サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

死と官能の結託 三島由紀夫「音楽」 2

 三島由紀夫の『音楽』(新潮文庫)を読了したので感想文を書き綴る。

 性的欲望は、単なる神経的な快楽を味わう為だけの純然たる物理的な営為ではなく、そこには様々な浮薄な観念が頑固な皮脂のように纏いついているものである。性的欲望、或いは端的に「エロス」(eros)と言い換えてもいいが、こうした衝動の根源に肉体的な快楽への焦がれるような期待と憧憬が関与していることは事実であるにせよ、我々人間は純然たる性欲をそのままの状態で抽出したり解釈したりすることの出来ない存在である。私が態々「エロス」などという迂遠な表現を持ち出すのも、我々の性的な情念や衝迫が夥しい「意味」や「観念」に包み込まれて、実に奇怪な様相を呈する現象であることを強調する為の選択である。

 エロスの根底には、他者との境界線を破壊してしまいたいという危険で切実な要求が潜在している。自己と他人、或いは自己と外界と呼んでも同じことだが、そういう厳然たる垣根を飛び越えてしまいたい、一足飛びにコミュニケーションの距離を超克してしまいたい、という欲望が性的な現象の基層に深々と突き刺さっている。自他の境界線の消滅、これがエロスの目指す最終的な理想郷であり、温度や密度は違えど、どんな変態も究極的には、こうした官能的な「涅槃」の境地へ達することを強く夢見ているのである。

 そうしたエロスの根源的な性質を極限まで執拗に、妥協せずに追究していった場合、誰もが自ずと逢着せずにいられないのは「死」という夢想である。厳密には「死」そのものではなく、生者の脳裡で演じられる「死」という一つの幻像が、エロスの内包する不可能な要求に対する回答の如く映じるのだ。

 個体としての「死」を通じて、他者との類的な「融合」を成し遂げようとする半ば幻想的な欲求、或いは「彼岸」において究極的な合一を果たそうとする官能的な情熱、これほど三島由紀夫の文学の本質を明瞭に象徴するイメージは、他に考えられないと言えるだろう。死の観念との間に濃密な相関性を備えたエロス、これを仮に「タナトス」(thanatos)と称するならば、三島由紀夫の文学には常に濃厚で深刻なタナトスの陰翳が揺曳していると言える。それは例えば「潮騒」で描かれた牧歌的で保守的な性愛の様態、無垢な男女が知り合って所帯を持ち、子供を産んで養育するという極めて健全なエロスの様態とは根本的に異質である。

 「死」に対する官能的な執着、これは三島の書き遺した無数の作品の裡に、その露骨な幻像を投射している。「禁色」における同性愛、「沈める滝」や「美徳のよろめき」における不倫、「獣の戯れ」における奇怪な三角関係と迂遠な情死、そして「音楽」における近親相姦のイメージ、これらは総て社会的に是認された肯定的で倫理的なエロスの様態に対するアンチテーゼを含んでいる。三島は日々の具体的な実存の風景が不可避的に孕んでしまう種々の軋轢や葛藤を全面的に引っ繰り返し、解消する究極的な手段としての「死」に、並々ならぬ執着と欲望を懐いていた。言い換えれば、彼は「死」を経由することで、つまり「彼岸」の領域に達することで初めて実現される官能的な融合の夢想を、営々と物語の世界に刻印し続けた奇怪な作家なのである。

 そう思ってみると、なるほど麗子の兄の獣的な行為は決して世間普通の愛の行為とは言えないけれども、麗子はこの怖ろしい恥かしい状況に於て「自我と世界関係との統一」の幻を垣間見なかったわけではない。それがみじめな、ふざけたやり方であったればこそ、それだけに、麗子は意識的にも、又、無意識的にも、兄への久しい間の夢と愛の実現は、このときを措いてはないことを感じていたのかもしれない。(『音楽』新潮文庫 P206)

 「自我と世界関係との統一」が、人間の内包するエロス的な衝動の終極的な理想郷であることは既に述べた通りである。それを作者は「愛の全体性」(P80)という言葉でも表現している。無論、そうした観念が誰にとっても不可能な幻像であることは明白である。健全で倫理的な関係性に基づいて愛慾の行為を営んだとしても、それが完璧な「愛の全体性」への到達を実現する見込みは乏しい。我々は寧ろ「愛の全体性」が不可能であるという見地に立って、究極的な親密さよりも自他の間の適切で柔軟な「距離」の構築を優先することによって、社会的な成熟を遂げることを図らねばならない。「愛の全体性」に対する過剰な執着は、何れにせよ人間的な未成熟の確たる証明である。それは否が応でも、自他の境界線を抹殺する行為を通じて「他者の否定」に帰結する。

 そうした観点に立脚して「音楽」という作品を眺めたとき、我々は弓川麗子という女性の「近親相姦への欲望」からの恢復と解放の過程を読み取ることになるだろう。禁じられた関係における「愛の全体性」への到達の性急な企てが、極めて容易に「死」に対する官能的な固着を喚起することは論を俟たない。我々は「愛の全体性」の幻想的な性質を厳密に見定めることによって初めて、倫理的な関係性の構築に向けた第一歩を大地に印すことが出来るのである。

音楽 (新潮文庫 (み-3-17))

音楽 (新潮文庫 (み-3-17))