サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

人間は誰も首尾一貫した理窟を生きていない。

 また思い浮かんだ漫然とした雑感の欠片のようなものを、静かに追い掛けて確かめていくような文章になるだろう。生きていれば、それが単調な日々であろうと激動の騒乱に満ちていようと、何かしら考えたり思い余ったりすることは自動的に浮かんでくるものであり、それらの曖昧模糊たる思念を曖昧なままに野垂れ死にさせないことが、案外重要な心掛けなのではないかと思う。印象的な事件やら節目の出来事ならば、時間が経ってもその核心的な部分に就いては鍛え抜かれた鮮明な記憶が維持されるものだが、不図頭の片隅を掠めるように思い浮かんだ些末な想念の萌芽は、直ぐに書き留めて保存して丁寧に培養していかなければ永久に消滅してしまう。しかし、その些末な想念の中には、重要な思想の礎石として役立つような事柄が含まれていることも多いのである。

 ただ漠然とした慣習や約束事に従って日々を遣り過ごすだけでは、捕まえることの難しい思考や感情の形態は幾らでも存在する。一度偶然に想到した思想のか弱い萌芽を、永遠に取り逃してしまうのは実に勿体ない話だ。そういった欠片のような思念を集めて、ゆっくりと温めて押し広げていく作業こそ、個人的な思索というものの本領ではないだろうか。それは抜群の知性に恵まれた有能な哲学者たちだけに独占的に委ねられるべき、特異な栄誉ではない。市井の平凡な庶民であっても、そうした作業に対して真摯に従事することには、限りない価値と可能性が備わっている。凡人であろうと英才であろうと、思索の努力には人間の精神を動物的な反復の原理から救済する大いなる可能性が賦与されているものなのだ。

 だが、考えることは誰にでも出来るが、その質的な水準に関しては、実に千差万別であると言わざるを得ない。如何なる訓練や教育も抜きにして、思索へ向かう努力が先天的に万人に備わっていると信じ込むのは聊か素朴に過ぎる考え方である。

 考えるうちにもっと現実の深淵へ踏み込んでいってしまうのが、人間の性というもので、それこそが考えることの醍醐味ではないかとも思う。何と言えばいいのか、人間は誰も首尾一貫した理窟に基づいて生きていない。自分の信念や理想に基づいて、自分で自分を完璧に統制し得ていると思えるほどのストイシズムが、地上に建設される可能性は皆無に等しい。

 自分の行動に対して自覚的であればあるほどに、人間は首尾一貫した理窟に従うことの不可能性を明瞭に痛感せざるを得ない。余り深く考えずに、凡庸で表層的な論理だけを携えて生きているとき、人間は己の正しさを全面的に確信することが出来る。だが、それは単なる偏狭な人格の表現に過ぎない。己の正しさを全面的に確信して疑いもしないとき、それゆえの他者への驕慢な攻撃性を少しも抛棄する必要を認めないとき、人間は自分自身の存在を一個の堅牢な秩序、隅々まで統制され、如何なる不可知も不如意も持たぬ存在として認識し、信仰している。だが、そんなものは虚妄でしかないのだ。人間の内部には、複数の相互に矛盾する論理が涼しい顔で同居し、共存共栄に余念がない。矛盾する思考や行動を呑み込んで平然と存在しているのが人間の普遍的な特性である。だから、筋の通らないことでも平気で口走ったり振舞ったりするのが人間の生き方としては自然であり、それを或る何らかの統整的理念に基づいて整理整頓し、規則を遵守させ、理窟に合わない行為や発想を省いて除去しようと企てることの方が、遙かに不自然な実存の形態なのである。

 だが、私は決して如何なる統整的理念にも従うべきではないという青臭い極論を吐こうとしているのではない。重要なのは、その統整的理念が常に人間の内部で複数に分裂しているという事実に直面し、それを安易な虚飾で糊塗してしまわないことだ。

 言い換えれば、私たちは複数形の「私」を異常な状態だと断定して、それらに何らかの病名を刻印しようとする社会の抑圧的な権力に騙されないように努めるべきである。複数形の「私」の間で繰り広げられる種々のコンフリクトを、何らかの治療されるべき症候として排撃してはならない。私たちは相互に矛盾する複数形の「私」の奇妙な集団であり、複合体(complex)である。それは少しも異常なことではなく、寧ろそれらの複数形の「私」を単一の価値観に基づいて厳格に統制し、一義的に支配しようと試みる全体主義的な抑圧の方が異常なのだ。それが私たちを無際限な不幸と、思考停止と、頽廃的な信仰の奈落へ果てしなく滑落させていく。その意味では「本当の自分」「真実の自分」を探し求める種々の努力は所詮、政治的な覇権の確立に向けた、不毛な内部抗争に類する児戯でしかない。否定され、処分された複数形の「私」たちは何処へ消えてしまうのか? 彼らは未来永劫、覇者への復讐を望まずに墓標の下で大人しく眠り続けるだろうか? 社会における政治的独裁の末路から類推すれば、そのような破局を有り得ないと断じることは出来ないと直ちに気付かずにはいられないだろう。

Cahier(依存・小利口・堕落・暗部)

*他人に依存するのではなく、自分の外側に接続されている諸々の外在的な権威に頼るのでもなく、自分自身の力と判断で、責任を引き受けて生きること、他人の存在を言い訳に用いて自分の信念や欲望を圧殺しないこと、不満の原因を他人に求めないこと、言い換えれば、外在的な要素に自分の人生の根拠を預けないこと、これが最近、私の考えている「倫理」の漠然たる素描である。因みに附言しておくと、私の考える「倫理」とは「道徳」ではない。道徳的な善悪の基準とは直接的な関係を持たない「規範」を指し示す為に「倫理」という言葉を使っている。

 煎じ詰めれば「自立=自律」という観念に行き着く訳だが、この誰でも知っている「自立」という言葉の意味を骨身に沁みるほどに生々しく理解し、自らの人生において具現化している人は少数派ではないかと思う。誰でも死ぬときは一人であり、たとえ血を分け合った兄弟であっても所詮は異質な他人でしかない世の中で、誰もが己の本質的な孤独と寂寥から顔を背けるように、何らかの事物に依存したり、他人に縋ったりして生きている。

 無論、人間は群れを作る生き物であり、その意味では「孤独」という観念が明瞭な主題として人々の脳裡に浮上し、詳しく検討されるようになったのは、それほど古い話ではないかも知れない。だが、厳密に言えば「孤独」は群衆の渦中においても私たちの魂を容易に貫き、揺さ振るものである。孤独は人間の実存を規定する根源的な条件であり、そこから眼を背けるのは個人の自由だが、幾ら背けたところで、根源的な条件が緩和される見込みは皆無である。たとえ全体主義的な熱狂の氾濫に身を投じたとしても、人間の本質的な個体性は消滅しない。自他の境界線が溶解するような感覚を懐くことは可能だが、それは束の間の幻影でしかない。結局、如何に深く共感し合った積りでいても、自他の異質性が完全に除去されることは有り得ない夢想なのである。

