サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

Cahier(弔事・歯車・遺された者たち)

*九月の一日に岳父が心臓を病んで急逝し、瞬く間に通夜と葬儀が営まれ、遽しい日々を過ごした。漸く人心地がついたところだが、妻の方は未だ相続の手続きやら四十九日の法要の仕度やらに追われて日々忙しく追い立てられている最中である。

 結婚式ならば一年先の遠く離れた日取りに向けて入念に準備を積み重ねることも可能だが、葬儀は俄かに襲い掛かるものであるから仕度が目紛しい忙殺という形を取ることは避け難い。

 私の父も先日心不全で病院へ緊急搬送されたところだから、岳父の死は少しも他人事ではない。私は長男坊であるから、父の身に万一の事態が起これば最前線の当事者に祀り上げられることになる。こういう気の重い責務に挺身せねばならない年齢に差し掛かったことを改めて痛感させられる。人間は誰しも何時か他界する定めを負った生き物であると知りながらも、そうした理窟に生々しい実感を纏わせるのは至難の業である。

 何より、日常の生活の秩序が乱れるということは疲労の溜まる話だ。これは身近な人間の死去に限らず、離婚でも転職でも被災でも、思わぬタイミングで不意打ちのように訪れる出来事によって齎される突発的な変化であるから、周到に計画を立てて生きている積りでも完璧な回避など望みようがない。

 仕事の上でも直属の部下の交代があったばかりで、後任の社員の着任する日付が折悪しく岳父の急逝と重なってしまった。私はその日、朝から晩まで仕事の予定であったのだが、午前中に後任の社員との面談を済ませ、立て続けにアルバイトの採用面接をしている最中に売場からスタッフが飛んできて、不穏な面持で奥様から電話がありました、急いで折り返して欲しいようですと伝えに来た。直ぐに病院へ向かうことになり、上司に連絡を入れたり売り場のスタッフに指示を与えたり、諸々の始末を卒えて地下のロッカーへ着替えに往く途次、再び妻から携帯へ着信が入った。涙声の訃報であった。

 病院で遺体と対面し、幕張の葬儀会館へ移動して早速通夜と告別式の打ち合わせが始まった。夕刻、私は葬儀会館を後にして売場へ戻り、周りに怖々と気遣われながら仕事を再開した。変化の上に変化が折り重なるような一日で、自分が疲れているのかどうかの確かな手応えすら曖昧に霞んで揺れた。

 私生活の歯車が狂い出すと、途端に読書も捗らなくなる。漸く今日になって「鏡子の家」に就いての長ったらしい読書感想文を草し終えることが出来たばかりである。目下繙読中の「美しい星」は数日間塩漬けの状態になっている。これから少しずつ、不幸にも捩れてしまった日常の歯車を原状へ戻していかねばならない。死者の供養が生ける者の大事な務めであることは論を俟たぬ。けれども同時に、生きている者には日々の生活を黙々と営むという根本的な責務が課せられていることを失念すべきではない。供養は死者の為に営まれる厳粛な務めである一方で、遺された者が未来へ前進する為の大切な区切りという意味合いも兼ね備えている。供養が生者の歩く力を復活させず、停滞させるものであっては本末転倒であろう。生者の停滞を死者が希求するとは思い難い。朗らかに、健やかに暮らすことが本当は死者に対する最善の供養なのだと信じたい。