三島由紀夫の短篇小説「仲間」(『殉教』新潮文庫)に就いて書く。
穏やかで柔らかい子供の眼差しを通じて語りながら、一抹の悪寒を読者の背筋へ忍び込ませる、この手慣れた粗描の掌編は、三島由紀夫という作家の技巧的な多様性を告げる簡素な証拠である。
はっきりと明示されている訳ではないが、登場する一組の父子が、諧謔的な匂いを帯びた悪霊の類であることは概ね確実であろうと思われる。彼らは或る若い厭人家の金持ちを気に入り、彼を自らの「仲間」に引き入れることを決断する。その決断の宣言と、標的である男性の帰宅する靴音の響きを交錯させて、抛り出すように短い物語の幕切れを演出する辺り、簡潔だが味わい深い巧みな筆致である。
たっぷりの余白に蒼白い影絵を浮かび上がらせるような本作に、彼是と七面倒な論理の働きを求めて穿鑿を重ねるのは、恐らく無益な行為だろう。日頃の観念的で饒舌な文体は影を潜め、平淡な言葉の連なりが、霧に包まれた深更の舗道をくっきりと想像させる。若しも、こうした作風に三島が専心していたら、