 だが、そうした厳粛な真理と正面から向き合うことに堪え難い苦痛を覚えたとき、人は何らかの「依存」に走る。自分の足だけで立ち続けることに深刻な不安を覚え、果てしなく続く寂寥の予感に絶望し、人や物に縋りついて支えてもらおうとするのだ。依存の対象は実に様々であり、従ってその弊害も多岐に渉るが、その病理学的な構造は概ね共通していると言えるだろう。

*何らかの人や物に依存し、それによって相互に不自由な状況へ陥り、尚且つその閉鎖的で歪んだ環境から脱却出来なくなること、そうしたアディクション(addiction)の病理は、社会の随所に様々な濃淡で刻み込まれ、日夜活動を展開している。人間は実に容易く他人や事物に依存し、しかも自分が依存しているという事実を極めて過少に評価する。つまり、その弊害を非常に安く見積もってしまう。涼しい顔で、自分は立派に自分の力で生き抜いている、殊更に誰かの世話になっている積りもないと息巻いて、単純に素朴に、そうした信憑を疑いもしないのである。だが沈着に考えてみれば、自分の心が常に何らかの外在的な対象に縋って、支えられていることに気付く筈だ。

 本当に誰からも自立して、依存せずに生きているのならば、他人を妬んだり恨んだり失望したり期待したりする必要はない。だが、往々にして人間は何時でも羨望や怨恨や過大な期待に囚われて、思い通りに運ばない現実の責任を他人や物に押し付けている。こういう不毛な循環に縛られて身動きが取れなくなっていることにも明瞭な自覚を持たずに、悶々と苦しんでいるのだ。

*結局、小利口ということなのだろうか。色々な事情を勘案し、合理的な方法を考え、揉め事が起こらないように巧く立ち回り、そうやって成る可く無難に平穏に生きていこうと試みる姿勢が、諸悪の根源なのだろうか。綺麗事ばかり並べ立てて、一体それで何になると言うのか。凡庸な幸福に憧れて、人から叱られたり嗤われたりすることに怯えて、窮屈な論理で自らを拘束して、世間の良識とやらに跪いてみせる。尤もらしい言葉、尤もらしい正義、尤もらしい選択肢。自分自身の心にさえ嘘を吐き、自分を正当化する為の屁理屈を組み立てることにばかり血道を上げる。そういう生き方に深甚な疲弊を感じる夜もある。

 だが、依存はいけないと思いながらも、本当に誰にも何にも依存せずに生きることなど可能なのだろうか、と思わないこともない。結局は骨絡みの甘えが消せずに、知らぬ間にずるずると人や物に依存して、私は生きているではないか。正義漢の仮面を被って時には偉そうに一丁前の正論を吐いてみせることもある私だが、果たしてそのような社会的正義に殉ずる覚悟など持ち合わせているかと問われれば、絶句するより仕方ない。

 自分を正義漢だと思い込むのは愚かしいことである。驕慢で無恥な所業である。そういったことを、少し前に考えた。私は二十歳で子供が出来たので止むを得ず勤人になり、社会の片隅で貧しい所帯を営み始めた。世間知らずで我儘で気の短い私も、我慢して仕事を続けるうちに少しずつ常識を弁えるようになり、少しずつ社会的な信頼を勝ち得て、余り世間から邪険にされぬ立場になった。そうなると、固より自分に甘い性格である私は、自分を真っ当で良識的な人間であるかのように信じ始めた。尤もらしい正論の似合う男なのだと、自分で自分を定義し始めた。だが、それは錯覚ではないかと、この頃思う。私は生来、短気で我儘で好き嫌いが劇しくて、他人に頭を下げることが好きではない。他人の意見に唯々諾々と従い、他人の拵えた理念や信条を後生大事に受け取って自分の胸許に飾るような真似が嫌いである。けれども、余計な揉め事を嫌って日頃は大人しく綺麗事を並べ立て、愛想笑いを浮かべている。そうやって働いていれば、もっと出世していけるだろうと漠然と考えていたが、そもそも自分は出世したいと思っているのだろうかと、もう一人の沈着な自分が囁いてくる。お前は本当に、そんな真っ当な堅気の性格だったか? 若しもそうなら、大学を一年で辞めたり、定職も持たぬ分際で子持ちの年上女性を妊娠させたり、臨月を迎えた妻の誕生日に仕事を辞めたりするだろうか? それは知らぬ間に十年以上も昔の遠い記憶になりつつある。掠れた記憶が、危機感を薄れさせ、都合の良い謬見を蔓延させるのだろうか?

 別に社会の正道から殊更に離れようとは思わないが、堅苦しい規律を後生大事に戴いて生きる積りにもなれない。他人の提示する理念や信条に興味を持たない訳ではないが、所詮は他人事だと思ってしまう。結局、重要なのは、己の内なる醜悪な暗部を常に覗いてみることではなかろうか? そうすれば、如何なる綺麗事も正論も忽ち塩を浴びた蛞蝓のように崩壊してしまうだろう。下らぬ欺瞞で己や他人を欺くこともなくなるだろう。自立することが大切だと、依存は不幸しか生まないと、尤もらしく語ってみせても、結局は己の欲望に呑み込まれて傍若無人に振舞う私がいる。その実相を見据えずにきらきらと美辞麗句を数珠繋ぎにして、それで本当の幸福に達することなど、出来る筈もないのだ。

三島由紀夫「金閣寺」再読 2

 引き続き、三島由紀夫の『金閣寺』(新潮文庫)を再読した感想を認めておく。

プラトニズムの齎す倫理的害毒

 「私」にとって「美」は、現象的な世界の裏側に潜んでいる、秘められた存在である。しかし、それは単純に「美」が彼岸的で超越的な観念であることを意味していない。例えば三島は「禁色」において、作家である檜俊輔に次のような美学的論理を語らせている。

「……そうして、美とは、いいかね、美とは到達できない此岸なのだ。そうではないか? 宗教はいつも彼岸を、来世を距離の彼方に置く。しかし距離とは、人間的概念では、畢竟するに、到達の可能性なのだ。科学と宗教とは距離の差にすぎない。六十八万光年の彼方にある大星雲は、やはり、到達の可能性なのだよ。宗教は到達の幻影だし、科学は到達の技術だ。

 美は、これに反して、いつも此岸にある。この世にあり、現前しており、確乎として手に触れることができる。われわれの官能が、それを味わいうるということが、美の前提条件だ。官能はかくて重要だ。それは美をたしかめる。しかし美に到達することは決して出来ない。なぜなら官能による感受が何よりも先にそれへの到達を遮げるから。希臘人が彫刻でもって美を表現したのは、賢明な方法だった。私は小説家だ。近代の発明したもろもろのがらくたのうち、がらくたの最たるものを職業にした男だよ。美を表現するにはもっとも拙劣で低級な職業だとは思わないかね。

 此岸にあって到達すべからざるもの。こう言えば、君にもよく納得がゆくだろう。美とは人間における自然、人間的条件の下に置かれた自然なんだ。人間の中にあって最も深く人間を規制し、人間に反抗するものが美なのだ。精神は、この美のおかげで、片時も安眠できない。……」(『禁色』新潮文庫 pp.679-680)

