サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

「明晰」の極限的形態 三島由紀夫「天人五衰」 2

 引き続き、三島由紀夫の『天人五衰』(新潮文庫)に就いて書く。

 三島由紀夫にとって「美しさ」という或る感性的な基準は、個人の実存の総体を統括する重要な規矩であり、至高の基準である。「美しさ」は、その他のあらゆる社会的な価値を超越する重要性を認められており、しかもその「美しさ」は飽く迄も肉体的で感性的な形態を備えた「美しさ」に限定されている。曖昧な美学、視覚的に捉えることの出来ない美しさに対する称揚は恐らく、三島にとって欺瞞的な代物に過ぎない。

 感性的で経験的な「美しさ」は、必ず時間と共に刻々と失われていくという悲観的な運命論もまた、三島の審美的倫理学を構成する重要な基礎的認識の一つである。その段階的で漸進的な毀損と衰亡は、「美」の感性的な形態に対して賦与された不可避的な宿命であるから、年老いても猶、若き日の清冽な美しさを保っているなどという凡庸な阿諛追従の言葉は唾棄すべき虚言として斥けられる。「美」は必ず時間の酸化作用に抗えずに段々と損なわれ蝕まれていき、人間の実存はあらゆる社会的栄達や経済的成功に取り巻かれながらも、時間と共に着実に宿命的な腐敗を深めていく。そうした腐敗を防止する為の唯一の手段は「夭折」であり、美しさの絶巓において自らの生命を投げ捨てることこそ、三島の審美的倫理学における最高の道徳的決断なのである。

『いや、俺には、時を止めるのに、「この時を措いては」というほどの時はなかった。宿命らしきものがもし俺にも多少あるとすれば、「時を止めることができなかった」ということこそ、俺の宿命だったのだ。

 自分には青春の絶頂というべきものがなかったから、止めるべき時がなかった。絶頂で止めるべきだった。しかし絶頂が見分けられなかった。ふしぎにも、そのことに悔いがない。

 いや、たとえ青春を少しばかり行き過ぎてからでもよい。もし絶頂が来たら、そこで止めるべきだ。だが、絶頂を見究める目が認識の目だというなら、俺には少し異論がある。俺ほど認識の目を休みなく働らかせ、俺ほど意識の寸刻の眠りをも妨げて生きてきた男は、他にいる筈もないからだ。絶頂を見究める目は認識の目だけでは足りない。それには宿命の援けが要る。しかし俺には、能うかぎり稀薄な宿命しか与えられていなかったことを、俺自身よく知っている。

 それを俺の強靭な意志が宿命を阻んで来たからだ、と言うのは易しい。本当にそうだったろうか。意志とは、宿命ののこかすではないだろうか。自由意志と決定論のあいだには、印度のカーストのような、生れついた貴賤の別があるのではなかろうか。もちろん賤しいのは意志のほうだ。(『天人五衰新潮文庫 pp.148-149)

 これはいわば「生き残ってしまった者」の漏らす痛切な感慨である。この感慨に敢えて日本の歴史的な背景を賦与するとすれば、それは明らかに太平洋戦争の記憶であると言えるだろう。戦時下の日本で青春の末期を過ごした平岡公威という一人の少年の個人的な記憶が、老境に達した本多繁邦の述懐の背景に隠見しているのである。彼は「夭折」の宿命に恵まれず、宿命から見限られた「意志的な人間」として生きざるを得なかった自己の半生に対して苦渋に満ちた感慨を懐いている。宿命、或いは歴史的な「恩寵」と呼び換えてもいい。そうしたものに抱擁されて劇的な生涯を歩む人間の特権的な「美しさ」に憧れながら、決して悲劇的な宿命に襲われることのない自己の凡庸な実存に、彼は堪え難い不満を禁じ得ないのである。

 悲劇的な宿命に囚われる見込みのない彼が、猶も感性的な「美」への憧憬を保持し続けるならば、自ずと彼は外在的な「美」に関する熟練した専門家としての生活を選択せざるを得ない。端的に言ってそれは「芸術家」という社会的形態に挺身することである。「美」の感性的な形態を体現する「選ばれた人間」或いは「記憶される者」たちの存在を観賞し、讃嘆し、記憶する側の位置へ、自らの存在を搬入することである。恩寵としての悲劇的宿命から見限られても、一向に「美」を愛する精神を棄却し得ない人間が、芸術という営為を通じて「美」を見守ることに専心しようと試みるのは自然な成行であろう。本多繁邦という人物の造型には、華々しい「戦没」の命運を掴み取れなかった三島自身の苦り切った「戦後」の生活の風景が濃密に刻み込まれているように私は感じる。彼の芸術家としての倫理的な刻苦勉励は、自らの「夭折」の不可能性という決して悦ばしいものではない現実に対する認識から生まれている。尤も、晩年の三島の奇矯な言行の数々(その血腥くスキャンダラスな末期も含めて)を徴すれば、結局のところ、彼が「美の絶頂において死ぬ」という倫理的な要請を免かれ得なかったことは明瞭である。換言すれば、彼は自分自身の実存を一個の芸術的な作品として完成させ、美的存在を記憶する側から、美的存在として記憶される側へ移行しようと企てる欲望を、遂に廃絶することが出来なかったのである。

豊饒の海 第四巻 天人五衰 (てんにんごすい) (新潮文庫)

豊饒の海 第四巻 天人五衰 (てんにんごすい) (新潮文庫)