サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

未知の領域に挑戦するということ

 最近、サン=テグジュペリの「人間の土地」(新潮文庫)という随筆集を読んでいる。表紙の挿画は、同じ作者の「夜間飛行」(新潮文庫)も含めて、高名なアニメーション監督である宮崎駿の手になるものである。「人間の土地」の巻末には、宮崎駿が「空のいけにえ」というタイトルで、解説というよりも私的な述懐のようなものを書いている。以前、宮崎駿著作を纏めて購入し、彼是と拾い読みしていた時にも感じたが、彼の文章は実に優れている。ネットの片隅に潜伏する蛆虫の分際で、高飛車な賞讃とは何様の積りだと嗤われるだろうが、構わず記しておく。彼の文章は、単なる素人の作品ではない。アニメーション監督だから、文章が上手になるとも限らないだろうから、根本的には先ず、彼自身の読書体験の蓄積が分厚いということが、最も基礎的な要因であるのだろうと推察される。実際、彼は自身のアニメーション作品を企画するに当たって、色々な文学作品から着想を得ていると聞く。加之、彼のインタビューやエッセイを読んでいくと、彼の思索の深さと徹底性に否が応でも刮目せざるを得ない。本を読み、思索を積み重ね、その結果として醸成された不透明な何かを、アニメーションという実作に焼きつけていくことに生涯の過半を費やしてきた人物であるからこそ、手遊びのような簡素な随筆にさえ、その豊饒な蓄積の余沢が自ずと滲んでしまうのだろう。

 但し、この「人間の土地」に関する宮崎駿の文章が精彩に富んでいる最大の要因は、彼が、サン=テグジュペリの経験した郵便飛行士としての境涯、或いは無蓋の木造プロペラ機が、航空業界の最前線であった時代への並外れた情熱と愛着の所有者であるからではないかと思われる。その憧れの内訳に就いて、私は審らかにしない。ただ、サン=テグジュペリの文章に織り込まれた郵便飛行士たちの姿、或いは彼自身の述懐を読んで感じるのは、航空機の黎明とも言い得る時代に空を飛ぶということが、殆ど現代の宇宙飛行にも等しいような「未知」の領域に属していたという事実である。

 技術的に未完成な飛行機で空を往くことは、様々な危難を、場合によっては生死の境界線を跨ぎ越すような性質の危難を、極めて頻繁に勇敢なパイロットたちへ与えた。サハラ砂漠の真ん中に不時着して、或いはアンデスの山間に不時着して、酷熱や極寒に堪え抜くことは、巨大なジャンボジェットが墜落して粉微塵に燃え上がるのとは異質な危険を、彼らに強要した訳だ。そうやって強いられた孤独で苦難に満ちた境涯が、サン=テグジュペリという稀有な人格を濾過することで、澄明で静謐な思索の結晶に転換する。彼の著作に触れて、その繊細で文学的な記述(迂遠なほどに装飾的な部分も目立つが、それは訳者である堀口大學の感受性によって増幅された結果なのだろうか)を味わうという経験はそのまま、未知の世界に挑戦する人々が追い込まれる特異な境地の実相を、生々しく共有するということに他ならない。