サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

「不倫」に就いて

 漸く精神的な整理がついてきた気がするので、恥を忍んで、考えたことを書き遺しておきたい。人目に晒すような話ではないが、これを書くことは、私が建設的な未来へ向かって生きていく上で本当に重要なことなのだ。

 私は以前、短い期間であったが不倫をしていた。一回りも歳の離れた若い女性と、性的な関係を持った。しかも当時の私は、度し難いほど愚かで軽率で、彼女との関係を単なる遊戯や道楽の範疇に留めておくことが出来なかった。刻一刻と、私は彼女を切実に愛するようになった。最初はせめて性交渉だけは控えようと思っていた。けれども、感情の高鳴りを抑制することが出来なかった。私の理性は、情熱の前に無力であった。

 妻に不倫が露顕して修羅場が持ち上がり、私は事態の経緯を洗い浚い白状した。私は散々悩み抜いた末に、不倫の関係を清算することに決めた。清算した後も暫くは、私は苦悩を捨てられなかった。哀しみを振り払うことが出来なかった。未練が熾火のように燻っていた。

 不倫という関係であっても、私は彼女に対する愛情を本物だと信じていた。妻子を持っていても、人を好きになる感情自体は抑え難いものだと、自分自身を正当化していた。けれども、今では思う。その愛情が誠実であり、真実であったとしても、それは不倫を正当化する根拠にはならない。相手に対して誠実な愛情を懐き、自分の総てを捧げたいと願うのならば、不倫という構図の中で、性的な関係を持つべきではない。どんなに言い訳を塗り重ねても、不倫は不実であり、欺瞞であり、卑怯な行為である。それは配偶者に対する不実であると同時に、不倫の相手に対する不実でもある。全力で愛していると言うのならば、全力を捧げられる状況を構築した上で、それを告げるべきである。つまり、離婚した上で改めて愛情を伝えるべきである。離婚する決断をせずに、世間の眼を盗んで秘密裡に男女の関係を持つのは、結局のところ、現実からの逃避に過ぎないのだ。二つの互いに矛盾する正しさの間で、勇気を以て一個の選択に総てを投じようとする果断を嫌がり、決定的な破局を迎えるまでの未決定の期間の中で、それらを矛盾したまま、共存させようとする怯懦は、どれだけ美名で飾り立てようと、或いは愛情の真実さを楯に糊塗しようとも、逃れ難い倫理的な頽廃として胸底に疼き続ける。

 不倫という関係性は、あらゆる誠実な愛情、真摯な愛情を、自動的に頽廃させるような危険な毒素を備えている。不倫の渦中にあるとき、当事者の男女は、この愛情が掛け値なしの本物であり、決して刹那的な快楽を追求するものではないと信じることによって、つまり自分たちの愛情は正真正銘「誠実なもの」であると相互に確認することによって、不倫という悪徳を美化しようと企図する。しかし、どんなに誠実で真摯な愛情であっても、それが不倫である限り、その愛情に発展的な未来はない。この「未来の欠如」という根本的な条件が、誠実で真摯な愛情に対しても、救い難い頽廃と堕落の成分を混入させるのである。

 完全に割り切って、つまり如何なる未来も欲する積りはないと割り切っていられるのならば、不倫は暫時の火遊びに終わる。酒を呑んだり、博打を打ったり、夜通し踊り続けるのと同じような「道楽」の範疇に留まる。そのとき不倫は、限りなく「セックス」の同義語に近付くだろう。男女の関係という肉体的な官能性だけを味わう為に、それを純粋に抽出して愉しむことだけが目的ならば、寧ろ不倫という関係性は都合がいい。そこには如何なる発展的未来も存在せず、従って性的な関係に諸々の厄介な倫理的観念(愛情や貞節や誠意や配慮や共感や理解など)が頑固な油汚れのように付き纏う心配もない。そのとき「セックス」は一切の政治的影響を排除された純然たる「スポーツ」に近付く。「スポーツ」そのものには善悪など求めようがない。同じく「セックス」そのものにも善悪という道徳的な尺度を宛がうことは無益である。しかし現実の社会で「スポーツ」が様々な政治的思惑との野合を避けられぬように、純然たる「セックス」も家族や共同体の道徳的規範から完全に自由であることは難しい。

 その意味では、完全なる遊戯として不倫に走っている人々は未だしも賢明であり、物事の関係性や構造を精確に捉えているのかも知れない。彼らは極端に言えば「セックス」という享楽を経験する為に貞操義務を裏切るのであって、彼らの愛情そのものは飽く迄も配偶者と家族の許にある。だが、そのように「セックス」と「愛情」、つまり肉体的なものと精神的なものとを便宜的に線引きし、使い分けられない人間にとって、不倫という関係性は最悪の悲劇である。つまり「愛情」の関与しないセックスは有り得ないと信じている人間が不倫の泥濘に嵌まり込んだとき、それは取り返しのつかない悲惨な事故へと高確率で発展するのだ。

 私自身は「セックス」というものに純粋な肉体的関心だけを見出す性格ではない。「スポーツ」に熱中する人々のように「セックス」に熱中する人間ではない。無論、私はそういう人々を断じて批難している訳ではない。そういう人々が存在するということは充分に理解出来るし、それを道徳的に批判する必要を聊かも認めない。ただ、私はそのように「セックス」を純然たる肉体的問題に還元することが出来ない。換言すれば、私は「セックス」を目的として捉えることが出来ず、飽く迄も「愛情」に通じる一個の手段として位置付けて生きているのだ。だから極端に言えば、相互の関係性の中で「愛情」を明瞭に感じることが出来ていれば、たとえ「セックス」が出来なくても別に困らない。私にとって「セックス」はゴールではなく、いわば一つのスタートに過ぎない。

 最初の結婚生活の末期、私に対する愛情を失った前妻は、私との性交渉を拒絶した。風俗へ行ってもらっても構わないので、私には指一本触れないでくれと明言された。その当時、私は死ぬほど苦しんだ。厳密には、私はセックスに飢えていたのではない。私は何より、前妻からの愛情の欠如に苦しんでいた。誰もがセックスという行為を好む訳ではない。道徳的、或いは生理的な嫌悪から、セックスという行為を単なる子作りの手段以上には考えない人々も決して少なくない。だから前妻がセックスを好まないのならば、それを無理強いしようとも思わなかった。問題は、彼女がセックスの拒否を通じて、私という人間を拒否していることだった。セックスの有無よりも、愛情の有無の方が遥かに私にとっては切実な問題であった。愛情さえあれば、別にセックスは不要であった。

 民法が性交渉を「不貞行為」の本質的な要件に定めているのは、セックスと愛情とのアマルガムを社会的な通念として認識していることの反映であろう。この通念は、セックスを純然たるスポーツとして捉えている人々には巧く適合しない。だが、私の場合に関して言えば、私は愛情の一環として不貞行為に及んだのであるから、民法の規定に本質的な意味で抵触したのである。