 「美」は確実に私たちの住まう現象的な世界の内部に存在しているが、私たちは「官能」の機能的な限界を突破して「美」そのものの実体に到達する力を有していない。この考え方は明白にプラトニズム的な「真理」の構図に即している。私たちは美的な存在を、自らの官能を媒介として感受する以外に認識する方法を持たないが、認識は決して美的な存在そのものへの物理的な到達を意味しない。私たちは「美」を感性的な機能に基づいて把握することは出来るが、それは飽く迄も銘々の多様な感受性を通じて個別に仮構された現象であって、決して「美」そのものの普遍的な実相に逢着することは出来ないのである。それが「美」という観念に附随する厄介な論理的構造である。

 だが、こうした考え方は「美」に固有の問題であると言い切れるだろうか? 如何なる対象を俎上に載せようとも、認識の構造的な限界という主題は常に、私たちの行く手に立ち開かる険阻な断崖である。重要なのは、語り手である「私」の思考の様態が、感性的な「美」の背後に絶対的な「美」の存在を必ず措定しようと努める点に存している。

 私はいろいろに角度を変え、あるいは首を傾けて眺めた。何の感動も起らなかった。それは古い黒ずんだ小っぽけな三階建にすぎなかった。頂きの鳳凰も、鴉がとまっているようにしか見えなかった。美しいどころか、不調和な落着かない感じをさえ受けた。美というものは、こんなに美しくないものだろうか、と私は考えた。(『金閣寺新潮文庫 pp.32-33)

 「美というものは、こんなに美しくないものだろうか、と私は考えた」という言い方には、倒錯的な印象が付き纏う。彼の夢見がちな生い立ちが、過度に美化された壮麗な「心象の金閣」を育んだという説明は、こうした倒錯的認識の成立という現実に対して充分に匹敵しているようには思われない。これは飽く迄も物語を成立させる為の便宜的な説明であり、何故そのような思考の様態が「私」の内部に深く根付いているのかという問題は、暗闇の奥底に繋留されたままなのである。

 私の現実生活における行為は、人とはちがって、いつも想像の忠実な模倣に終る傾きがある。想像というのは適当ではない。むしろ私の源の記憶と云いかえるべきだ。人生でいずれ私が味わうことになるあらゆる体験は、もっとも輝やかしい形で、あらかじめ体験されているという感じを、私は拭うことができない。こうした肉の行為にしても、私は思い出せぬ時と場所で、(多分有為子と)、もっと烈しい、もっと身のしびれる官能の悦びをすでに味わっているような気がする。それがあらゆる快さの泉をなしていて、現実の快さは、そこから一掬の水を頒けてもらうにすぎないのである。

 たしかに遠い過去に、私はどこかで、比びない壮麗な夕焼けを見てしまったような気がする。その後に見る夕焼けが、多かれ少なかれ色褪せて見えるのは私の罪だろうか?(『金閣寺新潮文庫 p.290)

 「私」にとって生きることは、既に過ぎ去った完璧な体験の不完全な「想起」に類似している。既に存在しているものを想起するという論理に、プラトニズム的な思惟の形式の反響を聴き取るのは、牽強付会に過ぎるだろうか? 完璧で非の打ち所のない審美的法悦が予め存在し、現実の経験はその不完全な反映に過ぎないという思考の回路は、明瞭にプラトニズム的であると言えないだろうか? このような観念的思想の形態に脳髄を占領されたとき、その人間の眼に映る世界は常に、完璧な理念の不完全な模造品に過ぎない。どんなに美しい夕焼けも、完璧な理念=イデアとして先行して存在する「比びない壮麗な夕焼け」の色褪せた模写でしかない。或る先験的な理念が予め存在し、私たちの享受する感性的な現実は総て、その不完全な流出に過ぎないというプラトニックな思考の形態、この観念的な倒錯(無論、倒錯と決め付けるべきかどうかは一概に断定し難い)が、少なくとも「金閣寺」という作品においては、語り手である「私」を具体的で実践的な「人生」の現場から遠ざけ、遮断してしまうのである。

 端的に言って「金閣寺」という作品は、語り手に幼時から根深く浸透したプラトニックな思惟の形態を、語り手自身が如何に打破しようと試みたか、その観念的で抽象的な格闘の記録である。そしてプラトニックな思惟の形態を支える至高の理念、或いは象徴として「金閣」は存在し、「私」の内面的な世界に君臨している。つまり「金閣」を焼き払うという決断は、「私」を「人生」から遮断し、隔離するプラトニックな観念の体系を焼き払うという決断と同義なのである。

 ここからは金閣の形は見えない。渦巻いている煙と、天に冲している火が見えるだけである。木の間をおびただしい火の粉が飛び、金閣の空は金砂子を撒いたようである。

 私は膝を組んで永いことそれを眺めた。

 気がつくと、体のいたるところに火ぶくれや擦り傷があって血が流れていた。手の指にも、さっき戸を叩いたときの怪我とみえて血が滲んでいた。私は遁れた獣のようにその傷口を舐めた。

 ポケットをさぐると、小刀と手巾に包んだカルモチンの瓶とが出て来た。それを谷底めがけて投げ捨てた。

 別のポケットの煙草が手に触れた。私は煙草を喫んだ。一ㇳ仕事を終えて一服している人がよくそう思うように、生きようと私は思った。(『金閣寺新潮文庫 p.330)

 「金閣寺」という作品は「私」が如何にしてプラトニックな観念の虜囚となり、如何にしてその観念の魔力から脱して「人生」の入口に立ち得たか、その詳細な過程を緊密な文章で描き出している。「私」は常に「現実」よりも「心象」を優先することに慣れ親しんでおり、その遠因として「吃音」が挙げられる。

 吃りは、いうまでもなく、私と外界とのあいだに一つの障碍を置いた。最初の音がうまく出ない。その最初の音が、私の内界と外界との間の扉の鍵のようなものであるのに、鍵がうまくあいたためしがない。一般の人は、自由に言葉をあやつることによって、内界と外界との間の戸をあけっぱなしにして、風とおしをよくしておくことができるのに、私にはそれがどうしてもできない。鍵が錆びついてしまっているのである。

 吃りが、最初の音を発するために焦りにあせっているあいだ、彼は内界の濃密な黐から身を引き離そうとじたばたしている小鳥にも似ている。やっと身を引き離したときには、もう遅い。なるほど外界の現実は、私がじたばたしているあいだ、手を休めて待っていてくれるように思われる場合もある。しかし待っていてくれる現実はもう新鮮な現実ではない。私が手間をかけてやっと外界に達してみても、いつもそこには、瞬間に変色し、ずれてしまった、……そうしてそれだけが私にふさわしく思われる、鮮度の落ちた現実、半ば腐臭を放つ現実が、横たわっているばかりであった。(『金閣寺新潮文庫 pp.7-8)

 こうした「内界と外界との間の扉」の機能不全が、「私」の内部に牢固たるプラトニズムの壮麗な伽藍を築き上げたのかも知れない。つまり「新鮮な現実」に対する複雑な憧憬の感情が、如何なる現実も「完璧な現実」の劣化した形態に過ぎないというプラトニックな信仰を育んだのではないかと推察されるのである。理念としての完璧な現実が予め先験的に存在し、感性的な現実はその不完全な反映であるという考え方の根底には、自分が常に外界の感性的な現実から隔てられているという認識が介在している。

