サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

観念と抒情の茫漠たる萌芽 三島由紀夫「花ざかりの森」

 三島由紀夫の畢生の大作である「豊饒の海」全巻を読み終えたので、今は同じ作者の短篇集を渉猟することに時日を費やしている。目下、繙読しているのは『花ざかりの森・憂国』(新潮文庫)に収められた小品たちである。

 作者が十六歳の若さで書いた「花ざかりの森」は、彼の早熟な才能、その抒情的で華麗な文学的感性の萌芽を瑞々しく浮き彫りにしている。だが、この作品を一篇の巧緻な「小説」と呼称することに私は聊か躊躇の念を覚えずにいられない。後年の三島の壮大な作品の群れを想起すると、この若書きの短篇は如何にも未熟で、緊密な構造と明晰な文体を欠いているように感じられる。無論、十六歳の少年の綴った文学作品の出来栄えが未熟であることは少しも罪悪ではない。問題は、この作品を取り上げて「早熟の天才」という栄光に満ちた称号を過剰に輝かせ、巷間に轟かせようと試みる囂しい文学的野次馬たちの振舞いである。

 「花ざかりの森」には、例えば「仮面の告白」において達成されたような、緊密で充実した、僅かな弛緩も許さない明晰な文章の気配は少しも含まれていない。曖昧な観念、曖昧な情緒、曖昧な幻想が、古びた美文的な言葉の旋律によって緩やかに結び合わされているような作品である。その感傷は頗る主観的で、堅固な経験的現実の裏付けを伴わず、現実と夢想との境界線も曖昧に暈されている。

 主観と客観との境界線を茫洋と霞ませること、外界と内面との間に穿たれる悲劇的で痛切な断絶を済崩しに抹殺すること、それは少年期の未熟な抒情だけが実現し得る麻疹のような実存的感覚である。人間の社会的成長は、そうした曖昧な融和を突き崩すことによって初めて齎される。その意味では、この「花ざかりの森」という作品は、或る偉大な作家の文業の素朴な原型、或いは抒情的な習作の水準を超越するものではない。三島由紀夫という文学的な名声の助けを借りずに、純然たる讃辞をこの作品の為に捧げることは困難である。作者は未だ、芸術的なものが帯びている或る幻想的な光輝に酩酊している段階であり、現実との苛烈な衝突を通じて、自己の内在的な論理を厳しく鍛錬し、究めていくという社会的な過程に足を踏み入れていない。発達した感受性と夥しく蓄積された豊富な語彙だけでは、「小説」という一つの緊密な現実、眼前の現実から抽出され蒸留される「他者」としての異様で外在的な現実を完成させることは出来ない。彼は言葉を綺麗な花弁のように玩弄し、それを巧みに貼り合わせて、審美的で個人的な図像を描いてみせた。そこに見出されるのは「萌芽」のみであり、作者は未だ己の人生に対して課せられた不可避の本質的主題に目覚めていないように思われる。

花ざかりの森・憂国―自選短編集 (新潮文庫)

花ざかりの森・憂国―自選短編集 (新潮文庫)

 

祝祭的空間としての「百貨店」 / 日常的空間としての「コンビニ」

 十九世紀のフランスに発祥したと言われる「百貨店」(department store)という業態が斜陽の季節を迎えてから久しい。市場規模は既に対極的な業態である「コンビニ」(convenience store)に追い抜かれ、その凋落の趨勢が底を打つ気配さえ見えない。三越伊勢丹そごう・西武は近年相次いで不採算店舗の閉鎖に踏み切り、地方都市に点在する地場の老舗百貨店も廃業するところが目立つ。

 複数の分野の商材を広大なフロアに集めて一体的に販売するという百貨店のスタイルが、これほど構造的な不況に見舞われている背景には、様々な要因が想定されている。ジャンルを絞り込んだ、廉価で品揃えの豊かな各種専門店の大規模な発達(衣料品市場におけるその筆頭は「ユニクロ」であろう)、百貨店を凌駕する敷地面積を有するショッピングモールの抬頭(「イオン」や「プレミアムアウトレット」など)、そして年々勢いを増し続けている電子商取引(electronic commerce)の顕著な普及(「Amazon」や「楽天」など)が、百貨店の優位性を多方面から着実に浸蝕し、突き崩しつつある現状は否み難い。

 現在の勤め先で、百貨店の食品売り場に間借りする店舗への配属を幾度も経験してきた私でさえ、百貨店へ個人的な用事で足を運ぶことは滅多にない。洋服を買うならばアウトレットやショッピングモールに行く場合が殆どであるし、食事をするにしても百貨店のレストランフロアは異様に値段設定が強気で余り食指が動かない。高価な贈答品などを選ぶときは辛うじて足を運ぶが、母の日などの贈り物もネットで買う方が手軽で種類も豊富である。

 尤も、駅ビルやスーパーやコンビニなどに比べれば、百貨店の「イベント」における集客力は抜群である。クリスマス、歳末の大売り出し、正月の初売り、節分、バレンタイン、雛祭り、ゴールデンウィークや盆休み、ハロウィンなどの特別で非日常的なタイミングでは、百貨店の高級感は寧ろ狡猾な誘惑の源泉となる。「上質なものを買いたい」という欲望が高まり、厳格な経済的統制が緩んだとき、百貨店の撒き散らしてきた聊か幻想的な「別格」の印象は、人々の嗜好に見事に適合するのである。端的に言えば百貨店とは「祝祭」の空間であり、日常性の節目において最大限の輝きを放つ特異な空間である。

 顧みれば、百貨店の凋落とコンビニの隆盛は、こうした「祝祭」の感覚の減退と、日常性の有無を言わさぬ強力な浸透の不可避的な所産であったのだと言えるだろう。その淵源が「バブル景気の崩壊」にあったのかどうか、確実な判断は私の手に余る行為だが、少なくともそのような牽強付会を成り立たせることは決して不可能であるとは思われない。空前の好景気が呆気なく破綻し、所謂「失われた20年」の深刻な不況が日本社会を沈滞と閉塞へ追い遣り、果てしなく持続する右肩上がりの経済成長という大人たちの神話は潰滅した。我々は夢見がちな少年であることを断念し、国家そのものの迅速な「高齢化」の潮流に呑まれて、豪奢な未来よりも質素な未来を愛するように、眼前の社会的な現実によって馴致されつつある。我々はもう素朴な感情で「祝祭」を愛することが出来ない。あらゆる出来事が、高度な技術革新によって齎される異様な「加速度」に煽られて、我々は手間の掛かる儀式や手順を踏むことを忌み嫌うようになってしまった。「利便性」の浸透、これが我々の社会の祝祭的な要素を駆逐する最大の要因である。我々は特別な歓喜、演劇的な歓喜、祝祭的な歓喜を求めて裏切られることに憔悴し、自衛の手段として、単調な日常性の愛撫という方法を学んだ。無論、こうした波動には必ず揺り戻しがあり、日常に対する堪え難い倦怠(これこそ「三島由紀夫的主題」であると言えるだろう)が、時にはハロウィンにおける渋谷の愚昧な暴動(極めて劣化した祝祭の形態として)のような、奇矯な反動を喚起することは今後も起こり得る。だが、それが直ちに百貨店の復活を招くことは考え難い。ECという最強の宿敵が、既に我々の社会を包囲しつつあるからである。百貨店の祝祭的な性質の象徴とも言える各種の「催事」販売も、あらゆるジャンルの商材を横断的に取り揃える「市場」的な性質も、ECの仕組みを用いれば、遥かに合理的な方法で実現することが可能になるだろう。販売員による種々の商品提案も、ビッグデータを活用した人工知能による「レコメンド」(recommend)の無限に高まり続ける精度に何れ屈服する日を迎えるだろう。百貨店という業態は、幾重にも連なる巨大な苦難の隔壁に取り巻かれているのだ。

