪んでいるかのように、何もかもが一瞬で私の躰の傍らを、光の速さで駆け抜けて後姿さえ見せない。

*クリスマスの地獄を辛うじて生き延び、空白のような休日に、少しずつプラトンの対話篇「ティマイオス」(『ティマイオス/クリティアス』白澤社)を読み始めた。未だ何か纏まった感想を述べられる段階には達していない。年の瀬から三が日まで、馬車馬のように働く日々を潜り抜けた後でなければ、古代の書物に綴られた内容を自分の言葉で咬み砕く贅沢な時間は得られないだろう。毎年の慣わしであるから、今更そういう境遇を怨むこともない。世間が呑気に新春の生温い休暇を愉しんでいる間に、夜明けの光を浴びながら電車に揺られ、皆が深酒して放歌高吟している夜更けに自宅へ帰り着く生活を、この期に及んで忌まわしいとも思わない。誰にでも固有の持ち場というものがあるのだ。慣れるか慣れないか、結局はそれが総ての鍵を握る重要な分水嶺なのだ。

*紀元前のギリシャで文字に起こされた対話篇を、誰に強いられるでもなく、孤独に読み進めて、独り善がりの感想文を認めているのは、もっと賢い人間になりたいと願うからだ。それは誰かに賢いと称賛されたいからではない(無論、称賛されたくないと言い張っている訳ではない)。時々、自分の頭の悪さに苛立つからだ。現実に呑み込まれるのではなく、不条理に隷属するのでもなく、自分の力でたった一度きりの人生を開拓していく為には、もっと賢明な思考を繰り広げる知性と教養を手に入れて、更には様々な経験を積まなければならない。年齢を重ねるほどに、私は単なる経年劣化の不良在庫にはなりたくないと思うようになった。職場には、二十歳前後の若い学生が数多く在籍している。眩しいほどに若い彼らの姿は、自分自身の昔日の面影を想い起させるが、その追憶には最早、鮮明な印象が欠けている。二十歳前後の季節に懐いた諸々の苦悩を、生々しく脳裡に描き出すことは既に難しい。良くも悪くも私は三十四歳の男となり、世間的には中年の入り口に差し掛かりつつある。おっさんになること自体は、生物学的な必然に従って、粛々と受け容れるしかない厳格な運命であるが、それを悲運と看做すかどうかは、自分の創意工夫と努力次第ではないか。せめて年齢を重ねたならば、その分の成長は遂げている自分でありたい。知性も教養も二十歳の頃と変わらないのならば、三十四歳の私は単なる骨董品でしかない。一年前の自分と比較して何の変化も見られないような怠惰な生き方を、私は望まない。それならば、自ら積極的に学び、経験を重ねて知見を広げる以外に術はない。日々の労働を機械的に遂行し、その憂さ晴らしに休日の総てを注ぎ込むような奴隷の生活を、私は決して愛さない。規格品の通俗的な享楽には事欠かない社会に住まいながら、毒にも薬にもならない束の間の刺激に尻尾を振って、犬のように生きるのは御免だ。千篇一律の退屈なクリシェに囲まれて、人生なんてそんなものだと悟ったような科白を吐いて、一向に成長しない自己の境遇に安住しながら、高慢なプライドは捨てられない、そういうおっさんになることは、私の願いではない。

*学ぶことは、世界を広げることであり、可能性の束を太らせることであり、決まり切った生活に新たな照明を宛がうことだ。何も考えず、疑問にも思わず、他人の指示や訓誡を砂糖菓子のように苦も無く嚥下して泰然自若としていられるのなら、それは確かに幸福かも知れないが、随分と無邪気で醜悪な幸福ではないか。そういう人間は、個人的な幸福の監獄の裡に留まって、他人の味わう苛酷な風雪には無関心である。つまり、そういう人間は他人を扶けたり支えたり癒やしたり愛したりする力量や情熱を欠いている。自分の役割に甘んじて、更なる成長など求めず、ありのままの自己を後生大事に守り抜いて、箱入り娘のように、他人の悲喜劇を蓋の隙間から窃み見るだけの安全な生活を望む者に、どんな力が備わるだろうか。妻子を持ち、部下を持ちながら、そんな手前勝手なアタラクシアの境涯に鎮座するのは、私の信条が許さない。私という人間は、幸福である為に他人を必要としている。だからこそ、他人に頼らず、甘えず、自己を律する力を手に入れなければならない。自分の尻を拭う力さえないのに、他人の傷口を塞いでやることは出来ないだろう。自分自身との約束も守れない人間に、他者の信頼へ応える力など宿らないだろう。賢くなりたいというのは、強くなりたいということであり、誰かを守ったり支えたり育てたりしたいということと同じだ。それは要するに、怠惰な動物ではなく人間でありたいということだ。愚かな自分を愛して悦に入るのは、下らない戯画ではないか。それは自分の欠点を素直に認める強靭な精神とは全く異質である。ナルシシズムとユーモアは合致しない。現実の酷薄な実相を直視しない人間の舌に、諧謔の神様が憑依する見込みは皆無である。

ティマイオス/クリティアス

ティマイオス/クリティアス

  • 作者:プラトン
  • 出版社/メーカー: 白澤社
  • 発売日: 2015/10/26
  • メディア: 単行本