 私は二つの愛情の狭間で苦しんだ。私は妻を愛していないのではなかった。前妻との破局から、私は色々な反省を得た。そのとき、最も私が重く受け止めた教訓は「相手に依存しないこと」と「相手に愛されるような人間となる為に努力すること」の二つであった。自立した人間となり、相手に愛情を注ぎ、相手の幸福の為に行動すること、それによって今度こそ「離婚」という悲劇的な破局を回避すること、これが再婚に際しての私の重要な実存的課題であった。私は生来、我儘な人間であったが、そういう自分を改革せねばならないと痛切に感じていたのである。

 無論、我儘な性格が外殻を衝き破って露頭してしまうことも一再ではなかったが、私は粘り強く「愛情深い夫」として振舞うことに努力した。その努力が常に不足しているのではないかという不安を、片時も忘れることが出来なかった。何故なら、そうした努力の過不足は、妻の心理的情況によってのみ、測定されるものであったから、私は私自身の努力の過不足を、自分の考えで判定することが出来なかったのである。振り返ってみれば、それは異常な心理的情況である。妻がそれを求めた訳でもないのに、私は常に妻の顔色を窺うような生き方を選択していた。それは結局のところ、根本的な次元において、私が妻のことを信頼していなかったということだろう。離婚以来、私は如何なる男女も、永遠の愛を誓い合った男女でさえも、僅かな蹉跌の為に関係を破綻させるものであり、従って片時も油断してはならないという信仰を捨てることが出来なくなっていた。だから、私が妻の機嫌を損ねるような行動に出れば、妻は私を不要品の籠に抛り込むだろうと勝手に決め付けていた。私は妻の幸福を遮げない範囲で、自分の主張を訴えた。成る可く相手の要望に譲歩するように努めた。私は少しずつ主体性を失い、妻の機嫌を配慮することが生きることの根本を占めるようになっていた。繰り返すが、妻はそれを殊更に望んでいたのではない。恐らく妻は、私が考えていた以上に、私のことを愛情深い人間として評価してくれていた。ただ、彼女はそれが私の人工的な仮面であることには気付いていなかったと思う。この相互的な誤解は、私たちの関係を不幸なものに変えた。

 水滴が刻々と溜まるように、私の内部で限界が近付きつつあった。顔色を窺うと決めたのは私の独断であるのに、顔色を窺わなければ成り立たない状況に、私は不満を蓄積していった。丁度折悪しく、妻は育児のストレスに苦しめられて余裕を失っていた。彼女が不機嫌になる時間は増えていた。彼女が不機嫌であるということは、私の立場においては、人生の失敗である。不機嫌な妻の顔を見ることは、私にとっては、自らに課せられた使命の不履行を意味していた。私は苦しんだ。どうすればいいのか分からなかった。私は彼女の幸福の為に生きなければならないのに、彼女の不機嫌な顔は、私の努力の不足を暗示している。丁度年末の繁忙期で、小売業の現場は精神的にも肉体的にも過重な負担を私に強いた。家でも職場でも、私は安心するということが出来なかった。私は随分と疲れていて、自分の信ずるべき正しさが何処にあるのか、見えなくなっていた。そのとき、私は不倫相手となった部下の女性と共に働き、言葉を交わすことに、僅かな慰藉を得ていた。一度意識し始めると、感情の亢進は一瀉千里であった。一歩間違えばセクシャル・ハラスメントで告発されるところだが、幸いにして、彼女もまた私に好意を持っていた。無論、彼女は私に妻子があることを知っていたから、自ら積極的に関係を画策しようとはしなかった。総ては私が決断し、主導したことであった。その意味では、先方もまた被害者である。

 何故、私は不倫という関係性に逃げ込む前に、きちんと妻と向き合って話し合わなかったのだろうかと思う。結局、私は孤独な芝居を演じていただけだ。妻に嫌われることを懼れ、勝手に善良な夫を演じ、その芝居に堪えられなくなって潰れかかっても、妻に本音を打ち明けられず、結果として余所の女に手を出して慰藉を求めた。何もかもが幼稚で、独善的な構図であった。

 不倫が発覚したとき、私は妻と別れようと思った。それが不倫相手に対する誠意でもあると思った。きっと妻も、こんな穢れた男とは別れたがるだろうと思っていた。けれど妻は、私が不倫をしたという事実を知っても猶、二人の未来を信じようとしていた。私は妻にそんな覚悟があると思っていなかった。そもそも結婚は二人で合意して始めたことなのに、私は自分だけが相当な覚悟を背負っているような積りでいた。私が婚姻の成否に関わる総ての責任を負っているような積りでいた。私が何か手酷い行為に及んだら、妻は直ぐに絶望して、私の許を去るだろうと思い込んでいた。けれど、彼女は逃げなかった。私に傷つけられても、私を見捨てようとしなかった。私は今まで、彼女の何を見ていたのだろう。私は彼女が私の仮面を見破ってくれないことに不満を覚えていた。けれど、結局は私も同罪ではないか。私は彼女の真実を見ようとしていなかった。彼女の本気の覚悟を信じていなかった。そういうことが、不倫とその発覚という経緯を通じて、初めて分かった。

 結婚して数年が経ち、娘も生まれ、その間に私たちは随分と互いの真実を理解しているような積りになっていた。しかし本当は、互いの善良な部分しか見ていなかった。或いは、表面的な態度しか見ていなかった。今までの私たちの結婚生活は、茶番に過ぎなかった。子供の飯事に過ぎなかった。けれど、これからは違う。これから、私たちは本当の意味で、夫婦になるのだ。相手の顔色を窺うのではなく、自分の本音を勇気を以て伝え合うのだ。それで口論になったとしても、それは失敗ではなく、必要な過程なのだ。「愛している」という言葉は、不倫相手に対しても、幾らでも使うことが出来る。けれど生涯の伴侶に対しては「愛している」という安っぽい甘言は相応しくない。伴侶に対して言えるのは、「何があっても共に生きていこう」ということだけだ。この言葉は、不倫相手には決して言えない。何故なら、不倫には共に生きていくという未来が原理的に存在しないからだ。にも拘らず、私は不倫相手を愛してしまった。未来を与えぬままに愛した。それは彼女に対する罪であった。未来を与えぬ愛など、愛ではない。愛しいという気持ちがどれだけ切実なものであったとしても、未来を与えぬ者に、人を愛する資格はない。それが不倫の根本的な悪徳であると、愚かな私は、今になって漸く痛感しているのだ。

「決断」に就いて 2

 丁度一年前に「『決断』に就いて」という表題の記事を書いていた。はてなブログから、定期的に送られてくる振り返りのメールを開いて、偶然に知ったのである。それに触発されて再び「決断」という観念、或いは行為を巡って、文章を認めたいと思った。