「サラダ坊主日記」新年の御挨拶(2019年)

 新年明けまして、おめでとうございます。サラダ坊主で御座います。本年も何卒宜しく御願い申し上げます。

 私は相も変わらぬ小売業渡世の身の上で、世間が足並み揃えて一斉に休む盆暮れ正月も遽しく身を粉にして働かねばならぬ立場であります。世の中は愈々明日から仕事が始まり(未だ休暇が続きますという羨ましい身分の方々もおられましょうが)、帰省や観光旅行に疲れ果てた躰を引き摺って憂鬱な気分で三が日の日没を眺めた方も、愚図愚図と過ごした寝正月を今更悔やんでも悔やみ切れぬ大変な過ちのように感じて蒼褪めておられる方も、否が応でも再び社会の歯車と化して荒波の大海原へ漕ぎ出す準備を整えておられる頃でしょう。私は三年続けて元旦から店を開けている強欲な百貨店の中の店舗に責任者として籍を置いており、歳末大晦日の熾烈な商戦を辛うじて生き延びても、一息吐く遑も授からぬまま、翌朝もまた朝焼けの片鱗すら窺われない月夜の時刻に起き出して、凍てつくような寒さのアスファルトを踏み締めて京成電車に揺られ、初売りの戦場へ飛び込んでいくという何とも疲弊する正月を迎えました。

 毎年、ブログの年頭の挨拶に仕事の愚痴ばかり垂れ流すのも聊か下品で興醒めな話であろうかとは思うのですが、何しろ正月を迎えて最初の休日に拙い稿を起こすとき、決まって私の痩せて貧弱な肉体には必ずクリスマス及び歳末の商戦の夥しい疲労の残滓が燻っているのですから、自ずとそこから筆先が躍り始めるのも詮方ない話であろうと御諒解を願いたく存じます。

 旧年中は、傍目にはそれほど騒々しく見えずとも、当事者の胸底においてはなかなか変動の劇しい日々を過ごし、彼是と凡庸な失態に思い悩むような生活を送って参りました。私生活では私が淫蕩というか軽率というか、如何にも卑俗な道徳的悪事を働いて波乱が起り、仕事の上では商売の環境が変わって非常に厳しい数値結果と毎日睨み合いながら対策を練り、何かと消耗の著しい一年でありました。学ぶことも多く、反省することも多く、貴重な経験が盛んに積み上がったとも言えます。

 一昨年の晩秋から始めた、集中的に三島由紀夫の小説を精読し、その感想文を認めるという計画は事前の想定よりも快調に進捗し、旧臘の末には辛うじて「天人五衰」を読破しまして、目下は短篇集の渉猟に着手しております。此処数箇月は「豊饒の海」に関する記事を延々と投稿し続けてきましたが、つい先日、それらの記事の裡の一つに「回りくどい文章^ ^ ナルシストか?三島気取り?」という中身の薄いネガティブコメントを掠れた墨痕のように記されて、年始早々腹を立てました。別に何を言われようと構わないと言えば構わないのですが、他人の記事なり言行なりを難じるのならば、もっと言葉を紡いで粘り強く批判して頂きたいと思います。単なる鼬の放屁のような言葉の礫を通りすがりに投げつけられたのでは、応酬も糞も成り立ちようがありません。恐らくは正月休みを持て余した呑気な暇人の所業であろうかと推察しておりますが、糖衣の如く繊弱なレッテルを繋ぎ合わせて、何か相手の急所を突いたような気分で溜飲を下げるという遣り口は、如何にも矮小で卑俗な手法であります。愚昧で短絡的な通り魔と同じではありませんか。自分の文章が回りくどいのは、誰よりも私自身が存じ上げておりますし、書きながら容易に言いたいことを掴み切れずに泥濘の深みへ腰までずぶずぶと嵌まり込んでいくような呼吸の苦しさが、愈々要約し難い混濁した文章を醸成するという悪循環の構造も十全に承知しております。三島気取り云々は、何を以て三島気取りと見做しているのか、論拠が明示されておりませんので反駁のしようもありませんが、一年余りも三島の作品ばかりに没頭し、その悪魔的な文章に耽溺する日々を送って、如何なる影響も蒙らないようでは、私の固まりかかった脳味噌は完璧な故障に苛まれているに相違ありません。ナルシスト云々は、人並みにナルシストでありますとお答えするより仕方がありません。ただ、それら個別の言辞の当否は兎も角措くとしても、仮に私が「三島気取りで回りくどい文章を書くナルシスト」だったとして、それがどうしたというのか、という点に就いて如何なる論述も表明もないことが気に喰わないのです。批判自体が頗る上っ面で、セロファンのように透明で、要するに虚しいのです。三島を気取ることの弊害、文章が回りくどいことの弊害、ナルシストであることの弊害に就いて、もっと明晰な説明を賜りたいものです。

 仕事の愚痴と他人への難詰で新年の御挨拶に代えるというのは、如何にも私の度し難い人格的欠陥を如実に証しているようで心苦しいですが、事実を虚飾で覆ったところで何の御利益も得られませんから、このまま公開致します。皆様、何卒本年も「サラダ坊主日記」を御贔屓に御願い申し上げます。

「明晰」の極限的形態 三島由紀夫「天人五衰」 3

 三島由紀夫の『天人五衰』(新潮文庫)を読了したので、改めて感想の断片を認めておきたいと思う。

 この「天人五衰」を以て掉尾を飾ることとなる厖大な「豊饒の海」の全篇は悉く、三島由紀夫という一人の異才の文豪が長年に亘って真摯な追究を重ねてきた、或る個人的な倫理学の精髄を露わに示すことに向かって入念に組み立てられている。その個人的な倫理学が「美的価値を総てに優越させること」によって構成されていることは、過去の記事において既に詳しく述べておいた。しかも三島にとって「美的価値」は常に感性的で経験的な領域に属する現象的形態として定義されており、従ってそれは必ず「肉体」の範疇に組み込まれている。「肉体」は「時間」の不可逆的な法則、極めて峻厳な「腐蝕」の摂理に縛められており、時間の経過と共に必ず衰亡の一途を辿る。そこから三島的な倫理学における必然的な要請、傍目には不可解な異常と映じるであろう一つの道徳的な要求が導出される。即ち「夭折」である。

