サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

詩作 「冒頭」

風のなかで誰かが歌っていた

春の嵐

都会の鉄道網をぞんぶんに掻き乱した

ハレー彗星がもうすぐ地球に届く

総武線各駅停車は今

亀戸駅を発車したばかりです

 

強がって結局は

相手のなさけを欲しがっているだけ

理窟で割り切れるものを

拾い集める

でも欲しいのは余りの部分だ

切ない端数が 私の望む世界の光なのだ

詩作 「音を立てないでください」

無音の階段を夕陽が斜めにさえぎる

憂鬱な日には 憂鬱な長雨が降り

私たちを揺さぶる

やがて

世界は暗色の外套を翻すだろう

静かに唇を重ねたときの

小さな

濡れた音

静寂が水晶のように劇しくふるえるので

私たちは舌を絡められない

音が立つから

 

あなたと過ごした三日間は

天気図の上の分厚い雲と重なっていた

ゆうべ電車のなかで

あなたは古い小説の結末について話していた

橙色の信号がいくつも

窓のそとを幻のように通り過ぎる

測りがたい心の深さ

その湖のような瞳の奥に

私は

つたない言葉で語りかける

 

愛という言葉の定義を

見失ってすでに久しい

夜は沼地のように街を囲んでいる

あなたの長いまつげ

あなたの

閉ざされたくちびる

詩作 「ふたり暮らし」

空は青く晴れている

青葉が風に揺れている

遠い道を歩いてきた

あなたの笑顔が

細胞のなかに折り畳まれている

通いなれた駅までの道を

二人で歩き始める

季節が変わり

風は柔らかく吹き寄せる

あなたの苗字を

表札に加えよう

ふたりで暮らすこと

真昼のあふれる光のなかで

懐かしい夢を見ること

確かなものを見つけられない世界のまんなかで

確かなものを打ち立てようとする努力

 

一人で生きられないわけじゃない

澄み切った空の下で

光は平等に降り注ぐ

酸素は私たちの肉体を覆っている

それでも私たちは夢見てしまう

生きることの厳しさが烈風のように迫るので

伸ばした指先を

誰かと絡めずにはいられなくなる

それが偶然あなただったのだろうか

或いは

世界がひらかれた瞬間にプログラムされた

ひとつの必然だったのだろうか

 

愛することがいずれ

滅びの歌に帰結するとしても

この胸を咬む想いに

ナイフを突き立てるのは難しい

抱きしめて見つめ合うことの

息苦しいような喜びを知ってしまったら

今更帰り道は探せない

ふたりで暮らしましょうか

さりげない提案を積み重ねて

私たちはたった一つの道に向けて歩き出すのだ

虹が架かっている

終電は往ってしまった

あなたの柔らかい唇に

私の乾いた唇が恩寵のごとく接する

詩作 「うわべ」

うわべを重んじないのは愚か者です

人間は表面で出来ています

だから皆

スキンケアにあれほど必死なんでしょう

潤んだ瞳が

誠実な言葉を簡単に踏み越える夜だってあるでしょう

その睫毛も眉毛も芸術的に加工されていますよね

表面は大切です

テレビなんて表面が死んだら終わりですから

 