 人間は日々、何らかの決断を下しながら生きている。厳密に言えば、それは個別的な「判断」と称するべきかも知れない。一年前の記事では、私は次のように書いていた。

 否応なしに、私たちは常に、刻一刻と「決断」を迫られている存在である。何も選ばないという選択さえも、否応なしに一つの「決断」として何らかの具体的な現実を喚起してしまう。

 だが現在の私は、この文言に若干の訂正を加えたいと考えている。つまり、私は日々の営みの中で半ば自動的に行なわれている反射的で慣習的な「判断」とは異質な次元に属するものとしての「決断」に就いて、検討を試みているのだ。

 「判断」は、予め出来上がった大局的な枠組みの中で、いわば過去の延長線上で為される決定である。人間は誰しも記憶の中に様々な試行錯誤の経験や、他人から教わった知識や事柄を蓄えている。「判断」を下すのに要する時間の多寡は状況によって多少は増減するが、何れにせよ、それが既存の価値観や世界観の内包する原理に基づいて行なわれるプロセスである点に変わりはない。

 だが「決断」は、そのような「判断」を可能にする従来の体系や秩序そのものを瓦解させ、転倒させ、更新するような決定である。つまり、それは既存の価値観に基づかないどころか、その内在的な矛盾や亀裂を根拠として形成される重要な分水嶺なのである。「決断」の前後では、日々の「判断」の性質や方向性さえも変容を遂げてしまう。「判断」を支える根底的な基盤が書き換えられてしまうのだから、そのような変貌が生じるのは当然である。

 そう考えると「決断」には畏怖すべき重要な役割、巨大な意義が課せられていると言える。「決断」に踏み切るとき、私たちは今までの自分自身の秩序を抛棄しなければならない。古びた自分を否定し、新しい世界へ通じる扉を押し開ける為には、従来の「判断」の蓄積に対する依存を断ち切らねばならない。この重要な決定が多大な心理的混乱を招来するのは自然な現象である。それは今までの自分が浸っていた安楽で馴染み深い環境や条件を棄却することと同義であるからだ。過去の栄光や幸福に対する訣別の表明であるからだ。過去の自分が依存し、立脚し、執着し、慈しんでいた世界からの出発を意味するからだ。

 「決断」は孤独なものである。それは如何なる約束や、確実な希望や、外在的な庇護とも無縁であり、あらゆる事前の保障から見放されている。「決断」は、半ば習慣化された自動的な「判断」の安定した精確さに頼ることが出来ない。過去の尺度は通用せず、過去の反復によって乗り超えることも出来ない世界へ移行することが「決断」の本義である。「決断」は孤独なものであり、他人の基準に縋って決定することも引き受けることも出来ない。「判断」には根拠がある。累積した過去という材料が与えられている。しかし「決断」には根拠がない。可能性に対する信頼だけが、つまり未来に対する意志だけが「決断」という重要な営為を支えているのだ。

saladboze.hatenablog.com

相手から依存されることに喜びを見出すのは、自分が相手に依存していることの証拠である。

 依存するというのは、弱者が強者に縋りつくような関係性のことを指していると思われがちだが、少なくとも依存的な関係が長期化する場合には、依存される側にも何らかの利益が発生していると看做すのが自然な推論である。依存される側に立っている強者が、相手から突き付けられる種々の理不尽な要求にも拘らず、保護者的な振舞いを熱心に行なっているとき、その光景を恰かも「無償の愛情」の崇高な実例であるかのように捉えてしまうことがある。だが、それが本当に如何なる報いも求めず受け取らない「無償の愛情」であると認定し得る事例は決して多くない。大抵の場合、その相対的な強者は特定の依存的な人物との間に共犯的な関係性を築いており、そこから何らかの心理的実益を吸い上げている。物質的な利益を何も得ていないように見えるからと言って、その保護者的人物が崇高で剣呑な自己犠牲にばかり身を挺していると判断するのは短慮である。世の中には、依存されることによって自分の存在を肯定し、承認し、信頼することが出来る種類の人間がいるのだ。

 それは一見すると健全な在り方のように見える。つまり、弱者に手を差し伸べて庇護することに歓びを見出すという人格的な特性は、多くの公共的な実益を齎す好ましい美質であるように見え易い。だが、物事の表層だけを捉えて、その真価を判定する性急な態度は慎むべきであろう。

 本当の意味で「与えること」そのものに歓喜を見出す人物ならば、あらゆる社会的称讃に値すると言えるだろう。だが、他人から「依存されること」に歓喜を見出すという人格的特性は、厳密に検討すれば、或る危険な徴候の所有者であると看做し得る。彼らは他人に与えることを通じて、自己の存在に対する信頼の源泉を確保している。換言すれば、彼らは誰からも依存されなくなったとき、自己に対する信頼の根拠を喪失してしまう。特定の人間関係に深く執着することで自己の実存を支えているという意味では、保護者も依存者も、根本的な次元において同類である。両者は、同じコインの裏表程度の違いしか持っていない。相手に依存し、絶えざる庇護を求める弱者だけが、その関係性における倫理的な「頽廃」の責任を問われるのではない。依存者を庇護することに己の実存の基盤を求め、相手から依存されることで己の価値を確かめようとする相対的強者の側にも、同等の責任が問われるべきなのである。

 こうした客観的事実を、相互的な依存関係の当事者たちが、その渦中に身を置いたままの状態で、正しく理解することは難しい。そこには数多の錯雑した謬見と誤解が折り重なっていて、厳粛な真実への眼差しを遮蔽している。保護者は、依存的な伴侶(この場合の「伴侶」という言葉は広義に解されねばならない)への献身的な奉仕を、相手に対する崇高で誠実な愛情の発露であると容易く信じ込んでしまう。この謬見は、傍目には美しい愛情の発露として映じる可能性が高いので、なかなか覆されることがない。或いは、沈着な第三者から、その献身的な奉仕の病的な過剰さを指摘されたとしても、当事者は尤もらしい理窟を弄して、相手に対する過度の献身を「崇高な愛情」であると強調することが出来る。その内面的で観念的な虚飾は、沈着な第三者にとっては直接的な利害の生じる対象ではないので、献身と庇護の病的な過剰さに対する批判的な言及は往々にして、控えめな指摘のままに留まり、決定的な効果を発揮することは稀である。