 ……それにしても、或る種の人間は、生の絶頂で時を止めるという天賦に恵まれている。俺はこの目でそういう人間を見てきたのだから、信ずるほかはない。

 何という能力、何という詩、何という至福だろう。登りつめた山巓さんてんの白雪の輝きが目に触れたとたんに、そこで時を止めてしまうことができるとは! そのとき、山の微妙な心をそそり立てるような傾斜や、高山植物の分布が、すでに彼に予感を与えており、時間の分水嶺ははっきりと予覚されていた。

 もう少しゆけば、時間は上昇をやめて、休むひまもなく、とめどもない下降へ移ることがわかっている。下降の道で、多くの人は、ゆっくり収穫とりいれにかかれることをたのしみにしている。しかし収穫とりいれなんぞが何になる。向う側では、水も道もまっしぐらに落ちてゆくのだ。

 ああ、肉の永遠の美しさ! それこそは時間を止めることのできる人間の特権だ。今、時を止めようとする絶頂の寸前に、肉の美しさの絶頂があらわれる。(『天人五衰新潮文庫 pp.149-150)

 三島の信奉する審美的倫理学、或いは「唯美主義」の道徳は、いわば「剥製」の美学であると言い換えることが出来るだろう。美しさを時間的な衰亡の苛酷な宿命から救済する為に、物理的な死を媒介として「永遠」の領域へ移送すること、それが三島的な美学の理想的な形態なのである。彼は滅亡する人間の美しさに単純な酩酊を味わっているのではない。それならば三島の倫理学は必ずしも「夭折」の倫理的要請という奇態な格率を包含せずとも成立し得たであろう。彼にとって「滅亡」は「時間の廃絶」の為に要求される手続きなのであり、決して「時間に対する屈服」を意味するものではない。時間の峻厳な法則を免かれる為に、つまり「美」の剥製と化す為の不可避的な手段に過ぎないのである。

 こうした三島の審美的倫理学は必然的に「生の肯定」という尤もらしい健康的な道徳から乖離してしまう。感性的で経験的な「美」を唯一の倫理的な規矩として推戴する三島にとって、老醜を晒すことは忌まわしい悪徳である。換言すれば、生き延びようと試みる者は必然的に「老醜」の悪徳を積極的に引き受けなければならないのである。

 俺は時を止めることができずに、ただタクシーを止めつづけてきたのかもしれない。自分を又もや別の地点、そこでもまた時の流れ止まぬことのわかっている別の場所へ、断乎たる意志を以て、運ばせるため、そのためだけに。詩もなく、至福もなしに。

 ……詩もなく、至福もなしに! これがもっとも大切だ。生きることの秘訣はそこにしかないことを俺は知っている。

 時間を止めても輪廻が待っている。それをも俺はすでに知っている。(『天人五衰新潮文庫 p.150)

 「美的存在」を「芸術作品」に置き換えて考えるならば、累代の転生を詳さに眺めてきた本多繁邦は明らかに「芸術家」の位置へ自らの実存を繋留していると言える。三島的な倫理学の簡潔で隠喩的な要約である「柘榴の国」の論理に従えば、本多は「記憶する者」としての自己規定を担って生涯を歩んで来たのである。「記憶する者」は決して「美的存在」そのものに自己の存在を擬することは出来ない。「記憶する者」が自らを「美的存在」として僭称するとき、彼に科せられる懲罰は「宿命の剥奪」と忌まわしき老醜に塗れた長生の日々である。

 だが、三島自身は、そうした審美的倫理学を肚の底から信頼していたと言えるだろうか? 例えば安永透に対する久松慶子の手厳しい糾弾は、三島の個人的な信念に対する残酷で明快な批判として機能している。

 この世には幸福の特権がないように、不幸の特権もないの。悲劇もなければ、天才もいません。あなたの確信と夢の根拠は全部不合理なんです。もしこの世に生れつき別格で、特別に美しかったり、特別にわるだったり、そういうことがあれば、自然が見のがしにしておきません。そんな存在は根絶やしにして、人間にとっての手きびしい教訓にし、誰一人人間は『選ばれて』なんかこの世に生れて来はしない、ということを人間の頭に叩き込んでくれる筈ですわ。(『天人五衰新潮文庫 p.292)

 慶子の弾劾は、並外れた美しさを持つ人間を「選良」として聖化し、美しさの絶巓において殺めることで「永遠」の位相へ移管しようと企てる三島的な倫理の根幹に対する致命的な反駁である。「選良」を否定する限り、三島が「柘榴の国」に関する記述を通じて明示した唯美的な論理は不可避的に破綻を来す。

 あなたはなるほど世界を見通しているつもりでいた。そういう子供を誘い出しに来るのは、死にかけた『見通し屋』だけなんですよ。己惚れた認識屋を引張り出しに来るのは、もっとすれっからしの同業者だけなんです。ほかの者が決してあなたの戸を叩きに来ることなどありません。ですからあなたは一生戸を叩かれないですぎることもできたし、もしそうであっても、つまりは同じことだった。あなたには運命なんかなかったのですから。美しい死なんかある筈もなかったのですから。あなたが清顕さんや、勲さんや、ジン・ジャンのようになれる筈はありません。あなたがなれるのは陰気な相続人にだけ。……今日来ていただいたのは、あなたにそのことを、骨の髄まで身に沁みてわかっていただくためだったの」(『天人五衰新潮文庫 pp.300-301)

 慶子の残酷な糾弾に対して安永透が覚える劇しい瞋恚の感情は、三島の内部に蟠っていた「絶望」の代理的な表現なのだろうか。こうした鮮明な自己批判を行ないながら、猶も自決の途を選び取った三島の荒廃した胸中を想像すると、私は戦慄を禁じ得ない。それは殆ど安永透の服毒による自殺未遂と等価であるように思われる。

豊饒の海 第四巻 天人五衰 (てんにんごすい) (新潮文庫)

豊饒の海 第四巻 天人五衰 (てんにんごすい) (新潮文庫)

 