 こうした信仰が、結果として「私」を外界の感性的な現実への介入から隔てる効果を発揮する。同時に「私」は理念としての完璧な現実からも疎外されている。この二重の疎外が「私」を身動きの取れない抑圧的な状態へ幽閉するのである。理念としての絶対的で超越的な「美」に到達することは、「私」が感性的で現象的な世界の一部として存在し、その世界に内属している限り不可能である。にも拘らず「私」は理念としての「美」の超越的な性格を信じるがゆえに、己の所属する感性的で現象的な世界をそのまま受容することが出来ない。受容しようと試みる度に出現する「金閣」の幻影が、「私」の具体的な人生への参与を妨害するのである。

 私はむしろ目の前の娘を、欲望の対象と考えることから遁れようとしていた。これを人生と考えるべきなのだ。前進し獲得するための一つの関門と考えるべきなのだ。今の機を逸したら、永遠に人生は私を訪れぬだろう。そう考えた私の心はやりには、吃りに阻まれて言葉が口を出かねるときの、百千の屈辱の思い出が懸っていた。私は決然と口を切り、吃りながらも何事かを言い、生をわがものにするべきであった。柏木のあの酷薄な促し、「吃れ! 吃れ!」というあの無遠慮な叫びは、私の耳に蘇って、私を鼓舞した。……私はようやく手を女の裾のほうへ辷らせた。

 

 そのとき金閣が現われたのである。

 威厳にみちた、憂鬱な繊細な建築。剝げた金箔をそこかしこに残した豪奢の亡骸のような建築。近いと思えば遠く、親しくもあり隔たってもいる不可解な距離に、いつも澄明に浮んでいるあの金閣が現われたのである。(『金閣寺新潮文庫 pp.159-160)

 こうした内面的経験を一概に「美の永遠的な存在」への到達であると認定することが適切かどうかは分からない。ただ、少なくとも「私」が「隈なく美に包まれ」ていると感じていることは確かな事実である。その瞬間に「下宿の娘」の存在は「塵のように」後景に退き、「私」は「美の永遠的な存在」に抱擁されながら「人生への渇望の虚しさ」を思い知り、性的不能と「行為」への怯懦に囚われてしまう。「美の永遠的な存在が、真にわれわれの人生を阻み、生を毒するのはまさにこのときである。生がわれわれに垣間見せる瞬間的な美は、こうした毒の前にはひとたまりもない」(p.161)という文章は、こうした消息を明瞭な措辞で説明している。「美の永遠的な存在」に魅了された人間にとって「生がわれわれに垣間見せる瞬間的な美」は、換言すれば「美の永遠的な存在」の不完全な模造品としての価値しか持たない。「美」の理念的な永遠性に比べれば、有限の繊弱な「美」の魅力は単なる破片でしかない。そのように考えるとき、人間の内面を領するのはニヒリズムであり、現象的な世界の有限性に絶望する「断見」である。生きることは無意味であり、滅ぶものは無価値であるというペシミスティックな信憑が「私」から行為への勇気を奪い去り、永遠的な理念としての「金閣」への拝跪と隷属を命じるのだ。

 こうして「行為」と「認識」の対立という重要な主題が徐に、その明瞭な輪郭を示し始める。「美の永遠的な存在」に包摂されるという経験は、純然たる「認識」の範疇に属している。それは断じて「行為」ではなく、寧ろあらゆる種類の「行為」からの完全な離脱を意味している。

 「美の永遠的な存在」への劇しい憧憬を胸底に燃え盛らせて金閣寺の徒弟となった「私」は徐々に、この重要な主題の齎す軋轢に苦しむようになっていく。

 このころから微妙な変化が、私の金閣に対する感情に生じていたものと思われる。憎しみというのではないが、私の内に徐々に芽生えつつあるものと、金閣とが、決して相容れない事態がいつか来るにちがいないという予感があった。亀山公園のあのときから、この感情は明白になっていたが、私はそれに名をつけることを怖れた。(『金閣寺新潮文庫 p.167)

 この時点では未だ控えめな「予感」に留まっていた「認識」と「行為」との根源的な対立は、やがて明瞭な敵愾心へと高まっていく。

「美は……」と言いさすなり、私は激しく吃った。埒もない考えではあるが、そのとき、私の吃りは私の美の観念から生じたものではないかという疑いが脳裡をよぎった。「美は……美的なものはもう僕にとっては怨敵なんだ」

「美が怨敵だと?」――柏木は大仰に目をみひらいた。彼の上気した顔には常ながらの哲学的爽快さが蘇っていた。「何という変りようだ、君の口からそれを聴くとは。俺も自分の認識のレンズの度を、合わせ直さなくちゃいかんぞ」(『金閣寺新潮文庫 p.275)

 「美」を「怨敵」と看做す「私」の決定的な転向は、プラトニズムの齎す夥しい毒素への抵抗の必要を「私」が明確に感受したことの結論である。「世界を変貌させるのは決して認識なんかじゃない」(p.273)という「私」の苛烈な信仰告白は、絶対的な認識としての「美」に対する挑戦状であり、「人生」への参入の決意表明なのだ。彼は「美の永遠的な存在」を焼き払うことで、つまり「永遠的な存在」を有限性の世界へ腕尽くで移行させることによって、「人生」を「虚無」に作り変えるプラトニズムの魔術的な効果に叛逆するのである。

 おしなべて生あるものは、金閣のように厳密な一回性を持っていなかった。人間は自然のもろもろの属性の一部を受けもち、かけがえのきく方法でそれを伝播し、繁殖するにすぎなかった。殺人が対象の一回性を滅ぼすためならば、殺人とは永遠の誤算である。私はそう考えた。そのようにして金閣と人間存在とはますます明確な対比を示し、一方では人間の滅びやすい姿から、却って永生の幻がうかび、金閣の不壊の美しさから、却って滅びの可能性が漂ってきた。人間のようにモータルなものは根絶することができないのだ。そして金閣のように不滅なものは消滅させることができるのだ。どうして人はそこに気がつかぬのだろう。私の独創性は疑うべくもなかった。(『金閣寺新潮文庫 p.246)

 この華麗で逆説的な修辞学は、「美の永遠的な存在」の根源的な否定という重大な挑戦の為に捧げられた祝詞のようなものである。

金閣寺 (新潮文庫)

金閣寺 (新潮文庫)

 

Cahier(共依存・執著・渇愛)

*「共依存」という言葉がある。元々はアルコール依存症の患者とその家族との癒着した関係性の病態を指す為に、看護の現場から案出された概念であるらしい。その語義を極めて大掴みに咬み砕いて言えば「特定の人間関係に対する過剰なアディクション(addiction)」ということである。現在では「共依存」という観念は、アルコール依存症の事例に限らず、幅広い人間関係の特殊な病理に適合されているらしい。

