サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

Cahier(「鏡子の家」・現実・退職)

*最近は三島由紀夫の長大な『鏡子の家』(新潮文庫)を読んでいる。同時代の批評家から冷遇されたと伝えられる作品だけに、退屈しないかと心配しながらページを開いたが、そんなに悪しざまに貶されるべきものだとは思わない。ただ「金閣寺」という緊密な構造と絢爛たる文飾に支えられた芸術的達成に類するものを期待して臨んだ読者にとっては、この「鏡子の家」という作品は聊か失望の種となるかも知れない。

 未だ百ページほどしか読んでいない段階で彼是と断定的な口調で論じるのは気が退けるが、些細なことでも備忘の為に書き留めておきたい。三島由紀夫は「仮面の告白」以来、その独特の秀麗な文体を徹底的に錬磨してきた。彼の描き出す世界が常に人工的な様式美の風合いを湛えているのは、彼がそのような世界の捉え方を好み、そのような世界を紙上に構築する為の言語的技術を入念に鍛造してきたからである。彼の文学的な作法は、現実よりも観念を重んじる。美しく磨き上げられた端麗な措辞は総て、現実の世界をプラトニックな観念の反映に染め上げることに奉仕している。彼は少しも、素朴で端的な現実に関心を寄せていない。彼にとって最も重要なのは、己の信じる内在的な価値を、現実の断片を材料として組み上げることであり、現実そのものは内在的な価値への窮屈な隷属を強いられている。その集大成が「金閣寺」であり、そこでは一切の現実が、彼にとって重要だと思われる内在的な価値の為に精選され、緊密な様式美が隅々まで神経質なほどに行き渡っている。

 けれども「鏡子の家」において、作者は彼自身と現実との関係性を組み替えているように見える。彼は自身の内在的な論理を架空の世界へ充満させる代わりに、敢えて現実の即物的な諸相を模写することに重点を移している。換言すれば、彼は身も蓋もない現実を黙って受け容れ、咀嚼しようとしている。彼の審美的な規範に基づいて現実を一方的且つ残酷に裁断するのではなく、現実の不透明で奇怪な様態に眼を凝らそうとしている。この変容は何よりも先ず文体の変化において鮮明に告示されている。絢爛たる観念的な措辞は、些か無骨で飾り気のない、或る意味では単調な文体に切り替わっている。こうした変貌が従来の愛読者たちを失望させる効果を孕んでいること自体は、端的な事実として認めなければならないだろう。

*三月中旬から休職に入り、一旦他の店舗へ応援に入る形で復職していた以前の部下から、退職の手続きを済ませた旨を報告するメールが届いた。退職の方向で話が進んでいるということは既に伝え聞いて知っていた。六月の終わりに完全に勤務を終えるという。次の仕事は決まっていないが、教わったことを活かして前向きに頑張っていきたいという文面であった。

 人は色々な理由で仕事を辞める。仕事を辞めること自体に、貴賤を問うのは無益である。退職が明るい未来の端緒となることもあるだろうし、或いは地滑りのような不幸の幕開けとなる場合もあるだろう。何れの結果に帰着するか、それは本人の今後の努力に懸かっている。とりあえず七月が来たら呑みに行こうと伝えた。送別会を開く遑もなく、不本意なタイミングで休職に入ってしまったので、聊か心残りに思っていたのだ。

鏡子の家 (新潮文庫)

鏡子の家 (新潮文庫)