「明晰」の極限的形態 三島由紀夫「天人五衰」 2

 引き続き、三島由紀夫の『天人五衰』(新潮文庫)に就いて書く。

 三島由紀夫にとって「美しさ」という或る感性的な基準は、個人の実存の総体を統括する重要な規矩であり、至高の基準である。「美しさ」は、その他のあらゆる社会的な価値を超越する重要性を認められており、しかもその「美しさ」は飽く迄も肉体的で感性的な形態を備えた「美しさ」に限定されている。曖昧な美学、視覚的に捉えることの出来ない美しさに対する称揚は恐らく、三島にとって欺瞞的な代物に過ぎない。

 感性的で経験的な「美しさ」は、必ず時間と共に刻々と失われていくという悲観的な運命論もまた、三島の審美的倫理学を構成する重要な基礎的認識の一つである。その段階的で漸進的な毀損と衰亡は、「美」の感性的な形態に対して賦与された不可避的な宿命であるから、年老いても猶、若き日の清冽な美しさを保っているなどという凡庸な阿諛追従の言葉は唾棄すべき虚言として斥けられる。「美」は必ず時間の酸化作用に抗えずに段々と損なわれ蝕まれていき、人間の実存はあらゆる社会的栄達や経済的成功に取り巻かれながらも、時間と共に着実に宿命的な腐敗を深めていく。そうした腐敗を防止する為の唯一の手段は「夭折」であり、美しさの絶巓において自らの生命を投げ捨てることこそ、三島の審美的倫理学における最高の道徳的決断なのである。

『いや、俺には、時を止めるのに、「この時を措いては」というほどの時はなかった。宿命らしきものがもし俺にも多少あるとすれば、「時を止めることができなかった」ということこそ、俺の宿命だったのだ。

 自分には青春の絶頂というべきものがなかったから、止めるべき時がなかった。絶頂で止めるべきだった。しかし絶頂が見分けられなかった。ふしぎにも、そのことに悔いがない。

 いや、たとえ青春を少しばかり行き過ぎてからでもよい。もし絶頂が来たら、そこで止めるべきだ。だが、絶頂を見究める目が認識の目だというなら、俺には少し異論がある。俺ほど認識の目を休みなく働らかせ、俺ほど意識の寸刻の眠りをも妨げて生きてきた男は、他にいる筈もないからだ。絶頂を見究める目は認識の目だけでは足りない。それには宿命の援けが要る。しかし俺には、能うかぎり稀薄な宿命しか与えられていなかったことを、俺自身よく知っている。

 それを俺の強靭な意志が宿命を阻んで来たからだ、と言うのは易しい。本当にそうだったろうか。意志とは、宿命ののこかすではないだろうか。自由意志と決定論のあいだには、印度のカーストのような、生れついた貴賤の別があるのではなかろうか。もちろん賤しいのは意志のほうだ。(『天人五衰新潮文庫 pp.148-149)

 これはいわば「生き残ってしまった者」の漏らす痛切な感慨である。この感慨に敢えて日本の歴史的な背景を賦与するとすれば、それは明らかに太平洋戦争の記憶であると言えるだろう。戦時下の日本で青春の末期を過ごした平岡公威という一人の少年の個人的な記憶が、老境に達した本多繁邦の述懐の背景に隠見しているのである。彼は「夭折」の宿命に恵まれず、宿命から見限られた「意志的な人間」として生きざるを得なかった自己の半生に対して苦渋に満ちた感慨を懐いている。宿命、或いは歴史的な「恩寵」と呼び換えてもいい。そうしたものに抱擁されて劇的な生涯を歩む人間の特権的な「美しさ」に憧れながら、決して悲劇的な宿命に襲われることのない自己の凡庸な実存に、彼は堪え難い不満を禁じ得ないのである。

 悲劇的な宿命に囚われる見込みのない彼が、猶も感性的な「美」への憧憬を保持し続けるならば、自ずと彼は外在的な「美」に関する熟練した専門家としての生活を選択せざるを得ない。端的に言ってそれは「芸術家」という社会的形態に挺身することである。「美」の感性的な形態を体現する「選ばれた人間」或いは「記憶される者」たちの存在を観賞し、讃嘆し、記憶する側の位置へ、自らの存在を搬入することである。恩寵としての悲劇的宿命から見限られても、一向に「美」を愛する精神を棄却し得ない人間が、芸術という営為を通じて「美」を見守ることに専心しようと試みるのは自然な成行であろう。本多繁邦という人物の造型には、華々しい「戦没」の命運を掴み取れなかった三島自身の苦り切った「戦後」の生活の風景が濃密に刻み込まれているように私は感じる。彼の芸術家としての倫理的な刻苦勉励は、自らの「夭折」の不可能性という決して悦ばしいものではない現実に対する認識から生まれている。尤も、晩年の三島の奇矯な言行の数々(その血腥くスキャンダラスな末期も含めて)を徴すれば、結局のところ、彼が「美の絶頂において死ぬ」という倫理的な要請を免かれ得なかったことは明瞭である。換言すれば、彼は自分自身の実存を一個の芸術的な作品として完成させ、美的存在を記憶する側から、美的存在として記憶される側へ移行しようと企てる欲望を、遂に廃絶することが出来なかったのである。

豊饒の海 第四巻 天人五衰 (てんにんごすい) (新潮文庫)

豊饒の海 第四巻 天人五衰 (てんにんごすい) (新潮文庫)

 

「明晰」の極限的形態 三島由紀夫「天人五衰」 1

 目下、三島由紀夫の『天人五衰』(新潮文庫)を繙読中である。

 「春の雪」及び「奔馬」においては、情熱と行為との密接に絡み合った実存の形態に主要な焦点が宛がわれていた「豊饒の海」であるが、第三巻の「暁の寺」以降は徐々に主題が「認識=理智」の領域へ移行しつつある印象を受ける。無論、情熱的な「夭折」の反復的な形態ばかりを描き出すのに四巻もの重厚な冊数を充てる必要はないし、それだけでは物語の構造は頗る単調な代物に成り下がってしまうだろう。だが、この大部な小説の本来的な枢軸が「記憶される者」としての清顕や勲ではなく、飽く迄も「記憶する者」としての本多繁邦の許に据えられていると考えるならば、こうした主題の重心の変容は少しも奇態な現象ではないと言える。

 「春の雪」から「天人五衰」へ向かって着実に段階を経て深まっていく本多の「認識=理智」の精度は、認識的なものの発達と洗煉であると同時に、具体的な行為へ人間を駆り立てる感情的な活力の衰弱の過程でもある。そして「天人五衰」に至って新たに登場する、一連の輪廻転生の系譜に列なる存在であると思しき安永透という少年は、劇しい情熱の波濤に巻き込まれるようにして滅んでいった歴代の主役と違って、異常に研ぎ澄まされた「認識」の権能を有する異色の主人公である。歴代の主役が「見者」である本多と対蹠的なメンタリティの持ち主であったのとは異なり、安永透は本多の「同類」とも言える「見者」の豊饒な資質を備えている。