 この半年くらい、個人的な主題として「自立と依存」ということに就いて考えている。遡れば、二十代の半ばから現在に至るまでの間、多かれ少なかれ「自立と依存」という問題は私の主要な関心の対象となり続けている。私が本当の意味で「自立と依存」という問題に就いて深刻な思索を開始したのは、二十五歳で離婚したときである。私と前妻が離別に至った背景には様々な問題の複合的な堆積があり、それらの多くは偶発的な事件に過ぎなかったかも知れないが、修復を図る為の一年を過ごして、二十五歳の初夏に離婚を決断したときに、五年半の夫婦生活を総括して、私は自分の依存的性質が、家庭の破局という不幸な事件の最も根本的な要因だったのではないかと結論した。良くも悪くも、私は前妻に対して過剰に依存していた。自分が依存しているという端的な事実に気付けないほどに、深く依存し、その結果として相手を支配することに躍起になっていた。当時の私にとって、愛することは束縛することと同義であり、自他の境界線を消去したいという不可能な欲望に忠実に振舞うことを意味していた。無論、それは青臭い男の自己中心的で幼稚な妄想に過ぎない。そのような不可能な欲望を人間関係の現場に持ち込めば、不毛な軋轢が生じることは避け難い。それが様々な対立と抗争の温床となり、私たちは当初の熱烈な愛情を失い、互いを憎み、恨み、最終的には沈着な絶望へ流れ着いた。

 そのとき私は痛切に、自分の依存的な性質を改めて、自立に向けた行動へ着手しなければならないと感じた。離婚に当たって一人で不動産屋へ行き、実家には戻らず独り住まいの安アパートを借りて転居した。荷物の運搬を手伝ってくれた前妻が、にこりともせずに車に乗って去っていった夕暮の息詰まるような寂寥を、私は今でも明瞭に記憶している。しかし、私はそこから始めなければならなかった。未練を断ち切り、自分自身の潜在的な力を信じて再起し、回生する以外に選択肢はなかった。

 だが、未練は容易に私の胸底を去らなかった。結局、私は本当の意味で自分自身を信頼する覚悟を持っていなかったのだ。私は淋しさに堪えかねて実家へ舞い戻り、離婚した後もしばしば息子を保育園から連れ帰って遊んだ。やがて前妻が、貴方はもう自分の人生を生きた方がいい、息子や過去に執着しない方がいいと伝えてきた。今になって顧みれば、前妻の提言は正論であったと思う。結局私は淋しさに堪えかねて、失われた過去への哀傷に縋って、幻影に依存することで壊れかかった自分を支えようとしていたのだ。だが、過去の幻影に縋り続ける限り、未来を切り拓くことは出来ない。私は自分自身の人生を生きようと思った。どんなに淋しくとも、そのように覚悟を固めて歩き出す以外に途はないのだと、自分自身に言い聞かせた。

 その途端に恋人が出来て、私は目先の淋しさから脱け出すことが出来た。それは自信を恢復する一助となったが、結局のところ、貴重な自立の機会を奪うことにも繋がった。本当はもっと、孤独の泥濘に踏み止まって、己の力を鍛えることに専心すべきであったのかも知れない。新しい恋人は、傍目にはさっぱりとして気丈な性格であったが、蓋を開けてみれば随分と依存的な女性で、結婚していた頃とは一変して、私は依存されることの重苦しさを味わうようになり、精神的に疲弊もした。夜中に繰り返し届く着信を無視して寝入ったことも何度かあった。安っぽいホテルの一室で明け方、泣き喚く彼女の錯乱した罵声に黙って堪えたこともあった。

 だが、それでも別れは先方からの一方的な通告で訪れ、私は深く傷ついた。深く傷つくということは、私の方でも知らず知らず彼女に依存していたということだ。求めるばかりが依存ではない。与えることに歓びや生き甲斐を見出す形の依存も存在するのである。世間には、求めることは愛ではない、与えることが愛なのだという尤もらしい指南が広く流布しているが、そうした考え方は短慮ではないかと私は思う。求めようと与えようと、相手に対する過度の執着心が存在する限り、そこに健全で幸福な人間関係など成立する筈もないのである。保護者を気取り、慈悲深い人間であると自負して誰かに接するのは、ナルシシズム的な倒錯に過ぎない。彼らは相手が自分の捧げる愛情を受け容れないと知ると、俄かに憤り始めるだろう。

*「自立と依存」における根本的な問題は「求めるか、与えるか」の二元論的な対立などではなく、そもそも特定の人間への「執着」そのものであると言い得るだろう。仏教的な言い方を用いるならば「執著(しゅうじゃく)」であり「渇愛(かつあい)」である。何かに囚われ、過剰な固着を示すことが、人間関係を荒廃させ、健全な愛情の発展を阻害する。正しく愛する為には寧ろ、相手に対する過剰な思い入れを抹殺しなければならない。依怙贔屓を「運命的な愛」などと誇大に美化する悪習を断ち切らねばならない。愛情は特定の対象に限って注がれるものであってはならない。如何に我が子が愛しくとも、自分の子供だけを愛して他人の子供には見向きもしないという態度は、愛情ではなく執著でしかない。愛情は理論的に、特定の対象を持たず、普く広がっていく性質を備えているものなのだ。

 だからこそ、私は依存したくないと思う。自分の力で自分を支えなければならないと思う。他人の力を借りるのは、時には必要な選択である。そもそも私たちは高度に精密化された分業社会の一隅に暮らしているのだから、何もかも独力で成し遂げようと試みること自体、驕慢な謬見には違いない。但し、私が考えている自立とは、何もかも独力で成し遂げる生き方を指しているのではない。それは自分自身の力に対する依存に過ぎず、我執の最たるものであり、いわば「増上慢」である。私が言いたいのは、そのような窮屈な生き方への讃歌ではない。重要なのは「責任を持つこと」である。他人の所為にしないことである。総てを自分の決断の帰結として引き受ける覚悟を固めること、それが自立への重要な里程標となる。禍福は他人の齎す財貨ではない。私は私の幸福も罪も総て、自分の問題として引き受けながら生きたいのだ。

Cahier(自立・恐懼・隠遁)

*自立するということは何も、あらゆる規範を踏み破って手前勝手な欲望を殊更に強調し、他人の事情を一切斟酌せずに放縦に振舞うということではない。無論、自立するということは、他人の組み立てる種々の思惑に押し流されない強固な判断力や思考力の構築を含むものである。従って、他人との衝突や対立を危惧して、絶えず穏健な調和を維持することに専心する限り、自立ということが困難になるのも客観的な事実である。この辺りの消息に関しては、表面的な事象だけを捉えて、その真意や実相を把握することは容易な作業ではない。

 自立することは確かに他者との格闘や反目を含む。無論、他者の言い分に難癖をつけて逆らうことが自立の目的でないことは言うまでもない。自立することは寧ろ、他者を扶助し、他者と協同的な関係を取り結んでいく為にこそ、必要なプロセスなのだ。しかし、他者との協同的な関係を取り結ぶ為に、他者との反目を辞さないという論理は一見すると分かり難い捩れを孕んでいる。他者との調和を望むならば、無用の争いは避けるべきであり、従って自己の意見を無鉄砲に披瀝するのは賢明でも道徳的でもない、という一般的な論理は、私たちの心身を様々な方向から束縛し、制約している。

 だが、そういう高度な状況判断を下す場合に、それが単なる反目や対立への恐怖心に基づいた措置であるのならば、その人間の本質を自立的であると判定することは出来ない。他人への過剰な恐怖心が、人間の自立を阻害する最大の要因であることは論を俟たない。私たちは他人を懼れる心を棄却する為の努力を積み重ねることで、自立への階梯を登っていくのである。