 こうした困難は、愛情という理念を過度に「内面的なもの」として定義する近代的な通念の齎した宿痾であると言えるだろう。愛情の有無、その性質を、外面的な言動を材料として判定するのではなく、飽く迄も当事者の内面的な問題として測定する態度は、愛情に関する心理的構造の不可視化を促進する。「眼に見えないもの」を重んじる神秘主義的な態度が、近代的な愛情の観念と結び付くとき、共依存の内包している頽廃的な性質は、熾烈な情熱という美名の下に隠匿されてしまう。相互扶助の重要性は言うまでもないことであり、それが人間の形作る社会の根本的な原理であることも明白な事実である。だが、力の及ぶ限り、自主独立の精神を貫徹するという大原則がなければ、相互扶助の美徳は直ちに失墜して、単なる頽廃的な共依存の深淵へ嵌まり込んでしまう。共同体の原理が、単なる馴れ合いの体系に過ぎないのであれば、そこには如何なる革新的な未来も、建設的な成長も到来することがない。

 自主独立の精神を欠いた相互扶助は、責任という意識を欠いた依存的な人間の集合に過ぎない。あらゆる不平不満の解消を他人に求め、決して自らの力で責任を全うしようと志すことのない倫理的な頽廃が猖獗を極めれば、共同体の醜悪な瓦解は時間の問題となる。相互扶助は、銘々が己に課せられた責任を当事者として引き受けることを原則としており、それは怠惰な依存や、過剰な自己犠牲とは異質な次元に属する、崇高な社会的理念である。

機智と空想 三島由紀夫「永すぎた春」

 三島由紀夫の『永すぎた春』(新潮文庫)を読了したので、感想を書き留めておく。

 「金閣寺」や「禁色」の限界まで彫琢された硬質な文体の恐るべき威力に慣れた眼から眺めると、この「永すぎた春」という作品の文体は随分と砕けて弛緩しているように見える。無論、この場合の「弛緩」という言葉は、作者の意図的な選択と戦略の賜物であって、技術的な拙劣を意味するものではない。作者は敢えて弛緩した、彫琢の行き届かない文章(厳密には、彫琢を行き届かせぬように配慮した文章)を駆使することで、この作品が過剰な文学性の外観を纏わぬように手加減したのであろうと思われる。

 「純文学」と「大衆文学」という古臭い区分が現代においても有効性を保っているのかどうかは知らない。ただ、芸術性と娯楽性との間に何らかの線引きを試みることは、文学に関する評価や思索を進める上では、少なくとも補助線程度の役には立つのではないかと思う。端的に言って、芸術性とは、社会における通俗的な観念を破砕し、日頃は抑圧されている非合法な思考と情熱の世界に、尖鋭的な表現を与えるものである。一方の娯楽性は、既に公共的な合意を得ている社会的な観念の枠内で、いわば「公序良俗」を尊重するような仕方で、時代の観念に適合し、それに奉仕することである。公然と認められた価値観、公然と認められた快楽に奉仕すること、いわば「安全な快楽」を提供することが、娯楽的な文学の背負っている主要な目的である。それは芸術性が自らの目的と使命を果たす過程で、頻々と社会的な通念や公共的な合意を蹂躙してしまうのとは全く対蹠的な性質であると言えるだろう。

 こうした便宜的区分に従って論じれば、この「永すぎた春」は明らかに娯楽的な文学の範疇に属しているように見える。同時期に並行して執筆された「金閣寺」の禍々しい反社会性と比較すると、作者は自らの精神的な平衡を維持する為に敢えて「永すぎた春」という作品を構想したのではないかと思われる。「永すぎた春」には三島一流の、底意地の悪い穿った心理的描写が、服用し易いように適度に稀釈されて鏤めてあるが、それを反社会的な観念と呼ぶことは如何にも大仰な虚飾である。長い婚約期間における男女間の様々な波乱を描くという発想には、幾らでも三島の美学と哲学に基づいた犀利で狡猾な省察を刻み込むことが可能であるように思われるが、実際には、作者は「永すぎた春」の随所に時代の一般的な通念に対する甘い配慮を忍ばせている。「金閣寺」で凄まじいほどの反社会的な悪意と敵愾心を撒き散らした反動のように、或いはその埋め合わせのように、作者は時代の通念に対して素朴な礼儀を堅持している。様々な波乱が起こっても、それらは総て、最終的な「幸福」への伏線でしかない。つまり、波乱は生じても一向に「破局」が生じない。国宝の金閣寺に火を放つような「破局」の危険性は注意深く排除されている。その結果として、物語や登場人物に対する解剖学的な眼差しも、慎み深い紳士のように、無害な領域ばかりを見凝めて、本当の深淵を覗き込もうとしていない。この作品が当時、十五万部を売り捌くベストセラーとなったという歴史的事実は恐らく、そうした禁欲的な姿勢の産物であろう。通俗的な理念に精緻な技巧で奉仕する三島の皮肉な文業に、社会の側が歓んで拍手喝采を送ったのである。

 或る意味では、この作品は「潮騒」と同様に、一つの通俗的な童話であり、喜劇的な機智に縁取られた清々しい空想の物語である。恐らく作者は少しも斯様な「幸福」の形態を信じていないのではないかと思われる。少なくとも「金閣寺」や「禁色」を書いた三島由紀夫という人物にとって、「潮騒」や「永すぎた春」に充ちている典雅な「幸福」の形象は、皮肉で逆説的な憧憬の対象に留まっているのではないか。「仮面の告白」を書いた作者が「永すぎた春」の通俗的異性愛の範型を、心の底から信頼することなど有り得ないと私は思う。その意味で、これは確かに作者の「余技」であり「娯楽」であり、単に黙って読んで愉しめばいいだけの作品である。往時の風俗を偲ばせる様々な描写を好奇の眼差しで拾い集めて愛でるのに適した小品である。或いは作者は、己の社会的な成熟に自信を持ったのかも知れない。「仮面の告白」において明瞭に示されている「正しい欲望への欲望」或いは「道徳的な欲望への憧憬」を、落ち着いた心境で統御し得る段階に到達したことの反映なのかも知れない。何れにせよ、余り小難しい理窟を弄してページを捲るべき作品ではない。

永すぎた春 (新潮文庫)

永すぎた春 (新潮文庫)

 

人間は誰も首尾一貫した理窟を生きていない。

 また思い浮かんだ漫然とした雑感の欠片のようなものを、静かに追い掛けて確かめていくような文章になるだろう。生きていれば、それが単調な日々であろうと激動の騒乱に満ちていようと、何かしら考えたり思い余ったりすることは自動的に浮かんでくるものであり、それらの曖昧模糊たる思念を曖昧なままに野垂れ死にさせないことが、案外重要な心掛けなのではないかと思う。印象的な事件やら節目の出来事ならば、時間が経ってもその核心的な部分に就いては鍛え抜かれた鮮明な記憶が維持されるものだが、不図頭の片隅を掠めるように思い浮かんだ些末な想念の萌芽は、直ぐに書き留めて保存して丁寧に培養していかなければ永久に消滅してしまう。しかし、その些末な想念の中には、重要な思想の礎石として役立つような事柄が含まれていることも多いのである。