 無論「見者」であることが、単なる「行為」からの消極的逃避を意味する訳ではないことに、我々読者は留意しなければならない。「見者」として内在的な理智の力を存分に、狡猾に発揮していくことは、決して退嬰的な受動性の裡に自らの存在を幽閉する類の実存的形態を招来するものではなく、寧ろ本多が勝ち得たような社会的成功を齎す、赫奕たる可能性を大いに秘めている。却って果敢な情熱的行動家の系譜にこそ、深刻な社会的敗残の危険が充ちていることは、清顕や勲の駈け抜けるような生涯を徴すれば一目瞭然であろう。積極的で情熱的な行動家と、消極的で受動的な「見者」という二元論的な図式の適用を試みることは、この「豊饒の海」という作品の本質的な性格を誤解する原因となり得ることに注意を払わねばならない。

 果敢な勇者が社会的栄達を果たし、それを指を銜えて傍観している憐れな市井の心理学者が他方に存在する、という表層的で通俗的な図式(我々の玩弄する一般的な通念としての「外向=内向」の図式)は、この作品を成立させている「情熱=理智」の二元論的原理とは乖離している。見者たちの苦悩と煩悶は決して彼らが社会的な栄達から見放されているという理由に基づくのではない。寧ろ彼らは悲劇の英雄たちよりも遥かに手際良く巧妙な仕方で既存の社会的原理に適合し、古びた共同体の齎す潤沢な恩恵に充分に与っている。却って見者の苦悩は、悲劇の英雄たちのように「夭折」の宿命に呪縛されていないという幸福な事実に起因しているのである。見者たちの栄達と安逸は、決して悲劇的な記憶の原料には採用されない。彼らの長生と享楽は彼らの凡庸な社会性の確たる証拠に過ぎず、神秘的な特権化に値する要素は一つも発見されない。その原因が彼ら見者たちの持ち前である優れた「明晰」の特質に発源していることは恐らく確実である。彼らの並外れた「明晰」の資質、作中の人物で言えば本多繁邦と安永透の二人に象徴される「明晰」の資質が、彼ら自身から「夭折」という劇的で記念碑的な宿命の形態を剥奪し、所謂「記憶される者」として生存する権利を無慈悲に没収してしまうのである。

 換言すれば「明晰」という資質に恵まれた人間は、否が応でも「夭折」という破滅的な実存の形態から遠ざけられてしまうということになる。「明晰」という資質は人間をあらゆる愚昧な情熱、無謀な蛮行、軽率な暴挙から引き剥がし、賢明で安全な状況へ半ば宿命的に導いてしまう。一般的な通念に依拠するならば、そうした「明晰」の資質は紛れもない恩寵であり、幸福の基層を成すものである。だが、三島的な論理は、つまりその過度に審美的な倫理は、美しい者は美しさの絶巓において死ぬべきであるという絶対的な命題を孕んでおり、その観点から眺めるならば、長生の宿命を涵養する「明晰」の資質は寧ろ唾棄すべき悪徳の範疇に属するものと看做されてしまうのである。

 老いてついに自意識は、時の意識に帰着したのだった。本多の耳は骨を蝕む白蟻の歯音を聞き分けるようになった。一分一分、一秒一秒、二度とかえらぬ時を、人々は何という稀薄な生の意識ですりぬけるのだろう。老いてはじめてその一滴々々には濃度があり、酩酊さえ具わっていることを学ぶのだ。稀覯きこうの葡萄酒の濃密な一滴々々のような、美しい時の滴たり。……そうして血が失われるように時が失われてゆく。あらゆる老人は、からからに枯渇して死ぬ。ゆたかな血が、ゆたかな酩酊を、本人には全く無意識のうちに、湧き立たせていたすばらしい時期に、時を止めることを怠ったその報いに。

 そうだ。老人は時が酩酊を含むことを学ぶ。学んだときはすでに、酩酊に足るほどの酒は失われている。なぜ時を止めようとしなかったのか?(『天人五衰新潮文庫 p.147)

 「時間の廃絶」は、三島的な倫理学における最も重要な教義である。清顕や勲が身を以て示した壮烈な「夭折」の末期は、崇高な「美的存在」を無際限に堆積していく「時間」の、砂を嚙むような単調な反復的持続から庇護する方策の鮮明な実例である。三島にとって「老醜」は最大の悪徳であり、一つの禍々しい罪過であり、しかもそれは「明晰」という理智的な特質にその淵源を有しているのだ。

豊饒の海 第四巻 天人五衰 (てんにんごすい) (新潮文庫)

豊饒の海 第四巻 天人五衰 (てんにんごすい) (新潮文庫)

 

美と芸術の蠱毒 三島由紀夫「暁の寺」 8

 三島由紀夫の『暁の寺』(新潮文庫)を読了したので、余り整理の行き届いた内容にならない自信があるものの、一応は節目として総括的な感想を綴っておきたいと思う。

 「暁の寺」に限らず、この長大な「豊饒の海」という物語の中心には二条の対蹠的な光芒が底流しており、それを端的に表現すれば「情熱=行為」と「理性=認識」という対句に集約されると思う。人間の懐き得る情熱の類型は様々であるが、そもそも「情熱」とは如何なる心理的現象を指し示す概念だろうか。一般的に言って、情熱に駆り立てられた人間は眼前の具体的な事実の堅牢な構造を軽視する傾向にある。不可能であると判定される事柄に就いても人間は旺盛な情熱を炎上させることがあり、寧ろ達成の容易な行動に就いて、周囲の者が驚嘆するような情熱の高揚を示すことは困難である場合が多い。換言すれば、人間の情熱が高揚する為には往々にして艱難辛苦の降臨が必要であり、一見不可能であると看做される事柄に対して異様な執着を示すとき、その人間は情熱的であると評価され、定義される。

 だが、客観的に眺めれば不可能であると思われるような事態に就いて、それが不可能であるという認識を了承せず、一縷の可能性の光明に縋って情熱を燃やし続けるという態度は、理性の側から眺めるならば愚行であり蛮勇であるということになる。情熱の高揚には良くも悪くも現実の構造に対する侮蔑が関与しており、現実の冷厳なる構造と秩序を隅々まで知悉した上で猶も情熱の温度を保ち続けることは決して容易な業ではない。そうであるならば、情熱とは理性の相対的な不足という条件を前提として成立する心理的現象ではなかろうか。あらゆる現実に徹底して犀利で澄明な理智の眼差しを注ぎながら、同時に燃え上がるような情熱の焔を輝かせるということは、原理的に矛盾する振舞いであるように感じられる。

 自分自身の貧しい経験を顧みても、情熱に駆られているときの人間は明らかに「認識」の異常な狭窄に苛まれている。冷静な心境であれば聊かも誤認の起こり得ない簡明な事実さえも見落とし、物事を自分の希望や期待に応じて強引に曲解し、総ての事態を肯定的な方向に解釈し、不都合で忌まわしい情報は意図的に黙殺する。情熱は、人間の沈着な理性を麻痺させ、その健全な活動を阻害する。こうした事実は、極めて素朴な経験から導き出される凡庸な認識である。