 他人への恐怖心の根底には、他人の制御し難い自律的行動への不安が横たわっている。つまり、自分の思惑に従って行動することのない他人の本質的な「他者性」への恐怖が、他人の思惑を忖度して怯える従属的な性向の人間を育てるのである。自立の対義語である依存心は常に、他者の不透明な性質に対する妄想的な不安を養分として肥大する。制御し難く、推し量り難い他者の内面と行動を不安視するのは、換言すれば、自己の人生の構造を他者の思惑や意向に委ねていることの反映である。他者に依存する限り、私たちは他者の不透明な性質に対する不安な注視を取り止めることが出来ない。他者への癒着した視線を解除することが出来ない。そして結果的に、他者への抑圧的な支配を講じる欲望を死滅させることが出来なくなる。

 自立とは、相互的な支配からの離脱である。自分が支配されることを拒むのと同じ熱量で、他人に対する支配や干渉を自らに禁じることが、自立という理念の本懐である。つまり、自立とは自分自身の欲望を放縦に暴走させるエゴイズムの異称ではない。他者への反発と抵抗だけを旗印に懐く狷介な無頼漢の異称でもない。厳密に言えば、自立とは「支配=依存」の体系からの果敢な脱却へ向けた戦闘の過程である。

*孤独な生涯に逼塞すること、隠者のように他人の眼を逃れて暮らすこと、それは必ずしも「自立」という理念の本義と直結していない。確かに俗世を離れて隠遁の日々を送る為には、他者に依存しない精神的な強靭さを保つ必要があり、それは「自立」を遂げる上で不可欠の人間的資質である。だが、他人との関係を物理的に切断することで獲得される悲愴な自立は、余りに貧弱であろう。自立は他者の他者性を否定するのではなく、寧ろそれを最大限に尊重し、敬愛することを重要な目的に据えている。しかし隠遁は、他者の他者性に対する病的な嫌悪の昂じた形態であり、従ってそれは本質的に「支配=依存」の体系的な罠の内側に閉じ込められた実存的様式なのである。隠者は他者の他者性を心底憎み、絶望し、完全に見限っている。そこには他者性への敬意の代わりに、抑制された殺意が滾っているのだ。

 他者からの遁走としての隠者的生活には、真の意味における「自立」は存在せず、他者の他者性と正面から向き合う勇気と熱情を欠いているという意味で、依存的な性格の範疇を少しも脱していない。他者性との対峙は、他者と接しながら、支配にも依存にも失墜することのない勇気と自制心を通じて漸く成し遂げられる、困難な倫理的課題である。他者の領域を尊重する勇気を持たない限り、他者からの自立を果たすことは出来ず、従って他者を愛することも出来ない。換言すれば、他者を愛することは常に「支配=依存」の権力的な図式に対する抵抗を意味しているのである。

三島由紀夫「金閣寺」再読 1

 三島由紀夫の『金閣寺』(新潮文庫)の再読を終えたので、改めて感じた事柄を徒然に書き留めておく。

①「美」と「人生」の根源的相剋

 「金閣寺」という小説は、三島由紀夫という作家にとって重要な主題が、緊密で堅牢な秩序の中に閉じ込められた稀有の傑作である。あの大部の「禁色」において不明瞭な混乱の内に暗示されていた様々な観念的問題が、この「金閣寺」においては夾雑物を省いた、均斉の取れた文学的秩序として、引き締まった表現を獲得している。

 この作品を一貫して覆い尽くし、その根底に滔々と流れている重要で切実な主題は「美」と「人生」との対立的な関係性である。少なくとも三島的な世界において、両者の間には致命的な懸隔が横たわっていると言える。

 下宿の娘は遠く小さく、塵のように飛び去った。娘が金閣から拒まれた以上、私の人生も拒まれていた。隈なく美に包まれながら、人生へ手を延ばすことがどうしてできよう。美の立場からしても、私に断念を要求する権利があったであろう。一方の手の指で永遠に触れ、一方の手の指で人生に触れることは不可能である。人生に対する行為の意味が、或る瞬間に対して忠実を誓い、その瞬間を立止らせることにあるとすれば、おそらく金閣はこれを知悉していて、わずかのあいだ私の疎外を取消し、金閣自らがそういう瞬間に化身して、私の人生への渇望の虚しさを知らせに来たのだと思われる。人生に於て、永遠に化身した瞬間は、われわれを酔わせるが、それはこのときの金閣のように、瞬間に化身した永遠の姿に比べれば、物の数でもないことを金閣は知悉していた。美の永遠的な存在が、真にわれわれの人生を阻み、生を毒するのはまさにこのときである。生がわれわれに垣間見せる瞬間的な美は、こうした毒の前にはひとたまりもない。それは忽ちにして崩壊し、滅亡し、生そのものをも、滅亡の白茶けた光りの下に露呈してしまうのである。(『金閣寺新潮文庫 pp.160-161)

 金閣寺は「美の永遠的な存在」として位置付けられ、語られている。最早、実在の金閣寺の物理的な構造や歴史的な背景などの問題は実質的な意味を持っていない。重要なのは、金閣寺が「美の永遠的な存在」の象徴として捉えられ、語り手である「私」の内面に、そのような象徴性を伴って関与しているという点である。従って私たちは具体的な存在としての金閣寺、物理的な実体としての金閣寺を一旦、認識の外部に向かって捨象せねばならないだろう。

 そもそも「美の永遠的な存在」とは何なのか? この抽象的で漠然とした観念は、特定の感覚的な形象を指し示すものではない。美的な存在の具体的な内実を問い質してみたところで、私たちは如何なる堅固な解答にも根拠にも辿り着くことが出来ない。美しさは、或る存在の内部に具体的で明晰な要素として備わっているのではなく、いわば或る認識的な関係の「形態」として、私たちの感覚的な領野に顕現するものである。

 美しさという現象は、物理的な実在の次元に存在するものではなく、飽く迄も私たちの認識の世界にのみ生起する幻影のような「事件」である。美しさとは一つの認識の形態であり、しかもそれは私たちの主観を麻痺させるような野蛮な暴力性を備えている。美しいものは私たちを陶酔させ、茫然自失とさせ、賢しらな理窟を悉く薙ぎ倒し、捻じ伏せてしまう。換言すれば、美しさとは認識の体系を麻痺させる圧倒的な権力の発露なのである。

 美しさの齎す陶酔は、快楽の齎す欲望の充足とは異質な次元に属する現象である。欲望は私たちを具体的な人生へと連れ出し、現実的な行為へと誘うが、美的な存在の振り撒く陶酔の麻薬的な効果は、私たちを如何なる行動にも踏み出させない。寧ろ、美的な陶酔は、あらゆる行動の本質的な無価値を報せる警笛のような威力を備えているのである。美しいものは、私たちの存在と精神を、絶対的な受動性の状態へ強制的に移行させる。換言すれば、美しいものは私たちの実践的な主体性を粉微塵に破壊してしまう、畏怖すべき認識的現象なのだ。

 そして美しさは、時間という観念さえも、私たちの意識から一時的に奪い去ってしまう。美しさに圧倒され、釘を打たれたように射止められたとき、私たちの精神を覆っているのは、永遠という名の無時間的な空白であり、虚無である。永遠とは、無限に長く引き延ばされていく時間に与えられた名称ではなく、時間という認識論的な形式そのものの根源的な停止である。永遠は無時間的な境涯へ人間を拉致し、監禁する。「美の永遠的な存在」という言い方には、美的なものの無時間的な威力に対する言及が含意されているのではないだろうか。