 ただ漠然とした慣習や約束事に従って日々を遣り過ごすだけでは、捕まえることの難しい思考や感情の形態は幾らでも存在する。一度偶然に想到した思想のか弱い萌芽を、永遠に取り逃してしまうのは実に勿体ない話だ。そういった欠片のような思念を集めて、ゆっくりと温めて押し広げていく作業こそ、個人的な思索というものの本領ではないだろうか。それは抜群の知性に恵まれた有能な哲学者たちだけに独占的に委ねられるべき、特異な栄誉ではない。市井の平凡な庶民であっても、そうした作業に対して真摯に従事することには、限りない価値と可能性が備わっている。凡人であろうと英才であろうと、思索の努力には人間の精神を動物的な反復の原理から救済する大いなる可能性が賦与されているものなのだ。

 だが、考えることは誰にでも出来るが、その質的な水準に関しては、実に千差万別であると言わざるを得ない。如何なる訓練や教育も抜きにして、思索へ向かう努力が先天的に万人に備わっていると信じ込むのは聊か素朴に過ぎる考え方である。

 考えるうちにもっと現実の深淵へ踏み込んでいってしまうのが、人間の性というもので、それこそが考えることの醍醐味ではないかとも思う。何と言えばいいのか、人間は誰も首尾一貫した理窟に基づいて生きていない。自分の信念や理想に基づいて、自分で自分を完璧に統制し得ていると思えるほどのストイシズムが、地上に建設される可能性は皆無に等しい。

 自分の行動に対して自覚的であればあるほどに、人間は首尾一貫した理窟に従うことの不可能性を明瞭に痛感せざるを得ない。余り深く考えずに、凡庸で表層的な論理だけを携えて生きているとき、人間は己の正しさを全面的に確信することが出来る。だが、それは単なる偏狭な人格の表現に過ぎない。己の正しさを全面的に確信して疑いもしないとき、それゆえの他者への驕慢な攻撃性を少しも抛棄する必要を認めないとき、人間は自分自身の存在を一個の堅牢な秩序、隅々まで統制され、如何なる不可知も不如意も持たぬ存在として認識し、信仰している。だが、そんなものは虚妄でしかないのだ。人間の内部には、複数の相互に矛盾する論理が涼しい顔で同居し、共存共栄に余念がない。矛盾する思考や行動を呑み込んで平然と存在しているのが人間の普遍的な特性である。だから、筋の通らないことでも平気で口走ったり振舞ったりするのが人間の生き方としては自然であり、それを或る何らかの統整的理念に基づいて整理整頓し、規則を遵守させ、理窟に合わない行為や発想を省いて除去しようと企てることの方が、遙かに不自然な実存の形態なのである。

 だが、私は決して如何なる統整的理念にも従うべきではないという青臭い極論を吐こうとしているのではない。重要なのは、その統整的理念が常に人間の内部で複数に分裂しているという事実に直面し、それを安易な虚飾で糊塗してしまわないことだ。

 言い換えれば、私たちは複数形の「私」を異常な状態だと断定して、それらに何らかの病名を刻印しようとする社会の抑圧的な権力に騙されないように努めるべきである。複数形の「私」の間で繰り広げられる種々のコンフリクトを、何らかの治療されるべき症候として排撃してはならない。私たちは相互に矛盾する複数形の「私」の奇妙な集団であり、複合体(complex)である。それは少しも異常なことではなく、寧ろそれらの複数形の「私」を単一の価値観に基づいて厳格に統制し、一義的に支配しようと試みる全体主義的な抑圧の方が異常なのだ。それが私たちを無際限な不幸と、思考停止と、頽廃的な信仰の奈落へ果てしなく滑落させていく。その意味では「本当の自分」「真実の自分」を探し求める種々の努力は所詮、政治的な覇権の確立に向けた、不毛な内部抗争に類する児戯でしかない。否定され、処分された複数形の「私」たちは何処へ消えてしまうのか? 彼らは未来永劫、覇者への復讐を望まずに墓標の下で大人しく眠り続けるだろうか? 社会における政治的独裁の末路から類推すれば、そのような破局を有り得ないと断じることは出来ないと直ちに気付かずにはいられないだろう。

Cahier(依存・小利口・堕落・暗部)

*他人に依存するのではなく、自分の外側に接続されている諸々の外在的な権威に頼るのでもなく、自分自身の力と判断で、責任を引き受けて生きること、他人の存在を言い訳に用いて自分の信念や欲望を圧殺しないこと、不満の原因を他人に求めないこと、言い換えれば、外在的な要素に自分の人生の根拠を預けないこと、これが最近、私の考えている「倫理」の漠然たる素描である。因みに附言しておくと、私の考える「倫理」とは「道徳」ではない。道徳的な善悪の基準とは直接的な関係を持たない「規範」を指し示す為に「倫理」という言葉を使っている。

 煎じ詰めれば「自立=自律」という観念に行き着く訳だが、この誰でも知っている「自立」という言葉の意味を骨身に沁みるほどに生々しく理解し、自らの人生において具現化している人は少数派ではないかと思う。誰でも死ぬときは一人であり、たとえ血を分け合った兄弟であっても所詮は異質な他人でしかない世の中で、誰もが己の本質的な孤独と寂寥から顔を背けるように、何らかの事物に依存したり、他人に縋ったりして生きている。

 無論、人間は群れを作る生き物であり、その意味では「孤独」という観念が明瞭な主題として人々の脳裡に浮上し、詳しく検討されるようになったのは、それほど古い話ではないかも知れない。だが、厳密に言えば「孤独」は群衆の渦中においても私たちの魂を容易に貫き、揺さ振るものである。孤独は人間の実存を規定する根源的な条件であり、そこから眼を背けるのは個人の自由だが、幾ら背けたところで、根源的な条件が緩和される見込みは皆無である。たとえ全体主義的な熱狂の氾濫に身を投じたとしても、人間の本質的な個体性は消滅しない。自他の境界線が溶解するような感覚を懐くことは可能だが、それは束の間の幻影でしかない。結局、如何に深く共感し合った積りでいても、自他の異質性が完全に除去されることは有り得ない夢想なのである。

 だが、そうした厳粛な真理と正面から向き合うことに堪え難い苦痛を覚えたとき、人は何らかの「依存」に走る。自分の足だけで立ち続けることに深刻な不安を覚え、果てしなく続く寂寥の予感に絶望し、人や物に縋りついて支えてもらおうとするのだ。依存の対象は実に様々であり、従ってその弊害も多岐に渉るが、その病理学的な構造は概ね共通していると言えるだろう。

