サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

shimomurayoshiko氏への応答(私信のようなもの)

 以前、私は「ブギーポップ」という小説に就いて、次のような記事を投稿した。

saladboze.hatenablog.com

 この記事は、私の運営する零細ブログにおいては珍しく、ツイッターを通じて拡散され、幾つかの批判的なコメントを頂戴する仕儀と相成った。

saladboze.hatenablog.com

 上記のエントリーは、寄せられたネガティブなブックマークコメントに対する反駁を目的として作成されたものである。この記事の中で、私は頗る厭味ったらしい下品な筆致で、miruna氏とshimomurayoshiko氏に対する反論を試みた訳だが、半年ほど前に、shimomurayoshiko氏からブックマークコメントを通じて、事実関係の訂正に関する通知が届いた。

エゴサで今更気づいた。それid:shimomurayosikoじゃなくてid:srpglove(@srpglove)氏をこんな意見もあるらしいと紹介しただけで当方の意見ではないよ。一応id:miruna(@miruna)さんにもidコールしときます

 率直に言って、このコメントを拝見した当時、私は既に当該の問題に就いての関心も情熱も失っていたし、今更こうやって事実関係の訂正を告げられたところで、それに対応するのは時間と労力の無駄だ、という徒労と憤懣を禁じ得なかった。それに、たとえ他者の発言の引用だとしても、それをわざわざブックマークコメントとして提示した以上は、当初の発言者が誰であろうと同罪ではないか、という考えが、私に誠実な対応を控えさせ、黙殺に踏み切らせた。

 ところが先日、思い出したように、再びshimomurayoshiko氏から、当該のツイートは自分の発言ではないという趣旨を含んだ長文のコメントが、私のブログに寄せられたので、これ以上の黙殺乃至放置は、曲がりなりにもインターネットという公共の領域に手前勝手な駄文を垂れ流している者の道義に悖ると考え、こうして同氏に対する応答の文章を認めることに踏み切った次第である。

 少し長くなるが、同氏から頂戴したコメントを引用した上で、私なりの見解を述べたいと思う。

 エゴサしていたらこの記事を久しぶりに見つけました。ブコメでも言っているのですが、通知が行っていなかったようなので米欄にて再度失礼。それ、「shimomurayoshiko」ではなく「srpglove」さんですよ。
https://twitter.com/srpglove/status/690725329803972609
https://twitter.com/srpglove/status/690734301076291584
https://twitter.com/srpglove/status/690730947466006528
 まあ実際当方精神年齢は「中学生」より下手するともっと下だし「マスターベーション」をしている、というのは否定できませんが、私(「shimomurayoshiko」)が、こういう意見もあるみたいですね、と「srpglove」さんのツイートを紹介しただけであって、私の意見ではないですよ。引用・紹介している時点で同意しているも同然ではないか、と言われそうですが全面同意ではない、と言っておきたいところです。

 例えば「こういう文章を書いている自分を“大人”だと思っているようなタイプには、確かに向かない作品」とありますが、そこです。そうだろうか、と。そういうタイプだからこそ却って素見しで読んでいるうちに……という“大人”も実際ゼロではないでしょうし。
 入り口としては対象が好きな人からすればそういった来られ方は歓迎出来ないかもしれないけれど、沼にとらわれてしまえばその人は口では様々な照れ隠しにどぎつい言い方もするかもしれませんが、要は同好です。現在の貴方にとっては魅力的ではなく、対象が子供騙しに見え、ある程度成熟した大人なら「幼稚な人間」と思われたくないであろうからそんなものに熱中しない、こんなものに熱中して「大人でありたい」と思っていない大人の精神年齢を疑う、とお思いかもしれませんが、まあいいじゃないですか、誰が何をどのように好きでも。

 貴方がペパーミントを別格だと思うこと、今ではアカウントを消したみたいですが、貴方が貴方を大人であるとし同時に大人でありたいと思うことと、ファンタジー小説を書いていたこと、つまり書きたいと思ったから書いていたのであろうと思うのですが、そのことに私は別に矛盾を感じませんから批判はしませんし出来ませんよ。というのが全面同意ではなく引用紹介にすぎないかなあ、という具合です。ブコメは100字が限界だからと億劫がった私が悪いのですが。ファンタジーやSFを書くのが好きなのであれば、人はその「好き」に従っていいと思います。と同時に、貴方はある対象を嗜好する大人を、いい歳して、と思うのかもしれませんが、読む観る聴く演るのあるジャンルを「好き」であることを、まあこれは私のこどもっぽい言い分に過ぎないんですが、私は他人のそれを「おっ、そう? 別にいくつになっても好きなら好きでいていいんでないの?」としていきたいなあ、と。まとまりもなく失礼しました。