 そのように考えてみたとき、先に引用した「一方の手の指で永遠に触れ、一方の手の指で人生に触れることは不可能である」という文章の意味は、幾らか明瞭な図像を結ぶことになるのではないか。「人生」が「行為」の絶えざる反復と累積であり、そこに不可避的な枠組みとしての「時間」が介在していることは論を俟たない。生きている限り、人間は時間的な観念から逸脱することも、有限性という宿命的な原理から脱却することも出来ない。そうした「人生」の具体的な実相を解除する幻想的な理念として「美」が存在するのならば、そこには必ず無時間的な世界への底知れぬ憧憬が潜在している筈である。つまり、美的存在と永遠性との間には常に、切り離し難い密接な相関性が横たわっているのだ。

 或いは、このように言い換えられるだろうか。美しいものが、その無時間的な威力を発揮して、人間の精神を沈黙する虜囚の如く拉致してしまうとき、人間は有限の世界で生きている日常的な自己を喪失しなければならない。有限の世界に生きている限り、美しいものの無時間的な威力を隅々まで体感することは、原理的に不可能である。つまり「美」と「人生」との相剋は、時間という理念の有無によって生じる認識論的な境界線によって齎されているのだ。

 だが、両者の構造的な異質性が、或る条件下では幻想的な融合を果たし得ることに就いても、作者は筆を惜しんでいない。空襲による金閣寺の焼亡の虞を「私」が自覚した瞬間から、この特異な「蜜月」は「私」に稀有の幸福を体感させるようになる。

 それから終戦までの一年間が、私が金閣と最も親しみ、その安否を気づかい、その美に溺れた時期である。どちらかといえば、金閣を私と同じ高さにまで引下げ、そういう仮定の下に、怖れげもなく金閣を愛することのできた時期である。私はまだ金閣から、悪しき影響、あるいはその毒を受けていなかった。

 この世に私と金閣との共通の危難のあることが私をはげました。美と私とを結ぶ媒立が見つかったのだ。私を拒絶し、私を疎外しているように思われたものとの間に、橋が懸けられたと私は感じた。

 私を焼き亡ぼす火は金閣をも焼き亡ぼすだろうという考えは、私をほとんど酔わせたのである。同じ禍い、同じ不吉な火の運命の下で、金閣と私の住む世界は同一の次元に属することになった。私の脆い醜い肉体と同じく、金閣は硬いながら、燃えやすい炭素の肉体を持っていた。そう思うと、時あって、逃走する賊が高貴な宝石を嚥み込んで隠匿するように、私の肉のなか、私の組織のなかに、金閣を隠し持って逃げのびることもできるような気がした。

 その一年間、私が経も習わず、本も読まず、来る日も来る日も、修身と教練と武道と、工場や強制疎開の手つだいとで、明け暮れていたことを考えてもらいたい。私の夢みがちな性格は助長され、戦争のおかげで、人生は私から遠のいていた。戦争とはわれわれ少年にとって、一個の夢のような実質なき慌しい体験であり、人生の意味から遮断された隔離病室のようなものであった。(『金閣寺新潮文庫 pp.59-60)

 滅亡の予覚は、金閣=美の有する永遠的な性質、無時間的な性質への決定的な毀損である。「滅びるものの美しさ」というのは、当該の事物が何れ必ず失われてしまう有限の存在であることによって醸成される美しさであり、それは金閣に擬せられた無時間的な美しさとは等号で結ばれるものではない。しかも、この幸福な束の間の「蜜月」は、金閣の絶対的な美しさの開示によって生じたものではない。「私」は飽く迄も「予定された滅亡」という終末論的な観念を信頼することを通じて、本来ならば人間を拒絶する筈の美的存在との「疎隔」を忘れ去っただけに過ぎず、永遠的な性質を失った金閣の美しさは、三島の考える絶対的な「美」とは異質な感覚的現象でしかないのだ。

 私の心象からも、否、現実世界からも超脱して、どんな種類のうつろいやすさからも無縁に、金閣がこれほど堅固な美を示したことはなかった! あらゆる意味を拒絶して、その美がこれほどに輝やいたことはなかった。

 誇張なしに言うが、見ている私の足は慄え、額には冷汗が伝わった。いつぞや、金閣を見て田舎へかえってから、その細部と全体とが、音楽のような照応を以てひびきだしたのに比べると、今、私の聴いているのは、完全な静止、完全な無音であった。そこには流れるもの、うつろうものが何もなかった。金閣は、音楽の怖ろしい休止のように、鳴りひびく沈黙のように、そこに存在し、屹立していたのである。

金閣と私との関係は絶たれたんだ』と私は考えた。『これで私と金閣とが同じ世界に住んでいるという夢想は崩れた。またもとの、もとよりももっと望みのない事態がはじまる。美がそこにおり、私はこちらにいるという事態。この世のつづくかぎり渝らぬ事態……。』

 敗戦は私にとっては、こうした絶望の体験に他ならなかった。今も私の前には、八月十五日の焔のような夏の光りが見える。すべての価値が崩壊したと人は言うが、私の内にはその逆に、永遠が目ざめ、蘇り、その権利を主張した。金閣がそこに未来永劫存在するということを語っている永遠。(『金閣寺新潮文庫 pp.81-82)

 「私と金閣とが同じ世界に住んでいるという夢想」は、終末論的な観念によって齎された限定的な幻想に過ぎない。絶対的な美しさは、そのような自堕落な狎れ合いを決して許さないのである。美は有限性とは相容れない。美しさは絶対的なものであり、少なくともそれが光り輝く瞬間には、美しさは如何なる限定的な制約からも離脱して、或る不可触の位相に君臨している。美しいものに、人は触れることが出来ない。触れられるものは欲望の対象に過ぎない。そして生々しい欲望の対象として人間に接触された途端に、美しいものはその崇高な絶対性を失って、単なる享楽的な事物として頽落してしまう。美から疎外されるということは、美に憧れる人間にとっては避けることの出来ない原理的な宿命なのである。何故なら美しいものは、有限の生命体である人間を排除するような仕方で現前するように定められているからだ。

 美しいものは、あらゆる解釈を拒絶し、あらゆる理解から免責されて、絶対的で完全な存在として、私たちの精神を凍てつかせる。美しいものは、人間による一切の介入と関与を拒んで、絶対的な境界の彼方で無限に自足している。それを人間の手で侵犯することは出来ない。

 重要なのは、美しいものが欲望の対象ではなく、飽く迄も憧憬の対象であり、絶対に到達することの叶わない彼岸的な存在であるという事実を理解することだ。それは断じて移ろい易い、現象的な地上の世界に存在する具体的な個物ではない。その意味では「私」の眼に映じる「現実の金閣」が「心象の金閣」と同等の美しさを備えないのは当然の事態である。「現実の金閣」は現象的な世界に属しており、それは本質的に有限で不完全な存在である。だが「心象の金閣」は、完全無欠で無時間的な存在である。有限の儚い存在を愛でるように、超越的な美を愛でることは出来ない。私たちは「美」を愛する能力を持たない。「美」は愛されるのではなく、只管に崇拝され、憧憬されるべき絶対的な存在である。焼き亡ぼされる危険性を免じられた金閣が「完全な静止、完全な無音」として屹立するのは、金閣が無時間的な絶対性を恢復したことの顕れである。

