サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

詩作 「いいえ」

いいえ、それは星ではありません

それは夏草の葉叢で生まれた若い蛍火

 

いいえ、それは風ではありません

それは夕暮れの家路を歩くあなたが

一日の労働を終えた溜息の音

 

いいえ、それは答えではありません

それは連綿と続く暮らしのなかで

あなたへの関心をかすれさせた恋人の

形ばかりの相槌です

 

誤解が人の世の定めならば

隅から隅まで

分かり合うことを望む

あなたが

生き辛いのは道理です

 

いいえ、それは真実ではありません

それは束の間の快楽に溺れた彼が

慌てて拵えた安物の芝居

 

いいえ、それは嘘ではありません

それはたとえ欺瞞や倦怠に満ちていたとしても

長い歳月が蒸留したあなたへの愛着

 

いいえ、それは罪ではありません

それは太古の昔から男女が繰り返してきた

心変わりの一例です

 

正解を人の世に求めても

裏切られるばかり

絶えず相手の眼を見つめている

あなたは

要するに強情な分からず屋です

 

いいえ、それは愛情ではありません

それは身勝手な淋しさを埋めるための脅迫です

 

いいえ、それは無慈悲ではありません

それは昼も夜も野獣のように追い縋るあなたから

身を守るための対策です

 

いいえ、それは永遠ではありません

それは偶然知り合った二人の関係に被せられた

幸福な錯覚の織物です

 

死を拒めば

生きることはすさむ

永遠を望めば

愛することが難しくなる

時限爆弾を背負って

走りまわるような

わたしたちの暮らしを

恩寵が照らす

幸福な錯覚という恩寵が

 

いいえ、それは絶望ではありません

それは愛することに不慣れなあなたへの大切な贈り物

 

いいえ、それは悲劇ではありません

それは自分のこころをかわいがるあまり

相手のこころに首輪をつけたあなたの罪です

 

いいえ、それは終わりではありません

それは今まで知らなかった広大な原野へ走り出す為の

高らかな号砲です

 

知らないものを知るために

伸ばされた手

かがやく指環

あなたはまるで生まれたばかりの仔羊のように

明るくものうい瞳をひらく

そうです

あなたは何も知らなかっただけです

しかし農場の外には

果てしない森がひろがり

運命は水脈のように枝分かれして

宇宙の辺境まで連なっています

 

いいえ、それは限界ではありません

それは過ぎ去った日々のなかで

古い写真ばかり見ていたからです

 

いいえ、それは夢ではありません

それは傷ついたあなたのこころが

まだ見ぬ誰かをほんとうに愛し始める予兆です

 

いいえ、これは気休めではないのです

永遠など望まずに

この瞬間の

電流のような愛しさだけを信じてください

添えられた賞味期限の日付を

確かめてみたところで

なんにもならない

未来は

いつもわたしの掌のそとで

にぎやかな交差点のように

時の重さを量っています