*何らかの人や物に依存し、それによって相互に不自由な状況へ陥り、尚且つその閉鎖的で歪んだ環境から脱却出来なくなること、そうしたアディクション(addiction)の病理は、社会の随所に様々な濃淡で刻み込まれ、日夜活動を展開している。人間は実に容易く他人や事物に依存し、しかも自分が依存しているという事実を極めて過少に評価する。つまり、その弊害を非常に安く見積もってしまう。涼しい顔で、自分は立派に自分の力で生き抜いている、殊更に誰かの世話になっている積りもないと息巻いて、単純に素朴に、そうした信憑を疑いもしないのである。だが沈着に考えてみれば、自分の心が常に何らかの外在的な対象に縋って、支えられていることに気付く筈だ。

 本当に誰からも自立して、依存せずに生きているのならば、他人を妬んだり恨んだり失望したり期待したりする必要はない。だが、往々にして人間は何時でも羨望や怨恨や過大な期待に囚われて、思い通りに運ばない現実の責任を他人や物に押し付けている。こういう不毛な循環に縛られて身動きが取れなくなっていることにも明瞭な自覚を持たずに、悶々と苦しんでいるのだ。

*結局、小利口ということなのだろうか。色々な事情を勘案し、合理的な方法を考え、揉め事が起こらないように巧く立ち回り、そうやって成る可く無難に平穏に生きていこうと試みる姿勢が、諸悪の根源なのだろうか。綺麗事ばかり並べ立てて、一体それで何になると言うのか。凡庸な幸福に憧れて、人から叱られたり嗤われたりすることに怯えて、窮屈な論理で自らを拘束して、世間の良識とやらに跪いてみせる。尤もらしい言葉、尤もらしい正義、尤もらしい選択肢。自分自身の心にさえ嘘を吐き、自分を正当化する為の屁理屈を組み立てることにばかり血道を上げる。そういう生き方に深甚な疲弊を感じる夜もある。

 だが、依存はいけないと思いながらも、本当に誰にも何にも依存せずに生きることなど可能なのだろうか、と思わないこともない。結局は骨絡みの甘えが消せずに、知らぬ間にずるずると人や物に依存して、私は生きているではないか。正義漢の仮面を被って時には偉そうに一丁前の正論を吐いてみせることもある私だが、果たしてそのような社会的正義に殉ずる覚悟など持ち合わせているかと問われれば、絶句するより仕方ない。

 自分を正義漢だと思い込むのは愚かしいことである。驕慢で無恥な所業である。そういったことを、少し前に考えた。私は二十歳で子供が出来たので止むを得ず勤人になり、社会の片隅で貧しい所帯を営み始めた。世間知らずで我儘で気の短い私も、我慢して仕事を続けるうちに少しずつ常識を弁えるようになり、少しずつ社会的な信頼を勝ち得て、余り世間から邪険にされぬ立場になった。そうなると、固より自分に甘い性格である私は、自分を真っ当で良識的な人間であるかのように信じ始めた。尤もらしい正論の似合う男なのだと、自分で自分を定義し始めた。だが、それは錯覚ではないかと、この頃思う。私は生来、短気で我儘で好き嫌いが劇しくて、他人に頭を下げることが好きではない。他人の意見に唯々諾々と従い、他人の拵えた理念や信条を後生大事に受け取って自分の胸許に飾るような真似が嫌いである。けれども、余計な揉め事を嫌って日頃は大人しく綺麗事を並べ立て、愛想笑いを浮かべている。そうやって働いていれば、もっと出世していけるだろうと漠然と考えていたが、そもそも自分は出世したいと思っているのだろうかと、もう一人の沈着な自分が囁いてくる。お前は本当に、そんな真っ当な堅気の性格だったか? 若しもそうなら、大学を一年で辞めたり、定職も持たぬ分際で子持ちの年上女性を妊娠させたり、臨月を迎えた妻の誕生日に仕事を辞めたりするだろうか? それは知らぬ間に十年以上も昔の遠い記憶になりつつある。掠れた記憶が、危機感を薄れさせ、都合の良い謬見を蔓延させるのだろうか?

 別に社会の正道から殊更に離れようとは思わないが、堅苦しい規律を後生大事に戴いて生きる積りにもなれない。他人の提示する理念や信条に興味を持たない訳ではないが、所詮は他人事だと思ってしまう。結局、重要なのは、己の内なる醜悪な暗部を常に覗いてみることではなかろうか? そうすれば、如何なる綺麗事も正論も忽ち塩を浴びた蛞蝓のように崩壊してしまうだろう。下らぬ欺瞞で己や他人を欺くこともなくなるだろう。自立することが大切だと、依存は不幸しか生まないと、尤もらしく語ってみせても、結局は己の欲望に呑み込まれて傍若無人に振舞う私がいる。その実相を見据えずにきらきらと美辞麗句を数珠繋ぎにして、それで本当の幸福に達することなど、出来る筈もないのだ。

三島由紀夫「金閣寺」再読 2

 引き続き、三島由紀夫の『金閣寺』(新潮文庫)を再読した感想を認めておく。

プラトニズムの齎す倫理的害毒

 「私」にとって「美」は、現象的な世界の裏側に潜んでいる、秘められた存在である。しかし、それは単純に「美」が彼岸的で超越的な観念であることを意味していない。例えば三島は「禁色」において、作家である檜俊輔に次のような美学的論理を語らせている。

「……そうして、美とは、いいかね、美とは到達できない此岸なのだ。そうではないか? 宗教はいつも彼岸を、来世を距離の彼方に置く。しかし距離とは、人間的概念では、畢竟するに、到達の可能性なのだ。科学と宗教とは距離の差にすぎない。六十八万光年の彼方にある大星雲は、やはり、到達の可能性なのだよ。宗教は到達の幻影だし、科学は到達の技術だ。

 美は、これに反して、いつも此岸にある。この世にあり、現前しており、確乎として手に触れることができる。われわれの官能が、それを味わいうるということが、美の前提条件だ。官能はかくて重要だ。それは美をたしかめる。しかし美に到達することは決して出来ない。なぜなら官能による感受が何よりも先にそれへの到達を遮げるから。希臘人が彫刻でもって美を表現したのは、賢明な方法だった。私は小説家だ。近代の発明したもろもろのがらくたのうち、がらくたの最たるものを職業にした男だよ。美を表現するにはもっとも拙劣で低級な職業だとは思わないかね。

 此岸にあって到達すべからざるもの。こう言えば、君にもよく納得がゆくだろう。美とは人間における自然、人間的条件の下に置かれた自然なんだ。人間の中にあって最も深く人間を規制し、人間に反抗するものが美なのだ。精神は、この美のおかげで、片時も安眠できない。……」(『禁色』新潮文庫 pp.679-680)