見つめることに

誰しも夢中になるのは

うわべの向こうに惹かれるからでしょうか

裏を探れば

何か確かなものが見つかると思い込むのでしょうか

そこには何の保証もないのに


それでも私は踏み込まずにいられない

そこが閉ざされた聖域であると知っていても

痺れるような渇きに締めつけられて

見つめ合うだろう

望みを叶えるために


恋することを禁じても

誰かの踏んだアクセル

追い越し車線を走りつづける銀色の外車

貴方を眠らせる首都高のトンネル

うわべだけでは満たされないのに

私たちはいつも

うわべに魅せられる

静かなピアノの独奏が

ステレオから漏れる

橙色の光に包まれて

貴方の本音が急に遠ざかる

いつからでしょうか

こんなにも言葉がその心に響かなくなったのは


同じ声で

同じ科白を口にしても

届かない夜がある

それは切実な痛みだ

こんな夜を迎えるために

これまでの日々を重ねたのだろうかと問う

それは愚問ですと神様が雲の上でつぶやく

光りかがやく大都会の夜景にむかって

神様は笛の音を響かせる

ねむりなさい、子どもたちよ

辛くてたまらない夜は

早く眠ってしまうに限る

この夜を越えた先には

新しい朝が待っていると

自分自身を説得しなさい

詩作 「船出」

纜が静かにほどかれる

知らぬ間に

東の空の縁を

白く染めていく今日のひかり

船の帆がもうすぐ風をとらえる

貴方の心をとらえるように

 

世界はずっと暗い静寂のなかで

時を数えるばかりで

私たちはいつもこうして

冷え切った夜の揺籃に抱かれて

息を殺すように眠っているね

暁のひかりを

眼裏に探して

 

船が舳先を沖あいに向ける

様々な掟が貴方の心を縛るでしょう

指先をすりぬけていく風に怯えて

定まらない羅針盤の沈黙にふるえて

だけど何も懼れることはないよ

本当はこの海原に道はない

描かれた航跡だけが

その白いさざなみの行方だけが

この世界にあたえられた唯一の正しさなのだから

 

夜明けに気づいて

目覚めた二人

触れ合って

生きることの哀しさのなかで

埠頭から焼ける空を見上げる

暁のひかりのなか

冷たい潮風のなか

積荷は少ない方がいい

今にも白い大きな帆が

風をとらえるよ

そして滑り出すだろう

朝焼けの下で

新しく刻まれる一条の航跡

暁のひかりが導く運命

夜の深い懐で育まれた

一粒の真珠のような感情を抱いて

詩作 「愛じゃない」

子曰く

愛に非ず

心の継ぎ目の淋しさを

モルタルにて埋めんと欲す

 

子曰く

愛に非ず

性の快楽の欠乏を

能う限り低予算にて満たさんと欲す

 

子曰く

愛に非ず

金銭の不足に伴う諸々の不満を

他力にて解消せんと欲す

 

仁義礼智忠信孝悌

人が求めるものの核心は愛

求めて求められ

叶えて叶えられ

その美しい循環のなかで

私はあなたの穏やかな寝顔を眺める

 

子曰く

愛に非ず

束縛は我執なり

執着は保身なり

凝視は色欲なり

睦言は欺瞞なり

 

私だけを見つめて下さい

荒れ地の暮らしを生き延びるために

世界が破局の予兆に満ちていたとしても

人の絆が有限であることを知っていたとしても

 

切ない夜は酒でも呑んで

早々に眠ってしまいましょう

妄想の果てしない夜更け

暁のような幸福のなかで

もう一度

愛しいあなたに出逢うために

詩作 「すれちがい」

その言葉には

多彩な意味が織り込まれている

プラスマイナス

刻一刻と入れ替わるオセロのような磁石

睦み合う二人のあいだで

徐々に腐蝕していく絆のことを

すれちがいと呼ぶこともある

忌まわしい呪文のように

別れ話の終止符に添えられる言葉

すれちがいが原因で

この恋は終わりました

ヘリウムのつまった風船に向かって

思い切り振り下ろされた錐のような哀しみ

 

その言葉は

豊饒な果実のように

私たちの行く手にぶらさがっている

遠い日にさよならを決めた懐かしい女の子が

改札を抜ける私と

反対の方角に歩いていく

そうやって郷愁のようにすれちがうことが

運命の車輪をひとつ回す

彼女は足早に自分の人生に向かって歩いていく

私の人生との

束の間の交錯を忘れて

 

重ならない想いが二つ

溝に足をとられるように

伸ばした指先は虚空をさまよい

まなざしは振り切られる

もう一度

輪郭を確かめたい

あなたの強いまなざしを

このカラダに深々と浴びたい

 

平行線は交わらないという公理を

歪めるような本物の愛で

この星の常識に

亀裂を走らせる

かつて重なることを諦めた二つの心が

金環日食のように

この世界を驚嘆させる