サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

Cahier(理性の失調)

古代ギリシアの代表的な哲学者であるプラトンは、その長大な対話篇「国家」において「魂の三区分」と呼ばれる考え方を提示している。普遍的な真理を観照する理性の働きを、人間の霊魂の本質的且つ優越的機能に定めたプラトンは、理智によって「意志=気概」と「情念=欲望」が支配され、統御されることによって、精神的調和と幸福が齎されると考えた。言い換えれば、彼は人間の精神における「知情意」の三つの要素を明確に弁別したのである。
 他方、ストア学派は理性と情念との弁別に関して新しい定義を導入した。彼らは「理性」の存在しないところには「情念」も存在せず、動物の感情は理性を欠いているがゆえに「情念」ではなく刹那的で本能的な衝迫に過ぎないと看做した。理性が何らかの病変を患う場合に、悪しき情念が出現する。理性が適切に機能している場合には、情念も穏やかな均衡を保ち、暴虐には走らない。こうした変更は何を意味するだろうか。
 プラトンの考え方は極めて極端な「理智」の偏重に基づいている。彼は感性的認識、つまり肉体的な感官を通じて獲得される類の認識の真理性を認めない。感覚は相対的で流動的であり、時には自分自身を欺くこともある。従って感覚は事物の本質を把握する能力を持たないと判定された。事物の本質とは、プラトンの用語に従えば「イデア」(idea)である。「イデア」は事物を構成する本質的=普遍的=恒常的な要素である。プラトンにとって「真理」とは「イデア」を意味し、哲学的探究の目的は「イデア」の把握以外に有り得ない。そして、この「イデア」の正しい認識へ到達する為には、感性的認識への依存を脱却し、専ら「理智」(logos)の権能に基づいて思索を深めねばならない。
 このような図式において「肉体」は忌まわしく排斥されるべき存在である。何故なら、それは普遍的=恒常的な「イデア」にとっては対蹠的な存在であり、偶有的で相対的な事物に他ならないからだ。感性的認識は、理智の適切な機能を阻害する要因であり、感覚への従属は欺瞞への没入と同義である。そして人間の情念は、こうした肉体的=感性的領域に生起する衝動であり、移ろい易く、恒常的な認識を持ち得ない。
 他方、ストア学派は、霊魂の構造に就いて、理智と情念との一体的な性質を強調している。無論、彼らもギリシア的な伝統に基づいて、理性の称揚と情念の排撃という二元論的な構図を明確に継承している。しかし、彼らはプラトンが夢想した「イデア/現実」の重層的な世界観を必ずしも受け容れていない。ストア学派の自然学は一般に唯物論的であると言われる。それは彼らが、プラトンのように超越的な「実有」を想定し、感性的認識の対象を「仮有」として賤視する考え方を採用しなかったという意味である。超越的な「実有」を想定しないのであれば、プラトンのように「理智」を絶対化する論理的必然性は生じない。普遍的で恒常的な「実在」を措定せず、万物を自然の流動的変容の過程と捉え、その法則性を「ロゴス」(logos)と看做す自然学的認識は、プラトンの奇怪な思弁的実在論とは明らかに異質である。
 ストア学派が「理性」と「情念」との一体的な構造を強調するのは、それらが何れも感性的に把握される「物質」の範疇に属すると看做された為である。プラトンの学説における「理性」は感性的現実を超越し、普遍的な「実有」としての「イデア」と同じ次元に属するものと定義されるが、ストア学派は、そうした重層性を認めていない。少なくとも「イデア=実有」を実体的存在として捉える考え方には同意していない。但し、理性の権能によって悪しき情念を抑制し、統御すべきであるという倫理学的な方向性自体は、ソクラテスプラトンの衣鉢を継いでいると言えるだろう。
 ピュタゴラスプラトン的な「主知主義」(intellectualism)は専ら、普遍的真理の把握だけに関心を集中し、地上的=感性的現象からは隔絶した立場を堅持する。地上的な森羅万象が悉く虚偽に過ぎないのであれば、それらに対処する方策を考案するのは無益な企てである。しかし「真理」の反映と帰結を物質的=感性的現実の裡に見出そうとする唯物論的=一元的な見地に立脚すれば、そのような主知主義的超越は意味を成さない。「真理」(logos)の手懸りは、現実的=感性的個物の動向の裡に求められるからである。それゆえ「理智」もまた現実的=感性的聯関の一部として把握され、「情念」との間に本質的径庭は存在しないこととなる。それゆえ「理智」の変調は直ちに「情念」の変調へ直結し、健全な「理智」は即座に健全な「情念」へ波及する。「理智」の異常な暴走が悪しき「情念」を析出するのであり、その意味では「理智」は、プラトン的な無謬性の特権を賦与されていないのである。「理智」は無辜であり得ず、それ自体が常軌を逸する危険性を常に孕んでいる。「理智」そのものが堕落の危険を孕んでいるという考え方は、プラトンの学説の裡には恐らく見出されない考想ではないかと思われる。

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国家〈下〉 (岩波文庫 青 601-8)

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