 理性を蹴散らして独善的な認識や解釈に縋りながら暴走する情熱、それは時に我が身の破滅さえ辞さない奇怪な蛮行へ踏み切ることがある。つまり、情熱は何らかの目的を達成する為の積極的な感情であるとは言い切れないのだ。それは手段と目的を混同した情念の形態であり、厳密には実体的な目標を必要としない感情の形式である。傍目には非常に下らない事柄に就いて異様な情熱を示す人間の姿を、我々は周囲や自分自身の内側に発見することがある。良くも悪くも情熱には不合理な性質があり、理窟に合わない不可解な行為に人間を駆り立てるものこそ情熱である。それは或る特定の状況に対する定言的で絶対的な執着であると言い換えられるかも知れない。その状況が、情熱を燃やす当人の利益に資する働きを示すとは限らない。人間は自己の実存や生命を危殆へ導くような事柄に関しても劇しい情熱を炎上させる力を持っている。つまり、情熱とは依存であり、或る特定の状況や事物と密接に結び付いた自動的な執着の現象なのである。

 或る特定の状況に対する常軌を逸した執着、要約すれば「依存」は、情熱という不合理な感情の形態を生み出す基盤となるものである。そして「依存」という感情は、冷静で普遍的な理性の観点から眺めるならば、愚昧な妄想に類する認識の上に成り立つ心理的状況であると判定され得る。それは認識の明らかな偏倚に基づく心理的現象であり、その偏倚が純然たる合理的な動機によって形成されていると看做すことは一般に困難である。公正で中立的な認識の下に感情的な偏倚としての執着や依存が形成されるとは考え難い。何よりも情熱は一見すると不合理な事柄に就いて過剰な活力を示すのが一般的な傾向である。換言すれば、情熱は我々の実存を取り巻く現実の構造との間に連絡を欠いている。現実の客観的な構造とは無関係に生起する認識の運動を通じて情熱は形成され、過度に煽動される。従ってそれは個人の破滅や衰亡との間に統計的な相関性を持ち易い。情熱は現実との合理的な聯関を欠いている為に、個人の実存を破滅的な方向へ導き易い。情熱が充分に豊饒な現実的成果を上げる為には、絶対に冷静で合理的な理智の扶助が不可欠である。けれども、理性は情熱の特質である不合理な偏倚と対立し、相剋する機能であるから、情熱そのものの必然的な運動を追究する限り、理智の扶助を期待することは論理的な矛盾を招く。

 情熱的であることは身の破滅を引き寄せ易いという経験的な事実を多くの人々が共有しているにも拘らず、情熱の過度な亢進の涯に破滅の深淵へ堕ちていく人間の姿は、奇態な魅惑の効果を発揮して已まない。自らの情熱に殉じて破滅した人間の墓標には、合理的な計算を積み重ねて賢明な長生を全うしようと試みる人間の姿からは抽出することの困難な、特異な光輝が纏わっている。その特異な光輝の源泉は、理智の齎す沈静な光輝を蹂躙する情熱の野蛮な性質であろうと思われる。合理的な意志に基づいて自己の人生を計画し統御しようと試みる極めて賢明で建設的な態度に対する不可解な抵抗と叛逆、それが情熱的な人格の有する特異な光輝の礎なのである。

 自らの内なる不合理な情熱を抑制することに失敗し、或いは抑制することを望まずに寧ろ狂奔させることで破滅の道に没していった人々の姿を、三島由紀夫の「豊饒の海」は輪廻転生という宗教的な思想の秩序を借用しながら繰り返し描き出す。彼らは「夭折」という実存的形態を反復することで「輪廻転生」の構造を無意識に成立させている。この「夭折」という実存的形態に附随する特別な光輝に、三島が深甚な愛着を寄せていたことは恐らく確実であろうと思われる。「夭折」という観念には常に「宿命」という観念の陰翳が覆い被さっている。それは若くして生涯を卒える人々の姿が「強いられた断絶」とでも称すべき性質を孕んでいるように見えるからだ。特に不合理な情熱に駆られて暴走し、合理的な計算や賢明な理智の類を自ら放擲して、傍目には悲劇とも喜劇とも映じ得る奇怪な顛末の涯に夭折を遂げた清顕や勲の姿は、それが普遍的で客観的な理性的意志の扶助に抗ったように見える為に、如何にも「宿命」に殉じたという印象を世人に与え易いのである。依存や執着が自意識の次元では如何とも抵抗し難い圧倒的な権威を背負って、当事者の実存を蹂躙し制圧することは経験的に知られた事実である。つまり、情熱の焔に煽られるように破滅的な行路を経て「夭折」という結論に辿り着いた人間の姿には「強いられた」という意味での「宿命的」という形容が相応しいのである。

 一方、合理的な計算の蓄積を通じて購われた本多繁邦的な長寿と、その涯に想定される平凡な「死」の形態は、如何にも「宿命的」という修辞から遠く隔たった地点に存在するように思われる。生物学的な「時間」の割当を隅々まで消費した上で、或る日不意に霹靂のように訪れる老衰の涯の「死」のイメージは、清顕や勲の遺影に与えられる「夭折」の輝かしい光彩とは毫も重なり合わない。無論、如何なる経緯を踏まえようとも「死」という一つの生物学的な断絶には必ず「強いられた宿命」という性質が織り込まれている。自ら選択しようと老病の涯に授かろうとも「死」が一つの不可避的な「宿命」であるという事実は聊かも変動しない。そうであるならば「死」を「宿命の有無」という奇態な観点から半ば強引に区別しようと試みる議論は、表層的な児戯に類するものであるということになる。しかし、少なくとも三島にとって、清顕や勲の「夭折」と本多の想定される老衰の涯の「死」とは、同一的な価値で結ばれた現象ではなかったに違いない。

 極論を言えば、三島由紀夫という作家にとって最も重要な価値観の指標は「美しさ」の一語に尽きていたと思われる。一般に芸術的な唯美主義は生活における頽廃や社会的道徳の軽視を含むと考えられているが、三島の唯美主義は必ずしも道徳的な頽落を意味しない。彼は生きることの愉悦や歓喜を貪欲に堪能しようと企てる単純で自堕落なエピキュリアンではなかった。或いは、浮薄な享楽だけで満足し得るほど稀薄な欲望の持ち主ではなかった。老年に至っても奢侈に耽溺しようと試みる醜悪な現実主義者でもなかった。彼の審美的な価値観は享楽的な性質と必ずしも厳密には結び付かないのである。彼が最も重んじたのは「美」を永遠に保存することであった。美しいものは時間の堆積と共に必ず損なわれるという彼の宿命的なオブセッションは、必然的に「時間の廃絶」という不可能な夢想の実現を要求した。