 「美」は確実に私たちの住まう現象的な世界の内部に存在しているが、私たちは「官能」の機能的な限界を突破して「美」そのものの実体に到達する力を有していない。この考え方は明白にプラトニズム的な「真理」の構図に即している。私たちは美的な存在を、自らの官能を媒介として感受する以外に認識する方法を持たないが、認識は決して美的な存在そのものへの物理的な到達を意味しない。私たちは「美」を感性的な機能に基づいて把握することは出来るが、それは飽く迄も銘々の多様な感受性を通じて個別に仮構された現象であって、決して「美」そのものの普遍的な実相に逢着することは出来ないのである。それが「美」という観念に附随する厄介な論理的構造である。

 だが、こうした考え方は「美」に固有の問題であると言い切れるだろうか? 如何なる対象を俎上に載せようとも、認識の構造的な限界という主題は常に、私たちの行く手に立ち開かる険阻な断崖である。重要なのは、語り手である「私」の思考の様態が、感性的な「美」の背後に絶対的な「美」の存在を必ず措定しようと努める点に存している。

 私はいろいろに角度を変え、あるいは首を傾けて眺めた。何の感動も起らなかった。それは古い黒ずんだ小っぽけな三階建にすぎなかった。頂きの鳳凰も、鴉がとまっているようにしか見えなかった。美しいどころか、不調和な落着かない感じをさえ受けた。美というものは、こんなに美しくないものだろうか、と私は考えた。(『金閣寺新潮文庫 pp.32-33)

 「美というものは、こんなに美しくないものだろうか、と私は考えた」という言い方には、倒錯的な印象が付き纏う。彼の夢見がちな生い立ちが、過度に美化された壮麗な「心象の金閣」を育んだという説明は、こうした倒錯的認識の成立という現実に対して充分に匹敵しているようには思われない。これは飽く迄も物語を成立させる為の便宜的な説明であり、何故そのような思考の様態が「私」の内部に深く根付いているのかという問題は、暗闇の奥底に繋留されたままなのである。

 私の現実生活における行為は、人とはちがって、いつも想像の忠実な模倣に終る傾きがある。想像というのは適当ではない。むしろ私の源の記憶と云いかえるべきだ。人生でいずれ私が味わうことになるあらゆる体験は、もっとも輝やかしい形で、あらかじめ体験されているという感じを、私は拭うことができない。こうした肉の行為にしても、私は思い出せぬ時と場所で、(多分有為子と)、もっと烈しい、もっと身のしびれる官能の悦びをすでに味わっているような気がする。それがあらゆる快さの泉をなしていて、現実の快さは、そこから一掬の水を頒けてもらうにすぎないのである。

 たしかに遠い過去に、私はどこかで、比びない壮麗な夕焼けを見てしまったような気がする。その後に見る夕焼けが、多かれ少なかれ色褪せて見えるのは私の罪だろうか?(『金閣寺新潮文庫 p.290)

 「私」にとって生きることは、既に過ぎ去った完璧な体験の不完全な「想起」に類似している。既に存在しているものを想起するという論理に、プラトニズム的な思惟の形式の反響を聴き取るのは、牽強付会に過ぎるだろうか? 完璧で非の打ち所のない審美的法悦が予め存在し、現実の経験はその不完全な反映に過ぎないという思考の回路は、明瞭にプラトニズム的であると言えないだろうか? このような観念的思想の形態に脳髄を占領されたとき、その人間の眼に映る世界は常に、完璧な理念の不完全な模造品に過ぎない。どんなに美しい夕焼けも、完璧な理念=イデアとして先行して存在する「比びない壮麗な夕焼け」の色褪せた模写でしかない。或る先験的な理念が予め存在し、私たちの享受する感性的な現実は総て、その不完全な流出に過ぎないというプラトニックな思考の形態、この観念的な倒錯(無論、倒錯と決め付けるべきかどうかは一概に断定し難い)が、少なくとも「金閣寺」という作品においては、語り手である「私」を具体的で実践的な「人生」の現場から遠ざけ、遮断してしまうのである。

 端的に言って「金閣寺」という作品は、語り手に幼時から根深く浸透したプラトニックな思惟の形態を、語り手自身が如何に打破しようと試みたか、その観念的で抽象的な格闘の記録である。そしてプラトニックな思惟の形態を支える至高の理念、或いは象徴として「金閣」は存在し、「私」の内面的な世界に君臨している。つまり「金閣」を焼き払うという決断は、「私」を「人生」から遮断し、隔離するプラトニックな観念の体系を焼き払うという決断と同義なのである。

 ここからは金閣の形は見えない。渦巻いている煙と、天に冲している火が見えるだけである。木の間をおびただしい火の粉が飛び、金閣の空は金砂子を撒いたようである。

 私は膝を組んで永いことそれを眺めた。

 気がつくと、体のいたるところに火ぶくれや擦り傷があって血が流れていた。手の指にも、さっき戸を叩いたときの怪我とみえて血が滲んでいた。私は遁れた獣のようにその傷口を舐めた。

 ポケットをさぐると、小刀と手巾に包んだカルモチンの瓶とが出て来た。それを谷底めがけて投げ捨てた。

 別のポケットの煙草が手に触れた。私は煙草を喫んだ。一ㇳ仕事を終えて一服している人がよくそう思うように、生きようと私は思った。(『金閣寺新潮文庫 p.330)

 「金閣寺」という作品は「私」が如何にしてプラトニックな観念の虜囚となり、如何にしてその観念の魔力から脱して「人生」の入口に立ち得たか、その詳細な過程を緊密な文章で描き出している。「私」は常に「現実」よりも「心象」を優先することに慣れ親しんでおり、その遠因として「吃音」が挙げられる。

 吃りは、いうまでもなく、私と外界とのあいだに一つの障碍を置いた。最初の音がうまく出ない。その最初の音が、私の内界と外界との間の扉の鍵のようなものであるのに、鍵がうまくあいたためしがない。一般の人は、自由に言葉をあやつることによって、内界と外界との間の戸をあけっぱなしにして、風とおしをよくしておくことができるのに、私にはそれがどうしてもできない。鍵が錆びついてしまっているのである。

 吃りが、最初の音を発するために焦りにあせっているあいだ、彼は内界の濃密な黐から身を引き離そうとじたばたしている小鳥にも似ている。やっと身を引き離したときには、もう遅い。なるほど外界の現実は、私がじたばたしているあいだ、手を休めて待っていてくれるように思われる場合もある。しかし待っていてくれる現実はもう新鮮な現実ではない。私が手間をかけてやっと外界に達してみても、いつもそこには、瞬間に変色し、ずれてしまった、……そうしてそれだけが私にふさわしく思われる、鮮度の落ちた現実、半ば腐臭を放つ現実が、横たわっているばかりであった。(『金閣寺新潮文庫 pp.7-8)