 「美」と「人生」との対立的な構図は「理念」と「現実」との対立的な構図に置換することが出来る。換言すれば、三島にとっての「美」は、プラトニズム的な「イデア」として、超越的な領域に君臨しているのである。

 私は金閣がその美をいつわって、何か別のものに化けているのではないかと思った。美が自分を護るために、人の目をたぶらかすということはありうることである。もっと金閣に接近して、私の目に醜く感じられる障害を取除き、一つ一つの細部を点検し、美の核心をこの目で見なければならぬ。私が目に見える美をしか信じなかった以上、この態度は当然である。(『金閣寺新潮文庫 p.33)

 ここにはプラトニズム的な思考の様式が露骨に迫り出し、刻み込まれている。完全な実在が、様々な障碍に妨げられて不完全な感性的図像として現前しているという思考の形態は、明らかにプラトニズム的な論理に則っている。こうした論理に従う限り、現象的な世界における種々の実在が、本物よりも遥かに色褪せた、劣等な仮象のように感じられるのは至極当然である。「金閣寺」における「私」の深刻な煩悶と迷妄の根底には、こうしたプラトニズム的倒錯が根深い問題として横たわっており、それが「私」を「人生」から繰り返し疎外するのである。

金閣寺 (新潮文庫)

金閣寺 (新潮文庫)

 

Cahier(道徳・良識・保守)

*自分の感じたことや考えたことに固執するのは、偏屈ということだ。そして偏屈であったり強情であったりすることは、一般論としては世間から余り好意的な眼差しを向けられない生活の態度である。自分の考えや意見、信念、主張に固執して、他人の忠告や訓誡を素直に受け容れず、共同体の規範を蔑ろにして行動することは、反社会的なエゴイズムの表れとして排斥されるのが世の習いである。

 だが、既に存在する外在的な規範や約束事に適合するように自分の考えや意識を矯正し続ける殊勝な克己心が、常に人間として最高の理想的な生き方であると断じることには疑問符を突き付けたい。外部の規範を受け容れる、社会的な慣習を重んじる、いわば「無私」の境涯に達すること、それらの美徳を一概に何もかも否定しようとは思わないが、それが総てだと信じ込むのは危険な浅慮である。時代によって、土地によって、正しさの基準は幾らでも揺れ動き、多様化する。同じ国に住んでいても、百年前の道徳と二〇一八年の道徳との間には様々な相違点があり、昔は当たり前のように正しいと信じられていた行為が、今では言語道断の黴臭い旧弊として斥けられ、嘲笑されることも珍しくない。

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 先日、この記事を読んでいたら、昔の国会では飲酒が認められていたという文章に逢着して驚いた。現代では無論、禁じられているのだろうが、国家の大計を論ずる神聖な議場で、国民の代表者として貴顕の地位を授けられている代議士たちが、公務の最中に酒を呑んでも少しも咎められなかったというのは、現代の常識的な感覚に照らせば、驚愕すべき事態である。

 三島由紀夫の小説を読んでいて、登場人物が当たり前のように電車の中で莨を吹かしているのも、現代の社会的な常識にとっては論外の行動であろう。私が二十歳くらいのときは、駅のホームに囲われていない喫煙所があって、通勤ラッシュの時間帯には濛々たる煙が火災の如く辺りに立ち籠めていたものだが、今ではそんな風景を見ることは皆無である。

 何が道徳的であり、常識的であるかということは、時代と環境に応じて千変万化する。こういうことは理窟では誰しも弁えている積りでいるが、同調圧力というものは凄まじい。世間を支配する価値観の一般性に抗うことは、生半可な覚悟では難しい。だが、そうした慣習の本質的な相対性を疑おうともしない純朴な態度は、それがどんなに美しく見えても、私には承服し難い代物である。疑うことを知らないのは所詮、子供の美徳である。つまり、無力な美徳であり、脆弱な美徳である。それは時代の闇に立ち向かう果敢な精神を麻痺させる害毒である。換言すれば、総ての保守的な旧弊の温床なのだ。

 今日、道徳的であり、社会的な観点から善良であり美徳であると認められている様々な行為に就いて、その判断が未来永劫、普遍的な仕方で維持されると考えるのは謬見である。正しさは常に複数性を持ち、決して単一の規範に全面的に吸収されることはない。単一化された絶対的正義が、ファシズムという恐るべき災厄を生み出すということを、私たちは二十世紀の血腥い歴史的経験を通じて既に学び取っている。

 他人から投げ与えられた道徳を少しも疑わずに信頼し、その道徳的な格率に基づいて己の生涯を律することにも深刻な疑問を懐かない人間は、考えるという能力、人間に授けられた最も崇高な能力の一つを、極めて粗略に取り扱っている。何も疑わずに素朴に信じ込むことが正義であり、道徳的な態度であると考える人間の魂を覆っているのは、奴隷の感覚であり、良心の麻痺である。外在的な規範としての道徳に従うこと自体が悪なのではない。その規範の本質的な相対性を考慮に入れる習慣を持たないことが悪であり、怠慢なのだ。それは結局のところ、道徳という観念を他人の所有物として位置付けるような態度であり、道徳に対する完全な服従は、己に対する絶対的な免責を確立しようとする息苦しい社会的野心の反映に過ぎない。過度に道徳的であることは、エゴイズムと矛盾しない。過度に道徳的であること、つまり外在的な道徳に原理主義的な隷属を誓い、その規範の正当性を微塵も疑わない人間は、他者に対する不寛容という罪悪へ実に容易く傾斜してしまうものである。

 完全な道徳は存在しないし、無時間的な道徳も存在しない。つまり、世界の開闢以来、ずっと無限に正しくあり続ける規矩というものは存在しない。永遠に改正されることのない法律が、永遠に己の正しさを維持し得ると考えるべきではないように、「不変」の道徳が常に「普遍」の道徳であると信じ込むのは、根拠を欠いた妄想に類する見解である。永遠的な律法、無時間的な律法という形而上学的な妄念に己の魂を売り渡し、隷属させることが、人間として望ましい生き方であると考えるのは、人間の尊厳に対する犯罪的な毀損であり、冒瀆である。

 何が正しくて何が誤っているのか、それを考えて苦悩するところに人間の本質的な道徳性は存在する。換言すれば、既に正しさを認められた基準に寄り掛かることは少しも道徳的な態度ではない。それは単なる保守性の表現に過ぎない。既に正しさを認められた道徳的な規範を黙って受容し、己の実存的な肉体に刻み込むことは、優秀な社会的奴隷の証左であっても、それ以上の意義は持ち得ない。道徳的な戦いとは本来、旧習を墨守する人々への勇敢な挑戦と批判という形で演じられるべきものである。道徳とは古来の伝統を墨守することではなく、先人の叡智を神棚に祀って崇めることでもない。それは日々、新たに創造されるべき理念であり、動き続ける現実との懸命な接触を通じて絶えず革新されるものでなければならない。