 だが、美しいものは何故必ず時間の経過と共に毀損され、衰亡していくのだろうか? それは彼が美しさというものを専ら肉体的な美しさ、生物学的な美しさとして捉えていたことと無関係ではない。「禁色」には「精神美」というものに対する侮蔑的な表現が刻まれている。精神的なものの発達(主には「知性」であろう)は肉体的な衰弱と同期しているという認識が、そこには反響している。同時に彼は「眼に見えない美しさ」というものを信用していなかっただろう。そもそも「美」という観念が感性的な機能の領域に属するものである以上、肉体のような物理的な形態に関連しない「美」は、単なる比喩的な観念に過ぎない。感性的な形態を持たぬ「美」とは、論理的に矛盾した妄念なのである。従ってそれは物理的な「衰亡」の法則の威力に制圧されざるを得ない。感性的な形態を有する総ての存在は必ず「時間」の支配を受け、その強制的な「変容」の魔力に屈服することを原理的に命じられている。言い換えれば、感性的な形態の美しさとは、必ず衰亡することを定められた稀有の現象なのである。

 三島にとって「美しさ」とは倫理的な規範そのものであり、美しくない人生は倫理的な堕落を意味している。そして「美しさ」が常に時間の法則に縛られて着実に摩耗していく価値の形態であるならば、必然的に「夭折」は正義であり、若くして死ぬことは倫理的な要請の所産であるということになる。生き永らえて老醜を晒すことは恥ずべき罪悪であり、肉体的な美しさを保った状態で死ぬことは崇高な営為である。尤も、こうした論理には必ず暗黙裡に「記憶」を共有する人々の介在が想定されている。「夭折」が倫理的=審美的な正義である為には、夭折した人間の美しい姿を記憶する存在が不可欠であるからだ。「暁の寺」に登場する「柘榴の国」の挿話は、こうした消息を象徴的に明示している。

 「豊饒の海」の全篇を通じて登場する本多繁邦の存在もまた、こうした「美しい死」の論理からの要請に基づいて構成されていると看做して差し支えない。「柘榴の国」の挿話を徴すれば明瞭であるように、肉体的な美しさを携えた「記憶される者」の「夭折」が審美的価値の光輝を帯びる為には、その美しさの記憶を共有し継承する人々の存在が不可欠である。そして、その「記憶する者」たちは論理的に考えて「夭折」を免かれていなければならないから(「記憶する者」が夭折してしまえば「記憶」は失われてしまう)、彼らは三島的な審美的倫理の基準を満たさない不適格な存在であるということになる。その意味では、三島的な審美的倫理は極めて峻厳な排除と差別の構造を内包している。換言すれば、三島的な倫理の性質や構造を究明する為には、「記憶される者」としての清顕や勲の実存的形態を解剖するのみならず、併せて「記憶する者」としての本多繁邦の実存的形態を分析する必要が不可避的に生じるのである。

 本多繁邦という人物は自己の「情熱」を信用していない。彼は自分自身の情熱を信用せず、寧ろそれに積極的に理性的な統御の軛を強いることによって、傍観者としての役割を洗煉してきたような人物である。

 もとより忙しい本多がタイへの旅を引受けたのは、仕事のためだけではなかった。シャムの二人の王子を清顕を通じて知り、月光姫ジン・ジャンに対するあの恋の悲しい結末や、喪われたエメラルドの指環について、感じやすい年齢に詳さに傍観し、むしろ傍観の絆に縛られている自分の発見のきつさによって、いよいよそのおぼろげな記憶の絵が、堅固で頑なな額縁の中に保たれることになったのだ。自分はいつか一度シャムを訪れねばならないと、心に決めてから久しい時が経った。

 しかし一方、四十七歳の本多の心は、ほんの些細な感動をも警戒して、そこにすぐさま欺瞞や誇張を嗅ぎつける習性にしらずしらず染っていた。あれが自分の最後の情熱だった、と本多は思い返した。すなわち清顕の生れ変りと知った勲を救うために、職を抛ったときのあの情熱。……そして彼は「他人の救済」という観念の、あますところのない失敗を体験したのである。

 他人の救済ということを信じなくなってから、彼は却って弁護士として有能になった。情熱を持たなくなってから、他人の救済に次々と成功を納めた。民事であれ、刑事であれ、富裕な依頼人でなければ引受けなくなった。本多の家は父の代よりも栄えた。(『暁の寺新潮文庫 pp.20-21)

 煮え滾り暴走する「情熱」の焔を否定し、情熱によって駆り立てられることを自らに禁ずること、これが本多の生涯を支えてきた根源的な「見者」の倫理である。あらゆる情熱が内包している「認識の偏倚」を忌避し、それを成る可く平らかな状態に是正して、現実の客観的な構造だけに限って隈なく犀利な視線を行き届かせること、それが「見者」の目指すべき実存の形態であり、そうした気構えこそが法曹としての本多の社会的栄誉を形作る素地として働いたのである。

 「見者」はあらゆる危難を事前に察知し、それを超克する為の合理的な方策を案出し、自らの情熱に殉じて破滅への道程を転落していくような愚行には断乎たる拒絶の姿勢を示す。「見る」という行為は必ず認識する主体と認識される客体との分離を自らの成立の条件として要求するから、見者は必然的に自己を取り巻く外界の事物との間に「距離」を形成することを倫理的な格率として実践する。本多の生涯における、こうした見者としての倫理の涵養は性来の気質によって促されたものであると同時に、法曹としての社会的自己を鍛錬してきた意図的な選択の所産であるとも言える。

 繁邦は思っていた。人間の情熱は、一旦その法則に従って動きだしたら、誰もそれを止めることはできない、と。それは人間の理性と良心を自明の前提としている近代法では、決して受け入れられぬ理論だった。

 一方、繁邦はこうも思っていた。はじめ自分に無縁なものと考えて傍聴しはじめた裁判が、今はたしかに無縁なものではなくなった代りに、増田とみが目の前で吹き上げた赤い熔岩のような情念とは、ついに触れ合わない自分を、発見するよすがにもなった、と。

 雨のまま明るくなった空は、雲が一部分だけ切れて、なおふりつづく雨を、つかのまの狐雨に変えていた。窓硝子の雨滴を一せいにかがやかす光りが、幻のようにさした。

 本多は自分の理性がいつもそのような光りであることを望んだが、熱い闇にいつも惹かれがちな心性をも、捨てることはできなかった。しかしその熱い闇はただ魅惑だった。他の何ものでもない、魅惑だった。清顕も魅惑だった。そしてこの生を奥底のほうからゆるがす魅惑は、実は必ず、生ではなく、運命につながっていた。

