サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

夭折の幻想 三島由紀夫「春の雪」 8

 三島由紀夫の『春の雪』(新潮文庫)に就いて、総括的な文章を纏めておきたいと思う。これで「春の雪」に関する考察は一区切りとなる予定である。

 三島由紀夫の文学には幾つかの典型的な特徴が存在して、それが個々の作品の垣根を越えて一つの長大な系譜のように息衝いている。その一つが「生きることへの嫌悪」である。彼は人間の生存という現実の構造に対して、或る癒やし難い不満を根深く抱え込んでいる。恐らく彼にとって「生きること」は、醜悪な「堕落」の過程と同義なのである。

 三島が青年の若々しい美しさを尊び、一方で人目に老醜を晒すことを潔癖なまでに憎んでいたことは広く知られている。従って彼の内面においては必然的に、生きることは崇高な美しさから忌まわしい醜さに向かって没落していく過程として定義される。生きることが成長や拡大の過程ではなく、老醜への無際限な没落に過ぎないのであれば、当然のことながら「時間」は憎悪の対象となるだろう。刻一刻と過ぎ去っていく時間の流れが不愉快な「堕落」と同期しているのであれば、遁れ難い「時間」の堆積を拒絶することだけが当人にとっての超越的な「恩寵」となるだろう。

 「時間の廃絶」ということは、三島由紀夫の精神の基底に深々と根を生やした重要な宿願であったに違いない。「時間の廃絶」とは即ち「永遠」に対する憧憬であると言い換えても誤りではない。彼の宿願は「時間」の流れを停止させ、美しく赫奕と燃え上がる「若さ」の絶頂を永久的に堅持することに尽きていた。無限に保たれる「永遠」という観念は、単なる長大な時間の堆積を意味するのではなく、寧ろ「時間」の対義語として理解されるべきである。生きることが常に「時間」と共に歩むことであるならば、死ぬことは無論「永遠」の位相に立脚して世界の総てを眺めることに他ならない。換言すれば、生きることが「没落」に過ぎないのであれば、死ぬことは「没落」からの絶対的な救済と同義なのである。

 戦時下の青春時代、それは三島にとって精神的な構図の元型を成す季節であったのだろうと推察される。誰もが遠くない死を約束され、人生の未来図を描く権利を剥奪されていた時代の渦中で、人々の「時間」は甘美な廃絶を半ば強制的に命じられていた。誰もが華々しい戦死の期待に包まれ、退屈で虚無的な日常性の齎す「頽落」の毒素に蝕まれることを免かれていた。極端に要約してしまえば、少年期の三島にとって「戦争」の血腥い抑圧は「救済」であり「恩寵」であったのだ。彼は老醜を晒す自己の肖像画に思い煩う必要を免除されていた。彼は稀少な「若さ」の裡に逼塞して、停止した時間の内部で「永遠」という理念に溺れていれば良かった。ところが、敗戦によって再び「時間」の流れは復活し、それまで堰き止められていた「老醜」の危険が彼の許へ俄かに襲来してしまった。彼は「時間的実存」という刑罰に処された無惨な虜囚と化した。

 「春の雪」という小説には、三島の年来の宿願が最も美しく理想化された姿で象嵌されている。彼は松枝清顕という情緒的な青年に仮託して、未来を欠いた恋愛の情熱を描き、夭折という悲劇的な理想を綿密に形象化した。清顕が勅許の下りた後になって漸く聡子に対する恋情を燃え上がらせるのは、それが忌まわしい「時間」の介入を許さぬ禁圧として働くことを期待した為ではないかと思われる。美しいものは常に「時間」の法則を超越しなければならない、というのが三島的な論理の要諦の一つなのである。何故なら「時間」は「美」の絶対的な性質を頽落させる危険な害毒を蓄えているからである。若しも聡子の出家の後に清顕が生き長らえたとすれば、それは「時間」の腐蝕作用に身を委ねることを意味し、従って三島的な美学に正面から背馳することとなる。

 敗戦は私にとっては、こうした絶望の体験に他ならなかった。今も私の前には、八月十五日の焔のような夏の光りが見える。すべての価値が崩壊したと人は言うが、私の内にはその逆に、永遠が目ざめ、蘇り、その権利を主張した。金閣がそこに未来永劫存在するということを語っている永遠。

 天から降って来て、われわれの頬に、手に、腹に貼りついて、われわれを埋めてしまう永遠。この呪わしいもの。……そうだ。まわりの山々の蟬の声にも、終戦の日に、私はこの呪詛のような永遠を聴いた。それが私を金いろの壁土に塗りこめてしまっていた。(『金閣寺新潮文庫 pp.81-82)

 三島の作品を読むとき、我々は「永遠」という言葉の用法に就いて慎重な解釈を貫徹せねばならない。上記の引用において使われている「永遠」という言葉の語釈は「無限の時間」として理解されるべきものである。一方、三島が憧れ続けたのは「時間の廃絶」としての「永遠」であった。

 私にとって、敗戦が何であったかを言っておかなくてはならない。

 それは解放ではなかった。断じて解放ではなかった。不変のもの、永遠なもの、日常のなかに融け込んでいる仏教的な時間の復活に他ならなかった。(『金閣寺新潮文庫 p.86)

 「仏教的な時間」とは即ち「時間の廃絶の不可能性」を暗示する観念である。それは三島的な美学にとって「救済の不可能性」を意味するものであり、従って堪え難い「絶望」の源泉として作用する。彼が戦後の日本社会に対する生理的な「異和」の感覚を終生保ち続けた背景には、こうした特異な美学的論理が介在していると言えるだろう。進歩主義的な価値観が称揚される時代の裡にあって、彼のプラトニックな古典主義(眼前の現実を「イデア」の堕落した不完全な形態として理解する態度)が、自身の孤立を深める要因として働いたのは必然的な帰結であった。己の精神的基底に巣食う極めて保守的なロマンティシズムとの内在的な対決が、三島の生涯を彩る重要な課題であったにも拘らず、最終的に彼は「永遠」への願望を棄却出来ぬままに、あの著名な凶行へ及んだ。換言すれば、三島は「夭折の幻想」の強靭な魅惑に抗えぬままに、その華麗な生涯を卒えたのである。

春の雪―豊饒の海・第一巻 (新潮文庫)

春の雪―豊饒の海・第一巻 (新潮文庫)