 最初に私の記事に寄せられた批判的な見解が、shimomurayoshiko氏御本人の発言であるかどうかという点に就いては、私にとってはそれほど重要な問題ではないが、同氏にとって、その事実関係の誤認が看過し難いものであるならば、私としても訂正を明記することに吝かではないので、先ほど「顔が見えないとき、人は幾らでも『残酷』になれる」の末尾に、その旨を追記した。事実関係の誤謬に就いては、このような対応で御了承願いたいと思う。その上で、shimomurayoshiko氏の今回のコメントに就いて検討する時間を持つことにする。

 冒頭の記事における私の発言が、一定の人々の反感を喚起したのは恐らく、私が「ブギーポップ」という小説を「幼稚な読み物」であると定義し、大人の鑑賞には堪えない、という言い方で批判したこと、そして副次的には、そのようなことを偉そうに言いながら、一方では幼稚なファンタジー小説の創作に手を染めているという「矛盾」(私自身は別に「矛盾」であるとは考えていないが、第三者の眼には、そのように見え得ることは理解している積りだ)を抱えていること、これらの二点に原因を有しているのではないかと思う。

 現在の貴方にとっては魅力的ではなく、対象が子供騙しに見え、ある程度成熟した大人なら「幼稚な人間」と思われたくないであろうからそんなものに熱中しない、こんなものに熱中して「大人でありたい」と思っていない大人の精神年齢を疑う、とお思いかもしれませんが、まあいいじゃないですか、誰が何をどのように好きでも。

 shimomurayoshiko氏による上記の意見に就いては、私としても全面的に頷くしかない。他人の趣味や嗜好に対して、どちらかと言えば冷ややかで、揶揄するような見方を以て報いるのは、加齢と共に多少は磨滅してきたとはいえ、昔からの私の悪癖の一つである。妻にも時折、そうした姿勢を注意されることがあるので、その点に就いては反省せねばならない。

 好きなものに就いては、素直に好きであればいいと考える寛容の精神、それは時折私という人間から欠落する、貴重な美質であり、その意味で、同氏の指摘と提案には、謹んで耳を傾けたいと思う。

 ただ、人間は様々な事物に就いて、それを好きだと語る以外の方法で、つまり自分が好きではないものに就いて批判的な見解を開陳するような方法で、何かを語ることも出来る。ブギーポップという一連の小説作品に就いて、私がそれを「大人の鑑賞には堪え得ない」ものだと感じ、それを具体的な言葉で開示することは、私の権利である。こういう言い方をすると、結局は己の偏狭な精神を肯定し、開き直っているように見えるかも知れないが、私は己の偏狭な精神をそのまま肯定しようとは思わないし、どんな放言も暴言も個人の自由だと声高に訴える意図も持ち合わせていない。少なくとも、批判を浴びせられたからと言って、直ちに感情的な暴発へ踏み切るような短絡は、恥ずべき行為だと考える程度には、社会化されている積りである。

 shimomurayoshiko氏の仰る通り、誰が何を好んでいようが構わないではないか、それを殊更に論うのは不毛なことではないか、というのは確かな事実であり、真理であると言えるだろう。だが、そうだとしても、誰かを徹底的に叩きのめしたり、異常な悪意を向けたりするのでない限りは、自分の感じたことや考えたことを率直に表明するのは正当な行為である。ブギーポップに関する私の見解が、唯一無二の「正答」であるなどと強弁する積りはない。しかし、それを表明する権利は私の掌中にあり、尚且つ総ての個人的な見解は常に「絶対的な相対性」の拘束を免かれることはないのだから、過剰な自主規制を積極的に選択しようとは思わない。

 こうやって書いてみると、一体何が問題なのか、そもそも「問題」らしきものが当初から存在していたのかさえ、曖昧に霞んでしまうような気がする。尚且つ、こんな漠然とした応答を、shimomurayoshiko氏が期待しているとも思えないので、余計に徒労感が募ってしまう。とりあえず、これで擱筆する。また何か御意見があれば、いつでも応答する積りである。