 こうした「内界と外界との間の扉」の機能不全が、「私」の内部に牢固たるプラトニズムの壮麗な伽藍を築き上げたのかも知れない。つまり「新鮮な現実」に対する複雑な憧憬の感情が、如何なる現実も「完璧な現実」の劣化した形態に過ぎないというプラトニックな信仰を育んだのではないかと推察されるのである。理念としての完璧な現実が予め先験的に存在し、感性的な現実はその不完全な反映であるという考え方の根底には、自分が常に外界の感性的な現実から隔てられているという認識が介在している。

 こうした信仰が、結果として「私」を外界の感性的な現実への介入から隔てる効果を発揮する。同時に「私」は理念としての完璧な現実からも疎外されている。この二重の疎外が「私」を身動きの取れない抑圧的な状態へ幽閉するのである。理念としての絶対的で超越的な「美」に到達することは、「私」が感性的で現象的な世界の一部として存在し、その世界に内属している限り不可能である。にも拘らず「私」は理念としての「美」の超越的な性格を信じるがゆえに、己の所属する感性的で現象的な世界をそのまま受容することが出来ない。受容しようと試みる度に出現する「金閣」の幻影が、「私」の具体的な人生への参与を妨害するのである。

 私はむしろ目の前の娘を、欲望の対象と考えることから遁れようとしていた。これを人生と考えるべきなのだ。前進し獲得するための一つの関門と考えるべきなのだ。今の機を逸したら、永遠に人生は私を訪れぬだろう。そう考えた私の心はやりには、吃りに阻まれて言葉が口を出かねるときの、百千の屈辱の思い出が懸っていた。私は決然と口を切り、吃りながらも何事かを言い、生をわがものにするべきであった。柏木のあの酷薄な促し、「吃れ! 吃れ!」というあの無遠慮な叫びは、私の耳に蘇って、私を鼓舞した。……私はようやく手を女の裾のほうへ辷らせた。

 

 そのとき金閣が現われたのである。

 威厳にみちた、憂鬱な繊細な建築。剝げた金箔をそこかしこに残した豪奢の亡骸のような建築。近いと思えば遠く、親しくもあり隔たってもいる不可解な距離に、いつも澄明に浮んでいるあの金閣が現われたのである。(『金閣寺新潮文庫 pp.159-160)

 こうした内面的経験を一概に「美の永遠的な存在」への到達であると認定することが適切かどうかは分からない。ただ、少なくとも「私」が「隈なく美に包まれ」ていると感じていることは確かな事実である。その瞬間に「下宿の娘」の存在は「塵のように」後景に退き、「私」は「美の永遠的な存在」に抱擁されながら「人生への渇望の虚しさ」を思い知り、性的不能と「行為」への怯懦に囚われてしまう。「美の永遠的な存在が、真にわれわれの人生を阻み、生を毒するのはまさにこのときである。生がわれわれに垣間見せる瞬間的な美は、こうした毒の前にはひとたまりもない」(p.161)という文章は、こうした消息を明瞭な措辞で説明している。「美の永遠的な存在」に魅了された人間にとって「生がわれわれに垣間見せる瞬間的な美」は、換言すれば「美の永遠的な存在」の不完全な模造品としての価値しか持たない。「美」の理念的な永遠性に比べれば、有限の繊弱な「美」の魅力は単なる破片でしかない。そのように考えるとき、人間の内面を領するのはニヒリズムであり、現象的な世界の有限性に絶望する「断見」である。生きることは無意味であり、滅ぶものは無価値であるというペシミスティックな信憑が「私」から行為への勇気を奪い去り、永遠的な理念としての「金閣」への拝跪と隷属を命じるのだ。

 こうして「行為」と「認識」の対立という重要な主題が徐に、その明瞭な輪郭を示し始める。「美の永遠的な存在」に包摂されるという経験は、純然たる「認識」の範疇に属している。それは断じて「行為」ではなく、寧ろあらゆる種類の「行為」からの完全な離脱を意味している。

 「美の永遠的な存在」への劇しい憧憬を胸底に燃え盛らせて金閣寺の徒弟となった「私」は徐々に、この重要な主題の齎す軋轢に苦しむようになっていく。

 このころから微妙な変化が、私の金閣に対する感情に生じていたものと思われる。憎しみというのではないが、私の内に徐々に芽生えつつあるものと、金閣とが、決して相容れない事態がいつか来るにちがいないという予感があった。亀山公園のあのときから、この感情は明白になっていたが、私はそれに名をつけることを怖れた。(『金閣寺新潮文庫 p.167)

 この時点では未だ控えめな「予感」に留まっていた「認識」と「行為」との根源的な対立は、やがて明瞭な敵愾心へと高まっていく。

「美は……」と言いさすなり、私は激しく吃った。埒もない考えではあるが、そのとき、私の吃りは私の美の観念から生じたものではないかという疑いが脳裡をよぎった。「美は……美的なものはもう僕にとっては怨敵なんだ」

「美が怨敵だと?」――柏木は大仰に目をみひらいた。彼の上気した顔には常ながらの哲学的爽快さが蘇っていた。「何という変りようだ、君の口からそれを聴くとは。俺も自分の認識のレンズの度を、合わせ直さなくちゃいかんぞ」(『金閣寺新潮文庫 p.275)

 「美」を「怨敵」と看做す「私」の決定的な転向は、プラトニズムの齎す夥しい毒素への抵抗の必要を「私」が明確に感受したことの結論である。「世界を変貌させるのは決して認識なんかじゃない」(p.273)という「私」の苛烈な信仰告白は、絶対的な認識としての「美」に対する挑戦状であり、「人生」への参入の決意表明なのだ。彼は「美の永遠的な存在」を焼き払うことで、つまり「永遠的な存在」を有限性の世界へ腕尽くで移行させることによって、「人生」を「虚無」に作り変えるプラトニズムの魔術的な効果に叛逆するのである。

 おしなべて生あるものは、金閣のように厳密な一回性を持っていなかった。人間は自然のもろもろの属性の一部を受けもち、かけがえのきく方法でそれを伝播し、繁殖するにすぎなかった。殺人が対象の一回性を滅ぼすためならば、殺人とは永遠の誤算である。私はそう考えた。そのようにして金閣と人間存在とはますます明確な対比を示し、一方では人間の滅びやすい姿から、却って永生の幻がうかび、金閣の不壊の美しさから、却って滅びの可能性が漂ってきた。人間のようにモータルなものは根絶することができないのだ。そして金閣のように不滅なものは消滅させることができるのだ。どうして人はそこに気がつかぬのだろう。私の独創性は疑うべくもなかった。(『金閣寺新潮文庫 p.246)

 この華麗で逆説的な修辞学は、「美の永遠的な存在」の根源的な否定という重大な挑戦の為に捧げられた祝詞のようなものである。

金閣寺 (新潮文庫)

金閣寺 (新潮文庫)