 本多は清顕への忠告を、今しばらく差控えて眺めていようと思った。(『春の雪』新潮文庫 pp.256-257)

 「情熱」は「理性と良心」という近代の理念に抵抗し、それを毀損する奇怪な衝迫である。換言すれば「情熱」とは「認識」の否定を自らの裡に含んでいるのである。そして「認識」という機能の権化であるとも言える「見者」としての本多は、そのような「認識」の否定を含んだ「情熱」の化身である清顕や勲の生涯に強烈な魅惑を覚えている。

 ランプの黄いろい霧のような光輪の中に、二人の若者の心に抱かれた二つの対蹠的な世界の影が、鋭くその尖端をあらわしていた。一人は恋に病み、一人は堅固な現実のために学んでいた。清顕は夢うつつに、混沌とした恋の海を海藻に足をからめ取られながら泳いでおり、本多は地上に確乎と建てられた整然たる理智の建造物を夢みていた。熱に病む若い頭と、冷めた若い頭とが、この早春の寒夜の古びた宿の一間に寄り添うていた。そしておのおのが、自分の世界の終局的な時間の到来に縛られていた。

 本多がこれほど清顕の脳裡にあるものを、決して自分のものにすることができないと、痛切に感じたことはなかった。清顕の体は目前に横たわっているが、その魂は疾駆していた。ときどき夢うつつに聡子の名を呼ぶらしい紅潮した顔は、少しも憔悴したように見えず、むしろふだんよりも活々いきいきとして、象牙の内側に火を置いたように美しかった。しかしその内部へ、指一本触れることはできないのを本多は知っていた。どうしても自分がそれに化身できない情念というものがある。いや、自分はどんな情念にも化身することはできないのではないか。内部へそういうものの浸透を許す資質が、自分には欠けている。友情にも富み、涙をも知っているつもりであるが、本当に「感じる」ためには何かが欠けている。どうして自分は、整然とした秩序を外にも内にも保つことに専念し、清顕のように、火や風や水や土、あの不定形な四大しだいを体内に宿すことがないのだろうか。(『春の雪』新潮文庫 p.454)

 見者にとって「理智」の澄明な光輝の権能を持することは崇高な矜持であると共に、呪わしく逃れ難い宿命的な呪縛でもある。「認識」は常に冷厳なる秩序を構築し、総てを普遍的な法則に基づいて宰領することに最大の美徳を見出す。しかし、その「認識」の理念が同時に清顕や勲の体現する不透明で危険な「情熱」の叛乱に魅惑されるというのは、如何にも解決の困難な矛盾である。

 本多が恋をするとは、つらつらわが身をかえりみても、異例なばかりでなく、滑稽なことだった。恋とはどういう人間がするべきものかということを、松枝清顕のかたわらにいて、本多はよく知ったのだった。

 それは外面の官能的な魅力と、内面の未整理と無知、認識能力の不足が相俟って、他人の上に幻をえがきだすことのできる人間の特権だった。まことに無礼な特権。本多はそういう人間の対極にいる人間であることを、若いころからよく弁えていた。

 無知によって歴史にあずかり、意志によって歴史からすべり落ちる人間の不如意を、隈なく眺めてきた本多は、ほしいものが手に入らないという最大の理由は、それを手に入れたいと望んだからだ、という風に考える。一度も望まなかったので、三億六千万円は彼のものになったのである。

 それが彼の考え方だった。ほしいものが手に入らない、ということを、自分の至らぬためとか、生れつきの欠点のためとか、乃至は、自分が身に負うている悲運のためとか決して考えることがなく、それをすぐ法則化し普遍化するのが本多の持ち前だったから、彼がやがてその法則の裏を掻こうと試みはじめたのにふしぎはない。何でも一人でやる人間だったから、立法者と脱法者を兼ねることなぞ楽にできた。すなわち、自分が望むものは決して手に入らぬものに限局すること、もし手に入ったら瓦礫と化するに決っているから、遠くに保つように努力すること、……いわば熱烈なアパシーとでも謂うべきものを心に持すること。(『暁の寺新潮文庫 pp.332-333)

 こうした心構えが如何に「情熱的な人間」の処世の作法から遠く隔たっているか、如何に自己の持する認識的な秩序を破壊せぬように注意深く規則が遵守されているか。こうした「熱烈なアパシー」は「情熱」の破壊的性質の対極に位置する心理的な様態である。余りにも鋭く精緻に「認識」の機構が発達している為に、本多は盲目的な「情熱」の裡に安住することが出来ない。野蛮な愚行に総身を委ねる為に必要な感情の「陶酔」が分泌されない。「情熱」にとって冷静で客観的な「認識」の確保は最大の宿敵である。従って優秀な「見者」としての本多が「恋」という盲目的な陶酔の魅惑を堪能する為には、恋の対象を「認識」の及ばぬ不可視の領域へ遠ざけるしかない。換言すれば、恋の対象を「不在」の領域へ安置して、いわば不可知論の暗闇へ眠らせるしかない。若しも恋の対象が一旦「認識」の領野に現われてしまえば、それは直ちに冷厳な解剖を蒙って無味乾燥な「瓦礫」に還元されてしまうからである。精細な認識は「恋」の盲目的な情熱と根源的に対立する。

 不在こそそのための最上の質料だった。そうではないか。それこそ彼の恋の唯一の純良な素材だった。不在なしには、認識という夜行獣がすぐ目を光らし、すべてをその爪牙で引裂くことは必定なのだ。未知にむかって嚙みつき、すべてを既知の屍に化し、その死体置場の領域へ組み入れてしまうという認識の怖ろしく退屈な病気を、インドがかつて一度癒やしてくれたのではなかったか? インドが、又、ベナレスが教えたものこそ、認識の果ての果てまでのがれた末、ただ一つのこされた薔薇だけは、認識の目を免かれしめるために、既知を装うて、埃だらけの黒檀の棚の奥深く、錠を下ろして隠しておくことではなかったか? その作業を本多はやったのだ。自ら鍵をかけたのだから、自らあけないのは彼の意志の力だった。(『暁の寺新潮文庫 p.334)

 こうした本多の頗る人為的な努力の堆積が「認識」という畏怖すべき宿命に囚われた理智的な人間の試みる涙ぐましい「情熱の仮構」であり「感情の擬制」であることは明白である。だが、それは「美しさ」という至高の理念に対する擬似的な代理、或いは不充分な模倣に過ぎぬのではないか? 本多の苦闘は「美」から見放され、遠ざけられた人間の儚い抵抗の絵姿である。「金閣寺」の溝口は、絶対的な「美」を破壊することによって「現実」の恢復を図ったが、本多は恢復された「現実」の虚無的な性質に絶望しているのである。

豊饒の海 第三巻 暁の寺 (あかつきのてら) (新潮文庫)

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